不謹慎ゲーム

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不謹慎ゲーム(ふきんしんゲーム)は、注目度の高い事件が発生した後にその事件をネタにして作成、発表され、その事件を茶化すことを主な目的としたコンピュータゲームの総称

概要[編集]

こういった不謹慎ゲームは、インターネット上の媒体において、興味本位で話題に採り上げられる一方で、批判も受ける。不謹慎ゲームにおいては否定的な意見のほうが多い。ただし、死者が出た事件や災害を題材とせず、事件の中心となった特定個人の「社会的懲罰」の意味合いが感じられるもの、製作者本人が事件を風化させないためと公表しているような場合は、許容する意見も増える。

特に事故や事件と関係がなく、ゲームの開発中に類似したような事件が発生することもあり、商業商品の場合は発売を延期、中止することもある[出典無効]。例えば、アイレムソフトウェアエンジニアリングは『絶体絶命都市4 -Summer Memories-』を開発していたが、開発中に東日本大震災が発生したこともあり、発売中止を発表している(『絶体絶命都市4 -Summer Memories- Plus』に改名後、7年後の2018年11月22日に発売)。

ネタとなる「事件」は重大な事件に限らず、「寝ているホームレス生卵をぶつけた動画を現役大学生が公開した」(ただし、後に動画はやらせであったと判明する)といったようなものもある[1]

2015年アメリカ同時多発テロ事件の1つアメリカン航空11便テロ事件を追体験することを目的に製作された『8:46』は、事件を茶化す目的で製作されたわけではなく、宗教的な考えや政治的なメッセージ性も無いため、不謹慎ゲームと呼ばれているわけではないが、本作を「不謹慎」と批判する意見はある[2]

公開・流通[編集]

不謹慎ゲームの公開方法はさまざまで、ネット掲示板による配布、ウェブブラウザで遊べるAdobe Flashなどによって製作されたゲームをウェブで公開するといったような手法がある。製作者は匿名であり、フリーゲームであることが多い。ゲームのシステムは多種多様だが、既存のゲームを援用したものがほとんどである。

なお、フリーゲームのみではなく、市販されている商業ゲームの拡張データ、改造データの場合もある

歴史[編集]

不謹慎ゲームがいつ頃から出現したのかは明らかではない。

メディアの注目を集めた最初の不謹慎ゲームは、1995年地下鉄サリン事件を題材にした『霞ヶ関』であったと言われている[出典無効]インターネットが一般に普及する前であり、『霞ヶ関』はパソコン通信で配布された。

以降、在ペルー日本大使公邸占拠事件豊浜トンネル岩盤崩落事故和歌山毒物カレー事件池袋通り魔殺人事件下関通り魔殺人事件東海村JCO臨界事故など事件や事故が起きるたびに不謹慎ゲームが作られてゆくことになる。

2009年Molleindustriaが発表した『Faith Fighter』はキリスト教イスラム教仏教といった各宗教の開祖をキャラクターとしてプレイヤーが操作する対戦格闘ゲームであり、多くの宗教関係者が拒否し、怒りを露わにした[3]

出典[編集]

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参考文献[編集]

  • ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』翔泳社、2005年5月10日、ISBN 978-4798106571
  • 梅宮タカコ「サリン、トンネル崩落、酒鬼薔薇。人の不幸が一番楽しい!?」『インターネット秘宝館』<別冊宝島353>宝島社、1997年12月14日、pp.100-104。
  • クランツ(編)『封印ゲーム大全』アスペクト、2007年、ISBN 9784757213463
  • 「ゲーマー=犯罪者!?あのアキバ通り魔を予言したゲームがあった!-残虐ゲー&不謹慎ゲーの実態、頑固親父が斬る“けしからん”ゲーム」『ゲームラボ』2008年9月号、三才ブックス。

関連項目[編集]