南小谷駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
南小谷駅*
駅舎(2010年10月17日)
駅舎(2010年10月17日)
みなみおたり
Minami-Otari
**千国 (1.4km)
(4.0km) 中土**
長野県北安曇郡小谷村大字千国乙10356
所属事業者 JR logo (east).svg東日本旅客鉄道(JR東日本)
JR logo (west).svg西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 大糸線
キロ程 70.1km(松本起点)
電報略号 オタ←ヲタ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度-
121人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1935年昭和10年)11月29日[1]
備考 直営駅管理駅
みどりの窓口
標高:513.1m
* 会社境界駅(JR東日本の管轄駅)
** 千国方(電化区間) - JR東日本
** 中土方(非電化区間) - JR西日本
テンプレートを表示
南小谷駅の位置
南小谷駅の位置
南小谷駅の
位置
南小谷駅の位置

南小谷駅(みなみおたりえき)は、長野県北安曇郡小谷村大字千国乙にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)大糸線である。

概要[編集]

JR東日本が管轄する電化区間と、JR西日本が管轄する非電化区間との境界駅であり[2]直江津駅第三セクターに移管後、在来線ではJR東日本とJR西日本との唯一の境界駅[3]である。JR旅客会社の境界駅では唯一、行政組織に位置する。

JR東日本が構内施設の保有および駅業務を行っている。

歴史[編集]

1935年(昭和10年)11月29日、南小谷駅開業式に集う人々を姫川対岸より望む
1935年(昭和10年)11月開業当時の当駅。宅扱貨物の宣伝に努めた。
  • 1935年昭和10年)11月29日 - 国有鉄道大糸南線線の信濃森上駅 - 中土駅間が開通に伴い一般駅として開業する[1][4]
  • 1939年(昭和14年)
    • 4月21日 - 同日午前9時17分姫川右岸風張山が崩壊して、姫川を堰き止め同区間の鉄路埋没し、当駅 - 信濃森上駅間が不通となる[5]
    • 8月7日 - 4月21日の山腹崩壊により「当分ノ間」信濃森上駅 - 中土駅間の一般運輸営業を停止する[6]。但し、被災地域たる北安曇郡南小谷村、中土村及び北小谷村の要望により、宅扱貨物及び小口扱貨物による生活必需品の運送を同年11月30日まで自動車代行にて行う[5][6]
  • 1940年(昭和15年)
    • 1月19日 - 同日より再び生活必需品の冬季代行運送を馬橇にて実施する[7][5]
    • 11月1日 - 信濃森上駅 - 当駅間が開通し、信濃森上駅 - 中土駅において一般運輸営業を再開する[8]
  • 1945年(昭和20年)7月15日 - 水害により当駅 - 信濃森上駅間が同日から18日間、当駅 - 中土駅間は20日間不通となる[5]
  • 1947年(昭和22年)12月1日 - 当駅 - 信濃森上駅間に川内下仮乗降場が開業する[9]
  • 1948年(昭和23年)9月25日 - 当駅 - 信濃森上駅間の川内下仮乗降場が、白馬大池駅として開業する[10][9]
  • 1952年(昭和27年)7月1日 - 当駅 - 中土駅間において築堤が崩壊し、3ヶ月間不通となる[5]
  • 1957年(昭和32年)8月15日 - 中土駅 - 小滝駅間が開通して全線開通し、所属路線名を大糸線と改称する[1][11][9]
  • 1961年(昭和36年)12月23日 - 当駅 - 白馬大池駅間に千国崎仮乗降場が開業する[9]
  • 1962年(昭和37年)12月25日 - 当駅 - 白馬大池駅駅間の千国崎仮乗降場が、千国駅として開業する[12]。同時に当駅が千国駅の管理駅となる[13]
  • 1967年(昭和42年)
    • 5月19日 - 当駅 - 信濃森上駅間の電化に着工する[5]。総工費7億3千万円、工事担当は大阪電気工事局[5]
    • 10月1日 - 営業範囲を改正し、旅客、手荷物、小荷物及び小口扱貨物を取扱う駅となる[14]
    • 12月20日 - 当駅 - 信濃森上駅間の電化成り、新宿駅 - 信濃森上駅間の急行列車及び松本駅 - 信濃森上駅間の列車の一部を当駅まで延長する[15]。またこれに合せて、当駅駅舎の改築が竣工する[5]
  • 1968年(昭和43年)3月29日 - 当駅に中土方逸走防止乗越転轍機を設置する[5]
  • 1971年(昭和46年)
    • 1月30日 - 営業範囲を改正し、小口扱貨物の取扱を廃止して旅客駅となる[16]
    • 9月15日 - 営業範囲を改正し、手荷物及び小荷物の配達取扱を廃する[17]
  • 1973年(昭和48年)12月25日 - 当駅に小谷村村営観光案内所を設置する[5]
  • 1982年(昭和57年)11月15日 - 当駅への特別急行あずさ号の乗入れを開始する[5]
  • 1983年(昭和58年)
    • 3月25日 - 大糸線全線において列車集中制禦装置を導入し、白馬大池駅、中土駅及び北小谷駅が無人化されたため、当駅が白馬大池駅、中土駅及び北小谷駅の管理駅となる[5]
    • 7月5日 - 当駅に自動券売機を2台導入する[5]
    • 12月14日 - 当駅への特別急行しなの号の乗入れを開始する[5]
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃する[18]
  • 1985年(昭和60年)7月17日 - 当駅の自動券売機1台を撤去する[5]
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道・西日本旅客鉄道の駅となる[19][20][注釈 1]
  • 1995年平成7年)7月12日 - 同月11日からの大雨による土砂崩れや橋梁の崩壊により不通となる[22]
  • 1996年(平成8年)1月6日 - 先年7月以来未だ不通であった当駅 - 小滝駅間の復旧工事に着手する[23]
  • 1997年(平成9年)11月29日 - 当駅 - 小滝駅間の復旧工事が完了し、同区間において運輸営業を再開する[24]
  • 2006年(平成18年)1月14日 - 当駅 - 糸魚川駅間に雪崩の危険ありとして同日より同年3月9日まで同区間の運休を行う[25]
改築前の旧駅舎


駅構造[編集]

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅である[2]。糸魚川方面約600米の第一構内信号機以北は西日本旅客鉄道北陸広域鉄道部(旧:糸魚川地域鉄道部)の管轄下となっており[30]、東日本旅客鉄道と西日本旅客鉄道の社界を示す標柱が立てられている[13]。かつては同社界を越えて運行される列車の設定もあった[31][32]

駅舎は2010年(平成22年)8月に改装されたもので[26]、外側は蔵造り建築をモチーフとしたなまこ壁となっており[33]、待合室には畳敷きのスペースがある[33]。構内には売店がないが、駅前に食品等を取扱う商店が存在する[33]

JR東日本の駅としては直営駅であり、駅舎内にはJR東日本が営業するみどりの窓口が設置されている[2]。営業時間は5:30 - 21:00である[34]。冬季には除雪のため数名が増員される[30]

のりば[編集]

番線 路線 行先 備考
1・2・3 JR logo (east).svg大糸線 信濃大町松本新宿方面 特急は1番線から発車
2・3 JR logo (west).svg大糸線 糸魚川方面  

利用状況[編集]

2015年(平成27年)度の1日平均乗車人員121人である[35]

各年度の1日平均乗車人員は以下の通り。

年度 1日平均
乗車人員
出典
1935年(昭和10年) 19 [36]
1936年(昭和11年) 43 [37]
1950年(昭和25年) 157 [38]
1954年(昭和29年)・1955年(昭和30年) 226 [39]
1960年(昭和35年)・1961年(昭和36年) 699 [40]
1965年(昭和40年) 457 [41]
1970年(昭和45年) 491 [42]
1975年(昭和50年) 495 [43]
1980年(昭和55年) 472 [44]
1982年(昭和57年) 488 [45]
1983年(昭和58年) 708 [46]
1984年(昭和59年) 497 [47]
1994年(平成6年) 437 [48]
1995年(平成7年) 387 [49]
1996年(平成8年) 413 [50]
1997年(平成9年) 371 [51]
1998年(平成10年) 328 [52]
1999年(平成11年) 249 [53]
2000年(平成12年) 249 [54]
2001年(平成13年) 215 [55]
2002年(平成14年) 168 [56]
2003年(平成15年) 159 [57]
2004年(平成16年) 150 [58]
2005年(平成17年) 144 [59]
2006年(平成18年) 129 [60]
2007年(平成19年) 134 [61]
2008年(平成20年) 119 [62]
2009年(平成21年) 120 [63]
2010年(平成22年) 100 [64]
2011年(平成23年) 108 [65]
2012年(平成24年) 102 [66]
2013年(平成25年) 105 [67]
2014年(平成26年) 106 [68]
2015年(平成27年) 121 [35]

駅周辺[編集]

バス路線[編集]

小谷村営バスの路線が運行されている[69]。詳細は当該記事参照。

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道
大糸線
快速
白馬駅 - (一部信濃森上駅) - 南小谷駅
普通
千国駅 - 南小谷駅
西日本旅客鉄道
大糸線(全列車が各駅に停車)
南小谷駅 - 中土駅

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 大糸線は南小谷駅でJR東日本とJR西日本に分割された[21]

出典[編集]

  1. ^ a b c 『東筑摩郡松本市塩尻市誌 第三巻 現代下』 東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会、1965年。
  2. ^ a b c 信濃毎日新聞社編集部編、『長野県鉄道全駅 増補改訂版』、2011年(平成23年)7月、信濃毎日新聞社
  3. ^ 両社の境界駅としてはほかに北陸新幹線上越妙高駅がある。
  4. ^ 昭和10年鉄道省告示第537号(『官報』、1935年(昭和10年)11月22日、内閣印刷局)
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 小谷村鉄道開業50年の歩み編纂委員会編、『小谷村鉄道50年の歩み』、1987年(昭和62年)1月25日、南小谷駅
  6. ^ a b 昭和14年鉄道省告示第134号(『官報』、1939年(昭和14年)8月7日、内閣印刷局)
  7. ^ 昭和15年鉄道省告示第20号(『官報』、1940年(昭和15年)1月19日、内閣印刷局)
  8. ^ 昭和15年鉄道省告示第237号(『官報』、1940年(昭和15年)10月30日、内閣印刷局)
  9. ^ a b c d 石野哲、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』、1998年(平成10年)10月、JTB
  10. ^ 昭和23年運輸省告示第267号(『官報』、1948年(昭和23年)9月25日、大蔵省印刷局)
  11. ^ 石野哲編、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅰ』、1998年(平成10年)9月、JTB
  12. ^ 昭和37年日本国有鉄道公示第628号(『官報』、1962年(昭和37年)12月22日、大蔵省印刷局
  13. ^ a b 小谷村誌編纂委員会編、『小谷村誌 社会編』、1993年(平成5年)9月、小谷村誌刊行委員会
  14. ^ 昭和42年日本国有鉄道公示第469号(『官報』、1967年(昭和42年)9月30日、大蔵省印刷局)
  15. ^ 日本国有鉄道編、『日本国有鉄道百年史年表』、1972年(昭和47年)10月、日本国有鉄道
  16. ^ 昭和46年日本国有鉄道公示第28号(『官報』、1971年(昭和46年)1月30日、大蔵省印刷局)
  17. ^ 昭和46年日本国有鉄道公示第337号(『官報』、1971年(昭和46年)9月7日、大蔵省印刷局)
  18. ^ 昭和59年日本国有鉄道公示第174号(『官報』、1984年(昭和59年)1月30日、大蔵省印刷局)
  19. ^ 『交通年鑑 昭和63年版』 交通協力会、1988年3月。
  20. ^ 今村都南雄 『民営化の效果と現実NTTとJR』 中央法規出版、1997年8月。ISBN 978-4805840863
  21. ^ 近藤禎夫 安藤陽 『JRグループ 「民営化」に活路を求めた基幹鉄道』 大月書店、1990年9月。ISBN 978-4272102037
  22. ^ 「大雨のため、新潟で2万世帯が停電 長野でも2900人以上避難」、『朝日新聞』1995年(平成7年)7月12日、朝日新聞社
  23. ^ 「JR大糸線の復旧工事に着手 昨夏の水害から半年」、『朝日新聞』1996年(平成8年)1月7日、朝日新聞社
  24. ^ 「JR大糸線、きょう2年ぶりに復旧」、『朝日新聞』1997年(平成9年)11月29日、朝日新聞社
  25. ^ 「JR大糸線、運行再開 54日ぶり」、『朝日新聞』2006年(平成18年)3月9日、朝日新聞社
  26. ^ a b 「信州デスティネーションキャンペーン」におけるJRグループの取り組みについて - 2010年(平成22年)8月11日、JRグループ
  27. ^ “41人けが、全壊34棟 長野北部地震、余震70回に”. 中日新聞 (中日新聞社). (2014年11月24日)
  28. ^ 長野県北部を震源とする地震について(第8報) (PDF) - 国土交通省 災害情報、2014年11月26日 9:00現在
  29. ^ “JR大糸線、全線復旧 15日ぶり、高校生ら歓迎” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2014年12月8日)
  30. ^ a b 「JR大糸線・南小谷駅 小谷村(しなの途中下車)」、『朝日新聞』2002年(平成14年)9月20日、朝日新聞社
  31. ^ 「海水浴客向けの臨時列車、姿消す JRが夏の増発計画」、『朝日新聞』2000年(平成12年)5月27日、朝日新聞社
  32. ^ 「街PRへヒスイ号再び 東京・新宿発 - 糸魚川行き企画列車」、『朝日新聞』2003年(平成15年)10月10日、朝日新聞社
  33. ^ a b c 郡司武編、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地』通巻36号、2013年(平成25年)4月、朝日新聞出版
  34. ^ JR東日本 南小谷駅 - 東日本旅客鉄道
  35. ^ a b 各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本
  36. ^ 長野県編、『昭和十年 長野県統計書第二編』、1937年(昭和12年)3月、長野県
  37. ^ 長野県編、『昭和十一年 長野県統計書第二編』、1938年(昭和13年)3月、長野県
  38. ^ 長野県総務部統計課編、『昭和25年 長野県統計書』、1950年(昭和25年)3月、長野県総務部統計課
  39. ^ 長野県総務部統計課編、『昭和29・30年 長野県統計書』、1957年(昭和32年)3月、長野県総務部統計課
  40. ^ 長野県総務部統計課編、『昭和35・36年 長野県統計書』、1963年(昭和38年)3月、長野県総務部統計課
  41. ^ 長野県総務部統計課編、『昭和40年 長野県統計書』、1967年(昭和42年)3月、長野県総務部統計課
  42. ^ 長野県総務部統計課編、『昭和45年 長野県統計書』、1972年(昭和47年)7月、長野県総務部統計課
  43. ^ 長野県総務部情報統計課編、『昭和50年 長野県統計書』、1977年(昭和52年)9月、長野県総務部情報統計課
  44. ^ 長野県総務部情報統計課社会生活統計班編、『昭和55年 長野県統計書』、1982年(昭和57年)9月、長野県総務部情報統計課
  45. ^ 長野県総務部情報統計課社会生活統計班編、『昭和57年 長野県統計書』、1984年(昭和59年)11月、長野県総務部情報統計課
  46. ^ 長野県総務部情報統計課編、『昭和58年 長野県統計書』、1985年(昭和60年)11月、長野県総務部情報統計課
  47. ^ 長野県総務部情報統計課編、『昭和59年 長野県統計書』、1986年(昭和61年)12月、長野県総務部情報統計課
  48. ^ 長野県総務部情報統計課編、『平成6年 長野県統計書』、1996年(平成8年)10月、長野県総務部情報統計課
  49. ^ 長野県総務部情報統計課編、『平成7年 長野県統計書』、1997年(平成9年)10月、長野県総務部情報統計課
  50. ^ 長野県総務部情報統計課編、『平成8年 長野県統計書』、1998年(平成10年)10月、長野県総務部情報統計課
  51. ^ 長野県企画局情報政策課、『平成9年 長野県統計書』、1999年(平成11年)11月、長野県企画局情報政策課
  52. ^ 長野県企画局情報政策課編、『平成10年 長野県統計書』、2000年(平成12年)10月、長野県企画局情報政策課
  53. ^ 長野県企画局情報政策課編、『平成11年 長野県統計書』、2001年(平成13年)10月、長野県企画局情報政策課
  54. ^ 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本
  55. ^ 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本
  56. ^ 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本
  57. ^ 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本
  58. ^ 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本
  59. ^ 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本
  60. ^ 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本
  61. ^ 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本
  62. ^ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
  63. ^ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
  64. ^ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
  65. ^ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
  66. ^ 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
  67. ^ 各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本
  68. ^ 各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本
  69. ^ 村営バスのご案内 - 小谷村

関連項目[編集]

外部リンク[編集]