解釈学

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解釈学(かいしゃくがく、Hermeneutik)とは、様々なテクスト解釈(独:Interpretation)する文献学的な技法理論、あるいはそもそも「解釈する」という事に対する体系的な理論の事である。

概要[編集]

ドイツ語表記Hermeneutik」は、ギリシア語ερμηνευτική [τέχνη],、つまり古代ギリシア語の読みでの hermeneutiké [téchne] に由来し、ギリシア神話の中で神々の意志を人間に伝える神々の伝令役、ヘルメースの名から採られたもので、わからせる、理解させるという動詞を意味し、これから解釈・説明する、表現する、翻訳するという意味が派生し、元々はテキスト理解の技術として生まれたものであった。

特に現代では後者の意味として、即ち近現代の西洋哲学における「解釈」する事に対する理論、方法などを吟味する哲学の一つの重要な分野として、認識されている事が多い。そもそも、ここでは「解釈する」とは理解不能な言葉や事柄を理解可能な形で、表現するないしは伝達するといった意味である(翻訳といったニュアンスも含んでいる)。解釈学は古代以来、往々にして西洋思想は常に未知なる理解不能な思想と接し、これを自分たちの思想に取り入れるために、常に自分たちに理解できるような形で、取り入れてきた(解釈した)という思想的背景の元、育まれてきたものである。

歴史[編集]

古代[編集]

解釈学の源流は、古代ギリシア時代のヘルメーネウティケーに由来し、デルフォイの神託や占いあるいはを解釈する術にまで遡ることができる。テクストに対する解釈の技法の理論としても紀元前8世紀頃のホメロスの詩句の解釈から既に始まっているとされる。

アリストテレス論理学著作群『オルガノン』内の一書である『命題論』も、原題は『解釈について』(: Περὶ Ἑρμηνείας (Peri Hermeneias))である。

中世[編集]

解釈学が特に大きな意味を持ってくるのは、テクストに置いてである。テキストには、神の言葉を記した旧約聖書新約聖書や、古代ギリシアの文学や哲学の文献、ローマの法典など様々なものがあるが、西洋の知的伝統において、その時代において解釈の必要性があり、解釈に値する文献が存在する場合には、それに応じて、様々な分野のテクストの解釈が採り入れられてきたのである。解釈学の発展は中世の神学に始まる。スコラ哲学においては、アリストテレスに代表されるギリシャ古典文献の内容を解釈し、聖書と矛盾しない形で結合できるかという問題が重大な問題となったのである。トマス・アクィナスは、神中心主義と人間中心主義のトマス的統合を成し遂げたと評価される。

11世紀、イタリアで古代ローマの法律文献『学説彙纂』の写本が再発見されると、ボローニャの法学校を中心に法解釈学を研究する集団が現れ、やがてヨーロッパ最初の大学の一つへと発展していった。中世ローマ法学の祖となったのはイルネリウス(Irnerius)であり、難解な用語を研究し、写本の行間に注釈を書いたり (glossa interlinearis) 、欄外に注釈を書いたり (glossa marginalis) したことから註釈学派と呼ばれた。ボローニャ大学でローマ法を教えられた学生達は、皆ラテン語を共通言語に、後にパリ大学オクスフォード大学ケンブリッジ大学などでローマ法を広め、法解釈学は専門化・技術化し発展していった。

近世[編集]

17世紀頃から、聖書解釈を行う神学的解釈学、法律の解釈を行う法学的解釈学、古典文献の解釈を行う文献学的解釈などこれら「特殊解釈学」を統合してあらゆるテクストに適用できる解釈の理論・規則を体系化する「一般解釈学」(独:allgemeine Hermeneutik)の動きが構築された(「解釈学」という言葉が造られたのはこのころである。)。しかし、この時点でも、あくまで文献学や法学の予備学として考えられていた。

19世紀前半、神学者・哲学者のフリードリッヒ・シュライエルマッハーによって、体系的な一つの学問分野としてその地位が高められた。当時、文献学における解釈の対象はギリシア・ローマの古典に限られ、古代ギリシア・ローマ時代の作家の思想を、後の時代に生きている者が理解できるのは、二つの時代をつなぐ共通の「精神」があるからであり、文献学的教養を積むことによって二つの時代の異質な言説の差異は解消されるとされていた。シュライエルマッハーは、このような限定的な技術的態度を批判し、解釈学の対象は古典作品に限らず、ひろく日常的な会話までを含むものとした上で、語る者と受け取る者の基本的な関係は精神ではなく、「言語」であり、その基本条件をなす規則を相互の完全な連関を含む形で抽出するのが解釈学の一般理論であるとした。そして、言語は、ある時代のある語り手の言説の「文法的側面」のみならず、その語り手の個性さえを踏まえた心理過程を経て言説が表現されるという「心理的側面」の二つの側面を有するから、解釈もその二つの側面に即してなされるべきであるとした上で、直接に理解されるべき対象に向かってその個性を捉える「予見法」と理解されるべき対象を含む大きな普遍を設定し、そのなかで同じ普遍に属する他の対象と比較して理解されるべき対象の個性を探ろうとする「比較法」を用いて、その二つの方法の連続した循環の中から文体と作家の個性のそれぞれに二つの方向から肉薄することによって豊かな発展的理解の可能性見出そうとしたのである。

現代[編集]

ヴィルヘルム・ディルタイは、、歴史主義の影響の下、自然科学と解釈学(精神科学、今日いうところの人文科学)を対置させている。自然科学は、原因(例えば、人間のの原因を説明するように)を問うが、精神科学は、より包括的な意味合いで、何ものか(例えば、死とは何だろう、私はどのように死と係わるのだろうか)を問うのだというのである。彼の伝記『シュライエルマッハーの生涯』はヴィルヘルム・ディルタイの研究者としての処女作でもある。ディルタイは、シュライエルマッハーの一般的解釈学を単なる言語的所産を超えて、その背後にある歴史・文化、人間の生の表現を対象とする精神科学の基礎理論に昇華させた。

マルティン・ハイデッガーは、テクスト解釈の技法として、テクストにおける全体と部分の関係において理解されていた解釈学的循環を定式化し直し、シュライエルマッハーにおける理解の理論でもなく、ディルタイにおける精神科学の方法論でもなく、現存在の存在を解明すること、哲学そのものであるとして哲学的問題の一つにまで高めた。彼によれば、人間はいかに漠然とした形であれ、理解するという仕方で存在しているのであり、現存在の全構造は予め理解されている。その先行理解から出発して現存在の存在理解を解釈することが先行理解と解釈の循環であるとするのである。

ハンス・ゲオルグ・ガダマーは、シュライエルマッハーとディルタイの解釈学を「ロマン主義的解釈学」であると批判したが、彼は解釈学を普遍的に世界解釈(独:Weltdeutung)として理解しており、そこでは、ハイデッガーの解釈学の射程が拡張されてもはや哲学的解釈学ではなく、解釈学的哲学というべきものが考えられている。このように、解釈学の伝統は現在も哲学の一潮流として影響を与え続けている。

応用領域[編集]

神学[編集]

神学では解釈学は、聖書解釈に際して用いられる。解釈学は、聖書の理解を対象とするわけである。ここで議論の対象となるのは、例を挙げれば、聖書の解釈学は、そもそもどこまで一般的な解釈学の特殊なケースとして理解できるかといったことである。

法学[編集]

法律の条文の適用と解釈を巡って問題提起を行う法解釈学がある。ここでは、判決は法を文字通り理解したものでなくてはならないのだろうか、それとも、その意味を類推するということも許されるのだろうかという問題がある。

社会科学[編集]

社会科学においては、主観的な解釈学と客観的な解釈学が区別される。前者が、「感情移入的な理解」、つまりある人間の個人的な状況の中に入っていく(共感と呼んでもよいのだが)のに対して、後者、客観的な解釈学は、ある行為もしくは状況の、動いていく動機や意図を理解しようとする。このことは、とりわけ、ある状況や出来事の文脈の中の特徴を取り出してそれを解釈する中で生じてくる。客観的な解釈学は、また社会学質的研究の方法も提示しようとする。

批判[編集]

解釈学的言説がどれほど妥当性を持つか、控えめな言い方をすれば、その信憑性はどれほどのものなのかは、まだ議論を尽くされているとは言いがたい。解釈学的な言説を、チャールズ・サンダース・パースのいうような推論(アブダクション)のひとつとして捉えれば、推論形式の中に妥当な規則が含まれているかどうか、例えば、解釈学的な仮説からそれに先行する言説が、別のまだ知られていない認識対象の特徴を演繹したり、加えて経験的な吟味が付加されたりしていないかと検討していくことはできるかもしれない。こうした妥当性を吟味検討していく仕組みは、とりわけ医学的な差異の診断学にあっては重要な役割を担っている。

参考文献[編集]

  • 渡邊二郎 『構造と解釈』 筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1994年ISBN 9784480081612
  • H. Seiffert: Einführung in die Hermeneutik. UTB 1992 (relativ knapp gehaltene, übersichtliche Einführung mit Schwerpunkt auf klassischen Bereichen angewandter Texthermeneutik: Theologie, Jura, Pädagogik)
  • J. Grondin: Einführung in die philosophische Hermeneutik. WBG 1991 (historischer Überblick mit Schwerpunkt auf der Traditionslinie Schleiermacher - Dilthey - Heidegger - Gadamer)
  • M. Jung: Hermeneutik zur Einführung. Junius 2001 (knappe systematische Einführung, auf neuere philosophische Fragestellungen v.a. im Zusammenhang mit Gadamers Hermeneutik Bezug nehmend)
  • J.Hörisch: Die Wut des Verstehens, edition suhrkamp, erweiterte Nachauflage 1998, ein fulminant verfasstes Essay zur Kritik der Hermeneutik
  • Kurt Eberhard: Einführung in die Erkenntnis- und Wissenschaftstheorie (2. Aufl.) Kohlhammer, 1999 (mit abduktionlogisch deduzierten Regeln für eine validitätsorientierte Hermeneutik)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]