海上自衛隊第1術科学校
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海上自衛隊第1術科学校 | |
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海上自衛隊第1術科学校学生館 | |
創設 | 1953年(昭和28年)9月16日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 海上自衛隊 |
部隊編制単位 | 学校 |
所在地 |
広島県江田島市江田島町国有無番地 北緯34度14分39.9秒 東経132度28分20.1秒 / 北緯34.244417度 東経132.472250度座標: 北緯34度14分39.9秒 東経132度28分20.1秒 / 北緯34.244417度 東経132.472250度 |
編成地 | 江田島 |
通称号/略称 | 1術校[1]、1MSS |
上級単位 | 防衛省直轄 |
担当地域 | 江田島[注 1] |
概要
[編集]- 砲術、水雷、掃海、航海、通信、電子整備、潜水、陸上警備等に必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練を行うとともに、これらの術科に関する部隊の運用等に関する調査研究を実施している。また、同機関、海上自衛隊幹部候補生学校、特別警備隊および標的機整備隊並びにその周辺地区における隊員の規律の統一のほか、第1術科学校等に係る地区業務を実施している[2]。かつては、海上自衛隊生徒の教育も行っていた[注 3]。
- 自衛官OBが、校内を案内してくれる無料ツアーを毎日実施しており、観光先としても人気がある。「トリップアドバイザー」による2014年(平成26年)の「行ってよかった!無料観光スポット」調査では、3位を獲得している[5]。
沿革
[編集]- 1953年(昭和28年)9月16日:「警備隊術科学校」が横須賀市田浦の旧海軍水雷学校跡地に新編。
- 1954年(昭和29年)7月1日:海上自衛隊が発足し、警備隊術科学校が「海上自衛隊術科学校」に改称。
- 1956年(昭和31年)1月16日:海上自衛隊術科学校が横須賀から江田島に移転[注 4]。
- 1958年(昭和33年)4月1日:海上自衛隊術科学校が「海上自衛隊第1術科学校」に改称。
- ※編成(総務部、教務部、教育部、研究部及び学生隊)
- 1960年(昭和35年)
- 1963年(昭和38年)3月1日:「教育第3部」及び「教育第4部」が置かれる。
- 1970年(昭和45年)3月2日:「海上自衛隊少年術科学校」が新設、生徒教育部を廃止。
- 1975年(昭和50年)
- 10月1日:海上自衛隊第4術科学校の設立により、経理・補給及び監理の術科教育が同校に移管。
- 12月17日:教育第4部が廃止。
- 1982年(昭和57年)10月1日:海上自衛隊少年術科学校が廃止、「生徒部」を新設。
- 2001年(平成13年)3月30日:教育第1部の陸警科を廃止し、教育第3部に警備科を置く。
- 2005年(平成17年)3月1日:自衛隊呉病院の開院に伴い、自衛隊江田島病院が第1術科学校総務部衛生課医務室に縮小改編。
- 2011年(平成23年)4月1日:生徒部を廃止[注 5]。
- 2021年(令和 3年)5月13日: ローソン・ポプラ江田島第1術科学校店が開店[7]。
- 時期未定:第2術科学校と統合予定。
組織編成
[編集]- 総務部
- 総務課
- 管理課
- 港務課
- 厚生課
- 経理課
- 補給課
- 衛生課
- 教務部
- 教務課
- 教材課
- 整備課
- 教育第1部…砲術・水雷・船務の術科並びに統率・防衛及び航空に関する教育訓練
- 教育第2部…航海・気象・通信・電子及び電気の術科並びに体育に関する教育訓練
- 教育第3部…掃海・港湾防備・運用・応急・潜水及び特別警備の術科並びに教育技術及び陸上警備に関する教育訓練
- 研究部
- 資料課
- 学生隊
- 学生隊本部
- 第1学生隊
- 第2学生隊
- 主任教官(7人)
- 学校教官
- 研究部員
主要幹部
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官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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海上自衛隊第1術科学校長 | 海将補 | 石巻義康 | 2023年12月22日 | 海上自衛隊第2術科学校長 |
副校長 | 1等海佐 | 伊藤拓也 | 2023年12月 | 1日呉地方総監部防衛部長 |
総務部長 | 1等海佐 | 土屋剛 | 2024年 | 8月19日佐世保地方総監部管理部長 |
教務部長 | 1等海佐 | 藤田泰三 | 2022年 | 8月22日海上幕僚監部人事教育部付 →2022.3.22 海上自衛隊第1術科学校勤務 |
教育第1部長 | 1等海佐 | 上野喜之 | 2023年12月22日 | 第1練習隊司令 |
教育第2部長 | 1等海佐 | 倉光啓介 | 2024年 | 3月31日海上システム開発隊指揮通信開発部長 |
教育第3部長 | 1等海佐 | 大川建二郎 | 2024年 | 8月 1日海上幕僚監部防衛部運用支援課訓練班長 |
研究部長 | 2等海佐 | 雄山誠司 | 2024年 | 6月 3日とわだ艦長 |
学生隊長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
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警備隊術科学校長 | |||||
- | 安藤平八郎 (警備監補) |
1953.9.16 1954.6.30 |
東京高等商船 | 舞鶴地方総監 →1953.8.16 第二幕僚監部附 |
海上自衛隊術科学校長 |
海上自衛隊術科学校長 | |||||
1 | 安藤平八郎 | 1954.7.1 1956.1.15 |
東京高等商船 | 警備隊術科学校長 1954.9.1 - 9.19 海上自衛隊幹部学校長兼務 |
海上幕僚監部技術部長 |
2 | 小國寛之輔 | 1956.1.16 1958.1.15 |
海機33期 | 大湊地方総監 | 海上幕僚監部付 →1958.2.17 退職(海将昇任) |
3 | 鈴木英 | 1958.1.16 1958.3.31 |
海兵55期・ 海大38期 |
練習隊群司令 →1957.11.1 海上幕僚監部付 |
海上自衛隊第1術科学校長 |
海上自衛隊第1術科学校長 | |||||
1 | 鈴木 英 | 1958.4.1 1960.7.31 |
海兵55期・ 海大38期 |
海上自衛隊術科学校長 | 幹部学校付 →1961.7.1 海将昇任 →1961.7.15 海上幕僚監部付 →1961.8.15 自衛艦隊司令官 |
2 | 麻生孝雄 (海将) |
1960.8.1 1961.8.14 |
海兵55期・ 海大37期 |
自衛艦隊司令 | 横須賀地方総監 |
3 | 関戸好蜜 | 1961.8.15 1962.9.30 |
海兵57期 | 第3護衛隊群司令 | 海上幕僚監部付 →1963.1.1 退職 |
4 | 永井 昇 | 1962.10.1 1963.6.30 |
海兵59期 | 練習艦隊司令官 | 護衛艦隊司令官 |
5 | 市來崎秀丸 | 1963.7.1 1964.7.1 |
海兵58期 | 幹部候補生学校長専任 ※1963.7.1 - 1964.1.15 幹部候補生学校長兼任 |
退職(海将昇任) |
6 | 富田敏彦 | 1964.7.16 1967.1.15 |
海兵59期 | 海上幕僚監部調査部長 →1965.1.1 海将昇任 ※1966.4.30 - 1966.6.30 幹部候補生学校長兼任 |
退職 |
7 | 高橋定 (海将) |
1967.1.16 1968.3.31 |
海兵61期 | 教育航空集団司令 | 海上自衛隊幹部学校長 |
8 | 竹山百合人 (海将) |
1968.4.1 1968.12.31 |
海兵61期 | 舞鶴地方総監 | 横須賀地方総監 |
9 | 石塚 榮 (海将) |
1969.1.1 1969.12.31 |
海兵63期 | 第1掃海隊群司令 | 海上自衛隊幹部学校長 |
10 | 大川秀四郎 (海将) |
1970.1.1 1971.6.30 |
海兵64期 | 海上自衛隊幹部候補生学校長 | 舞鶴地方総監 |
11 | 藪下利治 | 1971.7.1 1972.6.30 |
海兵66期 | 自衛艦隊司令部幕僚長 →1972.1.1 海将昇任 |
海上自衛隊幹部学校長 |
12 | 井上龍昇 (海将) |
1972.7.1 1973.6.30 |
海兵68期 | 海上幕僚監部調査部長 | 統合幕僚会議事務局長 兼 統合幕僚学校長 |
13 | 最上暢雄 (海将) |
1973.7.1 1974.6.30 |
海兵67期 | 防衛研修所副所長 | 退職 |
14 | 門脇尚一 (海将) |
1974.7.1 1975.11.30 |
海兵69期 | 統合幕僚会議事務局第2幕僚室長 | 佐世保地方総監 |
15 | 米村泰典 (海将) |
1975.12.1 1976.11.30 |
海兵71期 | 海上幕僚監部総務部長 →1975.9.1 海上幕僚監部付 |
退職 |
16 | 寺部甲子男 (海将) |
1976.12.1 1977.8.31 |
海兵71期 | 防衛大学校訓練部長 | 海上自衛隊幹部学校長 |
17 | 前田優 (海将) |
1977.9.1 1979.1.31 |
海兵73期 | 統合幕僚会議事務局第5幕僚室長 | 佐世保地方総監 |
18 | 小室祥悦 (海将) |
1979.2.1 1980.12.4 |
海兵74期 | 練習艦隊司令官 →1978.12.11 海上幕僚監部付 |
呉地方総監 |
19 | 伴野丈夫 (海将) |
1980.12.5 1981.12.1 |
海兵74期 | 開発指導隊群司令 | 退職 |
20 | 菅田昭男 (海将) |
1981.12.2 1983.12.19 |
海兵76期 | 練習艦隊司令官 | 舞鶴地方総監 |
21 | 内 富男 (海将) |
1983.12.20 1984.12.16 |
鹿児島大・ 1期幹候 |
海上自衛隊第2術科学校長 | 呉地方総監 |
22 | 遠藤峻生 (海将) |
1984.12.17 1987.3.15 |
早大・ 3期幹候 |
阪神基地隊司令 | 退職 |
23 | 伊東隆行 | 1987.3.16 1988.3.15 |
海保大2期・ 6期幹候 |
防衛大学校訓練部長 | 護衛艦隊司令官 |
24 | 水本幾男 | 1988.3.16 1989.12.14 |
防大1期 | 練習艦隊司令官 →1987.12.2 海上幕僚監部付 |
退職 |
25 | 今泉康昭 | 1989.12.15 1991.3.15 |
海保大4期・ 9期幹候 |
佐世保地方総監部幕僚長 | |
26 | 小倉 守 | 1991.3.16 1992.3.15 |
防大3期 | 舞鶴地方総監部幕僚長 | |
27 | 小田優秀 | 1992.3.16 1994.3.31 |
防大5期 | 防衛大学校訓練部長 | |
28 | 落合畯 | 1994.4.1 1996.3.24 |
防大7期 | 第2掃海隊群司令 | |
29 | 出來義彦 | 1996.3.25 1997.3.25 |
防大7期 | 防衛大学校訓練部長 | |
30 | 長崎嘉徳 | 1997.3.26 1998.12.7 |
防大9期 | 開発指導隊群司令 | |
31 | 上田愛生 | 1998.12.8 2001.3.26 |
防大11期 | 海上幕僚監部監察官 | |
32 | 平井良彦 | 2001.3.27 2002.12.1 |
防大13期 | 掃海隊群司令 | |
33 | 関 泰雄 | 2002.12.2 2004.3.2 |
防大14期 | 開発隊群司令 | |
34 | 泉 徹 | 2004.3.29 2005.7.27 |
防大17期 | 防衛大学校訓練部長 | 舞鶴地方総監 |
35 | 袴田忠夫 | 2005.7.28 2007.3.27 |
防大17期 | 阪神基地隊司令 | 退職 |
36 | 長谷川洋 | 2007.3.28 2009.1.29 |
防大18期 | 海上自衛隊第2術科学校長 | |
37 | 宮﨑行隆 | 2009.1.30 2009.12.6 |
防大20期 | 海上自衛隊幹部候補生学校長 | |
38 | 佐々木孝宣 | 2009.12.7 2011.4.26 |
防大21期 | 防衛大学校訓練部長 | 舞鶴地方総監 |
39 | 鍜治雅和 | 2011.4.27 2013.8.21 |
防大24期 | 呉地方総監部幕僚長 | 潜水艦隊司令官 |
40 | 德丸伸一 | 2013.8.22 2015.8.3 |
防大25期 | 掃海隊群司令 | 退職 |
41 | 渕之上英寿 | 2015.8.4 2016.12.19 |
防大26期 | 佐世保地方総監部幕僚長 | 退職 |
42 | 中畑康樹 | 2016.12.20 2019.3.31 |
防大30期 | 防衛監察本部監察官 | 統合幕僚監部運用部長 |
43 | 丸澤伸二 | 2019.4.1 2020.3.17 |
大阪外大・ 36期幹候 |
海上幕僚監部指揮通信情報部長 | 退職 |
44 | 岩﨑英俊 | 2020.3.18 2021.12.21 |
防大31期 | 海上自衛隊第2術科学校長 | 退職 |
45 | 白根 勉 | 2021.12.22 2022.12.12 |
防大32期 | 佐世保地方総監部幕僚長 | 海上幕僚監部付 →2022.12.13 退職[8] |
46 | 梶元大介 | 2022.12.23 2023.12.21 |
防大32期 | 海上自衛隊幹部候補生学校長 | 退職 |
47 | 石巻義康 | 2023.12.22 |
防大36期 | 海上自衛隊第2術科学校長 |
関連項目
[編集]同一敷地内
[編集]- 海上自衛隊幹部候補生学校
- 海軍兵学校 (日本)
- 従道小学校(従道国民学校)
- ローソン・ポプラ江田島第1術科学校店[注 6]
江田島島内
[編集]作品
[編集]- 坂の上の雲 (テレビドラマ) - 大講堂がロケ地として使われた。
人物
[編集]- 金井宣茂 - 同機関の衛生課で勤務していた。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 江田島地区内の内、同機関、海上自衛隊幹部候補生学校、特別警備隊、標的機整備隊及び江田島警務分遣隊[2]。
- ^ 広島県江田島市江田島町国有無番地である。
- ^ 2011年(平成23年)3月の第53期生卒業をもって廃止。
- ^ 機関など一部の教育は横須賀分校として、そのまま横須賀に残る。
- ^ 生徒教育56年の歴史に幕を閉じた[6]。
- ^ 自衛官以外の者に関しては同校見学者及び指定外注業者に限り利用可能なコンビニである[9]。2021年4月7日まで同校敷地内でポプラ第一術科学校店として営業していたが[10]、同年5月13日よりローソン・ポプラ江田島第1術科学校店として営業再開した[7]。
- ^ 移転先は同寺院の現在地である江田島市江田島町中央である
出典
[編集]- ^ a b “海上自衛隊の部内相互間において使用する文書の略語の定義に関する達(平成30年3月28日海上自衛隊達第10号〔航空隊等の内部組織に関する達の一部を改正する達附則第2条による改正〕)” (PDF). 海上自衛隊. p. 17 (2018年3月28日). 2020年8月10日閲覧。
- ^ a b 昭和38年海上自衛隊訓令第2号第28条第1項
- ^ “海上自衛隊の部隊、機関等における英語の呼称について(通達)(平成30年3月5日海幕総第340号〔第69次改正〕)” (PDF). 海上自衛隊. p. 12 (2018年3月5日). 2020年8月10日閲覧。
- ^ 昭和38年海上自衛隊訓令第2号第1条第1項
- ^ “1位はやはり「黒部ダム」--国内の「行ってよかった!無料観光スポット 2014」”. インターネットコム. (2014年10月23日) 2014年10月23日閲覧。
- ^ 海上自衛隊第1術科学校 沿革
- ^ a b “中国・四国エリア|新店情報”. ローソン. 2021年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月15日閲覧。
- ^ 自衛隊法第65条の11第5項の規定に基づく自衛隊員の再就職状況の報告(令和5年1月1日~同年3月31日分) (PDF) (令和5年6月27日 防衛省)
- ^ “第1術科学校:基地見学”. 海上自衛隊第1術科学校. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “コンビニ誘致をご検討の皆様へ”. ポプラ (コンビニエンスストア). 2021年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月7日閲覧。
参考文献
[編集]- “海上自衛隊第1術科学校の組織に関する訓令(昭和38年海上自衛隊訓令第2号)” (PDF). 海上自衛隊 (1963年3月1日). 2020年8月11日閲覧。
- 海上自衛隊第1術科学校50年史