梅原猛

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梅原 猛
生誕 (1925-03-20) 1925年3月20日(92歳)
日本の旗 日本宮城県仙台市
時代 20世紀の哲学、21世紀の哲学
地域 日本哲学
学派 京都学派、梅原日本学
研究分野 西洋哲学哲学史宗教哲学宗教学形而上学存在論世界観倫理学日本仏教神道古神道自然崇拝アニミズム歴史文明
主な概念 人間中心主義(西洋哲学)への問題提起、人類哲学、草木国土悉皆成仏、植物の意志、梅原日本学、怨霊史観(怨霊
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梅原 猛(うめはら たけし、1925年3月20日 - )は、日本哲学者である。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。碧南市哲学たいけん村無我苑名誉村長

京都大学文学部哲学科卒業。立命館大学文学部教授、京都市立芸術大学教授・学長、国際日本文化研究センター所長(初代)、社団法人日本ペンクラブ会長(第13代)などを歴任した。

概要[編集]

龍谷大学文学部講師を経て、立命館大学文学部の講師、助教授教授を歴任した。その後、京都市立芸術大学に転じ、美術学部の教授を経て学長に就任した。その後、「国際日本文化研究センター(仮称)創設準備室」の室長として国際日本文化研究センターの創設に尽力し、設立後は所長に就任した。実存哲学について研究に取り組み、その後、「梅原日本学」と呼ばれる独自の世界を開拓した。また、「スーパー歌舞伎」「スーパー能[1]を創作するなど、幅広い活動を行っている。これらの業績が評価され、文化功労者に選出され、のちに文化勲章を受章した。京都市立芸術大学名誉教授国際日本文化研究センター名誉教授、京都市名誉市民の称号を贈られている。

略歴[編集]

学歴[編集]

職歴[編集]

役職[編集]

  • 財団法人屋久島環境文化財団特別顧問
  • 財団法人京都市国際交流協会理事
  • 財団法人稲盛財団理事
  • 社団法人日本広告写真家協会理事
  • 財団法人国際日本文化研究交流財団理事
  • 財団法人国立京都国際会館理事
  • 財団法人ハウジングアンドコミュニティ財団評議員
  • 財団法人地球環境戦略研究機関顧問
  • 特定非営利活動法人沖縄映像文化研究所顧問
  • 学校法人立命館立命館西園寺塾最高顧問

賞歴[編集]

経歴[編集]

宮城県仙台市で生まれ、愛知県知多郡で育つ。

実父は愛知一中、第八高校を経て、当時東北大学の学生だった梅原半二。実母は魚問屋で父の下宿屋の娘・石川千代。ともに学生だった実父母の結婚を梅原家、石川家が認めなかったため、私生児として誕生した。乳児期に実母を亡くし、生後一年九ヶ月で知多半島の名士で、梅原一族の頭領である伯父夫婦(梅原半兵衛・俊)に引き取られ養子となる。実父の梅原半二(工学博士)は、大学講師を退職後、3軒のバー・キャバレーを経営していたが、豊田喜一郎に誘われ、戦後トヨタ自動車に入社、トヨタ自動車常務や豊田中央研究所所長などを務めた。

私立東海中学には、南知多町(当時は内海町)の実家から2時間半をかけて通学した。1942年、広島高等師範学校に入学するが二ヶ月で退学、翌年第八高等学校文科に入学。理科系の父に似て数学が得意だったため、父や周囲から文科進学に反対されたのを、押し切っての進学だった。

青年期には西田幾多郎田辺元哲学に強く惹かれて、大学進学に際しては東京帝国大学倫理学科の和辻哲郎(東大赴任前は京都大哲学科の西田の下で助教授であった)の下で学ぶか、あるいは京都帝国大学哲学科の西田の下で学ぶかの選択に迷ったが、結局、1945年、京都帝国大学文学部哲学科に入学する。が、その年田辺は退官していた。西田も、すでに1928年に京都帝国大を退職していたが、京都帝国大哲学科には西田の影響が存在すると考えた。父親は哲学科への進学を歓迎しなかったが、梅原の熱意が強いため許可した。入学直後、徴兵され、9月復学。

大学時代には、実父のところに戻り、父が務めていたトヨタ自動車に近い愛知県岡崎市矢作町定光寺などにも居住した[3]

1948年、同大を卒業。

大学院では山内得立田中美知太郎に師事、マルティン・ハイデッガー哲学に惹かれつつもギリシア哲学を専攻、しかし二度にわたって田中と対立した。最初の論文「闇のパトス」(1951年)は、哲学論文の体裁をとっておらず甚だ不評だったが、のちに著作集第一巻の表題となる。20代後半、強い虚無感に襲われて、賭博にのめりこむような破滅的な日々を送り、1951年、養母・俊の勧めでピアニストの夫人と結婚、同年、長女が生まれた時、ヘラクレイトスについての論文を書いており、「日の満ちる里」という意味でひまりと名づける。ひまりはのちヴァイオリニストとなった。そしてハイデッガーの虚無思想を乗り越えるべく「笑い」の研究に入り、いくつかの論文を発表したが、これは完成しなかった。30代後半から日本の古典美学への関心を強め、「壬生忠岑『和歌体十種』について」(1963年)という論文を書く。

「笑い」の研究を始めたことについて梅原は、フリードリヒ・ニーチェマルティン・ハイデッガー実存主義哲学から出発したが、現実の生活に苦しくなると実存を頼ることはできなくなり、実存の論理を超えるために自分の心の暗さを分析して「闇のパトス」を書き、ニヒリズムを超えて人生を肯定するために「笑い」の哲学を目指したのだと言う。寄席に通い、渋谷天外藤山寛美大村崑などを研究の対象として論文を書いた[4]

その後は精力的に神道仏教を研究している。NHKテレビの生放送中に薬師寺管長の橋本凝胤と「唯識」をめぐり、大激論を交わす。

京都若王子(京都市左京区哲学の道近辺)の和辻哲郎旧邸に住む。

人物[編集]

日本仏教を中心に置いて日本人の精神性を研究する。西洋哲学の研究から哲学者として出発したが、西田幾多郎を乗り越えるという自身の目標のもと、基本的に西洋文明(すなわちヘレニズムヘブライズム)の中に作られてきた西洋哲学進歩主義に対しては批判的な姿勢をとる。その根幹は、西洋哲学に深く根付いている人間中心主義への批判である[5]。西洋哲学者が多い日本の哲学界のなかで、異色の存在である。

市川猿之助劇団のために『ヤマトタケル』や『オオクニヌシ』『オグリ』などの歌舞伎台本を書き、これが古典芸能化した近代歌舞伎の殻を破ったので、スーパー歌舞伎と称している。また『ギルガメシュ叙事詩』を戯曲化した『ギルガメシュ』は中国の劇団が上演し、中国の環境問題の啓蒙に大きな役割を果たしている。ただ、演劇では自分の思い通りにならないということで、小説版『ギルガメッシュ』を執筆しており、売れなかったが本作が自身で一番の作品だと語っている[6]。『中世小説集』や『もののかたり』など説話に基づく短編小説集も評判をとっている。また『王様と恐竜』『ムツゴロウ』『クローン人間ナマシマ』などのスーパー狂言の台本も書いている。九条の会の呼び掛け人の一人。平城遷都1300年記念事業特別顧問。2006年には源氏物語千年紀の呼び掛け人となる。

鈴木大拙を近代日本最大の仏教学者と位置付け、その非戦論の重要性を訴える。また「梅原日本学」と呼ばれる一連の論考では飛鳥時代大和朝廷の権力闘争を追求するなど、古代日本史の研究家としても知られる。天皇制への支持は強く、世界主義と排外的ナショナリズムの双方に批判的である。靖国神社憲法改正には基本的に否定的な立場を採る。イデオロギーの学術への介入それ自体を批判している[7]。なお、1991年には召人として皇居歌会始に出席している。

また、熱烈な多神教優位論者、反一神教主義者である。多神教一神教より本質的に『寛容であり優れている』と主張しており、続けて多神教が主流である日本文化の優越性を説いている。その説は多くの「日本文化の優越を語る日本人論」に影響を与え[8]、そのため梅原は、中曽根康弘が創設を主導した「国際日本文化研究センター」の初代所長に就任することになる。

一神教的な思想と多神教的な思想について、古代ギリシアの哲学者であるプラトンアリストテレスを対比させる。アリストテレスのように生物の多様性に目を向けることが重要だと語る[9]

臓器移植反対論者としても知られている。原子力発電所に対しても1980年代から反対論者の立場を取る[10]

日本漢字能力検定協会の大久保理事長に依頼され、約10年にわたって同協会の評議員を務めていたが、その間、会議出席などの評議員としての活動を全く行っていなかった。2009年に発覚した協会運営問題に際し、このことについて「信用したことを後悔している。関連会社への委託などとんでもないことで、評議員の機能を果たせなかった自分への怒りも感じる」と弁解した[11]

人間関係[編集]

家系[編集]

実父・梅原半二は工学博士でトヨタ自動車常務取締役や豊田中央研究所代表取締役所長を務めた。恋愛の失敗で心に傷を負いキャバレーを経営していたところを豊田喜一郎に引っ張られ、技術の世界に復帰し、後にトヨタ・コロナを設計した。著書に技術者としての経験をまとめた『純の中の不純』(黎明書房、1974年)、自伝的な『平凡の中の非凡』(佼成出版社、1990年)がある。小説家の小栗風葉は養母・俊の兄に当たる。同じく小説家の小中陽太郎は養母の姪の夫にあたる。

長男に芸術学者美学者京都造形芸術大学芸術学部教授の梅原賢一郎、その妻はノーベル賞学者福井謙一の娘の美也子[12]。長女にバイオリニストで京都造形芸術大学非常勤講師の梅原ひまり、その夫は京都造形芸術大学副学長で建築家の横内敏人[13]

交友関係[編集]

親友には京大哲学科からの同級生である橋本峰雄藤沢令夫立命館大学勤務時代に同僚だった白川静がいる。若い頃最も親しかったのは源了圓だという。

京大哲学科の4年先輩に当たる上山春平も親友であり、上山に誘われ、当時・京都大学人文科学研究所教授の桑原武夫らと知り合い、交友を深め知遇を得ることになる。

司馬遼太郎とは長年の交友があり、司馬の作品である『空海の風景』の正直な批評を出したが、彼を激怒させて以来、二人は犬猿の仲となる。その後は和辻哲郎文化賞の選考委員を互いに務めた縁で仲が直り、司馬の死去に関しては、追悼文も書いている(国際日本文化研究センター設立以前、梅原は司馬に評議委員として選出しようと懇願したが、断られた)。

生前に交流はなかったが、三島由紀夫と同年齢であり、三島の死後に梅原の飛躍があったことから、「三島が自分に乗り移った」と思っている。高橋和巳とは交友があり、高橋の死後、自分は長いものを書くようになったから、高橋が乗り移ったと言っている。

思想[編集]

梅原日本学[編集]

40歳過ぎまで単著はなかった。自ら著作集の自序において語るところによれば、これは「処女作というものは頭の先からしっぽまでもすべて独創的であるべきだ」という自己の信念のためであったという。1965年、仏像案内のテレビ番組の司会をし、これを本にした『仏像-心とかたち』を佐和隆研望月信成との共著で刊行、毎日出版文化賞を受賞。1967年、中公新書から『地獄の思想』を刊行し、古代から宮澤賢治太宰治に至る記述を行い、ベストセラーとなる。

その後日本仏教の研究を行い、釈迦からインド仏教中国仏教を経て鎌倉新仏教までを述べる長編の仏教史「仏教の思想(共著)」を著すなど、多くの対談等の本、『美と宗教の発見』等の論文集刊行ののち、創刊された文芸雑誌『すばる』を舞台に、古代史に関する研究的評論の連載を始める。該博な知識による大胆な仮説により、「梅原古代学」、「梅原日本学」、「怨霊史観」といわれる独特の歴史研究書を多数著している。梅原日本学は主に三つの柱からなる。

  • 古事記』の神話に関する独特の解釈。論文「神々の流竄」で展開。『古事記』の神話を史実でもなく、全くのフィクションであるということでもない、藤原不比等による律令国家の「イデオロギーの書」であるとする解釈である。同時に『古事記』を誦習した稗田阿礼は藤原不比等であるという説を打ち立てる。
  • 法隆寺に建立に関する独特の解釈。『隠された十字架-法隆寺論』(1972年)で展開。法隆寺聖徳太子一族の霊を封じ込め鎮めるための寺院とする説。その中から、大胆な仮説を刊行して毎日出版文化賞を受賞している。
  • 柿本人麻呂の生涯に関する新説。『水底の歌』(1972年 - 1973年)で展開。「柿本人麻呂は低い身分で若くして死去した」という近世以来の説に異を唱え、高い身分であり高齢になって刑死したとする説。正史に残る人物、柿本猨を柿本人麻呂とする。

梅原説の信奉者の有名人には井沢元彦がいる(ただし『水底の歌』が成り立たないことは『猿丸幻視行』に書いてある)。

批判[編集]

国文学、考古学、歴史学の立場からは批判も多い。例えば、法隆寺を聖徳太子一族の鎮魂の寺院とする考え方からは、坂本太郎の「法隆寺怨霊寺説について」(『日本歴史』第300号)を皮切りとして、厳しい批判や反論が出されている。また『水底の歌』における柿本人麻呂水死刑説は、益田勝実らによって批判論文が提出されている。

仏教学者の袴谷憲昭は、吉本隆明中沢新一との共著 『日本人は思想したか』(新潮社)について、この3人は「仏教の基本的な『常識』さえ知らず好き勝手な発言を繰返している」「本書を書評の対象に選んだのは、かかるいかがわしいものをただ売るに任せることはできなかったからに過ぎない」と激しく批判し、単純で基本的な誤りやあいまいで説明不足な箇所も少なくないと苦言を呈している[14]

人類哲学[編集]

「人類哲学」は、初期の西洋哲学実存主義研究、そして日本文化研究・梅原日本学を経て、2013年『人類哲学序説』(岩波書店)で提唱された哲学的・倫理学的な主張である。

まず梅原は、ギリシア哲学を起源とする西洋文明に特徴的な「哲学philosophía」のあり方を指摘する。「中国哲学」や「インド哲学」というような呼び方は、西洋哲学の基準に合わせてそう呼んでいるだけであり、「哲学philosophía」は未だ西洋哲学しかない、と梅原はいう。梅原は、西洋文明の枠内に留まらない、あらゆる文明・文化圏、地球のすべての人類に対応できる「人類哲学」を打ち立てようとし、その鍵となる概念を仏教用語「草木国土悉皆成仏」として提示する。『人類哲学序説』では、まず近現代哲学の批判的検証がなされており、ルネ・デカルトフリードリヒ・ニーチェマルティン・ハイデガーを主な批判対象(肯定的に評価している点や、梅原自身が影響を受けた点なども記されている)として西洋哲学における人間中心主義の問題とそれを西洋哲学の枠内で乗り越えようとすることの限界が論じられ、その上で「草木国土悉皆成仏」へ至る議論が展開されている。

著作[編集]

単著[編集]

  • 『地獄の思想』(中公新書、1967年)のち文庫
  • 『美と宗教の発見』(筑摩書房、論文集、1967年)のち講談社文庫、また、ちくま学芸文庫(2002年)
  • 『哲学する心』(講談社、論文集、1968年)のち文庫、学術文庫
  • 『笑いの構造』(角川書店、1972年)のち文庫
  • 隠された十字架 法隆寺論』(新潮社、1972年)のち文庫
  • 水底の歌 柿本人麿論』(新潮社、1973年)のち文庫
  • 『黄泉の王 私見・高松塚』(新潮社、1973年)のち文庫
  • 『さまよえる歌集』(集英社、1974年)のち文庫
  • 『塔』(集英社、1976年)のち文庫
  • 『湖の伝説 画家・三橋節子の愛と生』(新潮社、1977年)のち文庫
  • 『学問のすすめ』(佼成出版社、1979年)(自伝を含む)のち角川文庫(1981年)
  • 『歌の復籍』(集英社、1979年)のち文庫
  • 『怨霊と縄文』(朝日出版社、1979年)のち徳間文庫
  • 『聖徳太子』(小学館、1980年 - 1985年)のち集英社文庫(1993年)
  • 『仏教の思想』(角川書店、1980年)のち文庫
  • 『日本の深層――縄文・蝦夷文化を探る』(佼成出版社、1983年、新版、1985年)のち集英社文庫(1994年)
  • 『「歎異抄」と本願寺教団』(小学館 1984年)
  • 『精神の発見』(角川文庫 1985年)
  • 『日本学事始』(集英社文庫 1985年)
  • 『ヤマトタケル』(新潮社、スーパー歌舞伎、1986年)
  • 『文明への問い』(集英社文庫 1986年)
  • 『飛鳥とは何か』(集英社文庫 1986年)
  • 『日常の思想』(集英社文庫 1986年)
  • 『仏像のこころ』(集英社 1987年)(「仏像-心とかたち」から梅原執筆分)
  • 『写楽仮名の悲劇』(1987年、新潮社) のち文庫
  • 『最澄瞑想』(佼成出版社、1987年)
  • 『赤人の諦観』(集英社文庫 1987年)
  • 『日本冒険』全3巻(角川書店、1988年 - 1989年) のち文庫
  • 『ギルガメシュ』(新潮社、1988年)
  • 『古典の発見』(講談社学術文庫、1988年)
  • 『日本人の「あの世」観』(中央公論社、論文集、1989年)のち文庫
  • 『三人の祖師 最澄・空海・親鸞』(佼成出版社 1989年)
  • 『小栗判官』(新潮社、スーパー歌舞伎原作、1989年)
  • 『誤解された歎異抄』(光文社・カッパ・ホームス、1990年)のち文庫
  • 『日本の原郷熊野』(新潮社・とんぼの本、1990年)
  • 『人間の美術10巻――浮世と情念』(学習研究社、1990年)
  • 『〈森の思想〉が人類を救う――二十一世紀における日本文明の役割』(小学館、1991年) のち『森の思想が人類を救う』(小学館ライブラリー、1995年)、また、新版(PHP研究所、2015年改版)
  • 『海人と天皇』(朝日新聞社、1991年)のち新潮文庫、朝日文庫 
  • 『人間の美術7――バサラと幽玄』(学習研究社 1991年)
  • 『混沌を生き抜く思想――21世紀を拓く対話』(PHP研究所、1992年) のち文庫
  • 『日本人の魂 あの世を観る』(光文社カッパ・ホームス、1992年)
  • 『古代幻視』(文藝春秋、1992年)のち文庫
  • 『百人一語』(朝日新聞社、1993年)のち新潮文庫
  • 『梅原猛の『歎異抄』入門』(プレジデント社、1993年)のちPHP文庫
  • 『中世小説集』(新潮社、1993年) のち文庫
  • 『饗宴 随想と対話』(講談社、1994年)
  • 『将たる所以――リーダーたる男の条件』(光文社、1994年)
  • 『思うままに』シリーズ(文藝春秋)
    • 『世界と人間――思うままに』(文藝春秋 1994年)のち文庫
    • 『自然と人生――思うままに』(文藝春秋 1995年)のち文庫
    • 『癒しとルサンチマン――思うままに 』(文藝春秋、1997年)
    • 『亀とムツゴロウ――思うままに』(文藝春秋、1999年)
    • 『シギと法然――思うままに』(文藝春秋、2000年)
    • 『宗教と道徳――思うままに』(文藝春秋、2002年)のち文庫
    • 『戦争と仏教――思うままに』(文藝春秋、2004年)のち文庫
    • 『神と怨霊――思うままに』(文藝春秋、2008年)
    • 『親鸞と世阿弥――思うままに』(文藝春秋、2011年)
    • 『老耄と哲学――思うままに』(文藝春秋、2015年)
  • 『心の危機を救え――日本の教育が教えないもの』(光文社 1995年)のち文庫
  • 『梅原猛の世界』(平凡社、1995年)
  • 『もののかたり』(淡交社、1995年、)
  • 『共生と循環の思想』(小学館、1996年)
  • 『あの世と日本人』(日本放送出版協会・NHKライブラリー、1996年)
  • 『京都発見』全9巻(新潮社、1997年 - 2007年)
  • 『オオクニヌシ』(文藝春秋、1997年)
  • 『芸術と生命―ディオニュソスに魅せられて』(岩波書店、1998年)
  • 『天皇家の"ふるさと"日向をゆく』(新潮社、2000年)のち文庫
  • 『浄土仏教の思想〈巻8巻〉法然』(講談社 2000年) のち文庫、『法然――十五歳の闇』上巻・下巻(角川文庫、2006年)
  • 『脳死は本当に人の死か』(PHP研究所、2000年)
  • 『古事記』(学研M文庫、2001年)のち増補新版、『古事記(増補新版)』(学研プラス、2016年)
  • 『三度目のガンよ、来るならごゆるりと』(光文社、2001年)
  • 『梅原猛の授業』シリーズ(朝日新聞社)
    • 『梅原猛の授業――仏教』(朝日新聞社、2002年)のち文庫
    • 『梅原猛の授業――道徳』(朝日新聞社、2003年)のち文庫
    • 『梅原猛の授業――仏になろう』(朝日新聞社、2006年)のち文庫
    • 『梅原猛の授業――能を観る』(朝日新聞社、2012年)
  • 『王様と恐竜 スーパー狂言の誕生』(集英社、2003年)
  • 『法然の哀しみ』上巻・下巻(小学館、2004年)(梅原猛著作集第10巻、小学館、2000年、より文庫化)
  • 『梅原猛、日本仏教をゆく』(朝日新聞社、2004年) のち文庫
  • 『母ごころ 仏ごころ――豊かに生きる知恵』(小学館、2004年)のち文庫、『仏のこころと母ごころ』(小学館文庫、2006年)
  • 『日本の霊性――越後・佐渡を歩く』(佼成出版社、2004年)のち新潮文庫(2007年)
  • 『最澄と空海――日本人の心のふるさと』(小学館文庫 2005年)
  • 『親鸞の告白』(小学館文庫 2006年)
  • 『神殺しの日本 反時代的密語』(朝日新聞社、2006年)のち文庫
  • 『歓喜する円空』(新潮社、2006年)のち文庫
  • 『親鸞のこころ――永遠の命を生きる 』(小学館文庫、2008年)
  • 『うつぼ舟』シリーズ(角川学芸出版)
    • 『うつぼ舟Ⅰ――翁と河勝』(角川学芸出版、2008年)
    • 『うつぼ舟Ⅱ――観阿弥と正成』(角川学芸出版、2009年)
    • 『うつぼ舟Ⅲ――世阿弥の神秘』(角川学芸出版、2010年)
    • 『うつぼ舟IV――世阿弥の恋』(角川学芸出版、2012年)
    • 『うつぼ舟V――元雅の悲劇』(角川学芸出版、2013年)
  • 『日本の伝統とは何か』(2010年、ミネルヴァ書房
  • 『葬られた王朝――古代出雲の謎を解く』(2010年、新潮社)のち文庫(2012年)
  • 『京都鬼だより』(淡交社、2010年)
  • 『学ぶよろこび――創造と発見――』(朝日出版社、2011年)
  • 『梅原猛の仏教の授業――法然・親鸞・一遍』(PHP研究所、2012年) のち文庫
  • 『人類哲学序説』(岩波書店岩波新書、2013年)
  • 『縄文の神秘』(学研パブリッシング、2013年)
  • 『親鸞「四つの謎」を解く』(新潮社、2014年)のち文庫

編著・監修[編集]

  • 『日本とは何なのか』(日本放送出版協会NHKライブラリー、1990年)
  • 『脳死は、死ではない』(思文閣、1992年)
  • 『能を読む』(1)翁と観阿弥 能の誕生、(2)世阿弥 神と修羅と恋、(3)元雅と禅竹 夢と死とエロス、観世清和監修、天野文雄土屋恵一郎・中沢新一・松岡心平と編集委員(角川学芸出版、2013年)

共著[編集]

対談集[編集]

  • 『考える愉しさ 梅原猛対談集』(新潮社、1975年)
  • 『芸術の世界上下 梅原猛対談集』(講談社、1980年)
  • 『梅原猛全対話』全6巻(集英社、1984年)
  • 『少年の夢 梅原猛対談集』(小学館のちライブラリー、1994年)
  • 『九つの対話』(潮出版社、2000年)
  • 『美の奇神たち:梅原猛対話集』(淡交社、2013年)
  • 『人類哲学へ』(NTT出版、2013年)
  • 『少年の夢』(河出文庫、2016年)

著作集[編集]

  • 梅原猛著作集』全20巻(集英社、1981年 - 1982年)
  • 梅原猛著作集』全20巻(小学館、2000年 - 2003年)

舞台作品[編集]

  • 『ヤマトタケル』(スーパー歌舞伎、1986年初演)
  • 『オグリ 小栗判官』(スーパー歌舞伎、1991年初演)
  • 『ギルガメシュ』(戯曲、1996年初演)
  • 『オオクニヌシ』(スーパー歌舞伎、1997年初演)
  • 世阿弥』(スーパー能、2013年初演)

論文[編集]

テレビ出演[編集]

ほか

脚注[編集]

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  1. ^ 平成能楽 進取と継承の両輪…世阿弥 生誕650年読売新聞、2013年6月7日
  2. ^ 中日文化賞:第41回-第50回受賞者”. 中日新聞. 2009年10月26日閲覧。
  3. ^ 万博大学第13回講義 梅村猛氏
  4. ^ 東浩紀、梅原猛、「草木の生起する国――京都」、『日本2.0 思想地図β vol.3』、ゲンロン、2012年、313項。
  5. ^ 東浩紀、梅原猛、「草木の生起する国――京都」、『日本2.0 思想地図β vol.3』、ゲンロン、2012年。
  6. ^ 宮﨑駿『折り返し点』、宮﨑駿と網野善彦との対談
  7. ^ 参考「梅原猛の隠されたファシズム批判」(有城乃三郎)『現代の眼』1982年12月号など。
  8. ^ 1980年代にロビン・ギルがこの種の「日本文化優越論」に反論を行っている。
  9. ^ 東浩紀、梅原猛、「草木の生起する国――京都」、『日本2.0 思想地図β vol.3』、ゲンロン、2012年、317項。
  10. ^ 2011年3月26日京都新聞朝刊のコラム「天眼」に掲載
  11. ^ 「漢検協会」理事・評議員名ばかり、会議出席ゼロも 2009年3月16日読売新聞
  12. ^ 不在の空 「いま・ここ」を生きた女性の肖像梅原美也子、角川学芸出版 (2011/2/1) - Amazon.co.jp
  13. ^ 親子のカタチ(105)梅原猛×梅原ひまり週刊朝日 113(34), 57-61, 2008-07-18
  14. ^ 袴谷憲昭書評 「吉本隆明・梅原猛・中沢新一著, 『日本人は思想したか』」」、『駒澤短期大學佛教論集 2』、駒澤大学1996年10月、 133-147頁。

参考文献[編集]

  • 『梅原猛講演会 少年の夢』(協和発酵、1994年)
  • 『鼎談 梅原猛の世界』(平凡社、1995年)
  • 『人類の創造へ―梅原猛との交点から 梅原猛古稀記念論文集』(中西進編・中央公論社、1995年)
  • 『別冊太陽 梅原猛の世界 神と仏のものがたり』(平凡社、2005年)
  • やすいゆたか『評伝 梅原猛―哀しみのパドス』(ミネルヴァ書房、2005年)
  • やすいゆたか『梅原猛 聖徳太子の夢―スーパー歌舞伎・狂言の世界』(ミネルヴァ書房、2009年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

学職
先代:
(新設)
ものつくり大学総長
初代:2001年 -
次代:
(現職)
公職
先代:
(新設)
日本の旗 国際日本文化研究センター所長
初代:1987年 - 1995年
次代:
河合隼雄
文化
先代:
尾崎秀樹
日本ペンクラブ会長
第13代:1997年 - 2003年
次代:
井上廈