岡村島
岡村島 | |
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岡村島 | |
所在地 | 日本(愛媛県) |
所在海域 | 瀬戸内海 |
所属諸島 | 関前諸島 |
座標 | 北緯34度11分15.8秒 東経132度52分40.8秒 / 北緯34.187722度 東経132.878000度座標: 北緯34度11分15.8秒 東経132度52分40.8秒 / 北緯34.187722度 東経132.878000度 |
面積 | 3.17 km² |
海岸線長 | 11.1 km |
最高標高 | 213 m |
最高峰 | 甲ノ峰 |
最大都市 | 関前岡村 |
プロジェクト 地形 |
岡村島(おかむらじま)は、瀬戸内海の中部にある関前諸島の島。行政的には愛媛県今治市に属している。
ミカンなどの果樹栽培と漁業が盛ん。本州の広島県呉市と安芸灘とびしま海道(陸路)でつながっており、その終端である[1]。2021年(令和3年)11月の時点の人口は約280人で過疎化が進んでいる[1]。2012年(平成24年)4月時点では409人[2]、240世帯だった。
地理・自然[編集]
今治港の北西約17キロメートルの位置にあり、大下島、小大下島ととも関前諸島を形成している。東に小大下島、西に大崎下島(広島県)がある。大崎下島との間の御手洗瀬戸に中ノ島、小島がある。集落は島の南東部でフェリーの寄航する岡村港のある岡村に集積し、今治市関前支所(旧村役場)もこの集落にある。
山は、甲ノ峰が最高峰で、クロツバメシジミの生息地が存在することで知られる。
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岡村港全景
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岡村島中心部
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岡村島の路地
架橋[編集]
岡村島は、日本本土(北海道、本州、四国、九州、沖縄本島)と橋で繋がっている島の中では熊本県の樋島・下須島・通詞島(ともに7橋)と並んで一番橋を渡る回数が多い。さらに、所属する市町村役場までの通過架橋を比較すると17橋という桁違いの橋数を誇る。
- (岡村島)→岡村大橋→(中ノ島)→中の瀬戸大橋→(平羅島)→平羅橋→(大崎下島)→豊浜大橋→(豊島)→豊島大橋→(上蒲刈島)→蒲刈大橋→(下蒲刈島)→安芸灘大橋→(本州)→新尾道大橋→(向島)→因島大橋→(因島)→生口橋→(生口島)→多々羅大橋→(大三島)→大三島橋→(伯方島)→伯方橋→(見近島)→大島大橋→(大島)→来島海峡第一大橋→(アンカーブロック4A)→来島海峡第二大橋→(馬島)→来島海峡第三大橋→(四国)
このほか、北接する広島県の離島大崎上島への架橋(安芸灘諸島連絡架橋8号橋)、大下島などを経由してしまなみ海道沿線の大三島に架橋する構想(関前諸島架橋構想)がある。
歴史[編集]
古くから斎灘の海上交通の要衝にあたり、平安時代から空海や菅原道真らが立ち寄ったいわれがある。戦国時代には村上水軍の城砦が築かれた。江戸時代中期には隣島の大崎下島の御手洗港などとともに潮待ち港として栄え、1740年(天文5年)には島南端の観音崎に灯明台が築かれた。
江戸時代に宮浦村と里浦村とが合併して岡村となり、松山藩に属していた。天保9年に隣島の小大下島を二分してその一部を岡村と合する。1890年(明治23年)に岡村島と大下村の合併により越智郡関前村となる。明治時代中頃から柑橘類の栽培が始まり、大正時代にはみかんの島として知られるようになった。村役場がこの島に置かれるなど、関前諸島の中心として機能してきた。昭和の大合併は離島という特性のため、経験しなかった。
行政区分[編集]
経済[編集]
農業ではレモンを含めた柑橘類が栽培されている。2017年に来島した地域おこし協力隊員が、「しま味噌」を復活させた[1]。漁業も営まれている。
交通[編集]
陸上交通[編集]
- 県道
海上交通[編集]
フェリー 「第二せきぜん」が今治-岡村間を1日4往復(内3往復は小大下島・大下島に寄港)、旅客船 「とびしま」が今治港-宗方港-岡村港間を1日4往復する。2012年10月より宗方・木江とのフェリー航路が就航(宗方-岡村間は5往復)。
- 港
- 岡村港
- 白潟港
- 城ノ谷漁港
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フェリー「第二せきぜん」
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旅客船とびしま」
教育[編集]
名所・旧跡・観光スポット[編集]
- 観音崎
- ナガタニ展望台
- 正月鼻古墳公園
- 人待ち瀬戸(戸待ち瀬戸)
- 姫子島神社
- 乗越海水浴場(サンビーチ)
- 救世観音堂:大同年間に空海(弘法大師)が一刀彫をしたといわれる救世観音像が安置されている。2012年10月14日、30年に一度の御開帳がある。
- お汐・亀松の壁画(盆踊り歌にもなっている純愛物語)
- ちょうちょ島館のクロツバメシジミチョウ標本
- フィッシングポイント(島内各地)
祭事・催事[編集]
出身著名人[編集]
脚注[編集]
外部リンク[編集]