オセロ (遊戯)

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オセロを楽しむ人々

オセロ (Othello) は、それぞれ黒と白の石を担当する2人のプレイヤーが、自分の石で相手の石を挟んで自分の石に変えるという条件のもとに、交互に盤面へ石を打っていき、最終的にどちらの石が盤面に多く置かれるかを競うボードゲームである。

「オセロ」「Othello」はメガハウス(旧・ツクダオリジナル)の登録商標であるため、他社製品ではほぼ同一のゲームであっても原則として別の名称が使われる。例として、「リバーシ (Reversi)」や「白黒ゲーム」などの別名がある。ただし、本来リバーシはオセロの原型となったゲーム、あるいはよく似た別のゲームの名前であり、オセロの別名ではない(詳しくは後述する)。また、NHKでも、かつては同様の理由から「白と黒の石を取り合うゲーム」などと言い換えていたが、2018年の世界オセロ選手権大会では「オセロ」と報道するようになっている[1]

概要[編集]

オセロは、二人零和有限確定完全情報ゲームに分類され、囲碁将棋チェスなどと同様、運の要素がなく、2人のプレイヤーが互いの知恵を絞って実力だけを頼りに勝敗を決するゲームである。単純明快なルールでありながら、人間がゲーム木の全展開を把握可能な程度を超えており、コンピュータが発達した2019年現在でもなお完全解析がなされていないほどの奥深さがある。このことを端的に表した「覚えるのに一分、極めるのに一生 (A minute to learn, a lifetime to master)」という言葉がキャッチフレーズとなっている[2]

オセロは、一般にゲームの基本ルールのみならず、名称や用具のデザインまでをも含めたパッケージ全体を指す。このパッケージは、製薬会社社員でボードゲーム研究家の長谷川五郎1970年頃に東京都で開発し、1973年ツクダオリジナル(現・メガハウス)から発売されたものである。ゲームの基本ルール自体は、それ以前に考案されたものと同様であり、オセロの原型は、ジョン・モレット(John Mollett)とルイス・ウォーターマン(Lewis Waterman)が19世紀イギリスで考案したリバーシというゲーム、あるいは1945年に幼少期の長谷川本人が水戸市で考案した挟み碁というゲームのどちらかとされる。リバーシと挟み碁のうち、どちらが直接的なオセロの発祥であるのかについては、長谷川自身の発言が一定しないため、不明である。

オセロは、それぞれ黒と白を自分の色とする2人のプレイヤーが交互に盤面に石を打ち合って、最終的に自分の色の石の数が多いほうが勝ちとなる。この際、自分の色の石で挟むことによって相手の色の石を自分の色に変えることができるというのが最大の特徴である。オセロでは、素早く盤上の石の色を変更できるようにするため、表裏が黒白に塗り分けられた平たい石を用いる。また、盤面は、8×8の正方形のマス目が描かれた緑色のものを用いる(なお、「グランドオセロ」や「エイトスターズオセロ」などと呼ばれる8×8以外の特殊な盤面を用いるものもある)。

「オセロ」という名称は、イギリスの劇作家・シェイクスピア戯曲オセロ』に由来する。これは、緑の平原が広がるイギリスを舞台にして、黒人の将軍・オセロと白人の妻・デズデモーナを中心に敵味方がめまぐるしく寝返るという戯曲のストーリーに、緑の盤面上で黒白の石がひっくり返って形勢が変わっていくゲーム性をなぞらえたものである[3][2]

オセロの競技人口は、 長谷川によると2001年頃の時点で約6000万人である[4]。 公益財団法人日本生産性本部余暇創研が発行している『レジャー白書』によれば将棋の競技人口は約600万人、囲碁の競技人口は約220万人、チェスの競技人口は調査対象外となっており、これらを上回っていると長谷川は主張している。ただし、『レジャー白書』では一年以内に実際に遊んだ者を競技者として数えている一方、長谷川はオセロのルールを知る者すべてを競技者として推計しているため、同じ条件で比較されたものではない。

元ツクダオリジナルの和久井威は、オセロがロングセラーとなった要因に対象年齢が幅広いことを挙げている[5][6]。実際に、小学校の教室、老人ホームデイサービスセンターなどにもオセロ盤が設置されていることがあり、休み時間の子供たちや高齢者もゲームを楽しんでいる[7]。なお、2019年2月現在、確認されている最高齢競技者は日本の田中カ子(116歳)である。

遊び方[編集]

基本ルール[編集]

オセロの初期配置
  1. 2人のプレイヤーがそれぞれ黒番と白番のどちらを担当するかを決める(後述)。
  2. 図のように、盤面中央の4マスに黒と白の石を2つずつ置く。右上と左下が黒、左上と右下が白になるように互い違いに配置する。
  3. 黒番、白番の順で交互に盤面の空いているマスに自分の色の石を打っていく。この際、相手の色の石を自分の色の石で縦・横・斜めのいずれかの方向で挟めば、挟まれた石をひっくり返して、自分の色に変えることができる
  4. 石を打つときは、相手の色の石を1つ以上挟むように打たなければならない。挟めるマスが1つもない場合はパスとなり、相手の手番となる。パスの回数に制限はないが、挟めるマスがあるのにパスをすることは認められない。
  5. すべてのマスが石で埋まるか、あるいは両者ともに挟めるマスがなくなったときは、ゲーム終了(終局)となる。終局時点で両者の色の石の数を数え、多いほうが勝ちとなる。なお、同数だった場合には、引き分けありの対局では引き分け、引き分けなしの対局では黒番・白番の決定時に「終局時に石の数が同数だった場合に勝者となる権利」(後述)を得ていた側の勝ちとなる。

黒番・白番[編集]

オセロは黒と白の石を用いるが、プレイヤーの手番は、黒を担当するプレイヤーが先手、白を担当するプレイヤーが後手というように色と合わせて定められている。手番を含めた両プレイヤーの地位をそれぞれ黒番・白番と呼ぶ。

黒番・白番は、ゲーム開始前に何らかの方法で決定する必要がある。一般的にはじゃんけんなどの簡易な方法で決められることもあるが、公式ルールでは、「伏せ石」と呼ばれる囲碁ニギリに近い方法が採用されている。伏せ石のやり方は、引き分けありの対局と引き分けなしの対局でそれぞれ異なっており、以下のように決まっている。

  1. まず、上位者が石一つを手で隠して盤上に置く。
  2. 次に下位者が引き分けの有無によって以下の方式で宣言を行う。
    • 引き分けありの場合は、下位者は「上」もしくは「下」と宣言する。
    • 引き分けなしの場合は、下位者は「黒」もしくは「白」と宣言する。
  3. 下位者の宣言が終わったら上位者は石を隠していた手をどけて石を開示する。
  4. 石の上面が黒白どちらであるかを確認し、引き分けの有無に応じて以下の通り黒番・白番を決定する。
    • 引き分けありの場合は、開示された石の上面・下面の色のうち、下位者は宣言した側の色を担当する。すなわち、下位者が「上」と宣言したときは開示された石の上面の色、「下」と宣言したときは開示された石の下面の色を下位者が担当する。
    • 引き分けなしの場合は、一方のプレイヤーには「黒番・白番を選ぶ権利」、他方のプレイヤーには「終局時に石の数が同数だった場合に勝者となる権利」が与えられる。下位者が宣言した色と開示された石の上面の色とを照らし合わせ、的中している場合は下位者、的中していない場合は上位者が、どちらの権利が欲しいかを選択することができる。最後に黒番・白番を選ぶ権利を得た側のプレイヤーが黒番と白番のどちらにするかを選ぶ。

ハンデ[編集]

実力差がある場合にはハンデをつけて対局することもできる。ハンデ戦では、実力差に応じて次のように盤面の隅に黒石を置いた状態からゲームを開始する。

  • 1子局―左上の隅に黒石を置いて対局を開始する。
  • 2子局―左上と右下の隅に黒石を置いて対局を開始する。
  • 3子局―左上と右下、右上の隅に黒石を置いて対局を開始する。
  • 4子局―4か所全ての隅に黒石を置いて対局を開始する。

ハンデ戦の場合は下手が黒番を、上手が白番を持つが、通常の対局とは異なり、白番(上手)の先手で対局を開始する。

歴史[編集]

オセロの起源[編集]

現在普及しているオセロのパッケージは、日本オセロ連盟元会長の長谷川五郎ツクダオリジナルに持ち込んで1973年に発売されたものである。長谷川がオセロを開発するに至った経緯については本人の説明が二転三転しており、定かではない。特に、オセロのルーツについては、

  • ジョン・モレットとルイス・ウォーターマンが19世紀イギリスで考案したリバーシというゲームがオセロの原型であり、長谷川がリバーシの基本ルールを維持しつつ名称・用具・環境などを整備してパッケージとして確立したものがオセロである。
  • 1945年に中学生時代の長谷川本人がリバーシとは独立に茨城県水戸市で考案した挟み碁というゲームがオセロの原型であり、結果的にリバーシと似通ったゲームとなってはいるが両者は無関係である。

という2つの説がある。長谷川は、オセロのパッケージが発売された当初は前者の説明をしていたが[8]2000年頃からは後者の説明をするようになっている[9]。また、日本オセロ連盟の公式見解も同様であり、当初は前者の立場であったが、長谷川からの指摘を受けて後者の立場に改めている[10]

リバーシについては後述するとして、ここではひとまず挟み碁を起源とする説に依拠した歴史を紹介する。

挟み碁[編集]

近年の長谷川の主張によれば、オセロのルーツは、第二次世界大戦が終わって間もない1945年の夏に水戸市で長谷川が考案した簡易囲碁ゲーム「挟み碁」である[11][2]。なお、水戸市はこれに基づいて「オセロ発祥の地」を自称し、オセロにまつわる様々なイベントを開催している。

長谷川によれば、当時の長谷川は相手の石を囲んだら取れるという囲碁のルールがよく分からなかったため、相手の石を挟んだら取れるという簡易ルールで遊んでいた。その後、石を取るのではなく、相手の石を挟んだら自分の石と置き換えるというルールに改良し、現在のオセロに近いものとなった。さらに、自分の石と置き換える作業を簡単にするため、碁石ではなく表裏を黒白に塗り分けた紙の石を裏返すというアイデアに至った。

長谷川は、中学・高校・大学にわたって、このゲームを級友とプレイしていたが、大学卒業によってその機会がなくなり、挟み碁は一旦姿を消すことになった。

これが2000年頃から長谷川が主張するようになったオセロの起源である。ただし、1990年代以前の文献では長谷川はこの挟み碁について触れていない。

オセロの成立[編集]

1964年当時、東京都製薬会社の営業として仕事をしていた長谷川は、会社の同僚の女子社員たちから何かゲームを教えて欲しいと頼まれた[12]。長谷川は囲碁将棋ともに五段の腕前を誇り、最初はこれらのゲームを教えたが、難しすぎるとのことで上手く行かず、そんな折に少年時代に考案した挟み碁のことを思い出した。そこで、自宅で妻と家庭の牛乳瓶の紙蓋[13]を集めて石を自作し、女子社員たちにルールを教えたところ、彼女らが昼休みにこのゲームを楽しむようになった。

さらに、営業先の病院でもこのゲームを紹介したところ、入院中の患者の時間潰しやリハビリテーションに使えるとのことで好評を博した。長谷川が担当していたある病院の医局長からは「このゲームは社会復帰を目指す患者のリハビリに適し華がある」と太鼓判を押されたという[14][2][15]

手応えを覚えた長谷川は、仲間たちとともに実験・研究を繰り返し、このゲームをさらに改良することにした。当初は自作の8×9の盤を使っていたが、1970年10月にメルク社西ドイツの製薬会社)からチェスセットが日本の薬品関係者に贈られると、長谷川はこの8×8のチェス盤を採用して、チェス盤に合った牛乳瓶の紙蓋を使用するようになった。さらに、当初は間接挟みでも石を返すという現在よりもやや複雑なルールを採用していたが、直接挟みのみに限定した簡明なルールに変更した[16]。これにより、1970年頃、東京で現在のオセロと同様のゲームが完成した

完成したゲームには、当初黒と白の石をパンダに見立てて「ランラン・カンカン」という名前(上野動物園で人気となっていたバンダのカンカンとランランに由来)が検討されていたが、長谷川の父親で旧制水戸高等学校(水高)の英国文学教授であった長谷川四郎の発案で「オセロ」に変更された。これは、長谷川四郎の専門分野である英国文学の代表作・シェイクスピア戯曲オセロ』に由来したものである。

商品化とオセロブーム[編集]

1972年、長谷川が玩具メーカーのツクダオリジナルにオセロを持ち込んだところ、これが認められ、商品化されて販売されることになった[17][6]。商品企画部門の責任者だった和久井威によると、当時玩具に対してキャラクター以外のロイヤリティーを払うという意識が業界にはほとんどなく、オセロにもパテントは付いていなかったが、ツクダオリジナルのオーナーは「おもちゃはアイデアだから」と支払を認めたという[6]。玩具業界には子供向けのボードゲームは4人以上で遊べるべきという意識があったため、2人用ゲームであるオセロは大人をターゲットとして、パッケージ表面にはタバコライターを写したデザインが採用された[17]。価格は2200円に設定された[6][18]

1973年4月25日[19](1973年4月29日とする資料もある[20])、「オフィシャルオセロ」が発売された。その初期ロットは在庫を残さないよう3000個で、経費の都合でテレビ宣伝も打たなかったものの、百貨店の店頭などで実演販売をすると着実に売れていった[6][18]。これに自信を得た和久井がその年の年末商戦に向けてテレビCMドンキーカルテットのジャイアント吉田を起用)を製作したところ、オンエア後の10月からの3ヶ月間で38万個、翌1974年に120万個以上[21]1975年に280万個が売れる大ヒット商品となった[6][18][22]。『日経流通新聞』(現『日経MJ』)のヒット商品番付では、1973年、1974年と2年連続で「大関」に選出された[18]

1977年にアメリカ合衆国でも発売され、その年のうちに100万個が売れたという[18]。なお、「A minute to learn, a lifetime to master」のキャッチフレーズは、この時にアメリカ側で考案されたものである[18]。また、1973年から全日本オセロ選手権大会が開催されていたが、アメリカでの発売が開始された1977年からは世界オセロ選手権大会も始まった。

2002年、ツクダオリジナルはバンダイの子会社となり、2003年3月には和久井が経営するワクイコーポレーションと経営統合してパルボックスとなった。さらに2005年には、パルボックスはバンダイの子会社メガハウスに統合し、2019年現在はメガハウスがオセロを販売している。なお、アメリカではゲイブリルが最初の販売元だったが[18]、その後数社の変遷を経て、2007年時点ではマテルが欧米での販売権を所有している[18]

和久井によると、2007年時点でもオセロは年間40~50万個は売れ続けているという[6]

関連ゲーム[編集]

リバーシ(源平碁)[編集]

リバーシの概要[編集]

オセロとよく似たゲームにリバーシReversiレヴァルシー源平碁)がある。

リバーシは、1870年にイギリスのジョン・モレット(John Mollett)が考案したアネクゼイションというボードゲームを改良して、1883年にイギリスのルイス・ウォーターマン(Lewis Waterman)が開発した。アネクゼイションとリバーシは、盤面の形などが異なる。なお、モレットとウォーターマンとの間で権利関係の争いがあり、訴訟となったが、アネクゼイションとリバーシは細部に違いがあるものの「挟んだら裏返す」というゲームの本質部分において同一であることが認定され、モレットが勝訴している。リバーシは1888年に商品化され、早くから日本にも輸入された[23][24]。幼少期の明仁親王も父の昭和天皇とリバーシで遊んでいた[25]

オセロとリバーシの違い[編集]

オセロとリバーシの最大の違いは、オセロは黒白の石を用いるが、リバーシは原則として赤黒の石を用いるという点である[26]。ただし、リバーシの石の色は厳格に決まっていなかったため、赤黒以外の色のものも存在している。例えばオセロ発売以前の1969年にイギリスで刊行された書籍に黒白のリバーシが掲載されている[27]。また、日本では、源平碁という名前で源平の旗の色をモチーフにした紅白の石を使うこともあった。

リバーシの初期配置

ゲームの基本ルールについては、基本的にオセロと同様である。日本では、オセロが発売されるまでリバーシの統一団体がなかったため、

  • 初期配置(ゲーム開始時に中央4マスに置く石を、互い違い(クロス)とするか、並行(パラレル)とするか、あるいは自由とするか)
  • 打てる箇所がない場合の扱い(パスになるのか、終局になるのか、また、パスが原因で一方の石が足りなくなったらどうするのか)

などについて、いくつかのローカルルールが存在していた[28]。リバーシが考案された当初の正式なルールは不明だが、1907年に編纂された『世界遊戯法大全』では現在のオセロと完全に同一のルール(初期配置は互い違い、打てる箇所がなければパス)が定められている[29]。なお、盤面の大きさについては、8×8が標準とされているが、パーフェクト・リバーシという名前で10×10のものも販売されていた(この点は、8×8を標準としつつ10×10の盤面をグランドオセロという名前で販売していたオセロと全く同様である)。

オセロとリバーシの関係性[編集]

オセロとリバーシとは類似したゲームであるため、オセロは先行するリバーシに基づいて開発されたのか、それとも別々に考案されたものが偶然似ただけなのかという点がしばしば議論される。この点については、オセロ開発者の長谷川五郎の説明が一貫しないため、真相は不明である。

1973年にツクダオリジナルからオセロを発売した当初、長谷川はリバーシがオセロの原型であると認めたうえで、名称・用具・環境などを整備したものがオセロであるとしていた。長谷川は、ゲームの面白さは、ルールが3分の1、名称・用具・環境などの要素が3分の2を占めることを指摘し、後者が不十分であったリバーシは子供の玩具以外の何物でもなかったが、オセロはすべてを整備して大人でも遊べるゲームとして完成させたものであるとアピールしていた[30]

それに対し、2000年頃からは、長谷川はリバーシに触れることなく、1945年に水戸で碁石を使って自身が考案した挟み碁がオセロの原型であると主張するようになっている[31]。長谷川五郎が設立した日本オセロ連盟も同様であり、連盟の委員であった長谷川彰によると、連盟のウェブサイトには当初「オセロの起源はリバーシ」と明記していたが、会長の長谷川五郎からリバーシについて触れないように指示され、「戦後、水戸、碁石」という長谷川五郎による挟み碁を紹介する文章に改めたという[32]。それまで、長谷川五郎は自身が考案した挟み碁の存在について言及していなかったため、長谷川彰は、長谷川五郎から突然「戦後、水戸、碁石」という話を聞かされて驚いたと述べている[33]

このような経緯に基づき、オセロは長谷川とツクダオリジナルによるリバーシの盗作であると批判する専門家も一部に存在する。例えば、パズル・ゲーム研究者の田中潤司は、リバーシは大正時代から日本でも源平碁として親しまれており、玩具メーカーであるツクダオリジナルがこれを知らなかったわけがないから、悪意を持って名前を変えて発売したのではないかと指摘している[34]。また、ボードゲーム研究者の草場純は、オセロとリバーシの違いは初期配置のみであるとしたうえで、長谷川が初期配置を互い違いに限定したのはリバーシの改悪であると厳しく批判している[35][36]

もっとも、事実関係は不明であるうえ、万が一盗作であったとしても、長谷川がオセロを発売した時点ですでにリバーシの開発者はこの世におらず、特に権利関係が問題視されることはない。また、発売当初に長谷川が主張していた通り、現在のオセロの興隆は、ゲーム性のみならず名称・用具・環境を伴った長谷川の構築したブランド力によるものであり、先行するリバーシを上回る世界的認知度を得ている。以上の理由から、オセロの原型をリバーシとする場合であっても、長谷川を中興の祖として位置付け、その功績を高く評価するのが一般的である。

オセロの別名としてのリバーシ[編集]

現在では、赤黒の石を用いる本来のリバーシはオセロと比べて競技人口が著しく減っており、代わってオセロの別名としてリバーシという言葉が使われることが増えている。アメリカオセロ連盟によれば、これは、オセロの商標権との抵触を避けるためにリバーシの名を借りてオセロと完全に同一(黒白の石)のゲームを販売するメーカーが存在するためである[37]

1973年のオセロ発売当初、「オセロ」という商品名は商標として、黒白の石や緑の盤面などのデザインは意匠として、ともに登録されて権利保護の対象となっていた。ゆえに、当時は、長谷川が商品化を持ち込み販売を応諾したツクダオリジナル以外の他社は、オセロの名称はもちろん、黒白の石を用いるデザインも無断で使用することができなかった。

その後、意匠権は保護期間の20年が満了し、他社でもオセロと同様の黒白の石のゲームを販売することが可能となったものの、商標権は2019年現在も保護されているため、他社が販売する場合に「オセロ」の名称を使用することはできないままである。そこで、他社が販売する場合には、黒白の石を使用していても「リバーシ」の名称を使用することが一般的となっている(他に「白黒ゲーム」などとする場合もある)。

リバーシという名称でのオセロと同様のゲーム(黒白の石を使用)は、インターネット上でのオンライン対戦を含むコンピュータゲームのほか、安価なポータブルゲームとしてコンビニエンスストアなど小規模な店舗などでも見られる(ただし石のサイズ等はオセロの公式規定とやや異なることもある)。Microsoft Windowsには、リバーシという名称でのオセロがWindows 3.0までは標準で付属されていたが、Windows 3.1以降は付属されなくなった。その後、Windows MeおよびWindows XPでは再びゲームとしてインターネットリバーシが付属されていたが、Windows Vista以降では付属されなくなった。

ニップ[編集]

ニップの盤面

リバーシのほかに、オセロに先行する類似ゲームとしては、ニップと呼ばれるものもある[38]

ニップは、円形の盤面を用いるという点にオセロとは異なる特徴がある。

ニップがどのような経緯で生まれたものか詳細は明らかになっていないが、1933年に松本彌助名義で実用新案登録がなされている[39]

オセロ公式バリエーション[編集]

世界選手権に合わせて設置された巨大オセロ

メガハウス(旧ツクダオリジナル)によるオセロ盤の公式バリエーションは、これまでに様々なものが発売されてきた。代表的なものは以下の通りである。

  • ミニオセロ……盤面を8×8から6×6に縮小したもの。
  • グランドオセロ……盤面を8×8から10×10に拡大したもの(終売)。
  • エイトスターズオセロ(旧称「88オセロ(エイティエイトオセロ)」)……グランドオセロから盤面の四隅を切り落として8つの隅を持つ八角形状にしたもの(終売)。
  • みんなでオセロ……四人対戦を可能にしたもの。

このほか、通常の8×8オセロについても、以下のようにプレイヤーの便宜を図るために様々な工夫を凝らした製品が順次追加されている。

発売時期 製品名 特徴
1973年〜 オフィシャルオセロ オセロ公式大会使用盤。
1975年頃〜 マグネットオセロ 石がマグネット式で石ずれ防止になり、かつ盤が折り畳み可能。
1970年代後半〜 ベストオセロ、ナイスオセロ 盤に石ケースを内蔵。2000年代にもマイナーチェンジあり。
1980年代前半〜 ビクトリーオセロ マス目に立体ガイド付きで石がずれない入門用。
2000年代前半〜 大回転オセロ 盤に回転式の石を固定。発売当初は「オセロ極(きわめ)」と呼ばれていた。

また、視覚障害者向けに触って石を識別できたり、の障害などで石をつまめない人が盤と一体化した石を回したりして楽しめるタイプ(上表の「大回転オセロ」もこれに該当する)も開発・発売されている[40]

オセロ用具を用いた派生ゲーム[編集]

現在はコンピュータゲームスマートフォンゲームが全盛の中、アナログゲームの売上は減少しており、オセロもその例外ではない。アナログのボードゲーム販売強化手法の一つとして、オセロと他の家庭用ボードゲームを一緒にして販売されるケースも多い。この場合、オセロ石を活用して様々なバリエーションの派生ゲームが追加されるケースもある。例として、オセロの石を使って、マス目の少ない囲碁おはじき積木崩し、トランプのチップ等で遊ぶケースがある。もっとも、日本オセロ連盟が公式にルールを定めているものではない。

大会[編集]

オセロ大会の様子

オセロは、全日本オセロ選手権大会[41]1973年〜)や世界オセロ選手権大会(1977年〜)など、幅広く大会が行われている。

世界選手権[編集]

第1回世界オセロ選手権大会は日本の東京都で開催された。また、10回、20回、30回、40回の記念大会はいずれも日本で開催されている。記念大会は、第20回大会までは長谷川五郎1970年頃に現在のオセロのパッケージを開発した東京で開催されていたが、既述の通り2000年頃から長谷川が「オセロの発祥は1945年茨城県水戸市で自身が考案した挟み碁である」と主張するようになったことを受け、三十(みと)の語呂合わせとなる2006年の第30回大会を機に、それ以降は水戸で開催されている[42]。なお、水戸市はこれ以降「オセロ発祥の地」を名乗っている。

2019年の第43回大会は、当初香港で開催予定だったが、逃亡犯条例の改正案をめぐるデモによる混乱を避けるため、23年ぶりに東京で開催された[43]

日本は同大会で2019年までに個人戦で32回、団体戦で17回の優勝を誇り、いずれも世界最多である。

開催年 開催地 世界チャンピオン 団体戦優勝国
01回 1977年 日本の旗 東京 日本の旗 井上博 (未実施)
02回 1978年 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク 日本の旗 丸岡秀範 (未実施)
03回 1979年 イタリアの旗 ローマ 日本の旗 井上博 (未実施)
04回 1980年 イギリスの旗 ロンドン アメリカ合衆国の旗 ジョナサン・サーフ (未実施)
05回 1981年 ベルギーの旗 ブリュッセル 日本の旗 丸岡秀範 (未実施)
06回 1982年 スウェーデンの旗 ストックホルム 日本の旗 谷田邦彦 (未実施)
07回 1983年 フランスの旗 パリ 日本の旗 石井健一 (未実施)
08回 1984年 オーストラリアの旗 メルボルン フランスの旗 ポール・ラル (未実施)
09回 1985年 ギリシャの旗 アテネ 日本の旗 滝沢雅樹 (未実施)
第10回 1986年 日本の旗 東京 日本の旗 為則英司 (未実施)
第11回 1987年 イタリアの旗 ミラノ 日本の旗 石井健一 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第12回 1988年 フランスの旗 パリ 日本の旗 為則英司 イギリスの旗 イギリス
第13回 1989年 ポーランドの旗 ワルシャワ 日本の旗 為則英司 イギリスの旗 イギリス
第14回 1990年 スウェーデンの旗 ストックホルム 日本の旗 為則英司 フランスの旗 フランス
第15回 1991年 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク 日本の旗 金田繁 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第16回 1992年 スペインの旗 バルセロナ フランスの旗 マーク・タステ イギリスの旗 イギリス
第17回 1993年 イギリスの旗 ロンドン アメリカ合衆国の旗 デビッド・シェイマン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第18回 1994年 フランスの旗 パリ 日本の旗 滝沢雅樹 フランスの旗 フランス
第19回 1995年 オーストラリアの旗 メルボルン 日本の旗 為則英司 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第20回 1996年 日本の旗 東京 日本の旗 村上健 イギリスの旗 イギリス
第21回 1997年 ギリシャの旗 アテネ 日本の旗 末國誠 イギリスの旗 イギリス
第22回 1998年 スペインの旗 バルセロナ 日本の旗 村上健 フランスの旗 フランス
第23回 1999年 イタリアの旗 ミラノ オランダの旗 デビッド・シェイマン 日本の旗 日本
第24回 2000年 デンマークの旗 コペンハーゲン 日本の旗 村上健 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第25回 2001年 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク アメリカ合衆国の旗 ブライアン・ローズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第26回 2002年 オランダの旗 アムステルダム オランダの旗 デビッド・シェイマン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第27回 2003年 スウェーデンの旗 ストックホルム アメリカ合衆国の旗 ベン・シーリー 日本の旗 日本
第28回 2004年 イギリスの旗 ロンドン アメリカ合衆国の旗 ベン・シーリー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第29回 2005年 アイスランドの旗 レイキャビック 日本の旗 為則英司 日本の旗 日本
第30回 2006年 日本の旗 水戸 日本の旗 為則英司 日本の旗 日本
第31回 2007年 ギリシャの旗 アテネ 日本の旗 冨永健太 日本の旗 日本
第32回 2008年 ノルウェーの旗 オスロ イタリアの旗 ミケーレ・ボラッシ 日本の旗 日本
第33回 2009年 ベルギーの旗 ゲント 日本の旗 高梨悠介 日本の旗 日本
第34回 2010年 イタリアの旗 ローマ 日本の旗 高梨悠介 日本の旗 日本
第35回 2011年 アメリカ合衆国の旗 ニューアーク 日本の旗 信川紘輝 日本の旗 日本
第36回 2012年 オランダの旗 レーワールデン 日本の旗 高梨悠介 日本の旗 日本
第37回 2013年 スウェーデンの旗 ストックホルム 日本の旗 岡本一樹 日本の旗 日本
第38回 2014年 タイ王国の旗 バンコク 日本の旗 末國誠 日本の旗 日本
第39回 2015年 イギリスの旗 ケンブリッジ 日本の旗 高梨悠介 日本の旗 日本
第40回 2016年 日本の旗 水戸 タイ王国の旗 ピヤナット・アンチュリー 日本の旗 日本
第41回 2017年 ベルギーの旗 ゲント 日本の旗 高梨悠介 日本の旗 日本
第42回 2018年 チェコの旗 プラハ 日本の旗 福地啓介 日本の旗 日本
第43回 2019年 日本の旗 東京 日本の旗 髙橋晃大 日本の旗 日本

戦術[編集]

オセロには様々な戦術が知られている。これらの戦術のほとんどはオセロのパッケージを開発した長谷川五郎によって整備された。ここでは、標準的な戦術書でよく解説される概念を説明することで、オセロ戦術の全体像を概観する。

定石[編集]

オセロの序盤の進行は、双方がある程度の実力を有していれば、考えられる手が限られており、いくつかの決まったパターンに分類することができる[44]。これを「定石」という。上級者同士の対局では、基本的な定石を双方が覚えたうえで、細かい駆け引きを行いながら序盤が進行する。

定石には、盤上の石の形を動物などに見立てて、それぞれの名前が与えられている。これらの名前の大半は長谷川が考案したものである。定石は、2手目までの進行によって、縦取り・斜め取り・並び取りの3つに分類されている[44]

  • 縦取り定石―兎定石、虎定石など
  • 斜め取り定石―牛定石など
  • 並び取り定石―鼠定石など

中割りと一石返し[編集]

オセロは、最終的に多くの石を残した側が勝ちとなる。しかしながら、途中の局面で石が多いからといって有利というわけではない。多くの場合はその逆であり、石が多すぎる側は不利となる[44]。なぜならば、オセロでは相手の石を挟まなければ着手できないため、挟む対象である相手の石が少なければ着手可能な箇所も必然的に少なくなり、本来打ちたくない箇所に打つしかなくなってしまうからである。自分の石の周りを相手の石が取り囲んでいるような状態になれば、自分はどこでも着手できるが相手は着手できないという状況になるから理想的である。このような観点から、「中割り」と「一石返し」はオセロの基本戦略として有名である。

中割りは、周囲のほとんどのマスを他の石に囲まれている相手の石だけを挟むように打つことである。一石返しは、相手の石を1つだけ挟むように打つことである。中割りは、自分の石が相手の石で取り囲まれるようにする手であり、一石返しは、自分の石を必要以上に増やさない手であるため、好手を見つける基礎的なテクニックとなっている[44]

隅の戦略[編集]

オセロで勝つために大切な要素の一つとして「」がある。オセロ盤のうち四隅のマスについては、挟むことができないから、一度石が置かれてしまえば色が変わることはない。また、隅から連続して複数のマスに同じ色の石が置かれている場合も、挟むことができない場合がある。このように、挟むことができないから終局まで絶対に色が変わることがないと確定した石を「確定石」という。確定石を増やしていくことは重要である[44]

隅と関連して重要な概念として、CとXがある。隅と縦横に隣接したマスがC、隅と斜めに隣接したマスがXである。当然のことながら、CやXに自分が石を打たなければ、相手に隅を取られることはない。したがって、初心者の間は、CやXを極力避け、相手がCやXに打ってきたら隅を取りに行くという戦術がよく使われる。しかし、初心者を脱すると、あえてXに打って相手に隅を取らせたうえで隣接する大量のマスを自分のものにするといった勝負手も必要となってくる。いずれにしても、隅、C、Xに関する攻防は初心者から上級者まで注目されるポイントである[44]

手止まりと偶数理論[編集]

終盤戦において重要となるのは、まずは先を読み切って地道に石を数えることである。石を数えることのほかに、ある程度類型的に判断される要素として、互いに隣接する空きマスの数が挙げられる[44]

例えば、Cが1マスだけ空いており、その周辺の隅やXなどすべて埋まっている状態を考える。ここでCに打ち込めば、周囲の石を自分の色に返した状態となり、周囲に空きマスがないことから相手にやり返されることなく終局までこの付近のマスの状態は変化しないと考えれる。したがって、このC打ちは(このマスの周辺においては)自分が優位となる手である。このように、隣接するマスの中で最後の1つとなった空きマスに打ち込むことを「手止まり」と言い、終盤戦では手止まりを打つのが一つの目標となる[44]

偶数理論」は手止まりをたくさん打つために有効な理論である[44]。これは、互いに隣接する空きマスの数をそれぞれ偶数に調整することを意識して打つというものである。偶数の空きマスのどこかに相手が打てば空きマスは1つ減って奇数となるので、すかさず自分もそこに打って偶数に戻す。これを繰り返すことで、空きマスが1マスのときに必ず自分の手番となるから、手止まりを打つことができる。

終局までパスがなければ、後攻である白番は偶数理論を使って手止まりを多く打つチャンスがあるため、黒番よりも有利だとする考え方もある[44]。一方で白番が打てない空きマスを作ることで黒番が偶数理論を逆用する「逆偶数理論」などの戦術もある。なお、理論上オセロはコンピュータによる完全解析がなされれば黒番必勝・白番必勝・引き分けのいずれかの結論が下せるはずであるが、未だに結論は出ておらず、黒番が定石を主導できることがあるため、黒番を得意とする者もいる。

コンピュータオセロ[編集]

オセロはルールが単純であるため、古くからプログラミングの教材として、あるいは実際の製品としてコンピュータ上で開発されてきた。1980年には、家庭用ゲーム機である Atari 2600用のオセロが発売されている。また、アスキーによりオセロ・プログラムを対局させる「マイクロオセロリーグ」が企画され、その模様は記事として掲載された。1986年には同社からオセロを題材とした思考ゲームのプログラミング解説書も出版された[45]

当初はコンピュータの性能が低かったため、コンピュータは人間の上級者には歯が立たなかった。しかし、ハードウェアの進歩とソフトウェアの改良に伴い、徐々に終盤でコンピュータの正確な読みが力を発揮するようになった。1997年、コンピュータオセロのプログラムであるLogistelloが、当時のオセロ世界チャンピオンだった村上健(九段)と対局し、6勝0敗という圧倒的な成績を残した。それ以前からコンピュータオセロの実力は人間を超えていると考えられていたが、この対局によってこの事実が公式に確認された。主要なボードゲームでは、1994年にチェッカー、1997年にチェス、2017年に将棋囲碁でコンピュータが人間の世界チャンピオンを破っており、これはおおむねゲーム木複雑性の低い順と同様である。現在では、トップレベルのオセロ・プログラムに人間が勝つことはまず不可能と考えられており、それどころか例えばスマホで動作する無料のオセロ・プログラムであるゼブラであっても勝てる人間はほとんどいないとされている。

オセロの盤をn×nに一般化した場合、ある局面で黒番か白番のどちらが必勝であるかを判定する問題はPSPACE完全であることが分かっている。オセロよりも複雑性の低いチェッカーについては、双方の最善手がすべて解明されているが、オセロ(通常通り8×8の盤面を用いるオセロ)は2019年時点で未だに完全には解明されていない。盤の大きさが4×4あるいは6×6のケースは全て解明されており、例えば6×6のケースについて双方が最善の手順を取った場合、16対20で後手が必勝となることがその手順とともに明らかにされている[46]

令和元年吉田拓真が開発した「最弱オセロ」が公開された[47][48][49]。従来のプログラムでは勝ちを目指すものであるが、この「最弱オセロ」は全くの正反対になっており人間が負けるのが難しくなっている。

関連文献・資料[編集]

定石書・戦術書[編集]

歴史[編集]

  • 長谷川五郎 『オセロの打ち方 ― 勝つための基本戦術』(講談社、1981/12) ISBN 4061277596
  • 長谷川五郎 『オセロ百人物語 オセロ史を飾った名選手たち』 (河出書房新社、2005/12) ISBN 4309906559
  • 長谷川五郎 『オセロゲームの歴史』 (河出書房新社、2011/07) ISBN 9784309909134
  • 「和久井威氏ロングインタビュー 第2回」『月刊トイジャーナル』2007年6月号、東京玩具人形協同組合

派生ゲーム[編集]

プログラミングなどとの関係[編集]

学習用ソフトウェア[編集]

コンピュータゲーム移植作品[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ この他、NHKでは、2010年頃から『ギネス世界記録』、2017年頃から『ミシュランガイド』などの商標も使われている。
  2. ^ a b c d 長谷川五郎 『オセロゲームの歴史』河出書房新社、2011年。
  3. ^ オセロ誕生秘話(3)〜オセロファンのエネルギーがオセロのビックバンを作った!!〜(日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)
  4. ^ 長谷川五郎 『オセロの勝ち方 [改訂新版]』 河出書房新社、2006年。
  5. ^ 和久井は、「夫とオセロをして勝つと夫の機嫌が悪くなり、「待った」をされて結婚以来初めて口答えをした」という87歳の女性の投書が『朝日新聞』に載ったという話を紹介している。
  6. ^ a b c d e f g 「特別企画 和久井威氏ロングインタビュー その2」『月刊トイジャーナル』2007年6月号、pp.72-74。このインタビューでは持ち込みは「(昭和)47年の年末」と述べている。
  7. ^ 参考資料:2006年7月17日フジサンケイ ビジネスアイ「“脳内革命”でオセロ人気 高齢者が熱視線、売れ行き好調」。
  8. ^ 長谷川五郎『オセロの打ち方』講談社、1981年。
  9. ^ 長谷川五郎著『オセロゲームの歴史』河出書房新社、2011年。
  10. ^ オセロノート 長谷川五郎氏のご冥福をお祈りいたします
  11. ^ 日本オセロ連盟のサイトには長谷川の談話として「黒板をおいた青空授業が9月から始まりました。オセロの原型はそういう環境の下に生まれました。」と記載されている。オセロ誕生秘話(1)生い立ち (日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)
  12. ^ オセロ開発のきっかけについて、『オセロゲームの歴史』ではこのように説明しているが、取引先の病院に頼まれたのがきっかけであるとしている書籍もある。長谷川の発言が一定していないため、真相は不明である。
  13. ^ なお、オセロの石のサイズ(約35ミリメートル)は、牛乳瓶の紙蓋とほぼ同じである。これは、当初牛乳瓶の紙蓋を利用してプレイしていたことに由来する。
  14. ^ 初期の全日本オセロ選手権大会の実力者に病院関係者が多いことはこのような経緯によるオセロ誕生秘話(2)〜オセロゲームの歴史はファンと共に歩むことによって作られて行った〜(日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)。また、オセロ発売前に開かれた「第1回選手権大会」に来た客にも、長谷川の縁でファンとなっていた病院関係者が多かったという。
  15. ^ 長谷川五郎 『オセロ百人物語 オセロ史を飾った名選手たち』河出書房新社、2005年。
  16. ^ 井上博『逆転の発見 ― オセロの定石と必勝戦術』企画室ネコ、1977年10月10日、66頁。なお、長谷川は、1964年に同僚の女子社員に教えた時点から現在と同じ8×8盤を使用していたと主張している。
  17. ^ a b 野口智弘 (2007年2月20日). “あの素晴しいトイをもう一度 第7回 オセロ(1) - パッケージにタバコ? 大人向けだったオセロ”. マイナビニュース. http://news.mynavi.jp/column/toyagain/007/ 2017年4月2日閲覧。  ここでは和久井は「製品として発売するまでには1年近くかけてます」と述べている。
  18. ^ a b c d e f g h 野口智弘 (2007年2月28日). “あの素晴しいトイをもう一度 第8回 オセロ(2) - 最初はたった3000個、オイルショックを乗り越え世界へ”. マイナビニュース. http://news.mynavi.jp/column/toyagain/008/ 2017年4月2日閲覧。 
  19. ^ 『国産はじめて物語 Part2<1950〜70年代編> 戦後の日本を魅了したヒット商品の誕生秘話』ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2004年7月7日、143頁。
  20. ^ 日本オセロ連盟編『図解 オセロ入門』虹有社、1983年、13頁。
  21. ^ 和久井は2年目(1974年)の販売個数について、『トイジャーナル』では「160万個」、マイナビニュースでは「120万個」と述べている。
  22. ^ 年代流行1973年(昭和48年)流行・出来事
  23. ^ 読売新聞に「源平智慧競(げんぺいちえくらべ)が日本橋3丁目の丸善より発売された」という記載がある。
  24. ^ 加藤周一ほか『世界大百科事典 第2版』平凡社
  25. ^ NHK「天皇 運命の物語」第一話 2018年12月23日放映。
  26. ^ 既述の通り、オセロという名称は、シェイクスピアのオセロで黒人と白人が出てくることをモチーフにしており、オセロでは黒白以外の石を用いることはできない。
  27. ^ Bell, R. C.『Board and Table Games From Many Civilizations』Oxford University Press、1969年。
  28. ^ 市販の源平碁(リバーシ)に添付されたルール説明を確認すると、骨董市で見つけた源平碁の小箱では、初期配置が横並びとなっているが、坂口和大が所有している源平碁は3種類になったでは、初期配置が互い違いとなっている。
  29. ^ 松浦政泰 編『世界遊戯法大全』博文館、1907年。
  30. ^ 長谷川五郎『オセロの打ち方』講談社、1981年。「オセロの売れっぷり」実業の日本77巻5号、実業之日本社、1974年。
  31. ^ 長谷川五郎『オセロゲームの歴史』河出書房新社、2011年。
  32. ^ オセロノート 長谷川五郎氏のご冥福をお祈りいたします
  33. ^ オセロの起源に関する主張まとめ
  34. ^ 都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』フリースタイル、2012年。
  35. ^ 本人のTwitter
  36. ^ ゲーム研究家・草場純さんの研究を収集するサイト「ゲームの受容とゲーム文化」
  37. ^ [1]
  38. ^ 長谷川五郎『オセロの打ち方』講談社、1981年。
  39. ^ 実用新案登録187845号
  40. ^ 【モノごころ ヒト語り】オセロ 誰もが楽しむ工夫で進化『日本経済新聞』夕刊2018年12月1日(社会・スポーツ面)2018年12月3日閲覧。
  41. ^ 日本オセロ連盟HP 歴代世界チャンピオン一覧
  42. ^ 2005年12月20日『日本経済新聞』朝刊44P記事「オセロ故郷・水戸へ帰る」。
  43. ^ 日本での開催も3年ぶりである。
  44. ^ a b c d e f g h i j 長谷川五郎『オセロの打ち方』講談社、1981年。 長谷川五郎『オセロの勝ち方』河出書房新社、2006年。村上健『強くなるオセロ』ナツメ社、2011年。井上博『逆転の発見』ネコ・パブリッシング、1992年。
  45. ^ 森田ら(共著)『思考ゲームプログラミング』。
  46. ^ Perfect play in 6x6 Othello from two alternative starting positions”. 2008年6月1日閲覧。
  47. ^ 「負けるのが難しい」…世界最弱のオセロAIを体験―開発者に誕生のきっかけを訊いた【特集】
  48. ^ 「負けられるなら負けてみてくれ!」 世界最弱のオセロAIが開発され、負けられないと話題に
  49. ^ 「世界最弱のオセロAI」が話題…一体何のために作ったの?開発者に聞いた
  50. ^ マイウェイ出版『死ぬ前にクリアしたい200の無理ゲー ファミコン&スーファミ』 (ISBN 9784865119855、2018年10月10日発行)、70ページ。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]