アサファ・パウエル
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アサファ・パウエル(Asafa Powell, 1982年11月23日 - )は、ジャマイカの陸上選手である。種目は主に100m中心。身長190cm、体重88kg。ジャマイカ・セント・キャサリン教区出身。
5人の兄すべてが陸上短距離選手。母のシスリン・パウエルは100m11秒4、父のウィリアムス・パウエルは10秒2、5人の兄も全員10秒5以内の記録を持つというスプリンター一家である。兄のドノバン・パウエルは1999年世界陸上セビリア大会・男子100m準決勝進出、シドニーオリンピック男子400mリレージャマイカ代表。また、2007年世界陸上選手権100m銀メダリストデリック・アトキンス(バハマ)の母は彼のいとこにあたる。
恵まれた骨格と瞬発力のある筋肉に恵まれており、彼のスタートはその爆発的な飛び出しから、「エクスプローシブ・スタート」と呼ばれている。
世界記録保持者だった当時、世界陸上、オリンピックでのタイトルがなかった為無冠の最速男と呼ばれていた。グランプリでは他を寄せ付けず圧勝することが多いが、大舞台(オリンピック、世界陸上)では硬くなり、いつも自分の実力を発揮できない。それは、世界陸上大阪大会で3位(9秒96)に終わった直後に世界記録を更新(9秒74)、また、北京オリンピックで5位(9秒95)に終わった直後に自己ベストを更新(9秒72)していることからも明らかである(北京オリンピックでは、100m決勝と同じ日に行われた準決勝で後半流して9秒91で走っており、決勝でも9秒91で走っていれば3位と同タイムになる)。
このように、メンタル面でのことや細かい技術などまだまだ改善すべき点はあり、さらなる成長の可能性が見込まれている。
[編集] 経歴
2001年 2001年まではサッカー選手だった(ポジションはFW)。
2002年 ジャマイカの首都キングストンの大学で陸上競技を本格的に始める。 マンチェスターで行われたコモンウェルスゲームズでマイケル・フレイター、ドワイト・トーマス、クリストファー・ウィリアムズ等と挑んだ400mリレーではアンカーを務め、銀メダルを獲得。
2003年 世界陸上パリ大会では100m二次予選で不正出発(フライング)により失格となった。このときジョン・ドラモンド(アメリカ)も失格になっている。
2004年 6月12日、100mで初めて10秒の壁を破る9秒99をマーク。 7月30日、ロンドングランプリ100mで前回五輪覇者のモーリス・グリーンに勝ち、金メダル候補になる。 アテネオリンピック100mは金メダル候補だったが、9秒94(+0.6m/s)で5位に終わる(2004年、唯一の敗北)。 1シーズンに9度も100m9秒台をマーク、ベストは9秒87で同年の世界3位タイであった。
2005年 5月8日、ジャマイカ国際招待100mで9秒84で優勝 (当時世界歴代3位タイ&自己ベスト&今季世界最高)。 6月9日、スーパーグランプリシリーズ、ゴールデン・スパイク オストラバ大会(チェコ)100m9秒85で優勝。 6月14日、アテネのオリンピックスタジアムで行われた陸上のスーパーグランプリ(GP)第3戦アテネ大会。ゼッケン「100」のパウエルは準決勝で9秒99。そして、男子100m決勝。0秒150で反応、追い風1.6m/sの絶好の条件の中、当時の世界記録を百分の一秒更新する9秒77を樹立した。速報計時は9秒78だったが、数分後、写真判定で9秒77の世界新記録(当時)に切り替わった。 従来の世界記録は、2002年9月14日にティム・モンゴメリが出した9秒78(ただしこの記録は後に取り消される)で、約3年ぶりに塗り替えた。 同年行われた世界陸上ヘルシンキ大会では、アテネ五輪100m覇者のジャスティン・ガトリンとの勝負が期待されたが怪我のため欠場。
2006年 6月11日、イギリスのタインアンドウィア州ゲーツヘッド区で9秒77(+1.5m/s)(世界記録タイ、自己ベストタイ)を再びマーク。 6月25日、200mの自己ベストを19秒90(+1.3m/s)に更新。 8月18日、スイスのチューリッヒでまたも9秒77(+1.0m/s)を記録。 メルボルンで行われたコモンウェルスゲームズでは100mとアンカーを務めた400mリレーで金メダルを獲得。 IAAFゴールデンリーグ6戦全勝,100万ドルのジャックポット獲得。この年のアスリートオブ・ザ・イヤーに輝いた。 1シーズンに9秒台を12回マークし、1シーズンの9秒台最多記録となった。
2007年 8月26日、世界陸上大阪大会100m決勝では好スタートで飛び出し、初タイトルになると思われたが、後半タイソン・ゲイに並ばれると失速。結局9秒96(-0.5m/s)で3位だった。 9月1日、世界陸上大阪大会400mリレー決勝でアンカーを務め、37秒89のジャマイカ記録(当時)で銀メダルを獲得。このときのラップタイムは8秒84であり、アンカーとしては当時史上最も速い記録であった。 9月9日、イタリアで開催されたリエティ・グランプリにて男子100m予選で追い風1.7m/sの好条件下、9秒74の世界新記録(当時)を樹立。ただしこのときは、予選のために最後は流している。そのため決勝ではさらなる記録の更新が望まれたが、決勝は無風であったため9秒78で新記録とはならなかった。世界記録更新の功績でこの年のパフォーマンス・オブ・ザ・イヤーに輝いた。
2008年 5月31日、同じジャマイカ出身のウサイン・ボルトが9秒72(+1.7m/s)をマークし、自身が持っていた世界記録9秒74を破られる。 7月22日、ストックホルムスーパーGPの100mで、肌寒い条件下、好スタートから9秒88(+0.4m/s)をマークし、現世界記録保持者のウサイン・ボルトに0.01秒差で競り勝つ。 8月17日、北京オリンピック男子100m決勝では、今回も金メダル候補の一人だったが、スピードに乗れずに後半他の選手に追い抜かされ、9秒95(+0.0m/s)で5位に終わった。 8月22日、北京オリンピック陸上男子400mリレー決勝ではアンカーを務め、37秒10の世界新記録で優勝した。このときのラップタイムは8秒70であり、アンカーとしては史上最も速い記録である。 9月2日、スイスで開催されたローザンヌ国際100mで、追い風0.2m/sとほぼ無風の中、自己ベストを0.02秒更新し、ウサイン・ボルトの世界記録に0.03秒と迫る9秒72を記録。 9月5日、ベルギーのブリュッセル国際では、9秒77を出したウサイン・ボルトに後半抜かれ敗れたものの、雨上がりのトラックで向かい風1.3m/sの悪条件下9秒83の好記録をマークし2位になった。この記録は2位の記録としては最も速いものである。 2008年には、1シーズンに9秒台を15回マークし、自身の記録を塗り替える1シーズンの9秒台最多記録となった。
2009年 2月28日、オーストラリアのシドニーで400mの自己ベストを45秒94に更新。
[編集] 自己記録
- 60m 6秒56 (2004年2月6日)
- 100m 9秒72 (+0.2m/s)(2008年9月2日、世界歴代2位)
- 200m 19秒90 (+1.3m/s)(2006年6月25日)
- 400m 45秒94 (2009年2月28日)
- 400mリレー 37秒10 (第4走者)(2008年8月22日、世界記録)
100mでは9秒台を51回記録しており、これはモーリス・グリーンに次ぐ歴代2位の記録である。
9秒9未満は25回、9秒8未満は7回記録しており、いずれも歴代1位の記録である。
[編集] 外部リンク
- Powell Asafa (国際陸上競技連盟プロフィール)(英語)
- Asafa Powell Official Website (英語)
| 先代: |
100mシーズンベスト記録保持者 2005-2007 |
次代: |
| 先代: |
100m世界記録保持者 2005/6/24-2008/5/31 |
次代: |

