鬼怒川温泉

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Hot springs 001.svg鬼怒川温泉
Kinugawa Onsen 03.JPG
鬼怒川ふれあい橋より(2010年9月4日)
温泉情報
所在地 栃木県日光市
座標 北緯36度49分29.3秒
東経139度42分58.7秒
座標: 北緯36度49分29.3秒 東経139度42分58.7秒
交通 鉄道 - 東武鉄道 鬼怒川温泉駅または鬼怒川公園駅
自動車 - 日光宇都宮道路 今市ICより約30分。
泉質 単純泉
液性の分類 アルカリ性
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鬼怒川ふれあい橋より

鬼怒川温泉(きぬがわおんせん)は、栃木県日光市(旧下野国)の鬼怒川上流域にある温泉

かつては箱根熱海と並んで「東京の奥座敷」と呼ばれ[1]、現在でも年間200万人以上[1]の観光客で賑わう。

泉質[編集]

火傷に対する効能があるとされ、北側の川治温泉とともに「傷は川治、火傷は滝(現在の鬼怒川温泉)」と称された。

歴史[編集]

古くは滝温泉という名前で、鬼怒川の西岸にのみ温泉があった。江戸時代からあった温泉で、1752年宝暦2年)に発見されたとされる。日光の寺社領であったことから、日光詣帰りの諸大名僧侶達のみが利用可能な温泉であった。

明治時代になって滝温泉が一般に開放され、明治2年には東岸にも藤原温泉が発見された。その後、上流に水力発電所ができて鬼怒川の水位が下がるとともに、川底から新源泉が次々と発見され、下野電気鉄道(現・東武鬼怒川線)の開通後は次第に温泉として発展していった。

1927年昭和2年)に、滝温泉と藤原温泉を合わせて鬼怒川温泉と呼ぶようになり、その名称は今日までいたっている。戦後は特急「きぬ」の運行などもあり、東京から観光客が押し寄せて大型温泉地としての発展を見せた。

温泉街[編集]

鬼怒川温泉駅の南側から、鬼怒川公園駅までの間、鬼怒川沿いの両岸、滝地区と藤原地区に数多くの大型ホテル、旅館の建物が連なる。立ち寄り風呂としては鬼怒川公園内に町営の鬼怒川公園岩風呂(入浴料は大人500円)がある。また、ほとんどのホテル・旅館で入浴のみの利用が可能となっている。

鬼怒川温泉駅前には旅館業者が兼営するみやげ物店、食堂、売店が並ぶ。

周辺の名所・施設[編集]

温泉神社
温泉神社
観光ホテルの夕食
観光ホテルの夕食

温泉街の外れに鬼怒川温泉ロープウェイがあり、山頂駅近くに温泉神社がある。

至近に鬼怒川ライン下り東武ワールドスクウェア日光江戸村などのテーマパークが多数立地する。ほかにエーデルワイススキーリゾート、ゴルフ場などがある。

課題点[編集]

全国の大規模温泉旅館は不振が続き、バブル崩壊後は団体旅行(特に会社の慰安旅行)の減少、レジャーの多様化、円高に伴う海外旅行の一般化などの構造的要因もあって温泉街全体が経営的に一層苦しくなっている中、鬼怒川温泉も例外ではない。むしろ熱海温泉別府温泉と並んで不振の代表格とされたことすらあった。さらに、同じ東京近郊立地の温泉地である箱根温泉に比べると、アクセスがやや不利で、集客にハンディがあった。また、東北新幹線の拡充・延伸や航空運賃の低下に伴う東北北海道など北日本各地の観光地・温泉地との地域間競合、円高やLCCの出現による観光客の海外流出(中京関西といった遠方からだと日光・鬼怒川に行くよりもむしろ海外に行く方が安い場合が多い)も不振に繋がる要因であった。

団体客相手を中心にした設備のままでの経営や硬直的で割高な料金設定(ホテル・民宿でほぼすべて同じ料金に設定していた時期もある)を後々まで続けていたことなども不振を促進させた理由であることは否めない。将来のリピーターとなる可能性のある一人旅の人や若年層の観光促進の問題などを勘案すると、先行きはまだまだ不透明である。

現状[編集]

鬼怒川の渓谷沿いに大型のリゾートホテル・旅館が連なるようになったのは高度経済成長期以降である。多くの地場資本による宿泊施設のメインバンクである足利銀行は、融資拡大路線と相まってバブル期に宿泊施設の増築・改装といった設備投資に対して積極的に融資を行った。バブル崩壊後は越冬資金(売上が減少する冬季の運転資金)融資を引き受け、返済困難な既存借入を新規融資で肩代わりし借換えさせる(自転車操業)策により、殆どの宿泊施設は宿泊客が年々減少する平成不況下でも経営支援として延命されてきた。

しかし2003年11月に足利銀行は経営破綻し預金保険機構が一時国有化。融資基準が厳格化され、不良債権が認められた貸出先については新規融資が困難となり、あさやホテルのようにバブル期の設備投資による過剰な融資が集中した鬼怒川温泉界隈で資金繰りの悪化が懸念された。その後不良債権の多くは整理回収機構へ債権譲渡され、取立や資金繰りに屈した事業者が2005年前後に相次いで倒産した。また、あさやホテルをはじめとした5社(同じ日光国立公園内では他に3社)については産業再生機構に支援入りし、債権放棄を受け経営再建を果たすことになった。
これらの施設は金融支援のうえ経営会社の株式(経営権)や不動産が企業再生ファンドに買い叩かれたことで財務基盤が身軽であり、設備のリニューアルや低価格を武器に集客を図っている。その一方、倒産して買い手がつかないリゾートホテルは解体されず放置され、廃墟となっている[2]

2006年3月に「きぬがわ」・「スペーシアきぬがわ」新宿駅大宮駅鬼怒川温泉駅間で直通運転を開始し、東京の奥座敷では伊豆箱根方面が交通至便である西東京東京都区部からの集客に寄与することになった。なお、1995年に関東バス東武バス日光が新宿駅〜日光・鬼怒川温泉間の高速路線バスを開設したが1998年3月に撤退している。また、2006年11月を以てウェスタン村が休園(事実上の閉園)した。

2009年に世界金融危機の影響を受け、鬼怒川観光ホテルと鬼怒川ホテルニュー塩原を経営するホテルニュー塩原グループが自主再建を断念し、新旧分離を実施(2011年特別清算)した。

2011年は東日本大震災福島第一原子力発電所事故による放射能汚染の懸念(風評被害)から日帰りを含め観光客が激減。TEPCO鬼怒川ランドが閉園、それまで不良債権問題を免れ自主経営を続けてきた中小の民宿・旅館や店舗の廃業が相次ぎ、日光猿軍団も2013年12月末で解散となった(2014年10月に記念館として営業再開)。

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b "地域再生・鬼怒川温泉" - 下野新聞(2009年7月1日付)
  2. ^ 逢阪 (2014年11月7日). “鬼怒川温泉の廃墟 (栃木県日光市)”. 2014年11月9日閲覧。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]