歴史修正主義

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歴史修正主義(れきししゅうせいしゅぎ、: Historical revisionism)とは、本来は歴史的な定説や通説を再検討して新たな解釈をしめすことだが、特に歴史学の成果により確定した事実を自分のイデオロギーで都合よく解釈して、誇張・捏造した「事実」を主張する立場(例:ホロコースト否認など)を、批判的に呼ぶ用語として使用されている[1]。単に修正主義リビジョニズム)とも呼ばれる。

概要[編集]

岩崎稔シュテフィ・リヒターによれば、「『修正主義』は、もともとかつての社会主義運動のなかで、正統的な教義や見解を逸脱した一派に貼りつけるレッテルとして用いられたものだった。それが、社会主義の教義ではなく、歴史の解釈をめぐって用いられるようになったのは、厳密に言えば、ナチスドイツの行った行為をヨーロッパ現代史のなかでとのように理解するのかという点で、テイラーフィッシャーが1960年代に引き起こした論争的な議論に端緒を発している。」という[2]高橋哲哉によれば、「見直し=修正を拒否する歴史は、イデオロギー的に絶対化された歴史であるため、修正主義はかつては必ずしも悪い意味ではなかったが、近年ではネガティヴな意味で使われ、批判の対象に付けられるべき名前となった。ホロコースト否定論者たちが、みずから歴史修正主義者を名乗って活動していることが大きい。」という[3]佐藤学によれば、「歴史修正主義は左翼転向者の語りという性格を持っている。」という[4]

各論[編集]

世界大戦をめぐる論争[編集]

1926年ハリー・エルマー・バーンズ英語版は、"The Genesis of the World War"(『世界大戦の起源』)で、第一次世界大戦の原因をドイツ帝国を中心とした中央同盟国では無く、露仏同盟側であるとした。

1961年発表のF・フィッシャー『世界強国への道: ドイツの挑戦, 1914-1918年 (Griff nach der Weltmacht: Die Kriegzielpolitik des kaiserlichen Deutschland 1914–1918)』は逆に、ドイツは世界強国となるべく自発的に戦争を起こしたと主張した(フィッシャー論争)。

1961年にはA・J・P・テイラーが『第二次世界大戦の起源』で、第二次世界大戦の原因をアドルフ・ヒトラー個人にではなく、欧米諸国の外交の失敗に求めた。これらの主張は激しい賛否両論を巻き起こし、彼らを批判する用法としての「歴史修正主義者」が生まれた(テイラー論争)。

ホロコースト[編集]

1978年設立された、歴史修正研究所(歴史見直し研究所)は、学術的用法による歴史修正団体と自らを定義している[5]。同団体はホロコーストの事実そのものを疑問とし、ユダヤ人虐殺のガス室の実在を証明したら、5万ドルを支払うと主張した。

1985年、ピエール・ヴィダル=ナケは「ナチス・ドイツがユダヤ人とジプシーに対して実践した大虐殺は存在しなくて、神話、作り話、詐欺に属することであるとする教説を、私はここで《レヴィジオニスム》と呼ぶことにする。」と宣言した[6]。ヴィダル=ナケによると、歴史修正を説く論者は、(1)「ジェノサイドというものはなかったし、それを象徴する道具、すなわち、毒ガス室は決して存在しなかった」、(2)「「最終解決」とは東欧方面へのユダヤ人の「追放」である」、(3)「ユダヤ人犠牲者の数字はそう言われてきたのよりも実際にはずっと低い数字である」、(4)「第二次世界大戦の重大な責任はヒトラーのドイツにはない」、(5)「30年代ならびに40年代における人類の重大な敵はナチス・ドイツでなくスターリンソ連である」、(5)「ジェノサイドは連合軍の、主にユダヤ人の、それもとりわけシオニズムプロパガンダによってでっちあげられたものである」と主張するなどの共通点があるという[7]

アメリカ[編集]

渡辺惣樹は、アメリカにおける歴史修正主義とは、第二次世界大戦前の米英両国の外交に過ちはなかったか、あったとすれば何が問題だったのか、それを真摯に探ろうとする歴史観だが、「歴史修正主義者」と見做された学者は学会主流から排斥され、著書の出版を妨害されたり個人の評判を貶められたとしている。その後、次第に歴史修正主義に立つ歴史観が優勢になり、レッテル貼りの効果は急激に低下していると述べている[8]

林義勝によれば、アメリカでは、1990年代、歴史学あるいは歴史叙述の意味やその正当性を問う議論が、歴史学界の範囲を超えて国民の間に幅広い関心を引くようになり、1994年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校「全米歴史教育センター英語版」から発行された『合衆国史のための全国基準』をめぐる論争が起きた。スミソニアン協会傘下の国立航空宇宙博物館展示企画が事実上中止に追い込まれたが、いずれも、その「修正主義的な」姿勢を問題にした保守的メディアや政治家との歴史認識をめぐる論争であった、という[9]。これらの論争は、1960年代の社会の人種・エスニイスィティによる文化の差異を尊重することを求める多文化主義と、旧来の白人男性中心の伝統的・愛国主義的価値観に根ざした文化と社会を維持し続けるかどうかという「文化戦争」の一面と捉えられるという[10]

イスラエル[編集]

臼杵陽によれば、「新しい歴史家英語版[注釈 1]は、イスラエル建国にともなう暴力的な出来事を明るみに出し、イスラエルの国民性にとって危険になりつつある兆候を示し、彼らが提起した問題は、自分たちは被害者であり犠牲者であったという言説を孕んでおり、ホロコーストまでもがパレスチナ人難民問題と同じ土俵で論じられることになったが、イスラエル建国神話英語版のタブーを破った「新しい歴史家」に対して、反対者からパルチザン的だとして「修正主義者」の「汚名」が着せられた、という[14]。「新しい歴史家」のベニー・モリス英語版は、「修正主義」がイスラエルでは大イスラエル主義を唱えるウラジーミル・ゼェヴ・ジャボティンスキーの右翼的な修正主義シオニスト英語版を示す用語であること、テイラーをはじめとする欧米の「修正主義者」が行っているような、ユダヤ人に対するナチズムの犯罪を免罪するかのような「修正主義」が存在すること、冷戦の起源英語版論争においてソ連を正当化する姿勢をとったアメリカの「修正主義者」と同一化されることへの拒否などから、その呼称を拒絶した[15]

韓国[編集]

尹健次によると、1970年代、アメリカで、ベトナム政策の誤りの追求、冷戦開始期の政策への疑念などから、正統派、主流派の”公式見解”に挑戦する「修正主義」の立場、つまりリベラルな側からの研究、朝鮮戦争を含むアメリカのアジア政策の反省と再評価へと繋がり、1980年代、修正主義理論に立脚したブルース・カミングスの『朝鮮戦争の起源』などが、韓国の歴史学界に大きな影響を及ぼした、という[16]。1980年代以降、韓国現代史に対する新しい解釈を持ち出した「修正主義史観」あるいは「民衆史観」などと呼ばれるものは、それ以前の韓国の歴史研究、歴史認識、歴史教育に変化をもたらした、という[17]

ドイツ[編集]

1986年6月6日、エルンスト・ノルテドイツ語版は『フランクフルター・アルゲマイネ』紙で「過ぎ去ろうとしない過去」を発表し、アウシュヴィッツはソ連の「収容所群島」の模倣であり、ポル・ポトの大虐殺英語版などと比較可能であるとして、ホロコーストの歴史的意味合いを相対化しようとした[18]ユルゲン・ハーバーマスは、ナチ犯罪を絶対無比のものと捉え、ドイツ人はアウシュヴィッツという極限を経験することでようやく普遍的な西欧理念に辿り着くことができたとし[19]、ノルテ、アンドレアス・ヒルグルーバードイツ語版ミヒャエル・シュテュルマーらを「修正主義」的であるとして、ヘルムート・コール政権の進める国家主義的歴史政策と連動していると非難した[20] (歴史家論争英語版)。この論争の背景には、「保守的転換」を標榜するコール政権の歴史政策と、これに批判的な左翼知識人との対立があった、という[19]

日本[編集]

高橋哲哉によれば、「1990年代後半に「自虐史観」批判を掲げて登場し、「日本軍〈慰安婦〉問題は国内外の反日勢力の陰謀」「南京大虐殺はなかった」とまで叫ぶに至った勢力が「日本版歴史修正主義」と呼ばれるようになった。」という[3]小浜逸郎によれば、「サヨクの用いたレッテルのうち、「軍国主義者」「ナショナリスト」「ショーヴィニスト」「ネトウヨ」などの次にきたのが「歴史修正主義者」であり、新しい研究や発掘や考察に基づいて歴史を修正する (見直す) なら、悪いことではないが、実際には、専らサヨクが悪意をもって保守派に投げつけるネガティヴなレッテルとして使われた。」という[21]加地伸行によれば、「歴史上の事で確定していることを改新しようとしているとして非難するときに「歴史修正主義」というレッテルを貼っている。保守派が左筋の歴史観を自虐史観として批判しているが、それを歴史修正主義と称して左筋は非難しているわけである。」という[22]

1995年1月に日本で「ホロコーストは作り話だった。ナチ・ガス室はなかった」と主張する論説を掲載した文藝春秋社の月刊誌『マルコポーロ』がアメリカのユダヤ人団体から指摘・批判を受けて廃刊になった(マルコポーロ事件)。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ベニー・モリス英語版は、アラブ人のユダヤ国家予定地からの追放に関し、シオニストによる組織的計画性には否定的であったが、国家予定地にできるだけアラブ住民を残さないという「暗黙の了解」があったと結論づけた[11]アヴィ・シュライム英語版は、シオニストとトランスヨルダンのアミール・アブドゥッラーが共謀したうえでパレスチナ・アラブを犠牲にして第一次中東戦争でパレスチナを分割したと主張した[12]イラン・パペは、イスラエル建国をめぐる最初のアラブ・イスラエル紛争の歴史を、犠牲者としてのパレスチナ人の運命を全面に押し出した[13]

出典[編集]

  1. ^ デジタル大辞泉、マイペディア 歴史修正主義 - コトバンク
  2. ^ 岩崎稔シュテフィ・リヒター「歴史修正主義-一九九〇年以降の位相」『岩波講座 アジア・太平洋戦争 1 なぜ、いまアジア太平洋戦争か』岩波書店、2005年11月8日 第1刷発行、ISBN 4-00-010503-5、359頁。
  3. ^ a b 高橋哲哉『歴史/修正主義 思考のフロンティア』岩波書店、2001年1月26日 第1刷発行、ISBN 4-00-026434-6、iii頁。
  4. ^ 佐藤学「虚妄の歴史へのあくなき欲望」『歴史教科書大論争 別冊歴史読本87 第26巻第26号』新人物往来社、2001年10月25日 発行、137頁。
  5. ^ ABOUT THE IHR - The Institute for Historical Review(英語)
  6. ^ ピエール・ヴィダル=ナケ著・石田靖夫訳「歴史修正主義に関するテーゼ (一九八五年)」『記憶の暗殺者たち』人文書院、一九九五年七月五日 初版第一刷発行、ISBN 4-409-51034-7、136頁。
  7. ^ ヴィダル=ナケ (1995)、40~41頁。
  8. ^ 渡辺惣樹『戦争を始めるのは誰か』 [要ページ番号]
  9. ^ 林義勝「アメリカにおける歴史認識をめぐって」歴史学研究会編『歴史における「修正主義」 シリーズ 歴史学の現在 4』青木書店、2000年5月25日 第1版第1刷発行、ISBN 4-250-99065-6、155~156頁。
  10. ^ 林 (2000)、156頁。
  11. ^ 臼杵 (2000)、62頁。
  12. ^ 臼杵 (2000)、66頁。
  13. ^ 臼杵 (2000)、70頁。
  14. ^ 臼杵陽「イスラエル現代史における「修正主義」-「新しい歴史家」にとっての戦争、イスラエル建国、そしてパレスチナ人-」歴史学研究会編『歴史における「修正主義」 シリーズ 歴史学の現在 4』青木書店、2000年5月25日 第1版第1刷発行、ISBN 4-250-99065-6、56頁。
  15. ^ 臼杵 (2000)、56~57頁。
  16. ^ 尹健次「韓国に「修正主義」はあるのか」歴史学研究会編『歴史における「修正主義」 シリーズ 歴史学の現在 4』青木書店、2000年5月25日 第1版第1刷発行、ISBN 4-250-99065-6、29~30頁。
  17. ^ 尹 (2000)、30頁。
  18. ^ 石田雄治「現代ドイツの歴史論争」歴史学研究会編『歴史における「修正主義」 シリーズ 歴史学の現在 4』青木書店、2000年5月25日 第1版第1刷発行、ISBN 4-250-99065-6、184頁、エルンスト・ノルテ著/清水多吉・小野島康雄訳「過ぎ去ろうとしない過去 書かれはしたが、行われなかった講演」ユルゲン・ハーバーマス、エルンスト・ノルテ他著/徳永恂、清水多吉、三島憲一、小野島康雄、辰巳伸知、細見和之訳『過ぎ去ろうとしない過去 ナチズムとドイツ歴史家論争』人文書院、一九九五年六月三〇日 初版第一刷発行、ISBN 4-409-51035-5、39~49頁。
  19. ^ a b 石田 (2000)、185頁。
  20. ^ Eine Art Schadensabwicklung 11. Juli 1986, 8:00 Uhr Die apologetischen Tendenzen in der deutschen Zeitgeschichtsschreibung - 『ディー・ツァイト』Von Jürgen Habermas(ドイツ語)
  21. ^ 小浜逸郎『デタラメが世界を動かしている』PHP研究所、2016年5月6日 第1版第1刷発行、ISBN 978-4-569-83040-7、333頁。
  22. ^ 加地伸行「「歴史修正主義」のレッテルは権力闘争の道具」『マスコミ偽善者列伝 建て前を言いつのる人々』飛鳥新社、2018年8月21日 第1刷発行、ISBN 978-4-86410-597-2、112~115頁。

関連文献[編集]

  • 鹿島徹『可能性としての歴史 ―越境する物語り理論―』岩波書店、2006、ISBN 4000224654
  • 松浦寛「ロベール・フォリソンと不快な仲間たち ―歴史修正主義の論理と病理―」上智大学仏語・仏文学論集2000年3月。[1]
  • 熊谷伸一郎「歴史修正主義との闘い ―検証 南京事件・「百人斬り」訴訟--問われる戦後責任・報道責任」世界2005年11月。[2]
  • 野家啓一『歴史を哲学する ―七日間の集中講義―』岩波現代文庫、2016、ISBN 4006003420
  • 坂井康夫「歴史を偽造・捏造する「つくる会」―歴史修正主義の汚い手口(従軍慰安婦問題を中心に)〔特集・偽りの歴史――「つくる会」批判〕」プロメテウス 2001年11月。[3]
  • 俵義文「右派歴史修正主義の最近の動き ―国民の考え方を戦争に導く策動― 〔特集・歴史は誰のものか――日本の侵略と戦争犯罪を問う〕」社会評論 1999年7月。[4]
  • ティル・バスティアン著、石田勇治星乃治彦芝野由和編著『アウシュヴィッツと<アウシュヴィッツの嘘>』(白水社1995年、白水Uブックス2005年)
  • 川口茂雄『表象とアルシーヴの解釈学 リクールと『記憶、歴史、忘却』』京都大学学術出版会、2012、ISBN 4876982384
  • 山田朗『歴史修正主義の克服』高文研、2001
  • 小田中直樹「歴史理論(回顧と展望―二〇〇四年の歴史学界)」(『史学雑誌』114-5、2005年)
  • 倉橋耕平「歴史修正主義とサブカルチャー ―90年代保守言説のメディア文化―」青弓社 2018年2月 ISBN 978-4787234322
  • ユルゲン・ハーバーマス『近代 未完のプロジェクト』岩波現代文庫

関連項目[編集]

外部リンク[編集]