豊ノ島大樹
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場所入りする豊ノ島関 | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 豊ノ島 大樹 | |||
本名 | 梶原 大樹 | |||
愛称 | カジ | |||
生年月日 | 1983年6月26日(40歳) | |||
出身 | 高知県宿毛市 | |||
身長 | 169cm | |||
体重 | 146kg | |||
所属部屋 | 時津風部屋 | |||
得意技 | 左四つ、下手投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 東関脇 | |||
最高位 | 東関脇 | |||
生涯戦歴 | 433勝356敗22休(62場所) | |||
幕内戦歴 | 314勝309敗22休(43場所) | |||
優勝 |
十両優勝2回 序二段優勝1回 序ノ口優勝1回 | |||
賞 |
殊勲賞2回 敢闘賞3回 技能賞4回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2002年1月場所 | |||
入幕 | 2004年9月場所 | |||
趣味 | 音楽鑑賞 | |||
備考 | ||||
金星1個(白鵬1個) | ||||
2012年5月22日現在 |
豊ノ島 大樹(とよのしま だいき、1983年6月26日 [1]-)は、高知県宿毛市出身で時津風部屋所属の現役大相撲力士。本名は梶原大樹(かじわら だいき)、愛称はカジ。身長169cm、体重146kg、血液型はA型、星座は蟹座。得意技は左四つ、寄り、下手投げ。明るい性格。趣味は音楽鑑賞、カラオケ、釣り、ボウリングと多種多様である。最高位は東関脇(2012年5月場所)。
座右の銘は「三年先の稽古」。小学生のときに相撲を教わった恩師の言葉だという。その言葉は自身のブログのタイトルにもなっている。また、自身と同じブログ力士である、雅山、普天王(現・稲川)らとも仲が良い。下戸であり酒は飲めない。
来歴
豆腐店の長男で小学校1~3年生まではサッカーをやっていた。1998年片島中学校3年生のとき、全国都道府県中学相撲大会で個人・団体優勝。2001年宮城国体では、県少年選抜チームの1人として相撲競技の団体優勝に貢献。父親の知人が時津風部屋の後援会長をしていた縁もあり、宿毛高校を卒業後に同部屋に入門。なお、宿毛高校相撲部時代の恩師は土佐ノ海(現立川)の弟にあたる。琴奨菊とは中学時代からのライバルであり親友でもある。
2004年5月場所に新十両となり、第二検査受検合格者での初の関取に昇進した。同年9月場所に新入幕。2005年7月場所には十両に陥落したが、同年9月場所では西十両筆頭で14勝1敗と自身初の十両優勝を果たした。だが新入幕を果たしてからしばらくの間は、なかなか大勝ちできずに幕内下位でくすぶっていた。
転機となったのは2007年1月場所で、14日目に敗れるまで横綱・朝青龍を1敗差で追いかけ優勝争いを演じ、最終的に12勝3敗という優勝次点の成績を収めた。11日目には春日王の小手投げをこらえて豪快な外掛けを決め、千秋楽でも関脇・琴光喜を下し、多彩な技が評価され敢闘賞・技能賞を初めて受賞した。続く3月場所には自己最高位の西前頭筆頭にまで躍進し、その場所でも2大関を破る活躍で8勝7敗と勝ち越した。そして翌5月場所では新三役となる小結への昇進を果たした。これもまた第二検査合格者としては初の快挙である。
しかし、2007年4月30日、時津風部屋へ出稽古に出向いてきた朝青龍との稽古中に、右膝と足首の靱帯を損傷する怪我を負った。豊ノ島は全治2週間と診断され、朝青龍には大きな批判が寄せられたが、豊ノ島自身は公式ブログ上で「稽古中の事故」としている。5月9日には時津風親方(元小結・双津竜)が休場の可能性を示唆したが、10日には怪我が完治していないものの強行出場することを明らかにした。その初日に朝青龍との取り組みが組まれたが、立合いからすぐに豊ノ島が腰から落ちて負けてしまった。結局その場所では豊ノ島は4勝11敗と大きく負け越してしまった。翌7月場所は怪我が完治していない中で出場したが、この場所でも7勝8敗と負け越した。
2007年9月場所では横綱・白鵬から初の金星を挙げ(白鵬が初めて配給した金星でもあった)、さらに琴欧洲・琴光喜の2大関を破って勝ち越し、自身初となる殊勲賞を受賞した。しかし、この場所の直後に時津風部屋力士暴行死事件が発覚し、自身のブログの更新をそれ以降自粛している。
2008年1月場所と続く3月場所ではいずれも6勝9敗の成績に終わった。一時期は147kgと身長に比べると体重が増え過ぎてしまい、さすがに廻しが取れなかったりする弊害が出てきたため、体重を142kgまで絞った同年5月場所では11勝4敗の成績を挙げた。それでもまだ腰にかかる負担が多かったのか、西小結で迎えた翌7月場所では腰にM字型のテーピングをしながらの出場となったが、初日にいきなり土俵際の捨て身の投げで朝青龍を破ると、3日目には先場所優勝の琴欧洲に完勝するなど存在感を示し、10勝5敗と三役では初となる勝ち越しを果たし、翌9月場所では関脇への昇進を果たした。時津風部屋からの関脇は蔵間以来30年ぶりの快挙だったが、この場所では6勝9敗と負け越し、翌11月場所に平幕へと陥落した。
2009年1月場所は西小結に復帰したが、7日目の魁皇(現浅香山)戦で小手投げで敗れた際に左肘を負傷して中日より途中休場、自身初の休場となった。その後数場所は幕内中位であまり芳しい成績は収められなかったが、2009年11月場所において11勝4敗の成績を挙げて2回目の技能賞を獲得した。
2010年1月場所では東前頭筆頭の位置で8勝7敗と勝ち越した。把瑠都を除いた関脇・小結が総じて負け越したため、翌3月場所では小結を飛び越して関脇へ復帰した。同年5月9日には、リングアナウンサーの竹内沙帆との婚約を発表した(2011年2月に結婚、同年10月に披露宴を行った)。しかし、同年6月に発覚した大相撲野球賭博問題に関与したという理由により、謹慎処分を受けて同年7月場所を全休し、翌9月場所では十両へと陥落してしまった。なお、大相撲野球賭博問題に関しては、本人は2011年3月3日に賭博開帳図利容疑で書類送検されている[2]。
西十両筆頭の位置で迎えた2010年9月場所では、幕内経験を生かした圧倒的な強さを見せ付けて14勝1敗の成績を挙げて2回目の十両優勝を果たした。再入幕となった翌11月場所では3日目に旭天鵬に敗れた以外は連勝を続け、把瑠都・魁皇の2大関も破る活躍で千秋楽まで優勝争いを演じ、優勝決定戦で横綱・白鵬に敗れはしたものの14勝1敗の成績を挙げて3回目の敢闘賞と3回目の技能賞を同時に受賞した。
しかし、2010年11月場所における関脇・栃煌山と鶴竜が揃って7勝8敗で小結に下がり、また小結・栃ノ心と阿覧が平幕に陥落したものの、東前頭筆頭の稀勢の里と西前頭筆頭の琴奨菊が関脇に上がったため、2011年1月場所では三役への昇進を果たせずに東前頭筆頭の位置に留められた。平幕で14勝以上しながら翌場所で平幕に留められるのは史上初のこととなった。この場所では初日に大関・把瑠都を破った後、2日目から7連敗を喫したが、その後は一転して7連勝を果たして勝ち越しを決めた。小結に復帰した同年5月技量審査場所では5勝10敗と振るわなかったものの、大相撲八百長問題により多数の力士が引退した影響もあり、翌7月場所では西前頭2枚目とわずかな番付の降下に留まった。その7月場所では9勝6敗と勝ち越し、小結に復帰した翌9月場所では9日目まで1勝7敗と振るわなかったものの、またもそこから一転して7連勝を果たして勝ち越しを決めた。前場所と同じ東小結の位置に留め置かれた翌11月場所でも9勝6敗と勝ち越しを果たした。
関脇へ復帰した2012年1月場所では5勝10敗と大敗してしまい、翌3月場所では平幕へと陥落してしまったが、その場所で11勝4敗の好成績を挙げて4回目の技能賞を受賞し、翌5月場所に1場所で関脇に復帰した。その5月場所では9日目に白鵬を2009年9月場所以来久々に破ったものの、取組が組まれなかった琴欧洲以外の5大関には全く勝利できず、最終的には7勝8敗と負け越した。
2011年4月、同じ時津風部屋の霜鳳が大相撲八百長問題に関与したという理由により引退勧告を受けて引退したため、それまで霜鳳が所有していた年寄・錦島の年寄名跡を譲られた。
略歴
- 初土俵:2002年1月場所
- 新十両:2004年5月場所
- 新入幕:2004年9月場所
- 新小結:2007年5月場所
- 新関脇:2008年9月場所
取り口
強靭な下半身と多彩な得意技が持ち味である。相手の懐に潜り込みもろ差しの形になるのも上手い。最近では体重が増え、前に出る圧力にも磨きがかかってきた。小さい体であるにもかかわらずまともに胸を出すような立合いをするので、解説者などからはたびたび改善を求められている。
エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 2007年3月場所初日に、身長が約35cmも高い角界最長身の大関・琴欧洲を豪快な下手投げで破った。十両時代に琴欧州(当時)を破ったときも決まり手は下手投げであり、ほぼその時のイメージどおりに倒せたと語っている。豊ノ島は琴欧洲の巨大ぶりを『風の谷のナウシカ』に登場する「巨神兵」に喩えている。ちなみに琴欧洲とは新十両も新入幕も同じ場所での昇進である。
- サッカー選手の佐藤勇人・佐藤寿人兄弟と親交が深い。
- 2008年6月2日に放送されたフジテレビ『ジャンクSPORTS』に、中学時代からのライバルで友人の琴奨菊と共に出演した。番組内では「歌がうまい」と自ら称して、いっこく堂やビートたけし、木村拓哉などの物真似を披露した。
主な成績
2012年5月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:433勝356敗22休(62場所)
- 幕内成績:314勝309敗22休(43場所)
- 三役在位:10場所(関脇4場所、小結6場所)
各段優勝
三賞・金星
- 三賞:9回
- 殊勲賞2回(2007年9月場所、2008年7月場所)
- 敢闘賞3回(2007年1月場所、2008年5月場所、2010年11月場所)
- 技能賞4回(2007年1月場所、2009年11月場所、2010年11月場所、2012年3月場所)
- 金星:1個
- 白鵬1個(2007年9月場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2002年 (平成14年) | (前相撲) | 西序ノ口32枚目 優勝 7–0 | 西序二段26枚目 優勝 7–0 | 東三段目30枚目 5–2 | 東三段目5枚目 3–4 | 東三段目17枚目 4–3 |
2003年 (平成15年) | 西三段目6枚目 7–0 | 西幕下10枚目 2–5 | 西幕下27枚目 3–4 | 東幕下34枚目 5–2 | 西幕下21枚目 4–3 | 東幕下17枚目 5–2 |
2004年 (平成16年) | 西幕下7枚目 4–3 | 西幕下4枚目 5–2 | 西十両13枚目 11–4 | 東十両4枚目 11–4 | 西前頭15枚目 6–9 | 東十両筆頭 8–7 |
2005年 (平成17年) | 東前頭17枚目 8–7 | 東前頭13枚目 7–8 | 西前頭13枚目 6–9 | 東前頭16枚目 6–9 | 西十両筆頭 優勝 14–1 | 東前頭8枚目 7–8 |
2006年 (平成18年) | 西前頭9枚目 7–8 | 西前頭10枚目 6–9 | 東前頭13枚目 8–7 | 東前頭11枚目 9–6 | 西前頭6枚目 4–11 | 西前頭10枚目 8–7 |
2007年 (平成19年) | 西前頭9枚目 12–3 技敢 | 西前頭筆頭 8–7 | 東小結 4–11 | 西前頭4枚目 7–8 | 東前頭5枚目 8–7 殊★ | 東前頭4枚目 9–6 |
2008年 (平成20年) | 東前頭2枚目 6–9 | 西前頭3枚目 6–9 | 西前頭5枚目 11–4 敢 | 西小結 10–5 殊 | 西関脇 6–9 | 東前頭筆頭 9–6 |
2009年 (平成21年) | 西小結 2–6–7[3] | 西前頭6枚目 8–7 | 西前頭3枚目 5–10 | 東前頭7枚目 8–7 | 東前頭4枚目 7–8 | 東前頭5枚目 11–4 技 |
2010年 (平成22年) | 東前頭筆頭 8–7 | 西関脇 6–9 | 東前頭筆頭 5–10 | 東前頭5枚目 出場停止 0–0–15 | 西十両筆頭 優勝 14–1 | 西前頭9枚目 14–1[4] 敢技 |
2011年 (平成23年) | 東前頭筆頭 8–7 |
八百長問題 により中止 | 西小結 5–10 | 西前頭2枚目 9–6 | 東小結 8–7 | 東小結 9–6 |
2012年 (平成24年) | 西関脇 5–10 | 東前頭4枚目 11–4 技 |
東関脇 7–8 | |||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 梶原 大樹(かじわら だいき)2002年1月場所 - 2002年5月場所
- 豊ノ島 大樹(とよのしま - )2002年7月場所 -