パーシー・ウィリアムズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
パーシー・ウィリアムズ Portal:陸上競技
PercyWilliams.jpg
パーシー・ウィリアムズ(写真右から2人目)
選手情報
フルネーム パーシー・アルフレッド・ウィリアムズ
国籍 Canadian Red Ensign 1957-1965.svg カナダ
種目 短距離走
生年月日 1908年5月19日
生誕地 ブリティッシュコロンビア州バンクーバー
没年月日 1982年11月29日(満74歳没)
編集 テンプレートのヘルプを表示する

パーシー・ウィリアムズ(Percy Alfred Williams、1908年5月19日 - 1982年11月29日)は、カナダブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身の陸上競技選手で1928年アムステルダムオリンピック男子100m、200mの金メダリストである。

経歴[編集]

ウィリアムズは20歳のときに出場したアムステルダムオリンピックの国内選考会に出場し、優勝を果たすと周りの誰もが(もしかしたら彼自身が最も)その勝利に驚いた。さらに驚いたことに、彼はオリンピックの100mで余裕で決勝に進出を果たす。

100m決勝で好スタートを切ったウィリアムズは序盤からリードを保ったまま、見事金メダルを獲得。さらに、200mでも100mと同様のパフォーマンスを披露し、短距離2冠を達成した。カナダに帰国したウィリアムズを大観衆が彼の勝利を祝福した。

彼の勝利はまぐれではないことは、1930年の大英帝国競技大会の100ヤード走で世界新記録を樹立したことから証明された。これに対しアメリカ人たちは無名のカナダ人に負けたことが楽しくなかった。ウィリアムズの勝利はまくれであることを確かめようとした。数多くの室内の競技会に彼を招待した。しかし、ウィリアムズは21レース中19勝し、その結果にアメリカ人たちは呆然とした。ウィリアムズが世界最高のスプリンターであることが証明されたのである。

その後ウィリアムズは、太ももの故障のため、再びベストの走りをすることができなかった。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場するも準々決勝で敗退している。その後、彼は競技をやめ保険代理業に従事した。

1979年にカナダ勲章を受章。この頃から関節炎に苦しむようになり、1982年自ら命を絶ちこの世を去る。

外部リンク[編集]