月刊少年キャプテン

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月刊少年キャプテン』(げっかんしょうねんキャプテン)は、徳間書店1985年1月から1997年1月(同年2月号)まで刊行していた少年漫画雑誌である。

概要[編集]

月刊コミコミ』(白泉社)、『月刊コミックNORA』(学習研究社)、『月刊コミックコンプ』(角川書店)等と共にマニア系雑誌の先駆けだった。

初期から少年誌という枠組みに捉われない自由な編集方針で、高屋良樹増田晴彦あさりよしとおなど、当時『レモンピープル』などの美少女雑誌やマニア誌で活躍していた漫画家を積極的に招いていた。後期でも成人向け漫画など他誌・他ジャンルから陽気婢がぁさんらをスカウトした。新人作家では星里もちる[1]永野のりこ来留間慎一田丸浩史西川魯介らをデビューさせている。なお、当初は高屋、増田をはじめ、他誌とは異なるペンネームで執筆する例が多かった。

初期には「少年向け」を意識してスポーツ漫画なども掲載されていた。執筆陣が充実するに従ってラブコメホームコメディファンタジーからヒーローアクションまで、多彩なジャンル、ラインナップを擁する雑誌となった。1993年頃からは次第にメディアミックス色が強くなったが、石川賢の『ゲッターロボ號』や 田丸浩史の『超兄貴』など、オリジナルとは大きく異なる、かけ離れた独自色の強い作品も少なくなかった。一方で本誌オリジナルの作品も引き続き掲載され、末期に部数が低迷した時期にはまさに無法地帯と呼べる状態だった。『頑丈人間スパルタカス』の安永航一郎は単行本の後書きで「かなり自由に描かせてもらった」と述べている。実際、『スパルタカス』はカラーページで乳首を見せびらかすヒロインや、ヌード・フェンシング、まわしレス相撲など、おおよそ少年向けとは思えぬ下ネタが連発されていた。

増刊号として『ヤング・キャプテン』(1988年)及び『コミック鉄人』(1994年 - 1995年)が発行されていた。

惜しまれつつ休刊(事実上の廃刊)となったが、廃刊後に本誌の人気作だった高屋良樹の『強殖装甲ガイバー道原かつみの『銀河英雄伝説』(原作は田中芳樹)は掲載誌を変えて連載継続となったり、島本和彦の『逆境ナイン』が実写映画化されるなど掲載作品の評価は高い。

休刊の顛末[編集]

本誌は1997年2月号を最後に、突如休刊した。末期に雑誌自体の売り上げが落ち込んでいた時期も単行本の売れ行きは良く、「普通の掲載作でも雑誌と同数程度、人気作ならば10倍程度」と当時の編集者は語っている。本誌が言わば「単行本の見本誌」状態になって売り上げ部数が落ち込んでいた点も、休刊に踏み切った要因のひとつである。しかし、最終号には休刊の告知も挨拶も一切掲載されておらず、一方で次号予告がごく普通に掲載されているなど、休刊の決定が突然だったと窺わせた。

休刊は執筆陣にとっても唐突だった。がぁさんは『たいむskipラン♪』の後書きで、「1996年12月、そろそろ次号の打ち合わせという頃に、突然、編集さんから電話で(パニックに陥った編集部の喧噪と共に)休刊を告げられた」、「休刊の決定は編集長にすら知らされておらず、『せめてあと1冊(休刊号)』の願いも虚しく、編集部は解散させられた」と証言している。あさりよしとおも後に『ヤングアニマル』誌上で、「10年以上1度も休まず続けていた連載が、一瞬にして終わった」と述懐している。

他の連載作品でも、休刊号で何らかの結末や区切りが描かれた作品は皆無であり、全連載が打ち切り・未完となった。

休刊後、いくつかの人気連載は他誌に移籍または再開し、単行本の形で完結した作品もあった。長谷川裕一高屋良樹菅野博士西川魯介田丸浩史など多くの漫画家が『月刊少年エース』へ活躍の場を移した他、様々な媒体で執筆を続けている漫画家は数多い。かつての連載作品もたびたび復刊、リバイバルされている。

主な掲載作品[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 既に他誌でデビューしていたがメジャーデビュー前。掲載誌変更となった「いきばた主夫ランブル」が小学館編集者の目に止まりビッグコミックスピリッツで出世作となる「りびんぐゲーム」を連載し、メジャー作家の仲間入りを果たした。以後は小学館系青年誌での連載がメインとなる。
  2. ^ GIVE ME(くれくれ)たまちゃん! - マンガ図書館Z(外部リンク)
  3. ^ イーグルドライバー - マンガ図書館Z(外部リンク)