オセロ (遊戯)

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オセロ (Othello) は、2人用のボードゲーム。交互に盤面へ石を打ち、相手の石を挟むと自分の石の色に変わり最終的に石の多い方が勝ち。単純なルールながらゲームとしての複雑さは人間がゲームの木の全展開を把握可能な程度を超えており、いまだにコンピュータによる全解析は達成されていない。“A minute to learn, a lifetime to master”(覚えるのに1分、極めるのは一生)がオセロのキャッチフレーズである[1]

「オセロ」「Othello」はいずれもメガハウス(旧ツクダオリジナル)の登録商標であるため、他社やコンピュータ上の製品では「リバーシ」(Reversi)や「白黒ゲーム」などの名前が使われることも多い。ただし、リバーシは、本来は、オセロと似た別のゲーム、あるいはオセロの原型となったゲームの名前であり、オセロの別名ではない(具体的には、リバーシは使用する石の色がオセロと異なる。詳しくは後述する)。

パーソナルコンピューターには、リバーシがWindows 3.0までは標準で付属されたが、Windows 3.1以降は付属されなくなった。その後、Windows MeおよびXPでは再びゲームとしてインターネットリバーシが付属されていたが、Windows Vista以降では付属されなくなった。

遊び方[編集]

オセロの初期配置。図示したように右下が白石になるよう置く。(White to Right)

基本的なルール[編集]

一言で言えば、プレイヤーは「石を黒白交互に挟むように打ってひっくり返し、最後に石が多い方が勝ち」となる。

具体的には次の通りゲームを進めていく。

  1. 8×8のマス目の緑色のオセロ盤に、図のように右上を黒として、石を黒白2個ずつ置き、ゲームを開始する。
  2. プレイヤーは交互に黒石、白石を打つ。石は両面が白と黒になっており、石を打つとき、縦・横・斜め方向に相手色の石を自色で挟み、挟まれた石を自色に返す。相手の石を返すことができないマスに石を打つことはできない。
  3. 打てるマスが全くない場合はパスとなり、相手が続けて打つことになる。パスの回数に制限はないが、返せる相手の石が1つでもある場合、パスをすることは認められない。
  4. 最後まで打って、石が多い方が勝ちである。なお最後とは「マスが全て埋まった場合」「両者とも打てるマスがなくなった場合」のいずれかである。

白番・黒番の決定方法[編集]

オセロは先手が黒、後手が白である。

公式ルールにおける黒白の決定は「伏石」というニギリに近い方式で行われる。 引き分けを認めない場合は、段級位が上の者が石を1個、相手に見えないように手で隠して盤の上に置き、上面の色を相手が当てる。的中であれば的中させた者が、不的中の場合は石を隠した者が「黒番・白番を選ぶ権利」、あるいは「石の数が同数で終局した場合に勝者となる権利」のどちらかを選択する。 引き分けを認める場合は、同様に段級位が上の者が石を隠し、相手が上面を選択してその面の色の手番を持つことになる。引き分けを認めるか否かは大会によって異なる。

オセロは黒白の有利不利はコンピュータでは解析されていない。 終局までパスがない場合、最後に打てるのは白なので白有利とする選手もいるが、黒番は定石を主導できることが多く、黒を得意とする選手もいる。

ハンデのつけ方[編集]

ハンデをつける方法としては、対局前にに次の通り黒石を置く方法で行われる。ハンデ戦の場合は下手が黒を、上手が白を持つが、上手先手で対局を開始する。

  • 1子局―左上の隅に黒石を置いて対局を開始する。
  • 2子局―左上と右下の隅に黒石を置いて対局を開始する。
  • 3子局―左上と右下、右上の隅に黒石を置いて対局を開始する。
  • 4子局―4か所全ての隅に黒石を置いて対局を開始する。

オセロの歴史[編集]

オセロの起源[編集]

現在普及しているオセロのパッケージは、日本オセロ連盟元会長の長谷川五郎がツクダオリジナル社に持ち込んで発売に至ったものである(なお、登録商標であるため他社が無断でオセロを発売することはできない)。長谷川がオセロを開発するに至った経緯については本人の説明が二転三転しており、定かではない。特に、オセロのルーツについては、当初「19世紀からイギリスを中心に親しまれていたリバーシ(源平碁)というゲームを改良したものである」と説明していたが[2]、後に「自身が中学生時代に考案した簡易囲碁ゲームの挟み碁がオセロの起源であり、完全に自身のオリジナルである」と主張を改めている[3](リバーシについては後述)。

以下では、長谷川晩年の著書である『オセロゲームの歴史』をはじめとする比較的新しい文献で、長谷川が主張しているオセロ開発の経緯を紹介する。

前史[編集]

近年の長谷川の主張によれば、第二次世界大戦が終わって間もない1945年の夏に茨城県水戸市で中学生時代の長谷川が考案した簡易囲碁ゲーム・挟み碁がオセロの起源である。

長谷川によると、当時の長谷川は相手の石を囲んだら取れるという囲碁のルールがよく分からなかったため、相手の石を挟んだら取れるという簡易ルールで遊んでいた[4][1]。その後、石を取るのではなく、相手の石を挟んだら自身の石と置き換えるというルールに改良し、現在のオセロに近いものとなった。さらに、自身の石と置き換える作業を簡単にするため、碁石ではなく表裏を白黒に塗り分けた紙の石を裏返すというアイデアに至り、現在のオセロの原型とも言えるゲームが完成した。

長谷川は、中学・高校・大学にわたって、この挟み碁を級友とプレイしていたが、大学卒業によってその機会がなくなり、挟み碁は一旦姿を消すことになった。

オセロの成立[編集]

1964年当時、製薬会社の営業として仕事をしていた長谷川は、会社の同僚の女子社員たちから何かゲームを教えて欲しいと頼まれた[5]。最初は囲碁将棋を教えたが[6]、難しすぎるとのことで上手く行かず、そんな折に少年時代に考案した簡易囲碁ゲーム・挟み碁のことを思い出した。そこで、自宅で妻と家庭の牛乳瓶の紙蓋[7]を集めて石を自作し、女子社員たちにルールを教えたところ、彼女らが昼休みにこのゲームを楽しむようになった。

さらに、営業先の病院でもこのゲームを紹介したところ、入院中の患者の時間潰しやリハビリテーションに使えるとのことで好評を博した。長谷川が担当していたある病院の医局長からは「このゲームは社会復帰を目指す患者のリハビリに適し華がある」と太鼓判を押されたという[8][1][9]

手応えを覚えた長谷川は、仲間たちとともに実験・研究を繰り返し、このゲームをさらに改良することにした。当初は自作の8×9の盤を使っていたが、1970年10月頃、メルク社西ドイツの製薬会社)からチェスセットが日本の薬品関係者に贈られると、長谷川はこの8×8のチェス盤を採用して、チェス盤に合った牛乳瓶の紙蓋を使用するようになった。さらに、当初は間接挟みでも石を返すという現在よりもやや複雑なルールを採用していたが、直接挟みのみに限定した簡明なルールに変更した[10]。これにより、現在のオセロと同様のゲームが成立した。

完成したゲームには、長谷川の父親で旧制水戸高等学校(水高)の英国文学教授であった長谷川四郎の発案により、「オセロ」という名称が与えられた。これは、シェイクスピア戯曲オセロ』に由来し、「黒人の将軍・オセロと白人の妻・デズデモーナを中心に敵味方がめまぐるしく寝返るというストーリーに、黒白の石がひっくり返りながら形勢が次々変わっていくゲーム性をなぞらえた。緑の盤面は、戯曲オセロの戦いの舞台、イギリスの緑の平原をイメージして作った」と長谷川は説明している[11][1]

商品化とオセロブーム[編集]

1972年、長谷川が玩具メーカーのツクダオリジナルにオセロを持ち込んだところ、これが認められ、商品化されて販売されることになった[12][13]。商品企画部門の責任者だった和久井威によると、当時玩具に対してキャラクター以外のロイヤリティーを払うという意識が業界にはほとんどなく、オセロにもパテントは付いていなかったが、ツクダのオーナーは「おもちゃはアイデアだから」と支払を認めたという[13]。また、玩具業界にはボードゲームは4人以上で遊べるべきという意識があったため、大人をターゲットとしてパッケージにタバコライターを映している[12]。価格も2200円に設定された[13][14]

1973年4月25日[15](1973年4月29日とする資料もある[16])、「オフィシャルオセロ」が発売された。その初期ロットは在庫を残さないよう3千個で、経費の都合でテレビ宣伝も打たなかったものの、百貨店の店頭などで実演販売をすると着実に売れていった[13][14]。これに自信を得た和久井はその年の年末商戦に向けてテレビCMドンキーカルテットのジャイアント吉田を起用)を製作し、オンエア後の10月からの3ヶ月間で38万個、1974年に120万個以上[17]、1975年に280万個が売れ、『日経流通新聞』(現『日経MJ』)のヒット商品番付で2年連続で「大関」に選出された[13][14]

1977年にアメリカ合衆国で発売され、その年に100万個が売れたという[14]。前記のキャッチフレーズは、この時にアメリカ側で考案されたものである[14]

オセロ盤のバリエーションは販売開始以後、順次追加されている。和久井によると2007年時点でも年間40 - 50万個は売れているという[13]

発売時期 主なオセロ盤名 特徴
1973年〜 オフィシャルオセロ オセロ公式大会使用盤。
1975年頃〜 マグネットオセロ 石がマグネット式で石ずれ防止になり、かつ盤が折り畳み可能。
1970年代後半〜 ベストオセロ、ナイスオセロ 盤に石ケースを内蔵。2000年代にもマイナーチェンジあり。
1980年代前半〜 ビクトリーオセロ マス目に立体ガイド付きで石がずれない入門用。
2000年代前半〜 大回転オセロ 盤に回転式の石を固定。発売当初は「オセロ極(きわめ)」と呼ばれていた。

視覚障害者向けに触って石を識別できたり、の障害などで石をつまめない人が盤と一体化した石を回したりして楽しめるタイプ(上表の「大回転オセロ」もこれに該当する)も開発・発売されている[18]

オセロとリバーシ(源平碁)[編集]

オセロとよく似たゲームにリバーシReversiレヴァルシー源平碁)がある。

リバーシは、1870年にイギリスのジョン・モレット(John Mollett)が考案したアネクゼイションというボードゲームを改良して、1883年にイギリスのルイス・ウォーターマン(Lewis Waterman)が開発した[19]。リバーシは開発から5年後の1888年に商品化され、早くから日本にも輸入された[20]

オセロとリバーシの違いは、オセロは白黒の石を用いるが、リバーシは赤黒の石を用いるという点である[21]。ゲーム内容については、基本的にオセロと同様であるが、初期のリバーシでは、

  • 盤面の大きさが定まっていない。
  • 初期配置が定まっていない。
  • 打てる箇所がない場合の扱い(パスになるのか即座に負けになるのか)が定まっていない。

などルールに曖昧な点があったとされている。もっとも、1907年に編纂された『世界遊戯法大全』では、これらの曖昧な点は解消され、全て現在のオセロと同様(盤面は8×8、初期配置は互い違い、打てる箇所がなければパス)のルールが定められている[22](なお、これらのルールとは異なる様々なローカルルールが存在した可能性がある[23])。

オセロとリバーシの関連性については、「リバーシを改良したものがオセロである」とする文献もあれば「偶然似たようなゲームが独立に考案されただけで無関係である」とする文献もある。1973年にツクダオリジナルからオセロを発売したボードゲーム開発者の長谷川五郎は、オセロのルーツについて、当初「1883年にイギリスで考案されたリバーシがオセロの起源である」としていたが[24]、後に「1945年に自身が考案した簡易囲碁ゲーム(挟み碁)がオセロの起源である」と主張を改めている[25]。なお、長谷川の設立した日本オセロ連盟では、後者の立場を採っている。

いずれにしても、長谷川がオセロを発売した時点ですでにリバーシの開発者はこの世におらず、特に権利関係が問題視されることはない。また、現在のオセロの興隆は、ゲーム性のみならずオセロという名称や白黒のデザインを伴った長谷川の構築したブランド力によるものであり、先行するリバーシを上回る世界的認知度を得ている。

オセロの別名としてのリバーシ[編集]

現在では、赤黒の石を用いる本来のリバーシはオセロと比べて競技人口が著しく減っており、代わってオセロの別名としてリバーシという言葉が使われることが増えている。アメリカオセロ連盟によれば、これは、オセロの商標権との抵触を避けるためにリバーシの名を借りてオセロと完全に同一(白黒の石)のゲームを販売するメーカーが存在するためである[26]

1973年のオセロ発売当初、「オセロ」という商品名は商標として、白黒の石や緑の盤面などのデザインは意匠として、ともに登録されて権利保護の対象となっていた。ゆえに、当時は、長谷川が商品化を持ち込み販売を応諾したツクダオリジナル以外の他社は、オセロの名称はもちろん、白黒の石を用いるデザインも無断で使用することができなかった。

その後、意匠権は保護期間の20年が満了し、他メーカーでもオセロと同様の白黒の石のゲームを販売することが可能となったものの、商標権は現在も保護されているため、他社が販売する場合に「オセロ」の名称を使用することはできないままである。そこで、他社が販売する場合には、白黒の石を使用していても「リバーシ」の名称を使用することが一般的となっている(他に「白黒ゲーム」などとする場合もある)。

リバーシという名前でのオセロと同様のゲーム(白黒の石を使用)は、インターネット上でのオンライン対戦を含むコンピュータゲームのほか、安価なポータブルゲームとしてコンビニエンスストアなど小規模な店舗などでも見られる(ただしコマ=石のサイズ等、オセロの公式規定とやや異なることもある)。

なお、NHKでは、「オセロ」「Othello」が商標登録されているために「オセロ」の名称の使用を避けてきたが、2018年の世界オセロ選手権関連の報道では「オセロ」の名称が使われている(他の商標については2010年頃から『ギネス世界記録』が、2017年頃から『ミシュランガイド』が使われるようになった)。

競技人口[編集]

オセロの競技人口は、 2001年に長谷川が著した文献『オセロの勝ち方』 によると約6000万人と書かれている。 ただしこの競技人口は、ルールを知っている人全てが含まれており、参考扱いでもある。

将棋(600万人:レジャー白書[27])や囲碁(220万人:レジャー白書[28])、チェス(『レジャー白書』では調査対象外。日本チェス協会のサイトで確認できる会員名簿では400人弱)などに比べると多いとしているが、定義を統一した調査が行われたわけではない。 現在はコンピュータゲームスマートフォンゲームが全盛の中、アナログゲーム同士を比べる意味は低くなっている。

なお、休み時間の遊戯用として小学校の教室内にアナログのボードゲームであるオセロ盤や将棋盤などが置いてあるケースがよく見られている。また、オセロ盤を設置する老人ホームデイサービスセンターが増え、ゲームを楽しむ高齢者も多くいる[29]。元ツクダオリジナルの和久井威はオセロがロングセラーとなった要因に対象年齢が幅広いことを挙げ、「夫とオセロをして勝つと夫の機嫌が悪くなり、「待った」をされて結婚以来初めて口答えをした」という87歳の女性の投書が『朝日新聞』に載ったという話を紹介している[13]

オセロの販売メーカー[編集]

以下のように、何度かの変遷をたどっている。

アメリカではゲイブリル社が最初の販売元だった[14]。その後数社の変遷を経て、2007年時点では欧米の販売権はマテルが所有していた[14]

派生ゲーム[編集]

コンピュータゲームやスマホゲームが全盛の中、アナログのボードゲームの売上は減少しており、オセロもその例外ではない。

アナログのボードゲーム販売強化手法の一つとして、オセロと他の家庭用ボードゲームを一緒にして販売されるケースも多い。この場合、オセロ石を活用して様々なバリエーションの派生ゲームが追加されるケースもある。

長谷川は、オセロの盤面を8×8から10×10に拡大した「グランドオセロ」、そこから隅を切り落とし、八角形状にして8つの隅を持つ「エイトスターズオセロ(旧称『88オセロ〈エイティエイトオセロ〉』)」を考案して市場に送り出したが、これらはマイナーゲームの域を出ていない。

オセロの石を使って、マス目の少ない囲碁おはじき積木崩し、トランプのチップ等で遊ぶケースがあるが、日本オセロ連盟が公式にルールを定めたものはない。

コンピュータオセロ[編集]

オセロにはルール上偶然の要素はない。ゲーム理論では、オセロは将棋チェス囲碁などと同じく二人零和有限確定完全情報ゲームに分類される。

オセロはルールが単純であるため、古くからプログラミングの教材として、あるいは実際の製品としてコンピュータ上で開発されてきた。1980年には、家庭用ゲーム機である Atari 2600用のオセロが発売されている。また、アスキーによりオセロプログラムを対局させる「マイクロオセロリーグ」が企画され、その模様は記事として掲載された。1986年には同社からオセロを題材とした思考ゲームのプログラミング解説書も出版された(森田ら(共著)『思考ゲームプログラミング』)。

当初はコンピュータの性能が低かったため人間は容易にコンピュータに勝つことができた。しかし徐々に、特に終盤でコンピュータに読み切られて圧倒されるようになった。1997年に当時のオセロ世界チャンピオン村上九段がコンピュータに6連敗したことが転換期となり、現在、高性能のオセロプログラムには人間はまず勝つことができない。例えば無料オセロアプリケーションであるゼブラはパソコン及びスマホで利用できるが、極めて強く人間で勝てるのは世界チャンピオンクラス以外は存在しない。歴史順としては、探索空間の狭い順にチェッカー、オセロ、チェスにおいてコンピュータが人間のチャンピオンに勝利し、その後は将棋や囲碁が焦点になっていったが、現在では将棋・囲碁もコンピュータが人間のチャンピオンに勝利している。

チェッカーについては双方の最善手が解明されているが、オセロはまだ完全には計算されていないゲームの一つである。オセロの盤をn×nに一般化した場合、ある与えられた盤の状態においてプレイヤーが必ず勝つことができるかを判定する問題はPSPACE完全であることが分かっている。盤の大きさが4×4あるいは6×6のケースは全て計算されており、例えば6×6のケースについて双方が最善の手順を取った場合、16対20で後手が必勝となることがその手順とともに解明されている[30]。しかし8×8の局面数に対しては、現時点では最善手順は発見されていない。

世界大会等[編集]

全日本オセロ選手権大会[31]1973年〜)や世界オセロ選手権大会(1977年〜)など、幅広く大会が行われている。なお第1回世界オセロ選手権大会は東京で行われているが、現在でも日本は世界最強国である。

2006年に行われた第30回世界オセロ選手権大会は、三十(みと)と、オセロの発祥地である茨城県の水戸市をかけて同市で行われた[32]。また水戸市では、2016年にも同市において2回目となる第40回世界オセロ選手権大会が行われた。

世界オセロ選手権(World Othello Championship)[編集]

開催年 開催地 世界チャンピオン 団体戦優勝国
01回 1977年 日本の旗 東京 日本の旗 井上博 (未実施)
02回 1978年 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク 日本の旗 丸岡秀範 (未実施)
03回 1979年 イタリアの旗 ローマ 日本の旗 井上博 (未実施)
04回 1980年 イギリスの旗 ロンドン アメリカ合衆国の旗 ジョナサン・サーフ (未実施)
05回 1981年 ベルギーの旗 ブリュッセル 日本の旗 丸岡秀範 (未実施)
06回 1982年 スウェーデンの旗 ストックホルム 日本の旗 谷田邦彦 (未実施)
07回 1983年 フランスの旗 パリ 日本の旗 石井健一 (未実施)
08回 1984年 オーストラリアの旗 メルボルン フランスの旗 ポール・ラル (未実施)
09回 1985年 ギリシャの旗 アテネ 日本の旗 滝沢雅樹 (未実施)
第10回 1986年 日本の旗 東京 日本の旗 為則英司 (未実施)
第11回 1987年 イタリアの旗 ミラノ 日本の旗 石井健一 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第12回 1988年 フランスの旗 パリ 日本の旗 為則英司 イギリスの旗 イギリス
第13回 1989年 ポーランドの旗 ワルシャワ 日本の旗 為則英司 イギリスの旗 イギリス
第14回 1990年 スウェーデンの旗 ストックホルム 日本の旗 為則英司 フランスの旗 フランス
第15回 1991年 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク 日本の旗 金田繁 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第16回 1992年 スペインの旗 バルセロナ フランスの旗 マーク・タステ イギリスの旗 イギリス
第17回 1993年 イギリスの旗 ロンドン アメリカ合衆国の旗 デビッド・シェイマン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第18回 1994年 フランスの旗 パリ 日本の旗 滝沢雅樹 フランスの旗 フランス
第19回 1995年 オーストラリアの旗 メルボルン 日本の旗 為則英司 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第20回 1996年 日本の旗 東京 日本の旗 村上健 イギリスの旗 イギリス
第21回 1997年 ギリシャの旗 アテネ 日本の旗 末國誠 イギリスの旗 イギリス
第22回 1998年 スペインの旗 バルセロナ 日本の旗 村上健 フランスの旗 フランス
第23回 1999年 イタリアの旗 ミラノ オランダの旗 デビッド・シェイマン 日本の旗 日本
第24回 2000年 デンマークの旗 コペンハーゲン 日本の旗 村上健 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第25回 2001年 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク アメリカ合衆国の旗 ブライアン・ローズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第26回 2002年 オランダの旗 アムステルダム オランダの旗 デビッド・シェイマン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第27回 2003年 スウェーデンの旗 ストックホルム アメリカ合衆国の旗 ベン・シーリー 日本の旗 日本
第28回 2004年 イギリスの旗 ロンドン アメリカ合衆国の旗 ベン・シーリー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
第29回 2005年 アイスランドの旗 レイキャビック 日本の旗 為則英司 日本の旗 日本
第30回 2006年 日本の旗 水戸 日本の旗 為則英司 日本の旗 日本
第31回 2007年 ギリシャの旗 アテネ 日本の旗 冨永健太 日本の旗 日本
第32回 2008年 ノルウェーの旗 オスロ イタリアの旗 ミケーレ・ボラッシ 日本の旗 日本
第33回 2009年 ベルギーの旗 ゲント 日本の旗 高梨悠介 日本の旗 日本
第34回 2010年 イタリアの旗 ローマ 日本の旗 高梨悠介 日本の旗 日本
第35回 2011年 アメリカ合衆国の旗 ニューアーク 日本の旗 信川紘輝 日本の旗 日本
第36回 2012年 オランダの旗 レーワールデン 日本の旗 高梨悠介 日本の旗 日本
第37回 2013年 スウェーデンの旗 ストックホルム 日本の旗 岡本一樹 日本の旗 日本
第38回 2014年 タイ王国の旗 バンコク 日本の旗 末國誠 日本の旗 日本
第39回 2015年 イギリスの旗 ケンブリッジ 日本の旗 高梨悠介 日本の旗 日本
第40回 2016年 日本の旗 水戸 タイ王国の旗 ピヤナット・アンチュリー 日本の旗 日本
第41回 2017年 ベルギーの旗 ゲント 日本の旗 高梨悠介 日本の旗 日本
第42回 2018年 チェコの旗 プラハ 日本の旗 福地啓介 日本の旗 日本

関連文献・資料[編集]

定石書・戦術書[編集]

歴史[編集]

  • 長谷川五郎 『オセロの打ち方 ― 勝つための基本戦術』(講談社、1981/12) ISBN 4061277596
  • 長谷川五郎 『オセロ百人物語 オセロ史を飾った名選手たち』 (河出書房新社、2005/12) ISBN 4309906559
  • 長谷川五郎 『オセロゲームの歴史』 (河出書房新社、2011/07) ISBN 9784309909134
  • 「和久井威氏ロングインタビュー 第2回」『月刊トイジャーナル』2007年6月号、東京玩具人形協同組合

派生ゲーム[編集]

プログラミングなどとの関係[編集]

学習用ソフトウェア[編集]

コンピュータゲーム移植作品[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 長谷川五郎 『オセロゲームの歴史』(河出書房新社、2011/07) ISBN 9784309909134
  2. ^ 長谷川五郎『オセロの打ち方』講談社、1981年。
  3. ^ 長谷川五郎著『オセロゲームの歴史』河出書房新社、2011年。
  4. ^ 日本オセロ連盟のサイトには長谷川の談話として「黒板をおいた青空授業が9月から始まりました。オセロの原型はそういう環境の下に生まれました。」と記載されている。オセロ誕生秘話(1)生い立ち (日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)
  5. ^ なお、『オセロゲームの歴史』では、会社の同僚の女子社員から頼まれたのがきっかけとしているが、このあたりの経緯については長谷川の発言が一定しておらず、病院の患者の時間潰しのために頼まれたのがきっかけであるとしている書籍もある。
  6. ^ なお、長谷川は囲碁・将棋ともに五段の腕前である。
  7. ^ なお、オセロの石のサイズ(約35ミリメートル)は、牛乳瓶の紙蓋とほぼ同じである。これは、当初牛乳瓶の紙蓋を利用してプレイしていたことに由来する。
  8. ^ 初期の全日本オセロ選手権大会の実力者に病院関係者が多いことはこのような経緯によるオセロ誕生秘話(2)〜オセロゲームの歴史はファンと共に歩むことによって作られて行った〜(日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)。また、オセロ発売前に開かれた「第1回選手権大会」に来た客にも、長谷川の縁でファンとなっていた病院関係者が多かったという。
  9. ^ 長谷川五郎 『オセロ百人物語 オセロ史を飾った名選手たち』(河出書房新社、2005/12) ISBN 4309906559
  10. ^ 井上博『逆転の発見 ― オセロの定石と必勝戦術』企画室ネコ、1977年10月10日、66頁。なお、長谷川は、1964年に同僚の女子社員に教えた時点から現在と同じ8×8盤を使用していたと主張している。
  11. ^ オセロ誕生秘話(3)〜オセロファンのエネルギーがオセロのビックバンを作った!!〜(日本オセロ連盟HP 長谷川五郎寄稿)
  12. ^ a b 野口智弘 (2007年2月20日). “あの素晴しいトイをもう一度 第7回 オセロ(1) - パッケージにタバコ? 大人向けだったオセロ”. マイナビニュース. http://news.mynavi.jp/column/toyagain/007/ 2017年4月2日閲覧。  ここでは和久井は「製品として発売するまでには1年近くかけてます」と述べている。
  13. ^ a b c d e f g 「特別企画 和久井威氏ロングインタビュー その2」『月刊トイジャーナル』2007年6月号、pp.72-74。このインタビューでは持ち込みは「(昭和)47年の年末」と述べている。
  14. ^ a b c d e f g 野口智弘 (2007年2月28日). “あの素晴しいトイをもう一度 第8回 オセロ(2) - 最初はたった3000個、オイルショックを乗り越え世界へ”. マイナビニュース. http://news.mynavi.jp/column/toyagain/008/ 2017年4月2日閲覧。 
  15. ^ 『国産はじめて物語 Part2<1950〜70年代編> 戦後の日本を魅了したヒット商品の誕生秘話』ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2004年7月7日、143頁。
  16. ^ 日本オセロ連盟編『図解 オセロ入門』虹有社、1983年、13頁。
  17. ^ 和久井は2年目(1974年)の販売個数について、『トイジャーナル』では「160万個」、マイナビニュースでは「120万個」と述べている。
  18. ^ 【モノごころ ヒト語り】オセロ 誰もが楽しむ工夫で進化『日本経済新聞』夕刊2018年12月1日(社会・スポーツ面)2018年12月3日閲覧。
  19. ^ なお、モレットとウォーターマンとの間で権利関係の争いがあった。
  20. ^ 加藤周一ほか『世界大百科事典 第2版』平凡社
  21. ^ 既述の通り、オセロという名称は、シェイクスピアのオセロで白人と黒人が出てくることをモチーフにしており、オセロでは白黒以外の石を用いることはできない。
  22. ^ 松浦政泰 編『世界遊戯法大全』博文館、1907年。
  23. ^ 骨董市で見つけた源平碁の小箱 では、市販の源平碁(リバーシ)に添付されたルール説明を確認することができる。ここでは、初期配置が互い違いではなく横並びとなっている。
  24. ^ 長谷川五郎『オセロの打ち方』講談社、1981年。
  25. ^ 長谷川五郎『オセロゲームの歴史』河出書房新社、2011年。
  26. ^ [1]
  27. ^ レジャー白書では将棋愛好者は約600万人。
  28. ^ 『レジャー白書』では囲碁愛好者は約220万人である。
  29. ^ 参考資料:2006年7月17日フジサンケイ ビジネスアイ「“脳内革命”でオセロ人気 高齢者が熱視線、売れ行き好調」
  30. ^ Perfect play in 6x6 Othello from two alternative starting positions”. 2008年6月1日閲覧。
  31. ^ 日本オセロ連盟HP 歴代世界チャンピオン一覧
  32. ^ 2005年12月20日『日本経済新聞』朝刊44P記事「オセロ故郷・水戸へ帰る」
  33. ^ マイウェイ出版『死ぬ前にクリアしたい200の無理ゲー ファミコン&スーファミ』 (ISBN 9784865119855、2018年10月10日発行)、70ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]