シャダイカグラ
シャダイカグラ | ||||||||||||
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欧字表記 | Shadai Kagura[1] | |||||||||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||||||||
性別 | 牝[1] | |||||||||||
毛色 | 栗毛[1] | |||||||||||
生誕 | 1986年3月23日[1] | |||||||||||
死没 |
2005年4月4日 (19歳没・旧20歳) | |||||||||||
父 | リアルシャダイ[1] | |||||||||||
母 | ミリーバード[1] | |||||||||||
母の父 | ファバージ[1] | |||||||||||
生国 | 日本(北海道門別町)[1] | |||||||||||
生産者 | 野島牧場[1] | |||||||||||
馬主 | 米田茂[1] | |||||||||||
調教師 | 伊藤雄二(栗東)[1] | |||||||||||
競走成績 | ||||||||||||
タイトル | JRA賞最優秀4歳牝馬(1989年)[1] | |||||||||||
生涯成績 | 11戦7勝[1] | |||||||||||
獲得賞金 | 2億3236万9000円[1] | |||||||||||
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シャダイカグラ[1]は、日本の競走馬、繁殖牝馬。おもな勝ち鞍は1989年の桜花賞、ローズステークス、ペガサスステークス。同年のJRA賞最優秀4歳牝馬を受賞。主戦騎手は武豊。武に初の牝馬クラシック優勝をもたらし、「ユタカの恋人」とも呼ばれた[2]。
経歴
1986年、北海道門別町の野島牧場で生まれる。父は後にリーディングサイアーを獲得するリアルシャダイ。母ミリーバードは中央競馬で3勝を挙げている。両馬は調教師の伊藤雄二の考案で交配が行われた[3]。幼駒の頃からしっかりとした身体を備え、また人間に対しては利口な性格ながら、仲間の馬に対しては強い闘争心を見せ、早くより将来を嘱望された[3]。
その後、伊藤と親交のあった米田茂に800万円で購買され、競走年齢に達した1988年5月、「シャダイカグラ」と命名されて伊藤雄二厩舎に入った。馬名「シャダイ」は父名の一部、「カグラ」は1969年の桜花賞にも出走した米田の初所有馬・ミスカグラにあやかったものである[2][注 1]。
戦績
6月13日、札幌競馬場の新馬戦で、柴田政人を鞍上に初出走を迎える。初戦は太め残りの馬体もあって2着に終わったが、20kg減で臨んだ 2戦目で初勝利を挙げる。その後骨膜炎(ソエ)を発症して休養、復帰緒戦の条件戦から、デビュー3年目の武豊を鞍上に迎えた。この競走で2勝目を挙げると、続く京都3歳ステークスでは、この次走で関西の3歳王者となるラッキーゲランに4馬身差を付けて勝利した。次走のラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスで重賞に初出走、当日は1番人気の支持を受けたが、逃げたタニノターゲットをクビ差捉えきれず、2着と敗れた。
翌4歳シーズンはエルフィンステークスから始動、2着ライトカラーに5馬身差を付けて圧勝する。続くペガサスステークスも連勝し、重賞を初制覇。本命馬として牝馬クラシック初戦・桜花賞に臨んだ。
第49回桜花賞
4歳以降は出走2戦でいずれも単枠指定を受け、桜花賞でも同様の措置が取られた。しかし競走2日前の発走枠順抽選において陣営は大外枠の8枠を引き、単枠指定馬の規定により、シャダイカグラは自動的に出走大外となる18番に振り分けられた。桜花賞が行われる阪神競馬場の芝1600mは、そのコース形態から外枠は圧倒的不利とされており、特に大外は「最内と比べて0.5秒は不利」と言われていた[4][注 2]。それでも桜花賞当日は単勝2.2倍の1番人気に支持されたが、発走前から激しい焦れ込みを見せる。迎えたレースでは、スタートで出遅れ、最後方からの運びとなった。しかし武は後方のままシャダイカグラを最内まで移動させると、道中で埒沿いの最短距離を通りながら先団に進出、最終コーナーでは先頭から5、6馬身の位置に付けた。最後の直線では抜け出したホクトビーナスを急追、ゴール直前で同馬をアタマ差交わし、大外、出遅れの不利を克服しての優勝を果たした。武の冷静沈着な騎乗は高い評価を受け、「武は大外の不利を帳消しにするため、わざと出遅れた」との風評も広まった(#桜花賞の出遅れについて)。
優勝後、馬名から当時「シャダイ」の冠名を入れていた社台ファームに勘違いで優勝祝いの花が届いたというエピソードがある。
引退まで
次走はクラシック二冠を目指し優駿牝馬(オークス)に出走。直線で一旦抜け出したものの、シャダイカグラを終始マークしたライトカラーとの競り合いに敗れ、2着に終わった。
夏は休養に充て、秋はローズステークスで復帰。これに勝利すると、次走・エリザベス女王杯をもっての引退・繁殖入りが発表される。以後女王杯に向けての調教が積まれていたが、この頃より両前脚にバンテージが巻かれていたことから、脚部に不安を抱え始め、強い調教ができない状態となっていた[5]。しかし陣営は女王杯出走を強行、不安説も流れたが、当日は1番人気に支持された。しかしレース中の第3コーナーでバランスを崩すと、そのまま馬群から置かれていき、ゴール前では右前脚を引きずりながら大差の最下位で入線。競走後に右前脚の繋靱帯断裂が判明し、伊藤は「大丈夫と思って使ったが、こんな結果になってしまいファンに申し訳ない」と謝罪した[5]。
怪我は重傷であったが予後不良による安楽死は免れ、当初の予定通りそのまま引退。故郷・野島牧場で繁殖入りした。
全成績
以下の内容は、netkeiba.com[6]およびJBISサーチ[7]に基づく。
年月日 | レース名 | 格 | 頭数 | 枠番 | 馬番 | オッズ (人気) |
着順 | 距離(状態) | タイム | 着差 | 騎手 | 斤量 (kg) |
勝ち馬/(2着馬) | |||
1988 | 6. | 19 | 札幌 | 新馬 | 7 | 4 | 4 | 6.1(4人) | 2着 | ダ1000m(重) | 1:00.1 | 1.2秒 | 柴田政人 | 53 | マツスイフト | |
7. | 3 | 札幌 | 新馬 | 5 | 4 | 4 | 1.1(1人) | 1着 | ダ1000m(良) | 1:02.1 | 1/2身 | 柴田政人 | 53 | (スーパーワン) | ||
10. | 22 | 京都 | りんどう賞 | 500 | 10 | 3 | 3 | 5.7(3人) | 1着 | 芝1400m(稍) | 1:24.8 | 3/4身 | 武豊 | 53 | (ミスジュニヤス) | |
11. | 26 | 京都 | 京都3歳ステークス | OP | 10 | 5 | 5 | 3.2(1人) | 1着 | 芝1600m(良) | 1:37.8 | 4身 | 武豊 | 54 | (ラッキーゲラン) | |
12. | 11 | 阪神 | 3歳牝馬ステークス(西) | GIII | 11 | 6 | 6 | 1.6(1人) | 2着 | 芝1600m(良) | 1:36.1 | 0.0秒 | 武豊 | 53 | タニノターゲット | |
1989 | 2. | 5 | 京都 | エルフィンステークス | OP | 9 | 1 | 1 | 1.6(1人) | 1着 | 芝1600m(良) | 1:36.2 | 5身 | 武豊 | 55 | (ライトカラー) |
3. | 5 | 阪神 | ペガサスステークス | GIII | 14 | 5 | 9 | 2.2(1人) | 1着 | 芝1600m(重) | 1:37.5 | 1 1/2身 | 武豊 | 54 | (ナルシスノワール) | |
4. | 9 | 阪神 | 桜花賞 | GI | 18 | 8 | 18 | 2.2(1人) | 1着 | 芝1600m(稍) | 1:37.5 | アタマ | 武豊 | 55 | (ホクトビーナス) | |
5. | 21 | 東京 | 優駿牝馬 | GI | 24 | 3 | 7 | 1.8(1人) | 2着 | 芝2400m(稍) | 2:29.0 | 0.0秒 | 武豊 | 55 | ライトカラー | |
10. | 22 | 京都 | ローズステークス | GII | 10 | 8 | 10 | 1.6(1人) | 1着 | 芝2000m(稍) | 2:01.5 | 1 1/2身 | 武豊 | 55 | (シンエイロータス) | |
11. | 12 | 京都 | エリザベス女王杯 | GI | 20 | 8 | 20 | 2.2(1人) | 20着 | 芝2400m(良) | 2:36.4 | 7.6秒 | 武豊 | 55 | サンドピアリス |
- 枠番・馬番の太字は単枠指定を示す。内容はnetkeiba.comおよびJBISサーチのほか、日本中央競馬会『中央競馬全重賞競走成績 GI編』(1996年)[8]に基づく。
繁殖牝馬時代
繁殖牝馬としては、2番仔にエイブルカグラ(父ジェイドロバリー)を送り出した。同馬はデビュー戦でレコードタイムを記録し、3歳時から「クラシック最有力候補」と注目を集めたが、故障のため1戦のみで引退した。以後は仔出しが芳しくなく、全部で6頭の産駒を出産するに留まった。2002年より平取町のびらとり牧場に移動した後、2005年4月4日に同場において動脈瘤破裂を発症し死亡した[9]。
産駒一覧
生年 | 馬名 | 性 | 毛色 | 父 | 馬主 | 管理調教師 | 戦績 | 主な勝利競走 | 供用 | 出典 | |
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初仔 | 1991年 | カグラグレート | 牡 | 鹿毛 | ミスターシービー | 米田チヱ子 →蜂谷伊佐雄 |
栗東・伊藤雄二 →上山・柳沼幸男 |
3戦0勝 | [10] | ||
2番仔 | 1992年 | エイブルカグラ | 牝 | 栗毛 | ジェイドロバリー | 米田チヱ子 | 栗東・伊藤雄二 | 1戦1勝 | (繁殖牝馬) | [11] | |
3番仔 | 1994年 | ゴールドウインク | サクラユタカオー | 野島春男 | 栗東・田島良保 | (不出走) | (繁殖牝馬) | [12] | |||
4番仔 | 1999年 | メイショウカルメン | 鹿毛 | エアダブリン | 松本和子 | 栗東・伊藤雄二 | (不出走) | (繁殖牝馬) | [13] | ||
5番仔 | 2000年 | ジェイドカグラ | 牡 | 栗毛 | ジェイドロバリー | 小林肇 | 美浦・石毛善彦 | 1戦0勝 | [14] | ||
6番仔 | 2003年 | オプティマルマザー | 牝 | マーベラスサンデー | 稲原敬三 →(有)びらとり牧場 |
盛岡・櫻田勝男 →栗東・伊藤雄二 |
6戦3勝(うち地方2戦2勝) | [15] |
桜花賞の出遅れについて
前述の通り、桜花賞で大外枠・出遅れを克服して優勝した際、「武は意図的に出遅れた」との憶測が流れた。これについて武はしばらく明確な言及を避けていたため、騎乗の「伝説化」に拍車が掛かった。しかし後に江夏豊との対談において、「意図的じゃなく、本当の出遅れ。でも、言えなくなっちゃって」と述べ、「もしポンとスタートを切ってから下げたなら、もっと楽に勝っていたと思う」と語った[16]。
競走当日、シャダイカグラが激しく焦れ込む様子を見て、武は「良いスタートは切れないだろう」と予想を立てており、ゲート入りした時点で無理に先行させることを諦め、後方待機策を決めていた。こうした事前の覚悟が、出遅れからの冷静な騎乗に繋がったものであった[17]。
血統表
シャダイカグラの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ロベルト系 |
[§ 2] | ||
父 リアルシャダイ 1979 黒鹿毛 アメリカ |
父の父 Roberto 1969鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Bramalea | Nashua | |||
Rarelea | ||||
父の母 Desert Vixen 1970黒鹿毛 アメリカ |
In Reality | Intentionally | ||
My Dear Girl | ||||
Desert Trial | Moslem Chief | |||
Scotch Verdict | ||||
母 ミリーバード 1976 栗毛 日本 |
*ファバージ Faberge 1961 鹿毛 フランス |
Princely Gift | Nasrullah | |
Blanche | ||||
Spring Offensive | Charles o'Malley | |||
Wild Arum | ||||
母の母 *ラバテラLavatera 1970 栗毛 アイルランド |
Le Haar | Roi Herode | ||
Vahren | ||||
Begonia | Sundridge | |||
Americus Girl | ||||
母系(F-No.) | ラバテラ系(FN:16-a) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nasrullah 5×4 | [§ 4] | ||
出典 |
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- 半妹タイセイカグラ(父モーニングフローリック)の産駒にオースミブライト(神戸新聞杯、京成杯)、オースミコスモ(関屋記念、中山牝馬ステークス、福島牝馬ステークス)、タイセイカグラの曾孫にストレイトガール(ヴィクトリアマイル、スプリンターズステークス)がいる。
- 祖母ラバテラの産駒にカシマウイング(GII3勝)がいる。
出典・脚注
脚注
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “シャダイカグラ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
- ^ a b 『優駿』1993年7月号 p.64
- ^ a b 『優駿』1993年7月号 p.65
- ^ 『優駿』1993年7月号 p.66
- ^ a b 『優駿』1993年7月号 p.68
- ^ “シャダイカグラの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月29日閲覧。
- ^ “シャダイカグラ 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
- ^ 『中央競馬全重賞競走成績集 GI編』日本中央競馬会、1996年。 392-393、492-493、530-531頁。
- ^ “桜花賞馬、シャダイカグラが死亡”. netkeiba.com. 2022年3月12日閲覧。
- ^ “カグラグレート”. JBISサーチ. 2019年8月29日閲覧。
- ^ “エイブルカグラ”. JBISサーチ. 2019年8月29日閲覧。
- ^ “ゴールドウインク”. JBISサーチ. 2019年8月29日閲覧。
- ^ “メイショウカルメン”. JBISサーチ. 2019年8月29日閲覧。
- ^ “ジェイドカグラ”. JBISサーチ. 2019年8月29日閲覧。
- ^ “オプティカルマザー”. JBISサーチ. 2019年8月29日閲覧。
- ^ 『武豊対談集』 p.116
- ^ 島田 (1997) pp.47-49
- ^ 平出貴昭 (2014年9月17日). “『覚えておきたい日本の牝系100』収録の全牝系一覧”. 競馬“血統”人生/平出貴昭. 2019年6月17日閲覧。
参考文献
- 島田明宏『「武豊」の瞬間 - 希代の天才騎手10年の歩み』(集英社、1997年)
- 武豊、島田明宏『頂上を駆ける - 武豊対談集』(ザ・マサダ、2000年)
- 横尾一彦「桜下に舞う - シャダイカグラ」(『優駿』1993年7月号〈日本中央競馬会、1993年〉所収)
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビJBISサーチ
- シャダイカグラ - 競走馬のふるさと案内所