「谷村新司」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
29行目: 29行目:
* [[175R]]や[[Gackt]]、[[TRICERATOPS]]ら若手ミュージシャンとの交流も積極的。[[デーモン小暮閣下]]が谷村のコンサートにゲスト出演したこともある。また、[[1993年]]のコンサート『THE MAN』のバック・メンバーの中には、元[[爆風スランプ]]のベーシスト[[江川ほーじん]]がいた。[[2002年]]のアルバム『半空』には、[[坂崎幸之助]]や[[鈴木康博]]といった旧友に混じって、元[[MR.BIG]]のギタリスト[[ポール・ギルバート]]が参加している。
* [[175R]]や[[Gackt]]、[[TRICERATOPS]]ら若手ミュージシャンとの交流も積極的。[[デーモン小暮閣下]]が谷村のコンサートにゲスト出演したこともある。また、[[1993年]]のコンサート『THE MAN』のバック・メンバーの中には、元[[爆風スランプ]]のベーシスト[[江川ほーじん]]がいた。[[2002年]]のアルバム『半空』には、[[坂崎幸之助]]や[[鈴木康博]]といった旧友に混じって、元[[MR.BIG]]のギタリスト[[ポール・ギルバート]]が参加している。
* 『昴』や『群青』『三都物語』といったシングル曲のイメージからか、CDが演歌のコーナーに置かれることも多いが、過激なまでに新たな試みに挑戦し続ける姿勢はロックそのものであり、そのスピリットはアルバムの収録曲にも十分に現われている。アジアでのコンサート活動や、ディナーショーを始めた時も理解者は少なく、嘲笑や批判の声が多かった。しかし現在では、日本のロック、ポップス系アーティストのアジアでの活動や、ディナーショーも、普通の事としてすっかり定着してしまっている。こういった活動のパイオニアとしても、谷村新司はもっと評価されるべきだろう。
* 『昴』や『群青』『三都物語』といったシングル曲のイメージからか、CDが演歌のコーナーに置かれることも多いが、過激なまでに新たな試みに挑戦し続ける姿勢はロックそのものであり、そのスピリットはアルバムの収録曲にも十分に現われている。アジアでのコンサート活動や、ディナーショーを始めた時も理解者は少なく、嘲笑や批判の声が多かった。しかし現在では、日本のロック、ポップス系アーティストのアジアでの活動や、ディナーショーも、普通の事としてすっかり定着してしまっている。こういった活動のパイオニアとしても、谷村新司はもっと評価されるべきだろう。
* 『いい日旅立ち』『三都物語』『いい日旅立ち・西へ』『風の暦』など[[JR西日本]]等の鉄道のCMで谷村の歌が頻繁に使われているため、[[鉄道ファン]]からの人気も高い。中には谷村の声を聞くだけでJR西日本の車両を連想する鉄道ファンもいる。
* コンサートのクオリティの高さには定評があるが、[[2003年]]を最後にコンサート・ツアーを一旦休止。
* コンサートのクオリティの高さには定評があるが、[[2003年]]を最後にコンサート・ツアーを一旦休止。
* [[2004年]]からは[[中華人民共和国|中国]]・[[上海音楽学院]]で教授を務めている。同年、中国の歌手[[毛寧]]のアルバム『我』をプロデュース。
* [[2004年]]からは[[中華人民共和国|中国]]・[[上海音楽学院]]で教授を務めている。同年、中国の歌手[[毛寧]]のアルバム『我』をプロデュース。

2008年2月29日 (金) 12:17時点における版

谷村 新司(たにむら しんじ、1948年12月11日 - )は、日本フォークシンガー。愛称はチンペイ

大阪市東住吉区出身。

プロフィール

  • 大阪市立桑津小学校、同立東住吉中学校大阪府立大和川高等学校卒業。桃山学院大学中退後、堀内孝雄らとともにアリスを創設したメンバーの一人。
  • 父・新蔵は奈良県生まれ。少年時代は肥満体型で、「ブタ」と渾名され傷つく。特に音楽に興味があった訳ではないが、『渡り鳥シリーズ』でギターを弾く(本当は弾く真似だった)小林旭の姿を見て一念発起。「女にモテたい一心で」(本人談)ギターを練習し始め、やがてバンド活動も開始した。
  • 高校時代の1965年に、山本峯幸島津ちず子ピーター・ポール&マリースタイルのフォーク・グループロック・キャンディーズを結成。グループ名は「氷砂糖」の意。大阪、神戸で絶大な人気を誇り、神戸のアマチュア・バンド・サークル「ポート・ジュビリー」の看板グループであった。アマチュアながら、1971年には唯一のアルバム『讃美歌』を発表している。
  • 1970年大阪万博の会場で、後にアリスの所属事務所「ヤング・ジャパン」社長となる細川建と知り合う。細川の音頭取りで実行したアメリカ・コンサート・ツアーで、ロック・キャンディーズザ・フォーク・クルセダーズらと共に参加していたソウル・バンド、ブラウン・ライスのドラマー矢沢透と知り合い意気投合。帰国したら一緒にグループを組もうと約束する。このとき谷村の頭の中には、新グループ「アリス」の構想ができつつあった。このアメリカ・ツアー中にレッド・ツェッペリンのステージを観る機会があり、ジミー・ペイジの独特のギター・プレイに圧倒されたという。同じく訪米中にジャニス・ジョプリンのライブを観る機会にも恵まれ、「当時彼女の生演奏に触れることのできた数少ない日本人として幸運」と谷村本人が語っている。
  • 帰国した谷村は、アマチュア・ロック・バンドフーリッシュ・ブラザーズ・フットのボーカル 堀内孝雄をアリスに勧誘。堀内は ポート・ジュビリーで、既に谷村とは知り合いだった。
  • 1971年12月25日谷村新司堀内孝雄の2名でアリス結成。翌1972年3月5日、シングル『走っておいで恋人よ』でデビュー。同年5月3日矢沢透が合流し、現在のアリスとなった。2ギター&ボーカル、1パーカッションという特異な編成とブルース色の強い演奏については、リッチー・ヘブンスの影響を少なからず受けているとのことである。
  • デビュー当初はヒット曲もなく、鳴かず飛ばずであった。なんとか打開策を見出そうと、ソウルミュージックの帝王ジェームス・ブラウンを初来日させるが、当時の日本ではマイナーなアーティストだったこともあって、来日公演は不入り。逆の意味で”伝説のライブ”となり、所属事務所「ヤング・ジャパン」は、莫大な借金を背負ってしまった。
  • 借金返済のためグアムへのクルージング・ツアーを企画するが、これもまた成功には至らず借金をこじらせる結果となる。挙句は帰国途中に谷村が当事者となったコレラ騒動までもが起こった。(後にコレラでないと判明するまで船底に一時隔離されていた)
  • しかしアリスは、地道なライブ活動(1974年には年間303ステージという記録が残っている)と『今はもうだれも』のヒットを契機に、『冬の稲妻』『涙の誓い』『ジョニーの子守唄』『チャンピオン』『狂った果実』等のヒット曲を連発。1978年には日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させるなど、一時代を築いた。
  • アリスの活動と並行して、ソロ活動も開始。コンサート活動はなかった(シャンソン歌手アダモとのジョイント・コンサートを除く)ものの、1975年のアルバム『蜩(ひぐらし)』を皮切りに、ソロ名義でのアルバムやシングル製作、他の歌手への楽曲提供(山口百恵の『いい日旅立ち』など)を精力的に行う。アリスとは異なる音楽世界は、1979年の『陽はまた昇る』を経て、1980年の『昴』で一定の完成をみる。1981年にはシングル『群青』が東宝映画『連合艦隊』の主題歌となる。戦死した息子を想う親の悲しみを歌ったこの歌に対し、田川律など一部の音楽評論家から「好戦的右翼」との非難を受けたが、この批判は的外れであるというのが一般的な認識である。
  • 1981年8月23日、北京・工人体育館にて日中共同コンサート「ハンド・イン・ハンド北京」開催。中国におけるロック・ポップス系コンサートとしては、前年10月に工人文化宮で開催された「第一回中日友好音楽祭」に出演したゴダイゴに次ぐものだが、単独公演としてはアリスが初めてであった。この公演が李力や王勇ら多くの若手ミュージシャンに影響を与え、中国にポップスが根付く礎となった。またソロになった谷村が、本格的にアジアに目を向けた活動を始めるきっかけにもなった。
  • 1981年11月にアリス活動停止。
  • 1982年にシングル『スーパースター-MY SUPERSTAR-』、アルバム『JADE-翡翠-』をリリースして、本格的にソロ活動をスタート。1983年の『EMBLEM』、1984年の『抱擁』『刺-とげ-』など、1980年代は年に1~2枚のハイペースでアルバムを発表。いずれもアルバム毎に明確なコンセプトをもった意欲作である。またその間『22歳』や、小川知子とのデュエット曲『忘れていいの-愛の幕切れ-』のシングル曲もヒットさせている。
  • 毎年のコンサート・ツアーとは別に、さだまさし北島三郎郷ひろみらとジョイント・コンサートを実施。1983年からはニュー・ミュージック系アーティストでは初めてのディナーショーもスタート。また親友である チョー・ヨンピルアラン・タムと共に、アジアのミュージシャンを集めたイベントPAX MUSICAをスタート。1984年後楽園球場での公演を皮切りに、年に1回アジア各地で開催され、現在も続いている。ちなみに1985年、映画『サンダーアーム/龍兄虎弟』撮影中に瀕死の重傷を負ったジャッキー・チェンが、復活した姿を初めて聴衆の前に現したのも、香港コロシアムでのPAX MUSICA公演のステージ上であった。
  • 1986年、完成したばかりの東京・青山劇場で1ヶ月のロングラン・リサイタル『CORAZON』を開催。この青山劇場公演は年末の恒例行事となり、2002年の『LA STRADA VI -宝石心-』まで続いた。
  • 1989年12月、父・新蔵が死去。その年の『紅白(第40回)』で『陽はまた昇る』を追悼曲として歌った。
  • 1988年にはロンドン交響楽団と共演した大作アルバム『獅子と薔薇』を発表。1989年の『輪舞-ロンド-』(国立パリ・オペラ・オーケストラと共演)、1990年の『Price of Love』(ウィーン交響楽団プロジェクトと共演)と合わせ、「ヨーロッパ三部作」を完成させる。1995年のアルバム『I・T・A・N』ではプロデューサーにフィル・ラモーンジャック・エリオットを起用するなど、この時期は欧米のミュージシャン、プロデューサーとの仕事が多い。
  • 1996年には世界初のDVDソフト『シンジ ラ ムニタ』を発表。ちなみに世界初のCDソフトはフィル・ラモーンがプロデュースしたビリー・ジョエル のアルバム『ニューヨーク52番街』である。谷村とフィルの縁の深さは、こんなところにも現われている……というのは穿ちすぎか。
  • アリスとしての活動も1987年に再開。シングル『BURAI』、アルバム『ALICEX』をリリースし健在をアピール。ただし、この時はコンサート・ツアーは行わず、数本のテレビ番組出演をするにとどまった。その後アリスは再び長い活動休止期間に入るが、2000年末の『NHK紅白歌合戦』から活動を再開。翌2001年は、1月17日神戸国際会館でのコンサートを皮切りに、14年ぶりのニュー・アルバム『ALICE 0001』のリリース、全国ツアーと活躍。年齢を感じさせないパワフルなステージは、ファンを喜ばせた。2005年末の『NHK紅白歌合戦』に、アリスとして2度目の出場。
  • 南ベトナムグエン・カオ・キ元副大統領に顔が似ているとしても知られている。顔の2大特徴のうち、後退気味の額は初期アリス時代からで当時はキャップを被ることが多かった。さだまさしは、自身と谷村および松山千春を「フォーク界御三毛(ごさんけ)」と呼んだことがある。
  • 口髭は1980年代に入ってから蓄えている。
  • セイ!ヤング』などのタレント活動も行っていて、「家に2000本近くのアダルトビデオがある」ことはあまりにも有名。「ファッションヘルス」などと書かれたTシャツを着てテレビに出演することもある。また、ビニ本専用倉庫もあり、そこにチョー・ヨンピルを呼んだこともあるらしい。またアリスの武道館コンサート終演後すぐさまいきつけのビニ本屋に向かい、飯を食べていない店長の代わりに店番を務めていたところ、店に立ち寄ったコンサート帰りのファンが谷村がレジに座っているのを見て驚愕したという逸話もある。更に「何でこんな所にいるんですか! 僕たちの感動を返してください!」と激高したファンに対して「これも一つのハンド・イン・ハンドや」と切り返したというエピソードを後年本人が語っている。深夜のラジオ番組にて洋物スカトロ系ビニ本のモデルについて解説をしたり、「ベッドの上にはタブーはありません」と主張を繰り返すなど、男女のありかたについて一家言を持つ。
  • セイ!ヤング』は最初ピンで、のちにばんばひろふみの共演で火曜日を担当していたがピン時代からの名物コーナー天才・秀才・バカは現在のテレビでは放送できない下ネタのオンパレードでこれが元で今でも谷村=スケベというイメージで見られている。
  • 175RGacktTRICERATOPSら若手ミュージシャンとの交流も積極的。デーモン小暮閣下が谷村のコンサートにゲスト出演したこともある。また、1993年のコンサート『THE MAN』のバック・メンバーの中には、元爆風スランプのベーシスト江川ほーじんがいた。2002年のアルバム『半空』には、坂崎幸之助鈴木康博といった旧友に混じって、元MR.BIGのギタリストポール・ギルバートが参加している。
  • 『昴』や『群青』『三都物語』といったシングル曲のイメージからか、CDが演歌のコーナーに置かれることも多いが、過激なまでに新たな試みに挑戦し続ける姿勢はロックそのものであり、そのスピリットはアルバムの収録曲にも十分に現われている。アジアでのコンサート活動や、ディナーショーを始めた時も理解者は少なく、嘲笑や批判の声が多かった。しかし現在では、日本のロック、ポップス系アーティストのアジアでの活動や、ディナーショーも、普通の事としてすっかり定着してしまっている。こういった活動のパイオニアとしても、谷村新司はもっと評価されるべきだろう。
  • 『いい日旅立ち』『三都物語』『いい日旅立ち・西へ』『風の暦』などJR西日本等の鉄道のCMで谷村の歌が頻繁に使われているため、鉄道ファンからの人気も高い。中には谷村の声を聞くだけでJR西日本の車両を連想する鉄道ファンもいる。
  • コンサートのクオリティの高さには定評があるが、2003年を最後にコンサート・ツアーを一旦休止。
  • 2004年からは中国上海音楽学院で教授を務めている。同年、中国の歌手毛寧のアルバム『我』をプロデュース。
  • その独特な風貌でものまね芸人の格好のネタとなっており、清水アキラ谷村仁司ダンシング谷村など谷村のものまねをする芸人は多い。ただしよく物まねされる表情や歌い方はアリス全盛期の谷村のもので現在の谷村の歌い方は非常に落ち着いたものになっている。
  • 2000年、インディーズ・レーベル「mama's & papa's」を立ち上げたものの、リリースしたシングルは『ハーヴェスト』1曲のみで、ファンをやきもきさせた。2006年には業界大手エイベックスに移籍、6年ぶりのシングル『風の暦』をリリース。
  • 2006年11月20日DoCoMo公式メニューに「谷村新司モバイル」をオープン。本人の積極的な参加もあり、『昴』『チャンピオン』などの名曲の着うた、着メロを提供。サイトオリジナルの本人着ボイスも提供。
  • DoCoMoに続き、au、SoftBank公式メニューもスタート。
  • 2007年4月18日に『半空』以来5年ぶりのオリジナル・アルバム『オリオン13』を発売。

ディスコグラフィ

アルバム

  1. 蜩(1974年11月5日)
  2. 海猫(1975年12月20日)
  3. 引き潮(1976年12月20日)
  4. 黒い鷲(1977年12月1日)
  5. 喝采(1979年4月20日)
  6. 昴(1980年4月25日)
  7. 海を渡る蝶(1981年5月5日)
  8. JADE-翡翠-(1982年6月5日)
  9. 父と子(1982年12月20日)
  10. EMBLEM(1983年5月25日)
  11. 抱擁-SATIN ROSE-(1984年1月21日)
  12. 刺-とげ-(1984年10月5日)
  13. 人間交差点(1985年7月1日)
  14. 伽羅(1985年11月25日)
  15. 素猫-Dessin-(1986年6月25日)
  16. OLD TIME(1986年12月11日)
  17. 今のままでいい(1987年10月25日)
  18. 獅子と薔薇(1988年9月18日)
  19. 輪舞-ロンド-(1989年10月5日)
  20. Price of Love(1990年9月8日)
  21. ONE AND ONLY(1990年12月1日)
  22. 君を忘れない(1991年10月1日)
  23. Best Request(1991年11月25日)
  24. 三都物語(1992年9月2日)
  25. サライ(1992年12月26日)
  26. BASARA(1993年4月16日)
  27. THE MAN / SHINJI TANIMURA BEST SELECTION(1993年10月25日)
  28. I・T・A・N(1995年11月20日)
  29. 21世紀BEST OF THE RED1972→'81(1997年3月21日)
  30. 21世紀BEST OF THE BLUE1982→(1997年3月21日)
  31. 生成(1997年12月2日)
  32. ラバン(1998年11月18日)
  33. 半空 NAKAZORA(2002年1月12日)
  34. オリオン13(2007年4月18日)

シングル

  1. 陽はまた昇る / Left Alone(1979年6月5日) - (フジテレビ系月曜ドラマ『陽はまた昇る』主題歌)
  2. / WHAT LOVE IS(1980年4月1日) - (ニッカウヰスキースーパーニッカ」CF)
  3. 天狼 / ライザ-LIZA-(1981年3月5日)
  4. 群青 / 愛(1981年7月5日)-(東宝映画『連合艦隊』主題歌)
  5. 青年の樹 / 冬の雁(1981年8月5日)
  6. 風は激しく / Ruah Daembey Avey(『風は激しく』タイ語ヴァージョン)(1981年12月20日)
  7. スーパースター / ファイアフライ-蛍-(1982年5月25日)
  8. 小さな肩に雨が降る / 夢の世代(1983年5月1日)- (TBSドラマ『おさらば坂に陽が昇る』主題歌)
  9. 22歳 / ガラスの17歳(1983年10月1日)
  10. 忘れていいの-愛の幕切れ- / 愛すれど心さびしく(いずれもd/w:小川知子、1984年2月25日)
  11. 誕生日-ありふれた黄昏の街にて- / 愛の伝説(1984年6月10日)
  12. 青春残酷物語 / ガラスの風鈴(1984年9月5日)
  13. 夜顔(1984年11月25日)
  14. 愛の誓い / 儚きは(1985年3月10日)
  15. 12番街のキャロル / マラソンマン(1985年7月1日)
  16. 刑事 / マイ・ボーイ(1985年7月1日)
  17. 浪漫鉄道-途上篇- / 浪漫鉄道-蹉跌編-(1985年10月10日)
  18. 祗園祭 / いい日旅立ち(1986年1月25日)
  19. 幸福-しあわせ- / 遠くで汽笛を聞きながら(1986年6月25日)
  20. クラシック(d/w:奥田瑛二) / オールド・タイム(1986年11月10日)
  21. 今のままでいい / うたかた-泡沫-(1987年10月25日)
  22. Far away / Tomorrow Part2(1988年3月25日)
  23. 英雄 / 青い薔薇(1988年4月8日)
  24. 青い薔薇 / 秋のソナタ(1989年3月11日)
  25. 男と女に戻る時(d/w:TOMOKO) / アデュー巴里(1989年10月5日)
  26. 都に雨の降るごとく / 追憶(1989年12月21日)
  27. DREAMS COME TRUE / ダンディズム(1990年9月8日)
  28. 夏の二週間 / 歳月-さいげつ-(1991年6月25日)
  29. 君を忘れない / 渚にて(1991年10月1日)
  30. 三都物語 / こころ前線(1992年6月25日) - (JR西日本「三都物語」CF)
  31. サライ(d/w:加山雄三)(1992年11月16日) - (日本テレビ系『24時間テレビ』テーマソング)
  32. 階-きざはし- / バサラ(1993年1月25日) - (NHK大河ドラマd/w:『琉球の風』主題歌)
  33. ラストニュース-THE MANのテーマ- / 感じる時間(1993年10月1日)
  34. アゲインスト / 英雄(1994年7月6日)
  35. メシアふたたび / 印象派の街(1995年5月24日)
  36. 君のそばにいる / 悲しみの器(1995年11月20日)
  37. 愛に帰りたい(1996年10月18日)
  38. 櫻守 / 悲願花(1997年8月6日) - (テレビ朝日系ドラマ『藤沢周平の用心棒日月抄』主題歌)
  39. 心の駅 / セピア(1998年10月21日)
  40. AURA(1999年5月19日) - (フジテレビ系アニメ『∀ガンダム』エンディングテーマ)
  41. ハ~ヴェスト - (テレビ朝日系『人生の楽園』主題歌) / 三都物語ミレニアムバージョン / 鍵を持つヒト(2000年11月8日)
  42. 風の暦 (2006年9月13日) - JR西日本「DISCOVER WEST」CMソング
  43. 夢人 〜ユメジン〜 / 勇気のカタチ ~私を変えてくれたあなたへ~(d/w:加山雄三)- (日本テレビ系『24時間テレビ』新テーマソング)(2007年9月19日)

他アーティストへの提供曲

出演

バラエティ

ラジオ番組

関連項目

外部リンク