宮崎大輔

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本来の表記は「宮﨑大輔」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

宮﨑 大輔(みやざき だいすけ、1981年6月6日 - )は日本のプロハンドボール選手。現在、大阪経済大学人間科学部客員教授

日本リーグの大崎オーソルに所属。身長:173cm、体重:75kg、血液型:A。名字の「崎」は正確には「奇」の上の部分が「大」ではなく「立」。メディア活動においてはベンヌ所属。ケイダッシュグループのアワーソングスクリエイティブと業務提携している。

人物[編集]

大分県大分市出身。市立明野北小3年のころから姉の影響でハンドボールを始める。市立明野中を経てハンドボールの名門、大分電波高校に進み、卒業後、大学界の伝統校日本体育大学に進学。大学2年時のインカレでチームを2年連続16回目の優勝に導きインカレMVPを獲得。2001年から約2年間日体大を休学し、協会派遣によりスペインのグラノジェルスに練習生として留学。その後、日体大に復学し、大学選手権で活躍。大学4年時に大学を中退し、大崎電気へ入団。2009年再予選でそれまでに感じていた世界の壁を感じ4月に大崎電気との3年契約が終了したことにより慰留されるも退団。スペインリーグ1部のアルコベンダスの入団テストに合格し契約。8月にはチームに合流した。言葉が通じないなかで自ら課した100得点を超えるなど実績を残す中、残留も可能であったが、オリンピック出場という夢の実現のために日本に戻り大崎電気で遣り残したという四冠を目指している。

ポジションは左45からセンター。比較的小柄な体格にもかかわらず、垂直跳び84cm[1]という跳躍力を武器に実業団の日本リーグ全日本で活躍。また、シュートだけでなくパスセンスも抜群で、難しいノールックパスも苦もなくこなす。

可能性を広めるために他のスポーツからも技術を貪欲に吸収する姿勢もみられ、ジャンプ力を高めるためにバレーボールの両足ジャンプを取り入れたり、バスケットのジグザグドリブルなど、他のスポーツからの技術吸収も積極的である。ディフェンス抜きの技術を習得するため、日本IBMのアメフトチームと合同練習を行ったりしている。

ハンドボール界の広告塔を自認しており、チビリンピックのような若年層への普及、講演活動によるプレイヤーへの啓発、メディアへの露出によるハンドボールを知らない世代に向けたハンドボールの啓蒙など、ハンドボールのメジャー化に努めている。

競技以外での活躍[編集]

  • 2006年の「スポーツマンNo.1決定戦」に初出場。収録前には「ハンドボールをメジャーにしたい」という想いを語った。本戦ではモンスターボックス(跳び箱)19段の記録をマーク。最終種目ショットガンタッチでは13m10cmを記録し、5pt差の大逆転優勝。種目別NO.1無しでの総合No.1獲得は2009年現在宮崎しか記録していない。放送後にはハンドボールの観客が増加し、プレーオフの前売りチケットが史上初の完売。ハンドボールと自身の知名度を一気に上げることに成功した。
  • 2連覇をかけて挑んだ2007年は、最終種目まで暫定2位だったが、ショットガンタッチ12m00cmに終わり、総合4位となっている。
  • 2008年にはビーチフラッグス決勝で日本体育大学体操競技部出身の大先輩池谷直樹を破って自身初の種目別No.1を獲得。モンスターボックスではプロスポーツマン記録タイとなる20段を記録。その他の種目でも安定した成績を収め、2位に大差をつけて王座奪還に成功。史上3人目、2度目の総合No.1に輝く。
  • 2009年スポーツマンNo.1決定戦史上初の総合No.1連覇。
  • 2009年、第28回ベスト・ファーザー賞(スポーツ部門)を受賞。
  • 2005年、3歳年上の女性と結婚。1女の父である。2009年7月、ハワイで結婚式を挙げた。
  • 恐妻家である。行列の出来る法律相談所での「第8回 気の毒な夫選手権」では夫婦で出演している(妻はサプライズゲストとしての出演)。
  • 左の二の腕にあるタトゥーはスペイン留学の前にハンドボールで生きていくという決意の元に入れたとのこと。

経歴[編集]

テレビ番組[編集]

関連情報[編集]

作品[編集]

DVD[編集]

  • 宮崎大輔 〜ハンドボールメジャー化宣言序章〜 2008年

書籍[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 虎のふなっしーだ!ドラ2横田、垂直跳び80センチ”. Sponichi Annex. 2014年4月19日閲覧。

外部リンク[編集]