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インド哲学

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六派哲学から転送)

インド哲学(インドてつがく、darśanaダルシャナ)は、哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で、特に古代インドを起源にするものをいう。インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので、インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない。しかし、伝統的に宗教的な人々は哲学的な議論をしてその宗教性を磨いている伝統がある。

古来の伝統と思われる宗教会議が現在も各地で頻繁に行われている様子で、会議では時には宗派を別にする著名な人々が宗教的な議論を行う。これは数万人の観衆を前にして行われることもあり、白熱した議論が数日にかけて、勝敗が明らかになるまで行われることもある。この場合、判定をする人物がいるわけではなく、議論をする当人が議論の成行きをみて、自らの負けを認める形を取るようである。

インドの宗教、哲学はこのような伝統の中で磨かれたものと思われる。ジャイナ教仏教ヨーガ学派シヴァ派ヴェーダーンタ学派といった学派は現在まで生き残ったが、アジャナ派順世派アージーヴィカ教などの学派は生き残らなかった。

共通のテーマ

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インド哲学は、ダルマ(法)、カルマ(業)、輪廻ドゥッカ(苦)、転生瞑想など多くの概念を共有しており、ほぼすべての哲学が、多様な精神的修行を通じてドゥッカと輪廻から個人を解放するという究極の目標に焦点を当てている(解脱涅槃[1]存在の本質に関する仮定や、究極の解放への道の具体性が異なるため、互いに意見の異なる多くの学派が存在することになった。彼らの古代の教義は、他の古代文化に見られる多様な哲学の範囲にまたがっている[2]

正統派

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中世において正統派と分類されたのは以下6つの学派であり、六派哲学(ろっぱてつがく、: Ṣad-darśana [シャッド・ダルシャナ]))と呼ばれインドでは最も正統的な古典的ダルシャナとされてきた。六派哲学という言葉は古いが、取り上げられる六派は一定していない[3]

現代では以下の六派の総称として使われている。この選択は、おそらくフリードリヒ・マックス・ミュラー木村泰賢に始まると思われる[3]

ミーマーンサーとヴェーダーンタ、サーンキヤとヨーガ、ニヤーヤとヴァイシェーシカはそれぞれ補完しあう関係になっている。

これらヴェーダの権威を認める学派をアースティカāstika आस्तिक, 正統派, 有神論者)と呼ぶ。一方で、ヴェーダから離れていった仏教ジャイナ教順世派などの先行する思想派閥をナースティカnāstika नास्तिक, 非正統派、無神論者)として区別する。

異端派

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紀元前6世紀以前にはいくつかのサマナ(沙門)運動が存在し、インド哲学のアースティカとナースティカの両伝統に影響を与えた[4]。サマナ運動によって、アートマンの受容/否定、原子論、反知性主義、唯物論、不可知論、運命論から自由意志、極端な禁欲主義から家庭生活の理想化、厳しいアヒンサー菜食主義から暴力や肉食の容認まで、多様な異教徒的信念を生んでいる。

サマナ運動から生まれた著名な哲学はジャイナ教、初期仏教、順世派アージーヴィカ教であった[5]

比較

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インドの伝統では、多様な哲学を信奉し、アースティカとナースティカ、正統派における六派哲学などの形のように、互いに大きく意見を異にしていた。その違いは、全ての個人がアートマンを持っていると信じる派もあれば、アートマンは存在しないと主張する派もあり禁欲生活を説く派もあれば快楽主義派もあり、輪廻はあると説く派もあれば、消滅すると説く派もあり、多種多様であった[6]

古代インド哲学の比較
アージーヴィカ教 初期仏教 順世派 ジャイナ教 正統派六派哲学
(非沙門)
(カルマ) 否定する[7][8] 肯定する[6] 否定する[6] 肯定する[6] 肯定する
輪廻と再生 肯定する 肯定する[9] 否定する[10] 肯定する[6] 肯定する学派もあれば、
否定する学派もある[11]
禁欲生活 肯定する 肯定する 否定する[6] 肯定する サンニャーサ英語版として肯定[12]
献身主義
バクティ
肯定する 一つの選択として肯定[13]
(パーリ語: Bhatti)
否定する 一つの選択として肯定[14] 有神論派: 一つの選択として肯定[15]
その他: 否定[16][17]
アヒンサー
菜食主義
肯定する 肯定する。
肉食については不明[18]
アヒンサーを至上とする。動物へのアヒンサーのため菜食主義[19] 最高の美徳として肯定するが、正戦論を認める。菜食主義は奨励されるが選択は任意[20][21]
自由意志
存在
否定する[22] 肯定する[23] 肯定する 肯定する 肯定する[24]
マーヤー 肯定する[25] 肯定する
(prapañca)[26]
否定する 肯定する 肯定する[27][28]
アートマン
(我)
肯定する 否定する[29] 否定する[30] 肯定する[31]:119 肯定する[32]
創造神 否定する 否定する 否定する 否定する 有神論派は肯定[33]
その他は否定[34][35]
認識論
(プラマーナ)
Pratyakṣa,
Anumāṇa,
Śabda
Pratyakṣa,
Anumāṇa[36][37]
Pratyakṣa[38] Pratyakṣa,
Anumāṇa,
Śabda[36]
ヴァイシェーシカ学派(六元論)からヴェーダーンタ学派(二元論)まで様々。[36][39]
Pratyakṣa (perception),
Anumāṇa (inference),
Upamāṇa (comparison and analogy),
Arthāpatti (postulation, derivation),
Anupalabdi (non-perception, negative/cognitive proof),
Śabda (Reliable testimony)
認識論的権威 ヴェーダの否定 仏典を肯定[40]
ヴェーダの否定
ヴェーダの否定 アーガマを肯定
ヴェーダの否定
ヴェーダウパニシャッドの肯定[note 1]
他の文献を肯定[40][42]
救い、救済論 Samsdrasuddhi[43] 涅槃
(シューニャの理解)[44]
シッダ,[45]涅槃 解脱、涅槃、カイヴァリヤ英語版
不二一元論ヨーガジーヴァンムクティ英語版[46]
ドゥバイタ英語版離身解脱
形而上学
(究極の現実)
シューニャ[47][48] アネーカーンタヴァーダ[49]
ブラフマン[50][51]

主なトピック

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思想家

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マハーヴィーラ釈迦ガウダパーダシャンカララーマーナンダマーダヴァヴァッラバカビールナーナクラーマクリシュナヴィヴェーカーナンダオーロビンド・ゴーシュタゴール

集団

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アーリヤ・サマージブラフモ・サマージ

インド哲学の研究

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インド哲学の研究、特にインド仏教学(チベット仏教学も内包する)は、第二次世界大戦前にはドイツがリードしていたが、現代では日本の学会が世界の研究をリードしている。

日本

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日本における「インド哲学」(印度哲学、印哲)の研究は、西洋のインド学(インドロジー)とは異なり、仏教研究を中心に発達してきた[52]東京大学では、そのような仏教研究を中心とする「インド哲学」研究が行われてきた[52][53]。東大印哲の主な教授には、村上専精宇井伯寿中村元がいる[52]

他方で京都大学は、西洋のインド学を模範として実証的な文献学を志向し、フランスのシルヴァン・レヴィルイ・ルヌー(ともに日仏会館館長)の影響が見られる[52]。京大印哲の主な教授には、黎明期の長尾雅人足利惇氏のほか、「munitraya」(「三聖」の意)と称された梶山雄一服部正明大地原豊がいる[52]

主な研究室

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西洋

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前史として、アッリアノスアレクサンドロス東征記』やメガステネスインド誌英語版』などには、カラノス裸の哲学者英語版(ギュムノソピスタイ)、または哲学者(ピロソポイ)と呼ばれる人々の記述がある。また、アショーカ王碑文[54]や『ミリンダ王の問い』には、ギリシア哲学とインド哲学の交流がうかがえる。

19世紀、インド学者のミュラードイセンが、インド哲学研究を開拓した。ショーペンハウアーニーチェはインド哲学に着想を得た。

20世紀から21世紀初頭には、オックスフォード大学[52][55]ハンブルク大学[52]ウィーン大学[52]ライデン大学[52]ハーバード大学[52]ペンシルバニア大学[52]トロント大学[55]などが研究拠点となっている。

現代インド

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現代のインドでは、パンディットと呼ばれる伝統的な学者が、サンスクリットで諸派の学問を継承している[56]英語でのインド人によるインド哲学研究は、1920年代にラーダークリシュナンダスグプタ英語版が開拓した[57]

脚注

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注釈

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  1. ^ Elisa Freschi (2012): The Vedas are not deontic authorities and may be disobeyed, but still recognized as an epistemic authority by a Hindu.[41] Such a differentiation between epistemic and deontic authority is true for all Indian religions.

出典

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  2. ^ Sue Hamilton (2001). Indian Philosophy: A Very Short Introduction. Oxford University Press. pp. 1–17, 136–140. ISBN 978-0-19-157942-4. https://books.google.com/books?id=YWu4ygkh_O8C 
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  9. ^ Damien Keown (2013), Buddhism: A Very Short Introduction, 2nd Edition, Oxford University Press, ISBN 978-0199663835, pages 32-46
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    [b]KN Jayatilleke (2010), Early Buddhist Theory of Knowledge, ISBN 978-8120806191, pages 246-249, from note 385 onwards;
    [c]John C. Plott et al. (2000), Global History of Philosophy: The Axial Age, Volume 1, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120801585, page 63, Quote: "The Buddhist schools reject any Ātman concept. As we have already observed, this is the basic and ineradicable distinction between Hinduism and Buddhism";
    [d]Katie Javanaud (2013), Is The Buddhist ‘No-Self’ Doctrine Compatible With Pursuing Nirvana?, Philosophy Now;
    [e]Anatta Encyclopædia Britannica, Quote:"In Buddhism, the doctrine that there is in humans no permanent, underlying substance that can be called the soul. (...) The concept of anatta, or anatman, is a departure from the Hindu belief in atman (self)."
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  32. ^ Anatta Encyclopædia Britannica, Quote:"In Buddhism, the doctrine that there is in humans no permanent, underlying substance that can be called the soul. (...) The concept of anatta, or anatman, is a departure from the Hindu belief in atman (self)."
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関連項目

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外部リンク

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