自由恋愛主義

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自由恋愛主義(じゆうれんあいしゅぎ)またはフリー・ラブ: free love)は、キリスト教的な結婚観を背景にもつ欧米でおきた「結婚」を社会的・経済的な束縛とみなし、拒否する社会運動のことである。

本来的には「フリー・ラブ」そのものはかならずしも複数のパートナーとの性的な関係性(「フリー・セックス」)とは結びついていない。女性の純粋でのびのびした感情の表現表現の希求であり、それを規制しようとする制度に対する反対である。

はじめ、自由恋愛主義者たちの目的は、「結婚」や避妊姦通といったセックスに関する問題への国家の介入をしりぞけることだった。自由恋愛主義者たちは、これらの問題をわたくし個人の問題であると主張した[1]。自由恋愛運動はおもにアナキズムから派生したもので、恋愛に関する国家教会からの自由をもとめるリバタリアニズムを反映している。その主張によれば、成人どうしの同棲関係(フリー・ユニオン)は他人から尊重されるべき正当な関係であるとした。

ヴィクトリア朝の自由恋愛運動では、当時としては過激な思想であったが、男女には性的快楽を得る権利が同等にあるという主張もみられた[2][3]

日本において「恋愛」は明治期に輸入された比較的あたらしい概念であり、まだいかようにも変化しうる可能性をはらんでおり、小説、漫画、アニメや映画などのサブカルチャーで盛んに実験が繰り広げられている。

概要[編集]

今日のステレオタイプな意見によると、かつて中産階級のアメリカ人は安定しない世界だったので、家庭が安定した場所になることをのぞんでいたとされる。この精神には、厳密にきめられた男女の役割分担がふくまれていたため、「自由恋愛運動」というかたちでのマイノリティの反発がおきた。

いっぽうで「フリー・ラブ」という言葉は、しばしば1960年代から1970年代にかけてのカウンターカルチャーに関連して、「乱交(promiscuity)[4]」とむすびついてイメージされたが、歴史的に自由恋愛主義者は複数の性的パートナーや短期間の性的関係を主張してはいない。ただ、自由にむすばれた性的な関係が法律によって規制されるべきではないと主張してきた。「ラディカル・セックス(Radical sex―過激なセックス)」という言葉は、「フリー・ラブ」という言葉とおなじように使われて、それをネガティヴな意味合いにする否定論者によって好まれる言葉だった。その言葉がなんであれ、自由恋愛主義者には2つの強い信念があった。つまり、「性行為の強制に対する反対」、「それから女性は自身が楽しいと思う方法で自分の体を使うこと」である。

自由恋愛にかんする法律には、未婚の夫婦が一緒に暮らすことを禁じる法律、姦通と離婚、同意の年齢、同性愛、中絶、そしてときには売春を規制するものがふくまれている。すべての自由恋愛主義者がこれらの問題に同意しているわけではない。結婚生活で個人の尊厳を傷つけることも懸念される。たとえば、一部の地域では夫や妻の強姦を認知しない、または非配偶者の強姦よりもそれほど真剣に扱っていないところもある。 19世紀以来の自由恋愛運動は、セクシュアリティについて公的に議論する権利を擁護し、猥褻法とたたかってきた。

20世紀にはいると、いくにんかの自由恋愛主義者は、社会制度としての結婚が感情や心理状態の奴隷化をうながすと論じ、結婚にたいする批判を強めていくことになった[5]

フェミニズムとの関係[編集]

自由恋愛の歴史はフェミニズムの歴史とふかく関係している。

18世紀後半から、メアリー・ウルストンクラフト(Mary Wollstonecraft[6])のようなフェミニストのリーダーが結婚制度に異議をとなえ、そのおおくが廃止を提唱している。

メアリー・ウルストンクラフト(1759- 1797)。フェミニズムの先駆的な作家であったウルストンクラフトはフランス革命(1789)に触発され、女性の権利を擁護し、主張した。

フェミニズムからの批判によると、既婚女性は妻と母親にしかなれず、他の職業を追求するチャンスをうしなってしまう。当時の米国社会において、ときに法律は結婚した女性や母親を教師として雇用することを禁じていた。 1855年、自由恋愛主義者の女性メアリー・ゴブ・ニコルズ(Mary Gove Nichols[7])は、結婚を「女性をほろぼすこと」だと述べ、女性が法律と大衆感情における男性の財産とみなされ、独善的な男性が妻の自由のすべてを奪いとってしまっていると説明した。たとえば、当時、法律はしばしば夫が妻を殴ることを許可していた。自由恋愛主義者は、子供たちのおおくが不自由な結婚生活のなかで強制的に生まれており、これにかわって「選択の自由」と「愛情」の結果とするべきだと主張した。さらに当時は婚姻外の子供は既婚の親とおなじ権利をもつことができなかった。

1857年、女性社会革命家のミネベア・パトナム(Minerva Putnam )は「自由恋愛の議論では女性がそのテーマについての意見を出そうとしたことはない」と訴え、すべての女性読者に「女性の尊厳を高め、自由を宣言しよう」とよびかけて、意識の変革をうながした。19世紀には少なくとも6冊の本が「自由恋愛」を支持していたが、そのすべてが男性によって書かれていた。だが、アメリカ南北戦争後の4つの主要な自由恋愛定期刊行物の半数には女性編集者がいた。メアリー・ゴブ・ニコルズは女子代表の主唱者であり、当の女性たち自身は自由恋愛運動を見上げるようにながめていた。彼女の自伝は、女性の立場から書かれた「反=結婚」の最初の議論となった。

自由愛の支持者にとって、セックスは生殖だけではなかった。避妊は女性の自立の手段とみなされ、避妊運動家のリーダーも自由恋愛を受けいれていた。セクシュアル・ラディカルは、女性の身体をコントロールし、避妊、婚姻・性的虐待(情緒的および肉体的)、性的教育などの問題について自由に話しあう女性の権利の維持に焦点をあてていた。彼女たちは、女性のセクシュアリティについて話すことによって、女性に力をあたえるのだと信じていた。このような思想家たちは、この目標を達成するために、言葉や本、パンフレット、定期刊行物などに期待して、50年以上にわたってこの運動をつづけ、米国全土で自由恋愛のメッセージをひろめていった[8]

歴史[編集]

歴史をつうじておおくのユートピア的な社会運動は、自由な愛のビジョンを共有してきた。

6世紀、ペルシャのマズダック教。彼らは菜食主義、平和主義、地方分権を好んだが、ササーン朝によって迫害され、処刑されてしまう。

紀元前1世紀から紀元後1世紀まで中東に住んでいたユダヤ教の一グループ、エッセネ派(Essenes[9])の男性たちは、あきらかにセックス、結婚、奴隷をさけていた。彼らは富をすて、共同して生活し、平和主義者だった。また、アダム派(Adamites[10])としてしられている初期のキリスト教の宗派は、2~4世紀の北アフリカにすみ、結婚することを拒否した。彼らはヌーディズムを実践し、原罪がないと自分自身で信じていた。

6世紀には、イスラム教がひろまる以前、ペルシャのマズダク教(Mazdakism[11])の支持者は結婚をみとめながらもある種の自由恋愛を支持した。また、他の自由恋愛運動と同様に、菜食主義平和主義地方分権を好んだ。 また、なんにんかの作家は、「私有財産の拒絶」と「女性を所有することとしての結婚」の拒絶とのあいだの概念的なつながりを提起している。千夜一夜物語」におさめられた民話には、海のなかで全裸で自由恋愛がいとなまれていた共同体時代の物語がえがかれている。(「アブドゥラの漁師とアブドゥラの人魚の物語」(8世紀) )

1895年に書かれたカール・カウツキーの著作では、中世のさまざまな「共産主義的」運動もまた結婚を拒否したと指摘した。そのような典型は、西ヨーロッパで10世紀から14世紀にかけて活動したカタリ派(Cathars[12])であり、彼らは支持者を宗教的な禁止や義務から解放し、「シンプルな生」のあり方を尊重し、動物や人間の生活を奪うことを避け、独身をとおした。女性には当時の宗教指導者でさえ珍しい平等と自主性があった。 カタリ派と似たような別の派は、ローマカトリック教会によって「異端」としてレッテルを貼られ、抑圧された[13]

啓蒙思想―ブレイク、ウルストンクラフト[編集]

ウィリアム・ブレイクの「アルビオンの娘たちの幻影」(1793年)には、ブレイクのユダヤ/キリスト教の結婚観に対する批判が含まれている。オートン(中央)とブロミオン(左)は鎖でつながれており、 ブロミオンがオートンをレイプし、今では彼の赤ん坊を運んでいる。 テオトルモン(右)とオートンは恋に落ちているが、テオトルモンは彼女が穢れていると考え、決心できず、行動しかねている。

ウィリアム・ブレイク[編集]

啓蒙時代とフランス革命による政治的な解放によってもたらされた「伝統的な道徳や宗教への挑戦」は、自由恋愛などのアイデアが花ひらく環境をつくりだした。フランス革命を支持していたイギリスの(時々ジャコバン派としても知られる)急進的知識人集団は、「フェミニズム」と「自由恋愛」についての初期の考えを発展させた。

彼らのあいだで注目されたのは、ロマン主義の詩人ウィリアム・ブレイク(William Blake)であり、「アルビオンの娘たちの幻影」のような詩では、結婚による「性的な抑圧」を奴隷制と比較した。ブレイクは結婚法に批判的であり、伝統的なキリスト教の貞操観念に反対していた。彼自身、彼の結婚にはおおきな心労がともなっていた。妻キャサリンは子供を産むことができなかったため、彼は第2の妻を家につれてくることを直接訴えた。彼の詩は、結婚制度における単なる義務の愛をへらし、結婚法を動機とした嫉妬とエゴは批難すべきだと暗示している。 彼の詩「なぜ私はあなたに縛られるべきなのだろうか―(Why should I be bound to thee)」や 「地球の答え(Earth's Answer)」では、彼は複数の性的パートナーを支持しているようだ。また詩「ロンドン」では、「若い売春婦の呪い」になやまされた「結婚 - 哀歌」、偽りの賢明さと売春との交互の結果をうたう。「アルビオンの娘たち」のビジョンは、広く普及しているわけではないが、ブロミオンとオートンの関係は「愛」ではなく「法律」によってのみ保たれるため、「自由恋愛」への賛辞として広​​く読まれてはいる。ブレイクにとって「法」と「愛」は反対であり、彼は「結婚の冷たいベッド」を批難した。

ブレイクは、人間が「堕落した」と信じていた。自由恋愛社会へのおおきな妨げは、単に社会の不寛容と人間の嫉妬ではなく、人間どうしのコミュニケーションの偽善的な本質、つまり人間の腐敗だった。 彼は「結婚」が愛の喜びをあたえると考えていたが、実際にはそうではなく、「結婚しているという夫婦の事実がしばしばよろこびを減少させてしまう」とした。

メアリー・ウルストンクラフト[編集]

ブレイクのサークルのべつのメンバーは、先駆的なイギリスのフェミニストのメアリー・ウルストンクラフトと彼女の夫で初期のアナキスト、ウィリアム・ゴドウィンだった。

自由恋愛は、最初期のフェミニストの一人に彼らのチャンピオンをみつけた。その著作のなかでウルストンクラフトは結婚制度に挑戦し、その廃止を提唱した。

彼女の小説は結婚の社会構成とその女性への影響を批判している。処女作「メアリー:フィクション(Mary: A Fiction[14])」は1788年にかかれた。ヒロインは経済的理由のために愛のない結婚を強制される。彼女はべつの男性と女性との関係のなかで愛をみつける。小説「マリア:もしくは女の過ち(Maria: or, The Wrongs of Woman)」は、未完だが、1798年に出版され、亡命した夫によって収監されることになった女性の物語を中心に展開されている。マリアは、収監者との友人関係のなかで、結婚のそとで達成をみいだす。メアリーは、「女性はつよい性的欲求をもっており、逆にそれを装うのは堕落、不道徳である」ということを明確にしている。

ウルストンクラフトは女性が性的自由とそれをコントロールすることをやめてはならないと感じていた。したがって、フランス革命の恐怖の只中で妊娠していたにもかかわらず、彼女のパートナー、ギルバート・イマレーとは結婚しなかった。関係はひどく終わったが、イマレーの浮気が発見されたこともあり、イマレーが彼女を捨てて良かったと言える。自由恋愛への信念は生きのこった。彼女はのちに、自由恋愛の理想を共有し、その主題として公表されたゴッドウィンとの関係を深めた。そして、2人はウルストンクラフトが産褥熱のため死亡する数日前に結婚することをきめた。

自由恋愛を支持するための行動は2人の子メアリー・シェリー[15]に引き継がれた。彼女は若いころ英国のロマン派の詩人パーシー・ビッシュ・シェリーと不倫関係になった。シェリーは無差別的な自由恋愛と菜食主義を守るため、クイーン・マブの散文詩(1813)、愛についてのエッセイ(1815年)、Epipsychidion(1821)を書いた。

私はけしておおきな分派によりそうことはなかった

それぞれの教義のどれを選択すべきか

群衆から離れて愛人や友人

そして残りのすべて 公正で賢明、その賞賛にもかかわらず

冷たい忘却に沈む...

本当の愛は金や粘土とはちがって

分裂によって取りのぞかれることはない 

近代の人物と自由恋愛[編集]

ユートピア社会主義の提唱者シャルル・フーリエ。彼のユートピア思想は共産主義のみならず60年代のヒッピーたちの考え方にも影響をあたえている。

「自由恋愛」と理想を共有する初期の社会運動、つまり、「フェミニズム」、「平和主義」、「シンプルな共同生活」などとは、19世紀初めのフランスと英国の「ユートピア社会主義共同体」であり、アンリ・ド・サン=シモンシャルル・フーリエ、そしてイギリスのロバート・オーウェンなどと関連する。「フェミニズム」という言葉をはじめにつくったフーリエは、「真の自由」は労働の精神がなく、情熱の抑制がなく、教師がいない状態でのみ生じると主張した。情熱の抑制は、個人にとって破壊的なだけではなく、社会全体にとって破壊的である。彼は人々が濫用しないかぎり、あらゆる性的表現を楽しむべきだと主張し、「違いをみとめる」ことがこそ、実際の社会統合を高めることができると主張した。ロバート・オーウェンは、結婚は宗教や私有財産とおなじように人類に対する「ひどい三位一体」の抑圧者だとした。彼の息子のロバート・デイルは「自由離婚」の提唱者だった。サン=シモン主義のフェミニストのポーリーヌ・ローランドは1830年代に4人の子供がいたが、結婚に反対する自由恋愛の姿勢をとった。

ドイツの作曲家、リヒャルト・ワグナーは、いくつかの作品で自由愛ににたようなものを提唱し、まだ指揮者ハンス・フォン・ビューロと結婚していたコジマ・リストと不倫関係になり、家族をもった。そのような情事は、当時、あきらかにスキャンダルだったにもかかわらず、社会的な慣習というよりはむしろ自分たちの意志にしたがう賞賛される芸術家の行動にみえた。このようにして、彼らは、時代のリベラルな哲学者への信仰の情熱と歩調をあわせていた。上記のフーリエやオーウェンのような、実際の、または結果としての開放性は、20世紀のより自由な社会への前奏曲であると理解することができる。

フリードリッヒ・ニーチェはしばしば自由恋愛のようなものを好んで語ったが、女性作家ルー・アンドレアス・サロメにプロポーズしたとき、彼女は彼の自由で道徳を超越した超人哲学と矛盾していると彼を批判した。 ニーチェはそれを真剣にうけとめたようだった。作曲家フレデリック・ショパンと作家ジョルジュ・サンドの関係は、おおくの点で自由愛を例証するものとして理解することができる。 大衆の目のつく人物によるこのような行動は、特に伝統主義者が実際におこなって不幸をもたらした場合、伝統主義の信頼性をおおきく損ねてしまう。

脚注[編集]

  1. ^ McElroy, Wendy. "The Free Love Movement and Radical Individualism." Libertarian Enterprise .19 (1996): 1.
  2. ^ Dan Jakopovich, Chains of Marriage, Peace News
  3. ^ “Free love” (英語). Wikipedia. (2018年8月25日). https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Free_love&oldid=856423785. 
  4. ^ 複数プレイを含むような性的な交わり。
  5. ^ “Free love” (英語). Wikipedia. (2018年8月25日). https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Free_love&oldid=856423785. 
  6. ^ “Mary Wollstonecraft” (英語). Wikipedia. (2018年9月17日). https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Mary_Wollstonecraft&oldid=859983598. 
  7. ^ “Mary Gove Nichols” (英語). Wikipedia. (2018年6月29日). https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Mary_Gove_Nichols&oldid=847995015. 
  8. ^ “Free love” (英語). Wikipedia. (2018年8月25日). https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Free_love&oldid=856423785. 
  9. ^ “Essenes” (英語). Wikipedia. (2018年8月22日). https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Essenes&oldid=856043551. 
  10. ^ “Adamites” (英語). Wikipedia. (2018年7月6日). https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Adamites&oldid=849117327. 
  11. ^ “Mazdak” (英語). Wikipedia. (2018年9月8日). https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Mazdak&oldid=858581476. 
  12. ^ “Catharism” (英語). Wikipedia. (2018年9月3日). https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Catharism&oldid=857844245. 
  13. ^ “Free love” (英語). Wikipedia. (2018年8月25日). https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Free_love&oldid=856423785. 
  14. ^ “Mary: A Fiction” (英語). Wikipedia. (2018年4月4日). https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Mary:_A_Fiction&oldid=834223515. 
  15. ^ 小説「フランケンシュタイン」の作者であり、SF小説の元祖ともいわれている。