小俣雅子
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おまた まさこ 小俣雅子 | |
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プロフィール | |
本名 | (同じ) |
愛称 | オマタ、オマやん |
出身地 | 山梨県都留市 |
生年月日 | 1952年6月19日(72歳) |
血液型 | O型 |
最終学歴 | 東京学芸大学卒業 |
所属事務所 | アップフロントクリエイト |
職歴 | 元文化放送アナウンサー |
活動期間 | 1975年 - 2007年 |
ジャンル | 情報、バラエティー |
配偶者 | 無し |
公式サイト | https://www.up-front-create.com/masako_omata/ |
出演番組・活動 | |
出演経歴 | 吉田照美のやる気MANMAN!、裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30、ノンストップ!(フジテレビほか)※ディノスの通販コーナー「いいものプレミアム」(いいものプレゼンター) |
小俣 雅子(おまた まさこ、1952年(昭和27年)6月19日[1][2] - )は、日本のフリーアナウンサー、エッセイスト。元・文化放送アナウンサー。アップフロントクリエイト(アップフロントグループ)所属。血液型O型。山梨県都留市出身[1]。山梨県立都留高等学校、東京学芸大学教育学部卒業[1]。独身。
来歴・人物
[編集]1975年4月、文化放送にアナウンサーとして入社[1]。1990年3月退社後、フリーとしてテレビやラジオ、講演、執筆活動など、幅広く活躍。1987年から2007年までの20年間『吉田照美のやる気MANMAN!』で、入社が1年先輩にあたる吉田照美とコンビを組んだ。
大学時代に、中学・高校の英語教員免許を取得。他に書道五段。福山雅治の大ファンと公言している(そのため、小俣が出演している『やる気MANMAN!』にも、最終回を含め数回、福山がゲスト出演している。特に最終回は福山が『やるMAN』のファンのため、照美が直接オファーした。福山もサラリーマン時代、やるMANのリスナーだった)。2008年4月、東京学芸大学客員教授、2013年4月、都留文科大学文学部国文科講師に就任。
現在までの連載など
[編集]出演番組
[編集]過去
[編集]ラジオ
[編集]- 電リク75(文化放送)[1]
- あの町 あの人 この話題(文化放送・NRN)[1]
- ダイナミックレーダー〜歌謡曲でいこう!〜(文化放送)
- 高島忠夫の気ままなジャンボ(文化放送)
- お元気ですか高島忠夫です(文化放送)[1]
- 鶴瓶の30分1本勝負!!(文化放送)
- 吉田照美のやる気MANMAN!(文化放送 1987年4月6日 - 2007年3月30日)
- やっぱり危ない照美の小部屋(文化放送製作・NRN 「やるMAN」の一コーナー)
- やる気大学(文化放送製作・NRN 「やるMAN」の一コーナー)
- 神保美喜のTea Lounge(文化放送 マンスリーゲスト)
- 高田純次の男・夕焼けまわり道(ニッポン放送 1991年10月 - 1992年3月)
- 裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30(ニッポン放送 1992年4月 - 2002年3月)
- 裕司と雅子のガバッといただき!!60分(ニッポン放送製作・NRN 「ベスト30」を再編集した物)
- ラジオ・ケアノート(ニッポン放送 2009年10月12日 - 10月23日)
- ラジオ深夜便(NHKラジオ第1放送 2015年2月「ないとエッセイ・話し方で変わる人間関係・4回シリーズ」)
テレビ
[編集]- 朝だ!どうなる(フジテレビ)※唯一、テレビで司会を担当した番組
- タモリの音楽は世界だ!(テレビ東京)※解答者
- タモリ倶楽部(テレビ朝日)※進行役
- 奇跡体験!アンビリバボー(フジテレビ)※VTR出演
- アナウンサー対抗歌合戦(日本テレビ)※文化放送アナウンサー時代に出演
- ノンストップ!(フジテレビ)※ディノスの通販コーナー「いいものプレミアム」(いいものプレゼンター)
映画出演
[編集]- ゴジラ2000 ミレニアム - 本人役[2]
主な著書
[編集]- 『下心いっぱいのオムレツ』(青春出版社)
- 『棚からボタモチ床からもボタモチ』(青春出版社)
- 『ことばで美人になる話し方聞き方講座』(青春出版社)
- 『おまたまさこの満腹物語』(講談社) ※表紙のデザインはわたせせいぞうで、モデルは小俣雅子本人(自身が公言)。
他『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治作、集英社刊)のコミックス第76巻巻末コメントを書いた。
文化放送の同期
[編集]脚注
[編集]外部リンク
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