伊藤野枝

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伊藤いとう 野枝のえ
Ito Noe 2.jpg
学藝書林『伊藤野枝全集〈上〉』より
誕生 伊藤 ノヱ
1895年1月21日
福岡県糸島郡今宿村
死没 (1923-09-16) 1923年9月16日(28歳没)
日本の旗 日本 東京都東京市
墓地 雑司ヶ谷霊園東京都豊島区[要出典]
職業 作家翻訳家編集者婦人解放運動家無政府主義者
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 上野高等女学校
活動期間 1914年 - 1923年
主題 婦人解放運動
デビュー作 『婦人解放の悲劇 エンマ・ゴルドマン』
配偶者 末松福太郎(1912年-1913年
辻潤1915年-1923年
パートナー 大杉栄
子供 まこと、流二、魔子、エマ(幸子)、エマ(笑子)、ルイズ(ルイ)、ネストル
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伊藤 野枝(いとう のえ、1895年明治28年)1月21日 - 1923年大正12年)9月16日)は、日本婦人解放運動家無政府主義者作家翻訳家編集者戸籍名は伊藤ノヱ

概要[編集]

雑誌青鞜』を平塚らいてうから奪ったものの[注釈 1]、受け継いだ編集を大杉栄に夢中になり、放棄して休刊させた[1]。婚約から逃亡後に家に転がり込むのを受け入れてくれた女学校の恩師である夫辻潤と1915年に結婚したものの、1916年2月の21歳の時に、夫と子供らを捨てて大杉栄との不倫に走った。大杉の妻、もう一人の愛人神近市子と大杉栄を巡る四角関係[注釈 2]で勝利していたものの、同年9月に大杉が神近に刺殺未遂される日蔭茶屋事件が起きた。そのため乱れた男関係が周囲に発覚し、大杉と共に他の活動家からも批判されて2人は孤立した。周囲から「淫乱女」「悪魔」呼ばわりされていたことから大杉との長女に魔子と命名した[2][信頼性要検証][3][信頼性要検証][4]。不倫を堂々と行い、結婚制度を否定する論文を書き、人工妊娠中絶堕胎)賛成、廃娼運動批判、貞操批判など今日でも議論になる課題を題材とし、多くの評論小説翻訳を発表した。しかし、甘粕事件甘粕正彦憲兵大尉らにより大杉らとともに殺害された。

生涯[編集]

生い立ち[編集]

野枝は、福岡県糸島郡今宿村(現・福岡市西区今宿)で生まれた。7人兄妹の3番目で長女だった。父の亀吉は1866年生まれ、母のムメは1867年生まれであった。かつて伊藤家は「萬屋」(よろずや)という海産物問屋だったが、野枝が生まれる頃には没落していた。父の亀吉は中年以降に鬼瓦(おにがわら)を彫る瓦職人になったが、放蕩者で気位が高くろくに仕事をしないため、母が塩田の日雇いや農家の手伝いなどをして暮らしを立てた。小学校2年生のとき口減らしのために一時叔母・マツの家に預けられた。母のムメは、後に成人した野枝に「私は自分の子を他人にやったりは絶対にせんよ」と言われ、晩年になり野枝を里子に出したことを後悔していると度々述懐したという。

1909年周船寺高等小学校を卒業して約9か月間、家計を助けるため地元の郵便局に勤務しながら雑誌に詩や短歌を投稿。この年の夏に叔母(母の妹・代キチ)一家が東京から帰省した際に東京の空気に触れる。東京への憧れがつのり、三日とあけず叔父・代準介に懇願の手紙(「ひとかどの人物となり恩返しをする」など)を送った。その熱意に負け、叔母一家は暮れに野枝を東京に迎えた。

上京の翌年、野枝は猛勉強のすえに上野高等女学校(上野高女、現・上野学園高等学校)に1年飛び級で4年編入試験に合格、作文に抜群の成績をあげる。野枝は上野高女在学中に、同校で英語教師をしていた辻潤と知り会う。1912年に上野高女を卒業、帰郷すると親の決めた相手と婚約が決まっており、前年の夏に隣村の末松家と野枝本人に相談もなく仮祝言まで済まされていた。しぶしぶ末松家に入って8日目に出奔、再び上京し、在学中に思いを寄せていた辻潤と同棲した。非難を浴びた辻は1912年4月末にあっさり教師の職を捨てて野枝との結婚生活に入った。

青鞜社[編集]

10月頃から、野枝は平塚らいてうらの女性文学集団青鞜社に通い始め、社内外から集まった当時の錚々たる「新しい女」達、与謝野晶子長谷川時雨国木田治子小金井喜美子岡本かの子尾竹紅吉神近市子らと親交を深めて強い刺激を受けた。機関誌『青鞜』に詩「東の渚」などの作品を次々発表、頭角を現した。平塚らいてうが「原始、女性は実に太陽であつた」と謳ったのと対照的に野枝は、「吹けよ、あれよ、風よ、嵐よ」と謳っている。この時期、アメリカのアナキストであるエマ・ゴールドマンの『婦人解放の悲劇』の翻訳をし、足尾鉱毒事件に関心を深めた。

1915年、それまで度々発売禁止の処分を受けるなど経営難に陥っていた雑誌『青鞜』の編集・発行を平塚らいてうから受け継ぐと[1]、「無主義、無規則、無方針」をモットーにエリート女性だけでなく一般女性にも誌面を解放。情熱的に創作・評論・編集に活躍し、『青鞜』を文芸雑誌から女性評論誌、あるいは女性論争誌と呼ぶべきものに変えていった。野枝はこの間、長男の一(まこと)、次男の流二(りゅうじ)を出産。また中流階級婦人による廓清会の廃娼運動を、娼婦の境遇に対して理解なきまま「醜業婦」の名を浴びせる偽善として厳しく批判した。

大杉栄[編集]

らいてうからもぎ取るようにして始めた『青鞜』の編集だったが、野枝も無政府主義に傾倒して大杉栄と行動をともにするようになったことから、これを一年余りで放棄し大正五年(1916年)の二月号を最後に無期休刊としてしまう[1]

1916年4月、辻と離別。家族と仕事を捨て、翌月からアナキズム運動の中心人物であった大杉と文通を開始する。秋に同棲し、大杉には内妻の堀保子堺利彦の死別した最初の妻:美知の妹)のほかに東京日々新聞(東京日日新聞)記者の神近市子という愛人もおり、苦し紛れの「自由恋愛論」は批判の対象となっていた。ここに野枝が参入して四角関係になり、市子が11月に葉山の日蔭茶屋という旅館の一室で、大杉を刺して瀕死の重傷を負わせるという「日蔭茶屋事件」が起こった。市子は大杉へ経済的援助を与えていたため生活は困窮を極めた。この件もあり『青鞜』は廃刊した。

翌年、大杉は内妻の保子と離別、市子は大杉に対する殺人未遂罪で入獄した。「多角恋愛」で勝利した野枝は9月に長女を出産、周囲からの「悪魔」呼ばわりを逆手に取って魔子と命名した(のち眞子に改名)。貧乏のうえ、官憲に追われ監視される生活ながら大杉との生活は充実し、1918年に『文明批評』、翌年に『労働運動』を二人で創刊。『クロポトキン研究』『貧乏の名誉』『二人の革命家』など共著も多い。やがて次女・エマ(のち幸子に改名)、三女・エマ(のち笑子に改名)、四女・ルイズ(のち留意子、さらにのち本人はルイと名乗った)、三男(大杉の長男)・ネストル(のち栄に改名)の5人が生まれた。その間に『婦人労働者の覚醒』を執筆。二人目の子を生んだ直後には『解放』1920年4月号で結婚制度を否定する『自由母権の方へ』を発表、戦後ウーマンリブの結婚制度否定を50年早く提起した。1921年の普通選挙を前に結成された社会主義の婦人団体赤瀾会にも山川菊栄らと参加した。

甘粕事件での横死[編集]

ところが1923年9月1日関東大震災から間もない16日、野枝は大杉栄、大杉の甥・橘宗一とともに憲兵に連れ去られ、その日のうちに憲兵隊構内で扼殺されて殺害された(甘粕事件)。野枝の遺体は表で巻かれ、古井戸に投げ捨てられた。まだ28歳の若さであった。

53年後に発見された死因鑑定書によれば、野枝と大杉はともに肋骨が何本も折れており、胸部の損傷から激しい暴行を加えられていたことが発覚した。軍法会議法廷で甘粕正彦ら被告人は、被害者が「苦しまずに死んだ」と陳述していた。その後の研究によれば、虐殺の命令を出したのは甘粕ではなく、憲兵隊上層部(憲兵司令官・小泉六一)ないし陸軍上層部(戒厳司令官福田雅太郎大将)であったと推認された。甘粕事件の発覚は、殺された大杉の甥である橘宗一がアメリカ国籍を持っていたため、アメリカ大使館からの抗議を受けて狼狽した政府(第2次山本内閣)の閣議(19日[いつ?])で大問題になったからであった。

野枝の墓は、静岡市葵区沓谷一丁目の沓谷霊園にある。1975年9月16日に名古屋覚王山日泰寺で橘宗一少年の墓前祭が開かれて以来、毎年9月15日は名古屋で橘宗一の墓前祭が、翌9月16日は静岡で大杉栄・伊藤野枝の墓前祭が開かれることになっていたが、遺族らも高齢化し始めたことから、2003年9月16日の80回忌が最後の墓前祭となった。墓前祭には三女の野沢笑子(82歳)、四女の伊藤ルイの遺児で王丸容典(59歳)ら200名が参列した。

年譜[編集]

  • 1895年1月21日未明 福岡県糸島郡今宿村大字谷1117番地(現・福岡市西区今宿1126番地)に生まれる
  • 1901年(6歳)4月 今宿尋常小学校入学
  • 1904年(9歳)6月6日 叔母・マツの養女となり、榎津尋常小学校に転校
  • 1905年(10歳)3月27日 榎津尋常小学校を卒業
  • 1908年(13歳)4月 周船寺高等小学校3年終了後、長崎に住む叔母・キチのもとへ。西山女児高等小学校に転校
    • 11月26日 叔父・代準介が事業を始めるため上京、今宿の実家に戻り、周船寺高等小学校に転校
  • 1909年(14歳) 周船寺高等小学校卒業。今宿郵便局に勤務。
  • 1910年(15歳)4月 上野高女4年に編入学
  • 1911年(16歳)4月 辻潤が上野高女の英語教師として赴任する。
    • 11月 末松家に入る(末松福太郎と入籍)
  • 1912年(17歳)3月26日 上野高女卒業
    • 3月27日 辻潤に抱擁される。その夜、帰郷
    • 4月 帰省後9日目に出奔
    • 4月12日 辻潤が上野高女を辞職し野枝と同棲する。平塚らいてうに手紙を書き、訪問し初対面
    • 10月 青鞜社に通い始め、『青鞜』10月号に社員として名前が掲載される
    • 11月 『青鞜』2巻11号に、詩『東の渚』を発表
  • 1913年(18歳)1月 『青鞜』に『新しき女の道』を発表
    • 2月11日 末松福太郎との協議離婚成立
    • 2月15日 青鞜社講演会で講演
    • 9月20日 長男・一(まこと)を出産
  • 1914年(19歳)3月25日 『婦人解放の悲劇』(エマ・ゴールドマン、エレン・ケイ)を刊行
    • 8月28日 伊藤野枝子編『ウォーレン婦人の悲劇』を刊行
    • 11月7日 らいてうに『青鞜』をやらせてほしいと手紙を出す
  • 1915年(20歳)1月 らいてうの仕事を引き継ぎ『青鞜』編集兼発行人となる
    • 5月 辻潤が野枝の従妹と関係を持ったことを知りショックを受ける
    • 7月20日 婚姻届を出し、辻潤の戸籍上の妻となる
    • 11月4日 次男・流二を出産
  • 1916年(21歳)2月1日 『青鞜』6巻2号(最終号)
    • 2月 大杉栄と恋愛関係に
    • 9月8日 大杉と同棲
    • 11月9日未明 日蔭茶屋事件
  • 1917年(22歳)1月 堀保子が大杉との離婚を公告する
    • 3月5日 神近市子が殺人未遂で懲役四年の判決(横浜地裁)を受けて控訴する
    • 3月7日 神近市子が保釈される
    • 6月18日 神近市子に懲役二年の判決(東京控訴院)が下され、上告
    • 9月18日 辻潤と協議離婚成立し伊藤家へ復籍
    • 9月25日 長女・魔子を出産
    • 10月3日 神近市子が上告を取り下げ下獄
  • 1918年(23歳)1月1日 大杉と『文明批評』を創刊
    • 8月26日 米騒動記念茶話会で、大杉から米騒動の目撃談を聞く
  • 1919年(24歳)12月24日 二女・エマを出産
  • 1920年(25歳)4月 『自由母権の方へ』を『解放』第2巻第4号、1920年4月号に発表
    • 5月28日 大杉との共著『乞食の名誉』を刊行
    • 11月5日 大杉との共著『クロポトキン研究』を刊行
  • 1921年(26歳)3月13日 三女・エマを出産(戸籍上は2月13日)
    • 4月24日 赤瀾会に顧問格として参加
    • 6月 赤瀾会について『婦人の反抗』(『労働運動』)と『赤瀾会について』(『改造』)を発表
    • 6月11日 赤瀾会の講演会で「婦人問題の難関」と題して講演
    • 6月22日 コスモ倶楽部講演会で講演
    • 6月20日 赤瀾会の夏期講習会で「職業婦人に就て」と題して講演
  • 1922年(27歳)6月6日 大杉との共著『二人の革命家』刊行
    • 6月7日 四女・ルイズ(ルイ)を出産
    • 12月11日 大杉が日本を脱出しフランスへ向かう
  • 1923年(28歳)7月10日 フランスから国外退去処分になった大杉の帰国を神戸で出迎える
    • 8月1日 大杉との共訳でファーブルの『科学の不思議』を刊行
    • 8月9日 三男(大杉の長男)・ネストルを出産
    • 9月1日 関東大地震
    • 9月16日夜 大杉・橘宗一とともに虐殺される

(死後)

  • 1923年10月8日 甘粕正彦らに対する第一回軍法会議公判
    • 10月16日 今宿村で三人の葬儀が行われ、今宿松原の墓地で三人一緒に埋葬
    • 12月8日 甘粕らへの判決
    • 12月16日 谷中斎場にて葬儀
  • 1924年(死の翌年)5月25日 静岡市共同墓地(現・沓谷霊園)に三人の密葬
    • 8月4日 今宿松原に墓碑建立
  • 1961年(死後38年目)井手文子が『青鞜 元始女性は太陽であった』を出版、うち一章を伊藤野枝に当て、本格的な伊藤野枝研究の嚆矢を開く
  • 1965年(死後42年目)4月 瀬戸内晴美が『文藝春秋』に『美は乱調にあり』(伝記小説)の連載開始
  • 1976年(死後53年目)8月26日 三人の「死因鑑定書」が発見されたことを『朝日新聞』が報道し、三人は虐殺の直前に激しく暴行されていたことが発覚する
  • 1979年(死後56年目)10月 井出文子が『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』を刊行
  • 1981年(死後58年目)1月 瀬戸内晴美が『文藝春秋』に『諧調は偽りなり』(結果的には評伝となった)の連載開始
  • 2000年(死後77年目)3月15日 『定本伊藤野枝全集』刊行開始
    • 12月15日 『定本伊藤野枝全集』完結。
  • 2003年9月16日 静岡市の沓谷霊園で80回忌墓前祭

親族[編集]

辻潤との子女[編集]

  • 辻との間に一(1913-1975)、流二(1915-1998)がいる。一は、辻家にそのまま引き取られ、詩人辻まこととなり、流二は里子に出されて若松流二となった。流二は横浜の貿易会社に勤めながら横浜専修商業高校夜間部で学び、日本郵船の外洋航路の貨物船船員となったが徴兵され、兵隊を南方に送る海軍輸送船の機関員を務めた。戦後は北海道開拓移民団に応募して竹久夢二の息子である不二彦と日高に移住し、開拓農場で働いた[5]
  • 流二は結婚し3人の子に恵まれ、晩年は横浜に戻って余生を送った[5]。兄であるまこととは小学生の時に会い、21の時には2か月間同居して看病していた上に、葬儀にも立ち会った[5]。まことと子供のころから交流があり、仕事を手伝っていたこともあった[5]
  • 野枝は祝い着を流二の養家に送ったりしたが、流二は周囲に母親のことは大嫌いだと語っていた[5]。まことは娘に母の名と同音の「野枝」とつけようとしたが、妻の母親に「ああいう死に方をした人の名は付けたくない」と反対され、「野」の字のみ残して野生(のぶ)と命名した[5]

大杉栄との子女[編集]

  • 大杉との間に魔子(1917-1968、2人の死後に引き取られた際に眞子に改名)、エマ(1919-2003、後に幸子に改名)、エマ(1921-2013、笑子に改名)、ルイズ(1922-1996、留意子に改名後、ルイに改名)、ネストル(1923-1924、栄に改名)がいる。魔子は悪魔の子から、エマはエマ・ゴールドマンから、ルイズはルイズ・ミシェル、ネストルはネストル・マフノから命名した。大杉の妹夫婦に養女に出された次女以外は、野枝の叔父が引き取った。
  • 長女の魔子は大杉の実弟の元に移り、横浜紅蘭女学校卒業後、丸の内の日仏同志会でタイピストとして働いたが、福岡に戻り福岡日々新聞社員と結婚、一男三女をもうけたが戦後に離婚、女給や外交員を経て博多人形師の青木仏と再婚し一男一女を設けた[6]
  • 二女の幸子は長じて菅沼五郎の妻となった。
  • 四女の伊藤ルイを描いたドキュメンタリー「ルイズその旅立ち」(監督・藤原智子)がキネマ旬報・1997年度文化映画部門ベストテン第一位などの賞を獲得した。
  • 曾孫にゲームシナリオライターの正田崇がおり、手掛けた作品では甘粕事件をモチーフにした事もある。

著作[編集]

自著[編集]

発行年順

  • 大正3年 『婦人解放の悲劇 エンマ・ゴルドマン』(エマ・ゴールドマン)著、伊藤野枝訳、東雲堂書店
  • 大正11年 『二人の革命家』 大杉栄、伊藤野枝著、アルス
  • 大正14年 - 15年 『大杉栄全集』 別冊(伊藤野枝全集)、大杉栄全集刊行会
    • 内容細目: 創作、感想と随筆、事実と批評、翻訳小説: 小数と多数・結婚と恋愛・婦人解放の悲劇(ゴオルドマン著 伊藤野枝訳)、エマ・ゴオルドマン(エマ・ゴールドマン)伝
  • 1970年 『伊藤野枝全集 上』、學藝書林ISBN 4905640938
    • 細目: 「雑音」、「動揺」、「惑い」、「乞食の名誉」、「転機」、「白痴の母」、「或る男の堕落」、「火つけ彦七」、「わがまま」、「出奔」、 解説: 伊藤野枝小伝(井手文子)、解説対談: 自分に生きた人(瀬戸内晴美、秋山清)、 年譜
  • 1970年 『伊藤野枝全集 下』、學藝書林、ISBN 4905640946
    • 細目:青鞜社時代前期(1912-14年)、青鞜社時代後期(1915-16年)、アナキズム時代(1917-23年) 解題(井手文子) 解説対談 アナキズムを生きる(多田道太郎・秋山清)
  • 1985年1月 『二人の革命家』 大杉栄、伊藤野枝著、黒色戦線社
    • アルス大正13?年刊の複製
  • 1985年11月 『乞食の名誉』 大杉栄、伊藤野枝著、(叢書 青鞜の女たち 第2巻)、不二出版
    • 社会文芸叢書3(聚英閣大正9年刊)の複製
  • 1986年6月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第1巻、黒色戦線社
    • 『クロポトキン研究』
      • 内容細目: クロポトキン総序-無政府主義と近代科学,クロポトキンの生物学-相互扶助論,クロポトキンの社会学-人類史上の伝統・中世ギルドの話 大杉栄著. クロポトキンの経済学-田園、工場、職場,クロポトキンの教育論-頭脳労働と筋肉労働の調和 伊藤野枝著. 青年に訴う・革命の研究・自由合意-現社会の無政府・共産食堂 クロポトキン著 大杉栄訳. 無政府の事実 伊藤野枝著. 主な文献:p183 - 185
  • 1987年5月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第8巻、黒色戦線社
    • 『相互扶助論』 / クロポトキン著、大杉栄訳
  • 1988年2月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第2巻、黒色戦線社
    • 思索と方法 生の闘争 自序 大杉栄著 ほか42編、解説 大沢正道
  • 1988年3月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第3巻、黒色戦線社
    • 『社会的個人主義』
      • 内容細目: 社会と個人 社会的個人主義 自序,唯一者-マクス・スティルナー論,意志の教育-マクス・スティルナーの教育論 大杉栄著. 生の道徳 ジャン・マリ・ギュイヨー著 大杉栄訳. 叛逆者の心理 ジョルジュ・パラント著 大杉栄訳. 主観的歴史論-ピョートル・ラヴロフ論,近代個人主義の諸相,物事の考え方,大正五年文壇の予想,最近思想界の傾向,無政府主義の腕 大杉栄著. 必然から自由へ フリードリッヒ・エンゲルス著 大杉栄訳. 史的社会観-孤月君の挑戦に応じ予が社会観を論ず・僕の現代社会観 大杉栄著. 無政府主義と組織 エマ・ゴールドマン著 大杉栄訳. 性の解放 羞恥と貞操・男女関係の進化 大杉栄著. 動物の婚姻と家族 シャルル・J.M.ルトゥルノー著 大杉栄訳. 女学生 -ストリンドベルヒ作・ 婦人解放の悲劇 ・処女と貞操と羞恥と-野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る・男女関係について-女房に与えて彼女に対する一情婦の心情を語る文・ザックバランに告白し輿論に答う-新しき男女の一対 大杉栄著. 解説 大沢正道著. 火つけ彦七 伊藤野枝著
  • 1988年4月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第4巻、黒色戦線社
    • 『道徳の創造』
      • 内容細目: 家庭雑誌から 不幸の神 大杉栄著 ほか78編 解説 秋山清著
  • 1988年7月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第5巻、黒色戦線社
    • 『労働運動の哲学』
      • 内容細目: 労働運動の精神 労働運動の精神 大杉栄著 ほか37編。解説 小松隆二著。彼女の真実-中条百合子氏を論ず・「或る」妻から良人へ 伊藤野枝著
  • 1988年12月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第6巻、黒色戦線社
    • 『アナキストの見たロシア革命』
      • 内容細目: ロシア革命論 無政府主義者の見たロシア革命 自序 大杉栄著 ほか27編. 解説 大沢正道著. クロポトキンの自叙伝に現われたるロシアの婦人運動 伊藤野枝著
  • 1988年12月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第13巻、黒色戦線社
    • 『ある女の裁判』
      • 内容細目: ある女の裁判 山川菊栄論・自由母権の方へ・ある女の裁判・乞食の名誉 伊藤野枝著. 進化について 近代科学の傾向-クロポトキンによる・創造的進化-アンリ・ベルクソン論・『種の起原』について・生物学から観た個性の完成・丘博士の生物学的人生社会観を論ず 大杉栄著
  • 1989年4月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第7巻、黒色戦線社
    • 『一革命家の思い出』 / クロポトキン著、大杉栄訳
  • 1989年5月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第14巻、黒色戦線社
    • 『大杉栄書簡集』
  • 1989年9月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第10巻、黒色戦線社
    • 『自叙伝・死灰の中から』
  • 1989年7月 『大杉栄・伊藤野枝選集』 第12巻、黒色戦線社
    • 『文芸評論』
  • 1996年5月 『伊藤野枝全集』 伊藤野枝著、(叢書女性論 23)、大空社ISBN 475680182X
    • 大杉栄全集刊行会大正14年刊の複製
      • 内容細目: 創作(雑音、動揺、惑ひ、惑ひ、乞食の名誉、転機、白痴の母、或る男の堕落、火つけ彦七)事実と批評(喰ひものにされる女、階級的反感、無政府の事実、堺利彦論、自由合意による結婚の破滅)翻訳(少数と多数・結婚と恋愛・婦人解放の悲劇 ゴオルドマン著、エマ・ゴオルドマン伝 ヒポツト・アヴエル著、付:伊藤野枝年表
  • 1998年2月25日 落合恵子編 『女心』(日本の名随筆 別巻84)、作品社ISBN 4878936649
    • 「別居」について を収録(四巻本 定本伊藤野枝全集には収録されていない)
  • 2000年3月 『定本伊藤野枝全集』 第1巻、伊藤野枝著、井手文子、堀切利高編、學藝書林、ISBN 4875170521
    • 『創作』
      • 内容細目: 『青鞜』の時代(東の渚、日記より、動揺、わがまま、出奔、惑ひ、遺書の一部より、雑音)、『文明批評』以後(転機、乞食の名誉、惑ひ、白痴の母、監獄挿話面会人控所、ある女の裁判、火つけ彦七、或る男の堕落)、解題:岡野幸江堀切利高
  • 2000年5月 『定本伊藤野枝全集』 第2巻、伊藤野枝著、井手文子、堀切利高編、學藝書林、ISBN 487517053X
    • 評論・随筆・書簡 1
      • 『青鞜』の時代
  • 2000年9月 『定本伊藤野枝全集』 第3巻、伊藤野枝著、井手文子、堀切利高編、學藝書林、ISBN 4875170548
    • 評論・随筆・書簡 2
      • 『文明批評』以後
  • 2000年12月 『定本伊藤野枝全集』 第4巻、伊藤野枝著、井手文子、堀切利高編、學藝書林、ISBN 4875170556
    • 翻訳
      • 内容細目: 婦人解放の悲劇、ボルシエヴイキの暴政 エマ・ゴオルドマン著、ウォーレン夫人の職業 バァナード・シヨオ著、科学の不思議 アンチイ・ファブル著、大杉栄,伊藤野枝共訳、響の影 マツコア著、解題:山泉進著、著作目録、年譜
  • 2001年11月 『吹けよあれよ風よあらしよ 伊藤野枝選集』 伊藤野枝著、森まゆみ編、學藝書林、ISBN 4875170572[注釈 3]

・2013年5月 『野枝さんをさがしてー定本伊藤野枝全集補遺・資料・解説』堀切利高編著、學藝書林

関連作品[編集]

評伝・伝記小説[編集]

  • 井手文子 『青鞜 元始女性は太陽であった』 弘文堂、1961年
    • (野枝に一章を割いた、野枝研究の先駆け)
  • 井手文子 『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』(ちくまブックス 20)筑摩書房、1979年、ISBN 4480050205
  • 井手文子 『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』 パンドラ(→中野理惠)、2000年、ISBN 4768478115
  • 伊藤ルイ 『海の歌う日 大杉栄・伊藤野枝へ - ルイズより』 講談社、1985年、ISBN 4062019175
    • (伊藤野枝が虐殺されたときに1歳だった遺児ルイズが両親に捧げた作品)
  • 岩崎呉夫 『伊藤野枝伝 大杉栄の妻 近代日本精神史の一測面』 七曜社、1964年2版
  • 岩崎呉夫 『炎の女 伊藤野枝伝』 七曜社、1963年
  • 岩崎呉夫 『炎の女 伊藤野枝伝』(Ace books)、自由国民社、1970年
  • 江刺昭子 『覚めよ女たち 赤瀾会の人びと』 (大月書店)、1980年、ISBN 4272540238
    • 主要参考文献: p243 - 246、赤瀾会と江刺さんのこと(絲屋寿雄
  • 大杉栄らの墓前祭実行委員会編 『自由の前触れ : 関東大震災七〇年・大杉栄・伊藤野枝・橘宗一虐殺記念誌』 大杉栄らの墓前祭実行委員会、1993年
    • (沓谷だより 特別号)
  • 學藝書林編 『定本伊藤野枝全集』 月報:1-2 學藝書林、2000年
  • 木村艸太 『魔の宴(抄) - 伊藤野枝との恋』
    • 筑摩書房編? 人生読本 4、筑摩書房、1972年、各巻タイトル: 愛について
      • 内容細目: 現代人は愛しうるか(福田恆存) 恋愛の失墜(多田道太郎) 藤の実の落ちる季節(藤原審爾) われ深きふちより(島尾敏雄) 母の教えのこしたもの(金達寿) 若き友との別れ(塩尻公明) 情事のうら悲しい報酬について - 私の姦通論(小島信夫) 生れなかった子供(坂口安吾) 魔の宴(抄) - 伊藤野枝との恋(木村艸太) 対談:愛について(多田道太郎、富岡多恵子
  • 近藤富枝 『伊藤野枝』
    • 円地文子監修 『人物日本の女性史』 第11巻「自由と権利を求めて」、集英社、1978年
      • 内容細目: 福田英子(小山いと子著)、平塚らいてう(竹西寛子著)、管野スガ(山本藤枝著)、伊藤野枝(近藤富枝著)、矢島楫子(吉見周子著)、からゆきさん(池田みち子著)、女工哀史(津村節子著)
  • 鈴木裕子監修/東京女性財団編著 『先駆者たちの肖像 明日を拓いた女性たち』、東京女性財団、1994年3月、ISBN 481070386X[注釈 4]
  • 瀬戸内寂聴 『瀬戸内寂聴伝記小説集成』 第4巻、文藝春秋、1986年、ISBN 4163638903
    • 各巻タイトル: 美は乱調にあり・諧調は偽りなり。参考文献:p679 - 680
  • 瀬戸内寂聴 『瀬戸内寂聴全集』 第12巻、新潮社、2002年、ISBN 4106464128
    • 月報つき、内容細目: 美は乱調にあり、諧調は偽りなり。解説(前者は伊藤野枝の伝記小説、後者は評伝)
  • 瀬戸内晴美 『諧調は偽りなり 上・下』、文藝春秋、1984年、上: ISBN 416307600X、下: ISBN 4163076107
    • 初出: 雑誌文藝春秋1981年1月号から1983年8月号まで連載
  • 瀬戸内晴美 『諧調は偽りなり』(文春文庫)文藝春秋、1987年、ISBN 4167116189
  • 瀬戸内晴美 『瀬戸内晴美作品集4』、筑摩書房、1972年
    • 内容細目: 美は乱調にあり、鬼の栖。解説(松原新一)
  • 瀬戸内晴美 『美は乱調にあり』 文藝春秋、1966年
    • 初出: 雑誌文藝春秋1965年4月号から同年12月号まで連載
  • 瀬戸内晴美 『美は乱調にあり』(角川文庫)、角川書店、1969年、ISBN 4041265029
  • 瀬戸内晴美 『美は乱調にあり』 新装版、文藝春秋、1984年、ISBN 4163077405
  • 福田清人 『近代美女伝』(利根文庫、史伝文学新書 第5)利根書房、1960年
    • 内容細目: 岡田嘉子、波多野秋子、藤蔭静枝、春本万竜、松井須磨子、柳原白蓮、伊藤野枝、松旭斎天勝、与謝野晶子、照近江お鯉、平塚雷鳥、原阿佐緒
  • 松下竜一 『ルイズ 父に貰いし名は』 講談社、1982年、ISBN 4061459309
  • 若槻世都子 『熱情 伊藤野枝の青春』、「熱情」出版プロジェクト、1996年12月(伊藤野枝を主人公にした創作シナリオ)
  • 栗原康『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』岩波書店、2016年、ISBN 4000022318
  • 村山由佳『風よ あらしよ』集英社 2020年9月、ISBN 4087717224

雑誌特集号

  • 1971年11月 『第4次 労働運動』 第4巻第2号(大杉栄・伊藤野枝追悼号)、労働運動社、1924年3月[注釈 6]
  • 2000年2月 『彷書月刊』 第16号第3号/通巻174号(特集=わたしは伊藤野枝)、弘隆社、2000年2月、ISBN 4846002306
  • 2002年12月 『初期社会主義研究』 第15号(特集=大杉栄)、堀切利高解題「堀保子・伊藤野枝・神近市子 - 資料」

映画[編集]

演劇[編集]

  • 1984年 地人会第8回公演 美しきものの伝説
  • 1987年 地人会第22回公演 ブルーストッキングの女たち
    • 作:宮本研 演出:木村光一 於:本多劇場
  • 2002年 劇団青年座162回公演 美しきものの伝説
    • 作:宮本研 演出:鈴木完一郎 於:紀伊國屋サザンシアター
    • 野枝役を川先宏美が演じる
  • 2006年 劇団俳小32回本公演 美しきものの伝説
    • 作:宮本研 演出:入谷俊一 於:東京芸術劇場小ホール2
    • 野枝役を俳優座・伊勢佳世が演じる
  • 1992年初演 青年団走りながら眠れ
    • 作:平田オリザ
    • 大杉栄と伊藤野枝の最期の2か月を繊細に綴った、大人の会話劇。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ジゴロである奥村博史との家庭生活と『青鞜』での活動の両立が困難になっていた平塚らいてうに「あんた仕事しないなら、私に雑誌ちょうだい」と迫り、編集長になった。自身も大杉へ夢中になって放棄して休刊にさせていたが、日陰茶屋事件もあり完全に廃刊となった。[要出典]
  2. ^ 大杉は女性ら3人に「お互いに経済的自立をすること、同棲などしないで別居生活を送ること、お互いの自由(性も)尊重すること」を約束させて四角関係を4人の中で公式にさせていた。
  3. ^ 著作のほか、伝記作家・森まゆみによる評伝ともなっている。
  4. ^ 伊藤野枝をはじめ95人の女性を紹介する。
  5. ^ 「大杉の子、野枝の娘」と呼ばれて育ったルイズの逼塞した生活状況から伊藤ルイとして自らを解き放つまでの過程を、作家・松下竜一が伊藤ルイから取材して書いたルポルタージュ、ノンフィクション。伊藤ルイが祖母の伊藤ムメについて書くことを条件に取材に応じた。
  6. ^ 1971年11月、ギロチン社・ネビース社・黒色戦線社の共同出版として復刻発行。

出典[編集]

  1. ^ a b c 米田佐代子「『青鞜』の創刊」『近代日本の転機:明治・大正編』鳥海靖編、吉川弘文館、2007年、211頁。
  2. ^ 松沢呉一 (2018年11月17日). “松沢呉一のビバノン・ライフ 日蔭茶屋事件 — 伊藤野枝と神近市子[4]” (日本語). タグマ!. ガードかなさる有限会社. 2022年1月14日閲覧。
  3. ^ 松沢呉一 (2018年7月24日). “松沢呉一のビバノン・ライフ 自分の意思で売春する女を潰すことが売防法の目的 — 伊藤野枝と神近市子[3]” (日本語). タグマ!. ガードかなさる有限会社. 2022年1月14日閲覧。
  4. ^ 今週のHONZ 「あの淫乱女!」伊藤野枝の破天荒すぎる28年” (日本語). 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社 (2016年5月14日). 2022年1月14日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 『伊藤野枝の手紙』伊藤野枝、 大杉豊、土曜社, 2019/04/26、「余話・辻まこと、若松流二のこと」の項
  6. ^ 『歴史と人物』中央公論社、1976年10月号「アナーキズムの星 大杉魔子」千谷道雄

参考文献[編集]

  • 絲屋寿雄 著「赤瀾会と江刺さんのこと」、江刺昭子 編 『覚めよ女たち : 赤瀾会の人びと』1980年、243-246頁。 
  • 矢野寛治著『伊藤野枝と代準介』弦書房、2012年、ISBN978-4-86329-081-5
  • 浦辺登著『玄洋社とは何者か』弦書房、2020年、ISBN978-4-86329-154-6

関連項目[編集]

外部リンク[編集]