嘉手納幼女強姦殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

嘉手納幼女強姦殺人事件(かでな ようじょごうかんさつじんじけん)とは、沖縄がアメリカの占領下にあった1955年昭和30年)9月に嘉手納村(当時)で発生した強姦殺人事件。

事件当時の沖縄ではアメリカ軍による土地の強制接収基地建設が本格化しており、アメリカ軍人による犯行が明らかとなったこの事件は沖縄での反米感情を高めた。また、この事件は沖縄におけるアメリカ軍による犯罪の代表例のひとつとして、現在の沖縄県民にも広く知られている。

事件の概要[編集]

1955年(昭和30年)9月4日、嘉手納村(現在の嘉手納町)の原野において、幼女の遺体が発見された。現場はアメリカ軍の通信基地に近く、発見者はアメリカ軍の軍人であった。遺体は強姦されており、また、下腹部から肛門にかけては刃物によって切り裂かれていた。

その後、死亡していたのは石川市(現在のうるま市)に住んでいた6歳の幼稚園児であったことが判明した。また、遺体には茶褐色の毛髪が付着していたことから外国人による犯行が疑われ、アメリカ軍の捜査機関と琉球警察による合同捜査が行われることとなった。

殺害された幼女はエイサー見物していたところを白人男性に連れ去られたとの目撃情報があり、アメリカ軍は慎重な捜査の後に容疑者の軍曹逮捕[いつ?]、同年9月9日に公表した。

沖縄住民の反応[編集]

アメリカ軍人による犯行が判明すると、琉球立法院(後の沖縄県議会)は、「鬼畜にも劣る残虐な行為」との抗議決議を行い、アメリカ軍に容疑者への厳罰を処すように求める声明を発表した。

また、逮捕発表翌日の同年9月10日には、沖縄・具志川村の農家宅に米兵が押し入って小学2年生の少女を拉致、強姦するという事件も発生した。

これら連続する事件を受けて、沖縄では全沖縄組織「子どもを守る会」が結成され、同年9月16日に石川市で開催された住民大会では、公正な裁判を求める声明を発表した[1]

裁判[編集]

アメリカ軍の軍法会議は1955年(昭和30年)12月6日、軍曹に死刑判決を言い渡した。その後、アメリカ本国で行われた第二審では無期懲役に減刑され、最終的には懲役45年が確定した。

脚注[編集]

  1. ^ 「子供を守る会は、1995年平成7年)に発生した少女暴行事件や、2008年(平成20年)の米兵強姦容疑事件においても、中心となって抗議活動を行っている

参考文献[編集]

  • 沖縄県警察史編さん委員会編『沖縄県警察史 第3巻(昭和後編)』2002年