反出生主義

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反出生主義(はんしゅっしょうしゅぎ、はんしゅっせいしゅぎ、: Antinatalism、アンティネイタリズム[1])またはアンチナタリズム[2]無生殖主義[3][4]とは、生まない自由・権利はあるが、生む自由・権利はないという思想、そして出産行為は産まれてくる子どもへの暴力・親のエゴであるという思想。この世に生まれることおよび子を持つことを否定的に価値づけ、子を持つことを道徳的に悪いと判断する倫理的見解である。誰も産まない価値観が良いことと普及させることで人類を段階的に絶滅させていき、それによって生きるという苦痛を味わうことも無くなり、全てが解決するという考え方である[5][6][7]アルトゥル・ショーペンハウアーエミール・シオラン出生害悪論[8]を掲げているデイヴィッド・ベネター[7]らが反出生主義の擁護者として知られる。一方、人間を生み出すことに対して肯定的な意見を持つ立場は出生主義英語版と呼ばれる。反出生主義という用語は出生主義に対抗するものである。

概要[編集]

ひとくちに「反出生主義」と言っても複数の種類があり[9]、1.「誕生否定」すなわち「人間が生まれてきたことを否定する思想」と、2.「出産否定」すなわち「人間を新たに生み出すことを否定する思想」の二種類に大別できる[10]。1の「誕生否定」は更に、1-1.「自分が生まれてきたことを否定する思想」と、1-2.「人間が生まれてきたこと一般を否定する思想」の二種類に細分化できる[11]。2の「出産否定」は、「生殖否定」[12]「反生殖主義」「無生殖主義」[3][4] (: anti-procreationism) とも呼ばれる。

反出生主義(特に誕生否定)は、古今東西の哲学宗教文学において綿々と説かれてきた[13]。ただし、それらをまとめて「反出生主義」と呼ぶようになったのは21世紀の哲学においてである[14]。なお、日本語の「反出生主義」という訳語の初出は、2011年のウィキペディア日本語版である[15][16][17]

反出生主義は様々な観点から説かれるが、なかでも21世紀の哲学者デイヴィッド・ベネターは、倫理学上の「善」(better) と「悪」(worse) や「快苦の非対称性」の観点から、出産否定は倫理的な思想であるという結論を導き出し、全人類は出産をやめて段階的に絶滅するべきだと主張した[18]。このベネターの主張は「誕生害悪論」とも呼ばれる[19][20]

哲学[編集]

ショーペンハウアー[編集]

ショーペンハウアー (1788–1860)

アルトゥル・ショーペンハウアーは、人生は苦しみの方が多いと主張し、最も合理的な立場は子供を地球に生みださないことだと主張する。 ショーペンハウアーの哲学では、世界は生きる意志によって支配されている。盲目的で不合理な力、常に現れる本能的欲望が、それ自身によって懸命に生み出される。しかし、その性質ゆえに決して満たされない事が苦しみの原因である。存在は苦しみで満たされている。世界には喜びより苦しみの方が多い。数千人の幸福と喜びは、一人の人間の苦痛を補う事まではできない。そして全体的に考えると生命は生まれない方がより良いだろう。 倫理的な行動の本質は、同情と禁欲によって自分の欲望を克服することからなる生きる意志の否定である。 一度我々が生きる意志を否定したなら、この地球上に人間を生み出すのは、余計で、無意味で、道徳的に非常に疑問のある行為である[21]

ザプフェ[編集]

ザプフェ (1899-1990)

ノルウェーの哲学者ピーター・ウェッセル・ザプフェ英語版は、子供は親・出生地・時代を選ぶ術がない点から、子供が同意なしに世界に生み出されることにも留意している。

ザブフェの哲学では、人間は生物学的な逆理である。意識が過剰に発達してしまったため他の動物の様に正常に機能しなくなっている。知覚は我々が抱えられる以上に与えられている。我々はもっと生きたいと望む様に進化したが、人間は死が運命づけられている事を認識できる唯一の種である。我々は幅広く過去から未来を予測する事が可能だ。我々は正義と、世界の出来事に意味がある事を期待する。これが意識を持った個体の人生が悲劇である事を保証している。 我々は満足させる事ができない欲望と精神的な要求を持っている。人類がまだ存続しているのはこの現実の前に思考停止しているからに他ならないとしている。ザブフェは、人間はこの自己欺瞞をやめ、その帰結として出産を止めることによって存続を終わらせる必要があるとした[22][23][24][25]

ベネター[編集]

デイヴィッド・ベネターは「快楽」と「苦痛」は非対称の関係にあると定義した。

  • 「苦痛」の現前は「悪い」
  • 「快楽」の現前は「良い」
  • たとえ苦痛を受ける主体がいないとしても「苦痛の欠如」は「良い」。
    • 苦痛を受ける主体が存在する場合、その苦痛が欠如したとすれば「良い」。これはまた苦痛の主体が存在しなくなることによってのみ苦痛が欠如するのであれば、やはりそれは「良い」
    • 苦痛を受ける主体が存在しない場合、苦痛は欠如している。存在したかもしれなかった人間への潜在的な利害において、苦痛の欠如は「良い」。
  • 「快楽の欠如」は剥奪される主体が存在しないならば快楽の欠如は「悪くない」。
    • 快楽を剥奪される主体が存在する場合、その快楽の欠如は「悪い」。
    • 快楽を剥奪される主体が存在しない場合、その快楽の欠如は「悪くない」。
主体が存在する 主体が存在しない
苦痛の現前(悪い) 苦痛の欠如(良い)
快楽の現前(より良い) 快楽の欠如(悪くない)

苦痛について、主体が存在する場合と存在しない場合を比較すると、存在しない場合のほうが「良い」。快楽について、主体が存在する場合と存在しない場合を比較すると、「より良い」と「悪くない」の比較となり、存在する場合のほうが「良い」ように見えるが、快楽の欠如が「悪い」のは快楽を剥奪される場合であり、これはつまり快楽の現前「より悪い」という状態を指す。つまり快楽の現前が「より良い」というのは、剥奪された場合の「より悪い」との比較であって、快楽を剥奪される主体が存在しないのであれば「より良い」とは言えない。ベネターは苦痛と快楽の両者を合わせて比較し「存在しないほうが良い」という結論を導いた[26]。ベネターの誕生否定はこの「苦痛の主体」に沿って語られる。

ベネターは、生まれてくることはその本人にとって常に災難であり、それゆえに子供を生むことは反道徳的な行為であり、子供は生むべきではない、と主張する。子供を生むことは、多くの動物がそうしているように単に何も考えずに性的欲求を満たすための行動である性行為の結果として引き起こされている現象であるか、または生む側の欲求を満たすために引き起こされている現象であるか(例えば子育てしてみたいといった欲求を満たすため、自分の老後の世話をしてもらおうという計算のため)、または判断するさいに生の質(QOL)を不当に高く誤評価していること(ポリアンナ効果)から起きている現象である、とする。チャイルド・フリーのような立場と自身の立場を明確に区別しており、チャイルド・フリーのような考え方は、自分のライフスタイルを維持することを考えて子供を持たないという立場を取るが、ベネターは親の都合ではなく、生まれてくる人間の観点に立って、その上で生むべきではない、と主張する。つまり生まないことは、多くの人に取ってはある種の我慢が必要なことではあるが、生まれてくる人間のことを少しでも真剣に考えるのならば、子供は生まずに我慢すべきだ、とする。また、地球上の理想の人口ゼロであるとし、人間は絶滅した方がよいと主張する。とはいえ即座に人類絶滅を目指すのは生まれてきてしまった人たちにとって大きい苦痛を伴うものとなるであろうから、少しずつ段階的に人口を減らしていき、最終的に絶滅する、つまりゆるやかに絶滅していくのが良いだろう、としている。また、ヒトに限らず、他の感覚を持った生物も、まったく生まれてこない方が良かった、つまり絶滅してしまった方が良い、としている。

ベネター、ジェラルド・ハリソンとジュリア・タナーらは、人間が動物に危害を加えている事を懸念し「我々の種によって毎年数十億の動物が動物製品の生産や動物実験、環境破壊の結果や残酷で嗜虐的な喜びの為に虐殺されている。彼らは我々が動物を苦しめるのは非倫理的であるとする動物の権利の思想家に賛同する傾向がある。彼らは地球上で最も破壊的な種は人類だと考える。そして新たに人間が生まれなければ人間によって新たに動物が苦しめられる事はなくなる」と主張する[27][28]

ベネターの著書『Better Never to Have Been』(『生まれてこないほうが良かった』)は両親と兄弟に捧げられており「両親に捧ぐ(私を生んでしまったけれども)」、「兄弟に捧ぐ(生まれてきてしまったけれども)」、という形で献辞されている[29]

ヴェターとナーベソン[編集]

ナーベソン (1936-)

現代倫理学の負の功利主義英語版 では、幸福を最大限までに高めるよりも苦痛を最小限に抑えることの方がより倫理的に重要であるとされる。

ヘルマン・ヴェター英語版が賛同したヤン・ナーベソン英語版非対称仮説英語版はこう主張する:[30]

  1. 仮に子が生涯にわたって著しく幸福であることが保証されていても、その子供を出生させるべき倫理的責任は存在しない
  2. もし子が不幸になりうることを予想できるのであればその子供を出生させるべきではない倫理的責任が存在する

しかし、ヴェターはナーベソンのこの結論に賛同しなかった:

  1. 一般的には、子が不幸を経験すること、また、他者に不利益をもたらすことが予想されないのであれば、子供を出生させる、もしくはさせない義務は生じない

代わりに、彼はこの決定理論的テーブルを提示した:

子が幸福になる 子が不幸になる
子を出生させる 倫理的責任は生じない 倫理的責任は不履行
子を出生させない 倫理的責任は生じない 倫理的責任は履行される

そして、子供は生むべきではないと結論付けた:[31][32]

”子を出生させない”ことが、同程度、もしくはより良い結果をもたらすため、”子を出生させる”ことよりも優位にあると考えられる。そのため子が不幸になる可能性を排除できない限り――これは不可能であるが――、前者はより好まれる。そのため、我々は(3)の代わりに、より踏み込んだ(3')――どのような場合でも、子供を産まないことが倫理的に好まれる――を結論とする。

その他[編集]

シオラン (1911-1995)
ジロー (1968-)
私が己を自負する唯一の理由は、20歳を迎える非常に早い段階で、人は子供を産むべきではないと悟ったからだ。結婚、家族、そしてすべての社会慣習に対する私の嫌悪感は、これに依る。自分の欠点を誰かに継承させること、自分が経験した同じ経験を誰かにさせること、自分よりも過酷かもしれない十字架の道に誰かを強制することは、犯罪だ。不幸と苦痛を継承する子に人生を与えることには同意できない。すべての親は無責任であり、殺人犯である。生殖は獣にのみ在るべきだ。 — エミール・シオラン 『カイエ』1957-1972, 1997

カリム・アケルマドイツ語版は、人生の中で起きうる最良のことは最悪なこと――激痛、怪我、病気、死による苦しみ――を相殺せず、出生を控えるべきであると主張している[33][34]

ブルーノ・コンテスタビーレ (Bruno Contestabile) は、アーシュラ・K・ル=グウィンのSF小説『オメラスから歩み去る人々』を例として挙げている。この短編では、隔離され、虐げられ、救うことができない一人の子供の苦しみにより、住民の繁栄と都市の存続がもたらされるユートピア都市オメラスが描かれている。大半の住民はこの状態を認めて暮らしているが、この状態を良しとしない者もおり、彼らはこの都市に住むことを嫌って"オメラスから歩み去る"。コンテスタビリーはこの短編と現実世界を対比する: オメラスの存続のためには、その子供は虐げられなければいけない。同様に、社会の存続にも、虐げられる者は常に存在するという事実が付随する。コンテスタビリーは、反出生主義者は、そのような社会を受け入れず、関与することを拒む"オメラスから歩み去る人々"と同一視できると述べた。また、「万人の幸福はただ一人の甚大な苦しみを相殺できうるのか」という疑問を投げかけた[35]

哲学者のフリオ・カブレラ英語版は、出産は人間を危険で痛みに満ちた場所に送り込む行為だと述べている。生まれた瞬間から死に至るプロセスが開始されるとし、カブレラは出産において我々は生まれてくる子供の同意を得ておらず、子供は痛みと死を避けるために生まれてくる事を望んでいないかも知れないと主張している[36][37]。同意の欠如については、哲学者のジェラルド・ハリソン (Gerald Harrison)とジュリア・タナー (Julia Tanner) も同様の事を書いている。彼らは生まれてくる本人の同意なしに出産をつうじて他人の人生に影響を与える道徳的な権利を我々は持っていないと主張している[28]

哲学者のテオフィル・ド・ジロー英語版は、世界中に何百万人もの孤児がいることに触れ、道徳的な問題を抱えた出産を行うよりも、愛情と保護を必要としている子供らを養子にする方が良いだろうと述べた[38]

宗教[編集]

グノーシス主義[編集]

グノーシス主義の主張が反出生主義の文脈から参照される場合がある。マニ教[39]ボゴミル派[40]カタリ派[41]は出産は魂を牢獄に入れる悪事であると信じていた。彼らは出産は邪神デミウルゴスまたはサタンの仕業と見なしていた。

2世紀キリスト教神学者ユリウス・カッシアヌス (Julius Cassianus)と禁欲主義者たち(エンクラディス派英語版[42])は、誕生が死の原因であることとし、 死を克服するため、我々は出産をやめるべきであるとした[43][44][45]

仏教[編集]

日本の仏教は鎌倉仏教運動以降末法無戒・肉食妻帯が一般化したため認識されにくいが、仏教はもともと非常に禁欲的な思想を持っていた[46]

仏教の開祖ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)は出家前に子供(ラーフラ)をもっていたが、原始仏典のスッタニパータでは「子を持つなかれ」等と説いた[47]

パーピマント悪魔が〔言った〕「子をもつ者は、子たちについて喜ぶ。まさしく、そのように、牛をもつ者は、牛たちについて喜ぶ。まさに、諸々の依存〔の対象〕は、人の喜びである。依存〔の対象〕なき者――彼は、まさに、喜ぶことがない」と。
世尊は〔答えた〕「子をもつ者は、子たちについて憂う。まさしく、そのように、牛をもつ者は、牛たちについて憂う。まさに、諸々の依存〔の対象〕は、人の憂いである。依存〔の対象〕なき者――彼は、まさに、憂うことがない」と。 — スッタニパータ正田大観訳)

これについて反出生主義的な解釈がなされる場合がある。20世紀インドの著述家ハリ・シン・グール英語版は著作『The Spirit of Buddhism』の中で、とりわけ四諦パーリ律の始まりを考慮し、以下のように述べた。

ブッダ曰く、人生が苦しみである事は忘れられがちである。人が子供を作る。従ってそれが老いと死の原因である。彼らが苦しみの原因がその行いにあると気付いたならば、彼らは子供を作るのを止めるだろう。そうして老いと死のプロセスを止めるべし。 — ハリ・シン・グール[48]

反出生主義の主張例[編集]

  • 親の不幸、子の不幸
    社会の変化に伴い、子作りは経済的にも社会的にも困難が増えている[49]。子供を持つ親は、子供のいない家庭と比較して統計的に有意に幸福のレベルが低く、生活満足度、結婚満足度、および精神的健康状態が悪いことをヨーロッパやアメリカの多くの学者が報告している[50]ことに触れ、「親になって子供を育てることは、幸福をもたらすとは限らない。子供の立場から見ても、子供は親を選べない点から、児童心理を知らなかったり、子供を奴隷扱いするなど育児に不適格な親のもとに生まれたら、必然的に子供は不幸になる」とする。
  • 人口過剰
    反出生主義が人口過剰や飢餓の問題の解決に繋がると支持者の多くが考えている。また、枯渇性資源の減少も回避できる。
    インドや中国などのいくつかの国は家庭内の子供の数を減らす政策を採用している。これらの政策はすべての出産を否定的に捉えているわけではないが、深刻な人口過剰の懸念や国の資源への重い負担を抑制するのに役立っている。
  • 子供達の未来を保証できない
    環境汚染や温暖化などが現在より深刻化するであろう将来の地球に子供を存在させたくないという理由で、反出生主義が語られることがある[51]。経済状況の悪化もこれに加わる[49]

社会運動[編集]

イギリスの政党「ANP」 (The Anti Natalist Party) 反出生主義を公約に掲る。法学者ウィリアム・ブラックストンの「10人の罪人を逃しても1人の無辜を罰することなかれ」の言葉を引用し、正義の原則的に(不必要な)喜びが存在するより(不必要な)苦しみを経験しない方が良いと主張した[55]。また、公約として「子供を作る意欲を減らす為」に子供の税控除の廃止や裕福な家族への課税などを掲げた[56]

参考文献[編集]

反出生主義をテーマとする学術文献[編集]

  • Benatar, David (2006). Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence. Oxford University Press. ISBN 978-0199296422 
  • 現代思想2019年11月号 特集〈反出生主義を考える〉』(青土社、2019年)ISBN 978-4791713882
  • 森岡正博 『生まれてこないほうが良かったのか?―生命の哲学へ!』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2020年。ISBN 978-4480017154 
  • 森岡正博 「反出生主義とは何か ― その定義とカテゴリー」 『現代生命哲学研究』 10号 早稲田大学人間総合研究センター、2021年http://www.philosophyoflife.org/jp/seimei202102.pdf 
  • 村田奈生「神なき時代の救済論 ― 宗教・思想史における反出生主義の定位」『人文×社会』創刊号、2021年

関連文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ antinatalismの意味・使い方・読み方” (日本語). eow.alc.co.jp. 英辞郎 on the WEB. 2021年6月2日閲覧。
  2. ^ 森岡 2021, p. 49.
  3. ^ a b 古野裕一・穂積浅葱・森岡正博「無生殖協会の目指すもの ― 本当に“善い”反出生主義に向けて」『現代生命哲学研究』第10巻、早稲田大学人間総合研究センター、2021年、 68頁。
  4. ^ a b 森岡 2021, p. 55.
  5. ^ a b 『進撃の巨人』は「時代の空気」をどう描いてきたか? その圧倒的な“現代性”の正体(杉田 俊介) @gendai_biz” (日本語). 現代ビジネス. 2021年11月20日閲覧。
  6. ^ 「苦しみが存在しない世界を作るのは、むしろ良いことではないか」人の誕生・出産を否定する“反出生主義”、あなたはどう考える?(ABEMA TIMES)” (日本語). Yahoo!ニュース. 2021年11月20日閲覧。
  7. ^ a b c d 子どもは産むべきでない?『進撃の巨人』で話題を呼んだ“反出生主義”の恐るべき魔力 (2021年1月30日)” (日本語). エキサイトニュース. 2021年11月20日閲覧。
  8. ^ ベネターによると、人が存在することはつねに害悪である。人が生きていると快楽と苦痛が生じるが、もし生まれてこなければどちらも存在しない。そして〝快楽の不在〟は別に悪いことではないが、〝苦痛の不在〟は誰にとっても大きなメリットとなる。つまり、トータルで考えると、人が生まれてこないのは生まれるよりも〝つねに良いこと〟と言わざるを得ないという論
  9. ^ 森岡 2021, p. 55-66.
  10. ^ 森岡 2020, p. 14;17.
  11. ^ 森岡 2020, p. 17.
  12. ^ 中川優一 (2020年8月24日). “「何に対する同意が不在なのか──生殖の許容可能性と同意の不在問題について」第20回早稲田超域哲学研究会”. p. 2. 2021年5月2日閲覧。
  13. ^ 森岡 2020, p. 13-14.
  14. ^ 森岡 2020, p. 13.
  15. ^ 森岡 2021, p. 40;42.
  16. ^ 水島淳 (2021年4月11日). “近現代の反出生主義の歴史と批判の再検討――森岡正博 「反出生主義とは何か」の検討から――”. p. 5. 2021年5月2日閲覧。
  17. ^ 当該の記述(「デイヴィッド・ベネター」2011年10月22日の版)
  18. ^ 森岡 2020, p. 14;274-276.
  19. ^ 森岡 2020, 第7章.
  20. ^ 吉本陵「人類の絶滅は道徳に適うか? : デイヴィッド・ベネターの「誕生害悪論」とハンス・ヨーナスの倫理思想」『現代生命哲学研究』第3巻、2014年、 doi:10.24729/00007063
  21. ^ A. Schopenhauer, Selected Essays of Schopenhauer, Contributions to the Doctrine of the Affirmation and Nega-tion of the Will-to-live, G. Bell and Sons, London 1926, p. 269.
  22. ^ P.W. Zapffe, The Last Messiah,The Philosophy Now 2004, Number 45, pp. 35-39.
  23. ^ P.W. Zapffe, Om det tragiske, Pax Forlag, Oslo 1996.
  24. ^ P.W. Zapffe, H. Tønnessen, Jeg velger sannheten: En dialog mellom Peter Wessel Zapffe og Herman Tønnessen, Universitets forlaget, Oslo 1983.
  25. ^ T. Brede Andersen, Hva det betyr at være menneske, 1990.
  26. ^ 吉本 陵「人類の絶滅は道徳に適うか? : デイヴィッド・ベネターの「誕生害悪論」とハンス・ヨーナスの倫理思想」『現代生命哲学研究』第3巻、2014年3月、 50-68頁、 doi:10.24729/00007063
  27. ^ D. Benatar, Better..., op. cit., pp. 109.
  28. ^ a b G. Harrison, J. Tanner, Better Not To Have Children, Think 2011, Volume 10, Issue 27, pp. 113-121.
  29. ^ Benatar, David (2006). Better Never to Have Been. Oxford University Press, USA. doi:10.1093/acprof:oso/9780199296422.001.0001. ISBN 978-0-19-929642-2 
  30. ^ J. Narveson, Utilitarianism and New Generations, Mind 1967, LXXVI (301), pp. 62-67.
  31. ^ H. Vetter, The production of children as a problem for utilitarian ethics, Inquiry 12, 1969, pp. 445–447.
  32. ^ H. Vetter, Utilitarianism and New Generations, Mind, 1971, LXXX (318), pp. 301–302.
  33. ^ K. Akerma, Soll eine Menschheit sein? Eine fundamentalethische Frage, Cuxhaven-Dartford: Traude Junghans, 1995.
  34. ^ K. Akerma, Verebben der Menschheit?: Neganthropie und Anthropodizee, Freiburg im Breisgau: Verlag Karl Alber, 2000.
  35. ^ B. Contestabile, The Denial of the World from an Impartial View, Contemporary Buddhism: An Interdisciplinary Journal, volume 17, issue 1, Taylor and Francis, 2016.
  36. ^ [1] J. Cabrera, T. L. di Santis, Porque te amo, Não nascerás! Nascituri te salutant, LGE Editora, Brasilia 2009.
  37. ^ [2] J. Cabrera, A critique of affirmative morality - a reflection on death, birth and the value of life, Julio Cabrera Editions, Brasília 2014.
  38. ^ T. de Giraud, L'art... op. cit., p. 51.
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  50. ^ CNN "子どものいない方が夫婦は幸せ? 米英で調査". 2014.01.15
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  56. ^ Manifesto[リンク切れ] – The Anti-Natalist Party
  57. ^ https://researchmap.jp/j_mizushima/presentations/31958853/attachment_file.pdf