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   吉本隆明研究会編集/吉本隆明が語る戦後55年12 三交社
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*[[大塚久雄]]は、[[梶山力]]と共訳であった[[マックス・ヴェーバー]]の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を、のち大塚の単独訳にした。[[安藤英正]]はこのことを批判し、梶山の翻訳を刊行しようとしたが、その際、圧力をかけてきたのが丸山であったことが、[[羽入辰郎]]『学問とは何か』に記されている。
*[[大塚久雄]]は、[[梶山力]]と共訳であった[[マックス・ヴェーバー]]の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を、のち大塚の単独訳にした。[[安藤英正]]はこのことを批判し、梶山の翻訳を刊行しようとしたが、その際、圧力をかけてきたのが丸山であったことが、[[羽入辰郎]]『学問とは何か』に記されている。
* [[赤木智弘]]
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==== 参考文献 ====
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2008年12月13日 (土) 08:20時点における版

丸山 眞男(まるやま まさお、1914年3月22日 - 1996年8月15日)は、日本政治学者思想史家。専攻は日本政治思想史。丸山の学問は「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれ、経済史学者・大塚久雄の「大塚史学」と並び称された。マックス・ヴェーバーの影響を強く受けた学者の一人であり、徹底した合理主義者と評することもできる。

経歴

ジャーナリスト丸山幹治の次男として、大阪府に生まれた。郷里は長野県。兄に芸能プロデューサー・音楽評論家の丸山鉄雄、弟に社会評論家の丸山邦男がいる。1921年には東京四谷に転居。父の友人・長谷川如是閑らの影響を受け、大正デモクラシーの潮流のなかで思想形成をおこなう。四谷第一小学校を経て、府立一中(現・都立日比谷高校)、旧制一高を卒業。1933年、一高の三年生時には長谷川を弁士とする唯物論研究会の講演に赴いたために警察に検挙され、特別高等警察の取調べを受けた。

1934年東京帝国大学法学部入学。「講座派」の思想に影響を受ける。在学中に懸賞論文のために執筆した論文「政治学に於ける国家の概念」が認められて助手となる(この論文は『戦中と戦後の間』に収められている)。1937年卒業。本来はヨーロッパ政治思想史を研究したかったが、日本政治思想史の研究を開始した。当時、日本政治思想史といえば皇国史観に基づくものが多かったが、丸山は学問としての科学的視点から研究しようと志した。日本政治思想史研究を薦めたのは指導教授である南原繁だった。南原は皇国史観に対して批判的であったが、自身がヨーロッパ思想史研究者であり、皇国史観に反論をしうる学問的素地を持たなかったことから、丸山に後事を託したとされている。

1944年、30歳の時に、東京帝国大学法学部助教授でありながら、大日本帝国陸軍二等兵として教育召集を受けた。一期下からは優秀な学生は招集しない制度[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。が作られ、理系は召集せず、年齢的に助教授クラスが該当し、他の助教授が丙種で丸山だけ第三乙種だった。大卒者は召集後でも幹部候補生に志願すれば将校になる道が開かれていたが、「軍隊に加わったのは自己の意思ではない」と二等兵のまま朝鮮半島平壌へ送られた。その後、脚気のため除隊になり、東京に戻った。4ヶ月後の1945年3月に再召集を受け、広島宇品陸軍船舶司令部へ二等兵として配属された。8月6日、司令部から5キロメートルの地点に原子爆弾が投下され、被爆1945年8月15日に敗戦を迎え、9月復員した[1]。「上官の意向をうかがう軍隊生活は『御殿女優』のようだった」と座談会で述べたことがある。この経験が、戦後、「自立した個人」を目指す丸山の思想を生んだ[2]

戦後大学に戻り、1946年、「世界」5月号に『超国家主義の論理と心理』を発表。戦前日本の軍国主義ファシズムに関する一連の論考は、論壇のみならず広く敗戦後の日本人に衝撃を与えた。以後、戦後民主主義思想の展開において、指導的役割を果たす。戦前の天皇制を「無責任の体系」という言葉で表現したことは有名。また、サンフランシスコ平和条約をめぐる論争では「平和問題談話会」の中心人物として、1960年安保闘争を支持する知識人として、アカデミズムの領域を越えて戦後民主主義のオピニオン・リーダーとして発言を行い、大きな影響を与えた。アカデミズムとジャーナリズムを架橋したとも評されたが、後年、本人は現実政治の分析を「夜店」、日本政治思想史の研究を「本店」と称したこともある。

1950年より東京大学法学部教授。1960年代後半になると逆に、欺瞞に満ちた戦後民主主義の象徴として全共闘の学生などから激しく糾弾された。さらに病気も重なったことで、1971年には東大を辞職した(1974年に名誉教授)。1978年には学士院会員となる。肝炎などの持病と闘いつつ「丸山真男集」を刊行中の1996年8月15日、82歳で死去した。家族だけで密葬を行い1週間程して発表した。終戦の日に亡くなった事もあって、司馬遼太郎とは違った意味で時代の曲がり角を感じさせた。杉並公会堂で「お別れの会」が開かれた。「丸山論」が没する前後から、年数冊のペースで刊行され続いている。

業績

前記の時論的な論述のほか、日本政治思想史における業績も重要である。第二次世界大戦中に執筆した『日本政治思想史研究』は、フランツ・ボルケナウ(『封建的世界像から近代的世界像へ』)らの研究を日本近世に応用し、「自然」-「作為」のカテゴリーを用いて儒教思想(朱子学)から荻生徂徠本居宣長らの「近代的思惟」が育ってきた過程を描いたものである。これは戦時中に日本を支配した非合理的なファシズム思想に対する丸山の精一杯の学問的抵抗でもあった。また、明治時代の思想はデモクラシー(民権)とナショナリズム(国権)が健全な形でバランスを保っていたと評価し、特に福澤諭吉を日本近代を代表する思想家として高く評価している。

著書『日本の思想』の発行部数は2005年5月現在、累計102万部。この中に収められている『「である」ことと「する」こと』は高校教科書にも採用されており有名である。[1]これは『日本政治思想史研究』で論述した「自然」-「作為」の概念を平易に記述したものともいえる。

影響

丸山のゼミナールからは多くの政治学者・政治思想史家を輩出した。学者では特に松本三之介石田雄藤田省三松下圭一橋川文三神島二郎藤原弘達らの名などが挙げられる。彼らは総じて「丸山学派」と言われ、マルクス主義の政治学に対する近代政治学として日本の政治学界において一大勢力をなした。また日本政治思想史専攻以外にも、篠原一福田歓一坂本義和京極純一三谷太一郎といった東大系の政治学者は、多かれ少なかれ影響を受けており、かつそれをさまざまな形で公言している。

狭義の政治学界の外でも、評論家小室直樹などは丸山眞男を師と仰ぎ、作家庄司薫も丸山ゼミ出身。小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』で主人公が憧れる思想家は丸山をモデルにしていると言われる。司馬遼太郎の「坂の上の雲」をもじった「坂の下の沼」の「町人国家論」などの言説で知られている異色官僚の天谷直弘(元・通産審議官)、社民連創設者の江田五月教育学者堀尾輝久なども丸山ゼミ出身。亡き後の政治学界や言論界にはなお崇拝者、信奉者が多く、戦後日本を象徴する進歩的知識人の一人であった。

エピソード

投獄経験に関して

  • 死後に公表された『自己内対語』(みすず書房)によると、逮捕されて拘置所に送られたとき、「不覚にも一睡もできない拘置所で涙を流した。そのことがまた、日ごろの『知性』などというものの頼りなさを思い切り私に自覚させた」といい、「軍隊経験にまさるとも劣らない深い人生についての経験」だったと述べられている。
  • また、丸山はもともとジャーナリスト志望で、大学に残る気はなかった。たまたま助手公募の掲示をみて応募した。そして彼は、逮捕歴があったのと、マルクス主義に影響を受けた論文を書いたので、特高憲兵の監視を受けていた。そういう人間を助手として雇うだけの度量が東大法学部にあるのなら、研究室に残ってもいい、というのが22歳の生意気盛りの学生だった当時の丸山の気持ちであったであろう。当時の丸山の指導教授だった南原繁が、丸山の論文のそういう性格を見抜いたうえで、さらには丸山が自分の逮捕歴などを告白したのを聞いたうえで、丸山を助手に採用したのは、南原の本心が、丸山とは“思想の同志”的な位置にいたからである[3]

運動」に関して

  • 1968年の東大紛争の際、大学の研究室を占拠した全共闘の学生らに「ファシストでもやらなかったことを、やるのか」と発言した。
  • 安保闘争後、市民運動が活発になった際に、弟子の松下圭一らは「市民が成熟して「市民感覚」が養われるようになった」と主張していたが、丸山は、そのような政治参加は「パートタイム」的なものにとどめるべきものだと述べた。(⇔「完全市民」、「プロ市民」)

交友関係について

  • 「世界」初代編集長の吉野源三郎と親交が深かった。
  • 作家の武田泰淳、中国文学者の竹内好とは家族ぐるみの付き合いがあった。また竹内について、「『ふつう好さんのことをナショナリストと言うでしょう。ぼくはそれだけをいうと、ちょっと抵抗を感じるな。20年以上のつきあいを通して、好さんにはコスモポリタニズムが感覚としてある、と肌で感じます』と述べている」[4]
  • 鶴見俊輔とは「思想の科学」創刊以来の付き合いがあった。

趣味に関して

ディレッタント(英,伊:dilettante、好事家。学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者)を自称し、思想史のほかにも文学や映画、音楽などに造詣が深かった。中でもクラシック音楽への入れ込み方は尋常でなく、東大退官後はレコードやスコアを蒐集して分析するのに多くの時間を費やしたと言われる。作曲家ではベートーヴェンワーグナー、演奏家ではフルトヴェングラーに傾倒していた。単なる趣味という次元を超えた音楽へののめりこみ振りは、大学で丸山に師事し、ケンウッド役員も務めた音楽仲間だった中野雄の『丸山眞男 音楽の対話』(文春新書)で詳述されて話題となった。

批判

丸山は戦後日本に大きな影響を与えた人物ということもあり、様々な立場から批判がなされている。ただ、丸山が批判に余り取り合わず「黙殺」したことで、結果的に丸山の権威が認められたと竹内洋は述べている。

批判の概要

  • プロレタリア革命を主張するマルクス主義者から、西洋近代のブルジョワ市民社会を理想とする「近代主義者」「市民派」であるとして批判された。
  • 東大紛争では、全共闘の学生から、東大教授という立場に寄りかかった権威主義者、大衆から遊離した貴族主義者であるとして批判された。この背景には、在野知識人による丸山批判があったとする見方がある。
  • 日本ファシズム論の定義が曖昧であるという批判や、丸山の議論は西欧にあって日本にないものを指摘する「欠如理論」である(例:日本には民主主義や個人主義の伝統がない等)という批判もある。
  • 近年はポストコロニアリズムの立場から、その「国民主義」や、ナショナリストとしての一面を厳しく批判されている。
  • 日本政治思想史研究に対しては、近世思想史の解釈が恣意的(「自然」と「作為」という概念を無理にあてはめている等)といった批判などがある。経書学・日本思想史の立場から、漢籍読解の稚拙さを指摘する論考もある。

批判者

  • 丸山の影響を受けた橋川文三は、論文「昭和超国家主義の諸相」にて丸山を継承しながらも批判を加えている。著作集は筑摩書房
  • 思想的伝統が日本には形成されなかったとする丸山に対し、梅原猛は『法華経』などの古典などを読まずにその様な断定を行うのは性急であると批判している。
  • 吉本隆明 『柳田国男論・丸山真男論』ちくま学芸文庫
    • 吉本隆明ほか 『批評とは何か/丸山真男について』

   吉本隆明研究会編集/吉本隆明が語る戦後55年12 三交社

参考文献

【丸山論は50冊以上出されている、以下は主な文献】
  • 竹内洋 『丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』中公新書
  • 水谷三公 『丸山真男 ある時代の肖像』 ちくま新書
  • 苅部直 『丸山真男 リベラリストの肖像』 岩波新書 
  • 長谷川宏 『丸山真男をどう読むか』 講談社現代新書
  • 間宮陽介 『丸山真男 日本近代における公と私』 筑摩書房のち,ちくま学芸文庫
  • 松本健一 『丸山真男八・一五革命伝説』河出書房新社  のち「伝説シリーズ6」辺境社
  • 「みすず」編集部編 『丸山真男の世界』 みすず書房  追悼文集  
  • KAWADE道の手帖『丸山真男没後10年、民主主義の〈神話〉を超えて』河出書房新社
  • 大隅和雄・平石直昭編著 『思想史家丸山真男論』 ぺりかん社
  • 『現代思想 丸山真男』 1994年1月号 青土社
  • 中野雄 『丸山真男 音楽の対話』 文春新書24 文藝春秋    
  • 宮村治雄 『丸山真男 「日本の思想」精読』 岩波現代文庫学術42
  • 板垣哲夫 『丸山真男の思想史学』 歴史文化ライブラリー149・吉川弘文館
  • 石田雄 『丸山真男との対話』 みすず書房
  • 笹倉秀夫 『丸山真男の思想世界』 みすず書房
  • 飯田泰三 『戦後精神の光芒 丸山真男と藤田省三を読むために』 みすず書房
  • 加藤周一・日高六郎対談 『同時代人丸山真男を語る』転換期の焦点6・世織書房
  • 石田雄他 『丸山眞男と市民社会』 世織書房
  • 都築勉 『戦後日本の知識人 丸山真男とその時代』 世織書房
  • 山崎正純 『丸山真男と文学の光景』 洋々社
  • 入谷敏男 『丸山真男の世界』 近代文芸社
  • 佐藤瑠威 『丸山真男とカール・レーヴィット 近代精神と批判精神をめぐって』 日本経済評論社
  • 植村和秀『丸山真男と平泉澄 昭和期日本の政治主義』パルマケイア叢書19・柏書房
  • 田中浩 『日本リベラリズムの系譜 福沢諭吉・長谷川如是閑・丸山真男』 朝日選書662
  • 中野敏男 『大塚久雄と丸山真男 動員、主体、戦争責任』青土社
  • 情況出版編集部編 『丸山真男を読む』情況出版
  • 小林正弥編『丸山真男論 主体的作為、ファシズム、市民社会』公共哲学叢書2・東京大学出版会
  • 今井弘道 『三木清と丸山真男の間』 風行社
  • 今井弘道 『丸山真男研究序説 「弁証法的な全体主義」から「八・一五革命説」へ』風行社
  • 富田宏治 『丸山真男-「近代主義」の射程』 関西学院大学出版会
  • 田口富久治 『丸山真男とマルクスのはざまで』 日本経済評論社  
  • 安川寿之輔 『福沢諭吉と丸山真男 「丸山諭吉」神話を解体する』高文研
  • 中島誠 『司馬遼太郎と丸山真男』 現代書館
  • 中島誠 『丸山真男と日本の宗教』 第三文明社
  • 中島誠 『丸山真男論 屹立する自由人の精』 第三文明社
  • 北沢方邦 『感性としての日本思想 ひとつの丸山真男批判』 藤原書店
  • 今井伸英 『丸山真男と戸坂潤 護憲の論理と丸山政治学の陥穽』論創社
  • アンドリュー・E.バーシェイ 山田鋭夫訳
『近代日本の社会科学 丸山真男と宇野弘蔵の射程』 NTT出版  また姉妹書で、
宮本盛太郎監訳『南原繁長谷川如是閑 国家と知識人・丸山真男の二人の師』 MINERVA日本史ライブラリー2・ミネルヴァ書房

著書

丸山ファンは多く、対談、講義ノート、書簡の類までが刊行されている。

単著

Studies in the Intellectual History of Tokugawa Japan, trans. by Mikiso Hane, (University of Tokyo Press, 1989)
  • 『政治の世界』(御茶の水書房, 1952年)
  • 『現代政治の思想と行動』(上下)(未來社、1956年-1957年/合本増補版、1964年/新装版、2006年)
  • 『日本の思想』(岩波書店[岩波新書]、1961年)
  • 『戦中と戦後の間 1936-1957』(みすず書房、1976年) 大佛次郎賞受賞。
  • 『後衛の位置から――追補「現代政治の思想と行動」』(未來社、1982年)
  • 『「文明論之概略」を読む』(上中下)(岩波新書、1986年)
  • 『忠誠と反逆――転形期日本の精神史的位相』(筑摩書房、1992年 ちくま学芸文庫、1998年)
  • 『丸山眞男集』(全17巻) (岩波書店、1995年-1997年) 3度刊行された
  • 『丸山眞男戦中備忘録』(日本図書センター、1997年)
  • 『自己内対話――3冊のノートから』(みすず書房、1998年)
  • 『丸山眞男講義録』(全7巻)(東京大学出版会、1998年-2000年)
  • 『丸山眞男座談』(全9巻)(岩波書店、1998年)
  • 福沢諭吉の哲学 他六篇』(松沢弘陽編、岩波文庫、2001年)
  • 『丸山眞男書簡集』全4巻 (みすず書房、2003年)
  • 『丸山眞男回顧談』(上下)(松沢弘陽・植手通有編、岩波書店、2006年)
  • 『丸山真男話文集』全4巻 (丸山真男手帖の会編 みすず書房 2008年-2009年)

共著

  • 加藤周一ほか)『反動の思想』(岩波書店、1957年)
  • (加藤周一)『翻訳と日本の近代』(岩波書店[岩波新書]、1998年)
  • 古在由重)太田哲男編『暗き時代の抵抗者たち――対談古在由重・丸山眞男』(同時代社、2001年)
  • (古在由重)『一哲学徒の苦難の道 丸山真男対話篇1』 岩波現代文庫
  • 梅本克己佐藤昇)『現代日本の革新思想上下 丸山真男対話篇2・3』 岩波現代文庫 
  • 鶴見俊輔・北沢恒彦・塩沢由典)『自由について 七つの問答』(編集グループSURE、 2006年)

編著

  • 『日本のナショナリズム』(河出書房、1953年)
  • 『人間と政治』(有斐閣、1961年)

共編著

訳書

  • G・H・セイバイン『西洋政治思想史』(岩波書店、1953年)

その他

  • 脇圭平・芦津丈夫『フルトヴェングラー』(岩波書店[岩波新書]、1984年)
著者二名と丸山の鼎談「フルトヴェングラーをめぐって――音楽・人間・精神の位相」を収録
  • NHKエンタープライズ編 『ビデオ 丸山眞男と戦後日本』2巻組  みすず書房
1996年にNHKETV特集」で2日間に渡り放映された。「生涯編」「思想編」

脚注

  1. ^ 苅部直『丸山眞男――リベラリストの肖像』岩波新書、107-108頁、111-112頁。
  2. ^ 小熊英二『民主と愛国』P.55
  3. ^ 参考文献;丸山真男/福田歓一編『聞き書 南原繁回想録』、東京大学出版会、272頁,269頁。南原繁「日中国交回復の道」『世界』1958年10月号。南原繁/郭沫若「十八年ぶりの日本」『中央公論』1956年2月号。
  4. ^ 小熊英二 『<民主>と<愛国>――戦後日本のナショナリズムと公共性』 新曜社、2002年

外部リンク

丸山の自宅に近かったこともあり、また東京女子大学の知識人とも親交があったことから、丸山が遺した図書資料類や各種草稿資料類が寄贈され、「丸山眞男記念文庫」として収蔵されている。また、同校は「丸山眞男記念比較思想研究センター」を設置し、丸山の弟子筋にあたる日本政治思想史研究者による公開講座や読書会を毎年開設している。