宮崎大輔

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本来の表記は「宮﨑大輔」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
宮﨑 大輔
名前
本名 宮﨑 大輔
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-06-06) 1981年6月6日(36歳)
出身地 大分県大分市
身長 175cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム 大崎オーソル
ポジション レフトバック、センターバック
利き腕
クラブチーム
クラブ App (G)
2003-2009
2009-2010
2010-
大崎電機
スペインの旗CBアルコベンダス
大崎オーソル
代表歴
2003-  日本


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宮﨑 大輔(みやざき だいすけ、1981年6月6日 - )は、大分県大分市出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグ大崎オーソルに所属。大阪経済大学人間科学部客員教授

身長175cm[1]、体重75kg[1]血液型はA型。名字の「崎」は正確には「奇」の上の部分が「大」ではなく「立」。メディア活動においてはベンヌ所属。

経歴[編集]

大分県大分市出身。市立明野北小3年のころから元自衛官の姉の影響でハンドボールを始める。市立明野中を経てハンドボールの名門、大分電波高校に進み、高校では末松誠と同期だった。高校2年時にはインターハイで得点王となり、高校3年時には全国高等学校ハンドボール選抜大会とインターハイで得点王となった。

ハンドボールの伝統校である日本体育大学に進学。大学2年時のインカレではチームを2年連続16回目の優勝に導き、自身は最優秀選手となった。2001年から約2年間日本体育大学を休学し、日本ハンドボール協会からの派遣という形で、スペイン・リーガASOBALのグラノジェルスに練習生として留学。ポルトガルで開催された世界学生選手権では、ベストセブンと得点ランキング2位に輝いた。

その後、日本体育大学に復学し、大学選手権で活躍。大学4年時に大学を中退し、2003年に大崎電気へ入団。背番号は21番。第29回日本ハンドボールリーグでは最優秀殊勲賞、ベスト7、最優秀選手賞、新人王に輝いた。大崎電機では、日本ハンドボールリーグのオールスターゲームで優秀賞を2回受賞している。第45回全日本実業団選手権では新人賞を獲得した。

2003年には日本代表としてアテネオリンピックアジア予選に参加し、2005年1月には世界選手権に出場した。2007年9月には北京オリンピックアジア予選に参加したが、この大会では「中東の笛」が問題となった。2008年1月30日には北京オリピックアジア予選再試合に参加。5月30日から6月1日には北京オリンピック世界最終予選に参加。同年の第49回全日本実業団選手権では最優秀選手となった。

2009年の再予選では、それまでに感じていた世界の壁を感じ、4月に大崎電気との3年契約が終了したことにより、慰留されるも大崎電気を退団。スペインリーグ1部のCBアルコベンダスの入団テストに合格し契約。8月にはチームに合流した。目標に掲げた100得点をクリアした。

2010年6月には大崎オーソルに復帰。背番号は77番。7月の第51回全日本実業団選手権ではベスト7となった。2015年には日本代表としてリオデジャネイロオリンピックアジア予選に参加。

プレースタイル[編集]

ポジションは左45からセンター。比較的小柄な体格にもかかわらず、垂直跳び84cm[2]という跳躍力を武器に実業団の日本リーグ全日本で活躍。

可能性を広めるために他のスポーツからも技術を貪欲に吸収する姿勢もみられ、ジャンプ力を高めるためにバレーボールの両足ジャンプを取り入れたり、バスケットのジグザグドリブルなど、他のスポーツからの技術吸収も積極的である。ディフェンス抜きの技術を習得するため、日本IBMのアメフトチームと合同練習を行ったりしている。

ハンドボール界の広告塔を自認しており、チビリンピックのような若年層への普及、講演活動によるプレイヤーへの啓発、メディアへの露出によるハンドボールを知らない世代に向けたハンドボールの啓蒙など、ハンドボールのメジャー化に努めている。自身のDVDとして『宮崎大輔 〜ハンドボールメジャー化宣言序章〜』(2008年)があり、著書として『FLY HIGH! −宮崎大輔 もっと高く−』(2006年)ISBN 9784901524766が、写真集として『ALL ABOUT 宮崎大輔』(2008年)ISBN 9784575300406がある。

タレント活動[編集]

2014年5月31日放送の『炎の体育会TV』では走り幅跳びダリヤ・クリシナと対決。5m95cmを記録している。左の二の腕にあるタトゥーはスペイン留学の前にハンドボールで生きていくという決意の元に入れたとのこと。

2005年、3歳年上の女性と結婚。1女の父である。2009年7月、ハワイで結婚式を挙げた。恐妻家であり、行列のできる法律相談所での「第8回 気の毒な夫選手権」では夫婦で出演している(妻はサプライズゲストとしての出演)。2009年には第28回ベスト・ファーザー賞(スポーツ部門)を受賞。

2006年の「スポーツマンNo.1決定戦」に初出場して優勝。放送後にはハンドボールの観客が増加し、プレーオフの前売りチケットが史上初の完売。ハンドボールと自身の知名度を上げることに成功した。2連覇をかけて挑んだ2007年は総合4位となった。 2008年には史上3人目となる2度目の総合優勝。2009年には2連覇した。

テレビ番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b プロフィール”. ハンドボールメジャー化宣言!革命的プレーヤー『宮崎大輔』オフィシャルサイト. 2015年7月11日閲覧。
  2. ^ 虎のふなっしーだ!ドラ2横田、垂直跳び80センチ”. Sponichi Annex. 2014年4月19日閲覧。

外部リンク[編集]