千夜一夜物語

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シャフリヤールに物語を話すシャハラザード(シェヘラザード)شهرزاد

千夜一夜物語』(せんやいちやものがたり、: ألف ليلة وليلة‎,ペルシア語: هزار و یک شب‎ )は、中世イスラム世界アラビア語でまとめられた説話集である。

『千夜一夜物語』は、日本語では『千一夜物語』、『アラビアンナイト』とも呼ばれている。初期の翻訳においては、永峯秀樹訳『開巻驚奇 暴夜(あらびや)物語』や、日夏耿之介訳『壹阡壹夜譚』の題名も見られた。

名称[編集]

アラビア語: ألف ليلة وليلة‎ はラテン文字化alfu lailatin wa lailatun もしくは Alf Laylah wa Laylah (『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』)、 ペルシャ語: هزار و یک شب‎ はラテン文字化で Hezār-o yek šab となる。アラビア語名の『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』は、alfが「千」、laylahが「夜」の意味で、waが接続詞「と」であるから、一見すると「千夜と一夜」となる。ただしアラビア語の数の数え方を考慮すると、訳としてはむしろ「千一夜」の方が適切であるが、日本では「千夜一夜物語」の名称が普及している。

通称の「アラビアン・ナイト」の訳は、この物語が初めてイギリスに紹介されたときの題名が Arabian Nights Entertainments であったこと、また明治初期に本作がアラビア物語などとして翻訳されたことに由来している(『暴夜物語』(1875年)、『全世界一大貴書(アラビアンナイト)』(1883年)など)。

「千一夜」(または「千夜」)というのは、数が多いということから付けられた題名であって、その原型となる写本では、ずっと少ない夜数の物語であった(後述)。

内容[編集]

ドゥンヤザード姫

妻の不貞を見て女性不信となったシャフリヤール英語版王が、国の若い女性と一夜を過ごしては殺していたのを止めさせる為、大臣の娘シャハラザード(シェヘラザードشهرزاد)が自ら王の元に嫁ぐ。そしてシャハラザードは千夜に渡って毎夜王に話をしては気を紛らわさせ、終に殺すのを止めさせたという物語が主軸となっている(また、姉のシャハラザードの傍らに、妹のドゥンヤザード英語版もいる)。話が佳境に入った所で「続きはまた明日」とシャハラザードが打ち切る為、王は次の話が聞きたくて別の女性に伽をさせるのを思い留まり、それが千夜続いたという。説話は、冒険商人たちをモデルにした架空の人物から、アッバース朝カリフであるハールーン・アッ=ラシードや、その妃のズバイダのような実在の人物までが登場し、多彩な物語を繰り広げる。説話は様々な地域に起源をもち、中世のイスラム世界が生き生きと描き出されている。

実在した登場人物

本来の夜数と物語数[編集]

アラビアンナイトは、9世紀ごろに原型ができてから、多くの人の手によるさまざまな発展段階を経た。原型が作られたイスラム世界でも多様な版が存在し、やがて東方諸国、ヨーロッパに紹介されていくにつれ数多くのバリエーションが生まれたことが、この物語の大きな特徴である。

アラビアンナイトの原形はそれほど長大な物語ではなかった。その理由は、現存するいろいろな版を比較すると、収録されている話も順序もかなり違うが、最初の二百数十夜くらいはほぼ共通しているからである[1]

ガラン写本ではその夜数は282夜であり、物語の数は40話に過ぎない。しかし、「千一夜」という題名のゆえに、本来は1001夜の「完本」があるはずだとガラン自身も信じていた[2]。このことから、ヨーロッパでの「残りの物語」探しが盛んになり、それに応じて中東でその後に多くの物語が付加されて、ついに19世紀には現在の1001夜分を含む形で出版されるに至った。

現存する写本としては最古のものとされるガラン写本に収録されていたのは、東洋文庫版でいうと、第1巻、第2巻、そして第3巻冒頭の「ヌールッ・ディーン・アリーとアニースッ・ジャリースの物語」、第6巻の「アリー・ビン・バッカールとシャムス・ウン・ナハールとの物語」、それに続く「カマル・ウッ・ザマーンの物語」冒頭部分、第15巻の「ホラサーンのシャフルマーン王の物語(ジュナールの物語)」くらいであり、残りはすべてガラン写本以外の資料を典拠としている。現在のアラビアンナイト物語集は、成立当時の姿の何倍にも膨らんでいる[3]

結局のところ、アラビアンナイトは「これ」という底本がない古典であり、底本がないゆえにどんどん新しい物語が加えられ、されにヨーロッパと中東という二つの文明の間を行ったり来たりするうちに変形が進んだ物語といえる。偽写本の捏造もしばしば行われた。しかしオリジナルがないゆえに、どれが正しくどれが誤りといった判断をするのは困難である。いつ、どの話が加えられたのかという判断も難しく、また、いつの段階までに収録された話を正式のアラビアンナイトと呼ぶのか、といった定義のようなものがあるわけではない[4]

沿革[編集]

サーサーン朝時代に中世ペルシア語であるパフラヴィー語で記された「ハザール・アフサーナペルシア語版」(هزارافسانه‎, Hazār-Afsāna‎)が、イスラームアッバース朝時代に翻訳されたものとされる。現存する最古のアラビア語写本は、9世紀の『千夜物語』(アルフ・ライラ)である。

もっとも初期の物語の1つは船乗りシンドバードの物語で10世紀以前のものであり、これに対してもっとも後期の物語はカマールと達者なハリマの物語、マアルフの物語(蜂蜜入りの乱れ髪菓子と靴直しの禍いをまきちらす女房との物語)は16世紀のものらしい。そして大多数の物語はこの二群の中間、すなわち10世紀から16世紀の間のものと推定されている[5]

アレクサンドル・ウラール(Alexandre Ular)はそれぞれの物語を銃器の使用有無やぶどう酒蒸留酒コーヒーの出現有無、たった1回だけ煙草が登場すること、多くの病気が登場するにもかかわらず梅毒が登場しないことなどから千夜一夜物語の下限を15世紀から16世紀と結論している[6]

以上を総合すると、おそらくは9世紀もしくは10世紀のバグダードで原型がつくられ、徐々に物語がつけ足されてゆき、15世紀ごろのカイロで最終的なかたちにまとめられたのではないかと思われる。ただし、9世紀頃に出現した「アルフ・ライラ」の原写本はみつかっておらず、初期の物語群がどのような経緯で現在のようなかたちになってきたかについては、いまだに不明確なままである[7]

ヨーロッパでは、18世紀初頭にフランスアントワーヌ・ガランが「発見」し、シリア系写本を使ってフランス語訳を行い、広く紹介した。以来、さまざまな翻訳と翻案が積み重ねられ、アラブ文芸の枠に留まらない大きな文学ジャンルと言えるほどの作品となっている。

エマニュエル・ジョルジュ・コスカンEmmanuel Cosquin)(1909)は、全体の枠となる物語を分析し、次の3つの説話が原型になっているとした。

  1. 妻の裏切りに絶望したある男が、他の高貴な人物が自分と同様に不幸であったことを知って、心の悩みから免れる話
  2. 超人的存在でも女の裏切りはふせぎ得なかったという話
  3. 説話の名人がその妙技をもって自分やその父の危機を脱する話

である[8]。このような構成には、他にも『屍鬼二十五話』、『ヒトーパデーシャ英語版』、『パンチャタントラ』などインドの説話集(サンスクリット文学英語版)が知られており、インド起源の説話がまずペルシアに伝わって風土化し、のちにアラブ人に伝わって成立したとする。また、成立後も様々な作家によって新たに挿話が付け加えられ、原典であっても複数のテキストが存在する[9]

日本では1875年英語版からの翻訳が行われ、以来英語・フランス語などのさまざまなバージョンからの重訳が行われた。また、有名な説話は児童文学に翻案され親しまれている[10]。アラビア語(カルカッタ第二版)からの翻訳には、前嶋信次池田修による『アラビアン・ナイト』がある。この他の日本語訳に、マルドリュス版(仏語)からの『完訳 千一夜物語』(岩波文庫)、バートン版(英語)からの『バートン版 千夜一夜物語』などがある。

原典および翻訳[編集]

アラビア語の写本

アラビア語写本[編集]

アラビア語の写本(手書きの本)には、ガラン写本(シリア写本、15世紀半ば)、トルコ写本(16世紀)、エジプト系写本などが知られているが、内容がそれぞれ異なっている。

1704年以前の写本[編集]

ガラン版が1704年にヨーロッパで発行され大きな反響を生んだ時以前に作られた写本の主なものには以下のものがある。これらの古い写本にはヨーロッパの影響を受けていない千夜一夜物語の本来の姿があるとされる。

ガラン写本
千夜一夜物語を最初にヨーロッパに紹介したアントワーヌ・ガラン(Antoine Galland、1646年-1715年)が原典とした写本。15世紀半ばに書かれたもので、現存する写本のなかで最古である。全3冊で282夜(物語の数は40話)である。ガランが1701年ごろにシリア人の友人から入手したものであり、現在、フランス国立図書館の所蔵となっている。[11][12]
チュービンゲン写本
15世紀初期に書かれた可能性があるとされる写本。283夜から542夜の部分が残っている。[13]
トルコ写本(カイセリ写本)
トルコのカイセリに伝わる写本で、16世紀に作られたとされる。カイセリ写本とも言われる。枠物語の結末が書かれた最古のものとされ、それによれば、シャハラザードに子は生まれておらず、ブーラーク版、カルカッタ第二版とこの点において異なっている。[13]
マンチェスター写本
イギリスのマンチェスター大学ジョン・ライランズ図書館が所蔵する写本で16世紀前半に作られたとされる。255夜から始まっている。[13]
マイエ写本
17世紀後半に成立したと考えられている写本。冒頭部分から905夜までが収録されている。1702年にフランスのエジプト総領事ベノワ・ド・マイエ(Benoît de Maillet)が購入したものである。[13]

1704年以降の写本[編集]

ガラン版が1704年にヨーロッパで発行され大きな反響を生んだ時以後に作られた写本の主なものには以下のものがある。これらの新しい写本は数が多く、ヨーロッパの影響を受けているものもあるとされる。

マカン写本
アレクサンドリアのイギリス総領事ヘンリー・ソルト(Henry Salt 1780年-1827年)が所持していたもので、彼の死後にターナー・マカン少佐(1792年-1836年)に渡り、最終的にはカルカッタ第二版の作成に使用された。しかし、現在、マカン写本の所在は確認されていない。[14]
ゾータンベールのエジプト系写本(ZER)
1704年以後にエジプトで多数作成された写本群で互いに良く似た内容となっている。写本研究者エルマン・ゾータンベール(Hermann Zotenberg 1836年–1894年)により分類されZER(Zotenberg Egyptian Recension)と呼ばれている。ブーラーク版の主な典拠となった。[13]
ラインハルト写本
1831年から1832年に作成された写本で、ドイツのエジプト副領事ラインハルトがエジプトからもたらしたものである[15]。この写本の結末では、シェヘラザードが意図的に冒頭の枠物語を語り始め、途中でシャフリヤール王が自分たちの話なのだと気づき、すべてを悟って前非を悔いるいう構造になっている[16]

偽写本[編集]

ヨーロッパで有名になったガラン版千夜一夜物語は、当初は1001夜に満たない形で刊行されたため、1001夜まである完全な形の写本探しが熱狂的に行われた。また、原典となる写本が存在しない有名な話「アラジンと魔法のランプ」「アリババと40人の盗賊」の写本探しも行われた。これに伴い偽写本が作られるようになった。偽写本で主なものには次のものがある。

シャヴィ偽写本
シリアのアレッポ出身(レバノン出身説もあり)のアラビア語教師シャヴィ(Dom Denis Chavis)が作ったとされる偽写本。アラジンと魔法のランプを含み、631夜まで収録されている。この偽写本をジャック・カゾットがシャヴィと共著で「続千夜一夜物語」に翻訳し、またド・パルシヴァル(Jean Jacques Antoine Caussin de Perceval 1759年-1835年)が「ガラン版千夜一夜物語補遺(1810年)」に翻訳した。フランス王立図書館に寄贈されていた。後年、千夜一夜物語の研究者ムフシン・マフディー(Muhsin Mahdi 1926年–2007年)により偽写本と断定された。[13][12]
サッバーグ偽写本
シリア人ミシェル・サッバーグ(Michael Sabbagh)が作ったとされる偽写本。バグダート写本(存在不明の写本。1703年10月21日に作成されたものとされる)を1810年代に筆写したものとされていた。東洋学者ド・パルシヴァル(Jean Jacques Antoine Caussin de Perceval 1759年-1835年)の所蔵であったが、死後所在不明となり、1887年に写本研究者エルマン・ゾータンベール(Hermann Zotenberg 1836年–1894年)がパリの古物商で再発見し購入した。物語の初めから1001夜まで揃っており、アラジンと魔法のランプを含み、シンドバッドの冒険とアリババと40人の盗賊は含んでいない。後年、千夜一夜物語の研究者ムフシン・マフディー(Muhsin Mahdi 1926年–2007年)により偽写本と断定された。[13][12]
ワルシー偽写本
フランス人ジャン・ワルシーが18世紀に作成した偽写本。アリババと40人の盗賊を含む。1910年にダンカン・ブラック・マクドナルド(Duncan Black MacDonald 1863年-1943年)がオックスフォード大学のボドレアン図書館で再発見し、初めてのアリババの写本と思われたが、後年マクドナルド自身により偽写本とされた。。[13][12]
チュニジア写本
ブレスラウ版千夜一夜物語の底本の一つとなったとされる写本であるが、現存しない。そもそも最初から存在しない架空の物であることがダンカン・ブラック・マクドナルド(Duncan Black MacDonald 1863年-1943年)により断定されている。[13]

アラビア語刊本[編集]

アラビア語の刊本(印刷された本)では、次のものが著名である。

カルカッタ第一版
1814年から1816年にかけてインドのカルカッタで出版された。Cheik El Yemeni版とも言う。全2巻で各巻100夜分の物語を含む。ガラン写本などを元にしている。[12]
ブレスラウ版
1824年から1843年にかけてマクシミリアン・ハビヒト(Maximilian Habicht、1775年-1839年)によりポーランドブレスラウで出版された。Habicht版とも言う。ヨーロッパに散在する写本を元にしている。[12]
ブーラーク版
1835年にエジプトのカイロ近郊のブーラーク(Boulaq)国立印刷所により出版された。Boulaq/Boulak版。全2巻。エジプト系写本(ZER)を主な典拠としている。[12]
カルカッタ第二版
1839年から1842年にかけてインドのカルカッタで印刷された。MacNaghten版とも言う。サー・ウィリアム・マクナーテンWilliam Hay Macnaghten)らにより、「マカン写本」などを底本として出版された。究極の寄せ集め本といえるものである[17]。「カルカッタ第二版」は「アラジンと魔法のランプ」「アリババと40人の盗賊」を含まないが[18]、カルカッタ第二版の翻訳である東洋文庫版『アラビアン・ナイト』では別巻として刊行されている。

欧州言語の翻訳本[編集]

英語またはフランス語に翻訳発行されたものでは、次のものが著名である。なお、ヘンリー・リーヴHenry Reeve)は、1886年に『エディンバラ・レヴュー』(en:Edinburgh Review)誌で「ガランは子ども部屋に、レインは図書館に、ペインは書斎に、そしてバートンはドブに」と特徴づけている。[19][20][21][22]

ガラン版(フランス語)
1704年から1717年にかけてアントワーヌ・ガラン(Antoine Galland、1646年-1715年)の翻訳によりフランス語で出版された。全12巻。第1巻から第7巻はガラン写本を元に翻訳され、第8巻以降は別の写本を元に翻訳されている。この版により初めてヨーロッパに千夜一夜物語が紹介され、大きな反響を呼んだ。[12]

ヘンリー・リーヴの評言:「ガランは子ども部屋に」。

レイン版(英語)
1838年から1840年にかかてエドワード・ウィリアム・レイン(Edward William Lane、1801年-1876年)の翻訳により英語で出版された。家庭向け、児童向けとしての配慮から省略、改定された部分がある。ブーラーク版を元に翻訳されている。[12] 同時代のエジプトを知るための社会資料として千夜一夜物語を見ており、200枚を超える挿絵、膨大な注釈を附した。[21]

ヘンリー・リーヴの評言:「レインは図書館に」。

ペイン版(英語)
1882年から1884年にかけてジョン・ペイン(John Payne、1842年–1917年)の翻訳により英語で出版された。全12巻。カルカッタ第二版を元に翻訳されている。[12]

ヘンリー・リーヴの評言:「ペインは書斎に」。

バートン版(英語)
1885年から1888年にかけてリチャード・バートンにより英語に翻訳され出版された。本編10巻と補遺6巻から成る。本編10巻は「カルカッタ第二版」を底本としているが、「ブレスラウ版」(アラビア語、欧州で印刷された唯一の原典版、チュニスから出た写本に基くとしている)「カルカッタ第一版」「ブーラーク版」や他の英訳本等で補足されており、バートンによる脚色を含んでいる。「カルカッタ第二版」に含まれない物語(「アラジン」など)は補遺6巻に収録されている。バートン版は、特に性風俗に関して充実している詳細な訳注に特徴がある。また、他のどの版よりも収録物語数が多く、「もっとも完備している」と言われる。[21]

ヘンリー・リーヴの評言:「バートンはドブに」。

マルドリュス版(フランス語)
1899年から1904年にかけてジョゼフ=シャルル・マルドリュスにより仏訳され出版された。全16巻。「完訳」「逐語訳」を謳うが、そもそも特定の本を訳したものではなく、既存の版をベースにマルドリュスが独自に編纂し大幅に加筆したもの。バートン版とは方向性が異なるものの官能性を強調している傾向が強い。マラルメジッドなどのフランスの文学者から高い評価を受けた。子供向けにリライトされたガラン版を除けば、バートン版と共に世界で最も読まれている千夜一夜物語。[21]

主な日本語訳[編集]

千夜一夜物語に関する事件[編集]

2010年4月21日エジプト弁護士団体「制限なき弁護士団」が「公序良俗に反する」として出版者の逮捕と同書の押収を当局に要求し、これに対して作家や人権団体などの反発が起こった。同説話には性的表現も含まれるため、「反イスラム的」として標的にされたと言われている[23][24]

派生作品[編集]

飛翔する「黒檀の馬」(千夜一夜物語のあらすじ#黒檀の馬奇談(第414夜 - 第432夜))を描いたハンガリーの切手

アニメ[編集]

『千夜一夜物語』[編集]

手塚治虫のプロデュース・構成・脚本により、1969年6月14日に公開された。大人のためのアニメ(アニメラマと称した)としてアレンジが加えられ、大胆な性描写、実写映像の合成など、実験的な要素が強い作品となっている。当時の大物文化人やコメディアンを声の出演に多数起用しており、アニメとしては異例の豪華なキャスティングでも話題となった。

スタッフ
声の出演


その他のアニメ[編集]

実写映画[編集]

楽曲[編集]

小説[編集]

漫画[編集]

ゲーム[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 西尾哲夫『アラビアンナイト --- 「物語」に終わりはない』、100分de名著、NHK出版、2013年11月、p.20
  2. ^ 西尾哲夫 『アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語』 岩波新書、2007年、p.34 「成立当初に収録されていたと思われる物語数は確定できないのだが、少なくとも不完全な写本だとガランが思っていたガラン写本がアラビアンナイト初期の姿をかなり忠実に伝えていた可能性は捨てきれないのである。」
  3. ^ 西尾哲夫『アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語』 岩波新書、2007年、pp.36-37
  4. ^ 西尾哲夫『アラビアンナイト ---「物語」に終わりはない』、100分de名著、NHK出版、2013年11月、p.23
  5. ^ 岩波文庫 完訳千一夜物語(1)、1988年、改版第6刷、 解題 p.395
  6. ^ 岩波文庫 完訳千一夜物語(1)、1988年、改版第6刷、解題 pp.395-396
  7. ^ 西尾哲夫、国立民族学博物館編著 『アラビアンナイト博物館』 東方出版、2004年、p.13
  8. ^ 『アラビアン・ナイト(1)』、前嶋信次訳、 平凡社平凡社東洋文庫〉、1966年、訳者あとがき、p.260
  9. ^ 『アラビアン・ナイト(1)』、前嶋信次訳、 平凡社平凡社東洋文庫〉、1966年、訳者あとがき、pp.260-261
  10. ^ これらには「アラジンと魔法のランプ」、「アリババと40人の盗賊」のように本来『アラビアン・ナイト』に含まれない別系統の物語もある。
  11. ^ 西尾哲夫「アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語」、岩波新書、 ISBN 978-4-00-431071-6、p.13
  12. ^ a b c d e f g h i j 西尾哲夫「アラビアンナイト ファンタジーの源流を探る」 ISBN 978-4-14-910747-9
  13. ^ a b c d e f g h i pp.49-50
  14. ^ 西尾哲夫『アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語』 岩波新書、2007年、pp.52-53,p.64
  15. ^ 西尾哲夫『アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語』 岩波新書、2007年、p.53
  16. ^ 西尾哲夫『アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語』 岩波新書、2007年、pp.115-116
  17. ^ 西尾哲夫 『アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語』 岩波新書、2007年、p.64,p.81
  18. ^ これらの物語やよく知られている「空飛ぶ絨毯」(ガラン版「アフマッド王子と妖精パリ・バヌー」(L'histoire du Prince Ahmed et de la fée Pari-Banou)、マルドリュス版「ヌレンナハール姫と美しい魔女の物語」、カルカッタ第二版には無い)はアラビア語・ペルシャ語の原本は発見されていない。フランスの東洋学者エルマン・ゾータンベールによる発見(アラジンと魔法のランプ)、スコットランド出身のダンカン・B・マクドナルドによる発見(アリババと40人の盗賊)は共に否定されている(ロバート・アーウィン、 西尾哲夫訳 『必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』 平凡社、1998年)。なお、シンドバッドも、アラビアンナイトとは別系統の物語群に属している(西尾哲夫/ 国立民族学博物館編著 『アラビアンナイト博物館』 東方出版、2004年)。
  19. ^ Henry Reeve,"The Arabian Nights", Edinburgh Review, 164(1886),p.184
  20. ^ ロバート・アーウィン、 西尾哲夫訳 『必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』 平凡社、1998年1月、p.53
  21. ^ a b c d 西尾哲夫 『世界史の中のアラビアンナイト』 NHK出版、2011年
  22. ^ 西尾哲夫『アラビアンナイト ---「物語」に終わりはない』、100分de名著、NHK出版、2013年11月、p.26
  23. ^ [1] 千夜一夜物語:エジプトの弁護士団体が押収要求 反発拡大、2010年5月6日
  24. ^ 『毎日新聞』2010年5月6日 [2] 千夜一夜物語:エジプトの弁護士団体が押収要求 反発拡大(リンク切れ)
  25. ^ バートン版アラビアンナイト(英文)の翻訳を手がけたことがある。

出典・参考文献[編集]

  • 平凡社東洋文庫版『アラビアン・ナイト』、訳者(前嶋信次、池田修)あとがき
  • 前嶋信次 『アラビアン・ナイトの世界』 平凡社ライブラリー、1995年。
  • 前嶋信次、杉田英明編 『千夜一夜物語と中東文化』 平凡社東洋文庫、2000年。第1章「千夜一夜物語の世界」
  • ロバート・アーウィン、 西尾哲夫訳 『必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』 平凡社、1998年1月、 ISBN 4-582-30803-1
  • 西尾哲夫編著 『図説 アラビアンナイト』 河出書房新社、2004年。
  • 西尾哲夫、国立民族学博物館編著 『アラビアンナイト博物館』 東方出版、2004年 ISBN 4-88591-910-x
  • 西尾哲夫 『アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語』 岩波新書1071、2007年 ISBN 978-4-00-431071-6
  • 西尾哲夫『アラビアンナイト ---「物語」に終わりはない』、100分de名著、NHK出版、2013年11月。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]