オセロ (ボードゲーム)
![]() オセロの盤と石 | |
デザイナー | 長谷川五郎 |
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販売元 | メガハウス、マテル |
発売日 | 1973年4月29日 |
ジャンル | ボードゲーム |
プレイ人数 | 2人 |
準備時間 | 1分間未満 |
プレイ時間 | 標準10分間、最大80分間 |
運要素 | なし |
必要技能 | 頭脳、読み合い、駆け引き |
ウェブサイト | オセロ公式サイト |
デザイナー | ジョン・モレット、ルイス・ウォーターマン |
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販売元 | ジャック・オブ・ロンドン、ほか多数 |
発売日 | 1888年 |
オセロ(Othello)は、2人のプレイヤーが交互に盤面へ石を打ちながら、相手の石を自分の石で挟むことによって自分の石へと換えていき、最終的な盤上の石の個数を競うボードゲームである。オセロゲーム(Othello Game)とも呼ぶ。ほぼ同様のゲームにリバーシ(Reversi)がある。
概要[編集]
オセロはボードゲームの1つである。8×8の正方形の盤と、表裏を黒と白に塗り分けた平たい円盤状の石を使用する。それぞれ黒と白を担当する2人のプレイヤーが交互に盤面へ石を置いていき、最終的に盤上の石が多かったほうが勝ちとなる。相手の石を自分の石で挟んだときは、相手の石を裏返すことで、自分の石にする。「挟んだら裏返す」という基本原理が解れば、初期配置やパスなどいくつかのルールを知るだけで、すぐにオセロをプレイできる。なお、公式戦では、さらに細かい競技規則も定められている。
オセロとほぼ同様のゲームは、元々リバーシとして知られていた。リバーシは、ジョン・モレット (John Mollett) とルイス・ウォーターマン (Lewis Waterman) によって19世紀にイギリスのロンドンで考案された。その後、水戸市出身のボードゲーム研究家・長谷川五郎によって1970年頃に東京都で現在知られているパッケージが開発され、その父・四郎によって「オセロ」(ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『オセロ』に由来)と命名された。完成したオセロは、1973年にツクダ(後のツクダオリジナル→パルボックス→メガハウス)から発売され、ヒット商品となった。
長谷川がオセロ開発に当たりリバーシを参照したのかどうかは不明であり、オセロとリバーシの関係性をどう位置付けるべきか争いがある。また、オセロ発祥の地についても、ロンドン、東京、水戸という3つの説がある。いずれにしても、「オセロ」「Othello」という名称はメガハウスの登録商標であるため、他社からはリバーシとしてほぼ同様のゲームが発売されている。
オセロは、抽象戦略ゲーム(アブストラクトゲーム)の一つであり、運の要素がなく、2人のプレイヤーが互いに知恵を絞り実力だけを頼りに勝敗を決する。ゲームのルールは単純明快だが、多数の戦術が生み出され、日々戦略的な進歩を続けている。このことを端的に表した「覚えるのに一分、極めるのに一生 (A minute to learn, a lifetime to master)」という言葉がキャッチフレーズになっている。著名な戦術としては、定石や偶数理論などがある。
数学的には、オセロは囲碁・将棋・チェスなどと同様に二人零和有限確定完全情報ゲームに分類され、コンピュータによる研究も行われている。コンピュータオセロは、1997年に人間の世界チャンピオンに勝利しており、人間のトッププレイヤーを上回る実力を持つ。もっとも、コンピュータが発達した2022年現在もオセロの完全解析はなされておらず、なお未知なる奥深さを持つ。
世界各国で子供から老人まで様々な人によってプレイされており、世界のオセロ競技人口は約6億人と推計されている。特に、日本では遊びの文化として定着しており、競技人口が多いだけでなく、オセロを題材にした数々の文化的活動も行われている。
オセロは、遊びであると同時にマインドスポーツの一つとしても知られている。世界各国で多くの大会が開催されており、日本では囲碁や将棋などと同様に複数のタイトル戦が存在する。最も大きな大会は、1977年から毎年開催されている世界オセロ選手権である。
このほか、オセロ・リバーシには、ニップ、グランドオセロ、エイトスターズオセロ、ロリットなどの派生ゲームも存在し、様々な形で人々から親しまれている。
ルール[編集]
使用用具[編集]
オセロをプレイするために必要な用具は、盤と石である[1][2][注釈 1]。オセロの盤は、8×8の正方形のマス目が描かれた緑色のものを使用する[1][2]。
オセロの石は、表裏を黒と白に塗り分けた平たい円盤状のものを使用する[1][2]。
メガハウスによる公式のオセロ用具は、表のようにプレイヤーの便宜を図るために様々な工夫を凝らした製品が順次追加されている[4]。
発売時期 | 製品名 | 特徴 |
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1973年 - | オフィシャルオセロ | 最初に発売されたオリジナルの用具。公式大会では現在もこれが使用される。 |
1975年頃 - | マグネットオセロ | 石がマグネット式で盤に張り付くので傾けてもずれにくい。盤は折り畳み可能。 |
1970年代後半 - | ベストオセロ | 石を保管するためのケースが盤に内蔵されている。2000年代にもマイナーチェンジあり。かつては同様の商品の「ナイスオセロ」もあったが、現在は終売。 |
1980年代前半 - | ヴィクトリーオセロ(終売) | 入門用。盤のマス目に立体ガイドが付いており、簡単にマス目中央に石を置くことができる。 |
2004年 - | 一体オセロ | 盤に固定された回転式の石を使用。石をなくす心配がない。旧称「オセロ極」( - 2013)、「大回転オセロ」( - 2021)。 |
2005年 - | 大回転オセロミニ | 大回転オセロの小型版。持ち運びに適する。旧称「オセロ極Jr.」( - 2013)。 |
2022年 - | カラーオセロ | ビタミンオレンジ・インディゴブルー・パールブラックの3色展開。盤面の線が凸状で石がズレない。石収納用の引き出し付き。 |
また、視覚障害者向けに触って石を識別できるもの(表の「カラーオセロ」も該当)、石をつまむことのできない肢体不自由者向けに盤と一体化した石を回すことでプレイできるもの(表の「一体オセロ」も該当)など、バリアフリーを意識した用具も開発・発売されている[5]。
基本ルール[編集]
オセロの基本ルールは以下の通りである。なお、以下では符号を用いて説明することがあるが、図の盤面外に記載されている列と行を表す。例えば、f5はf列5行目のことである。
事前準備として、以下の2つが必要である。
- じゃんけんなどで各プレイヤーがそれぞれ黒番(黒石を打つ)と白番(白石を打つ)のどちらを担当するかを決めておく[6](公式戦での手番決定方法は後述)。
- 初期配置として、図1のように盤面中央の4マスに黒石と白石を2つずつ置く[7][2]。右上と左下が黒石、左上と右下が白石になるように互い違いに配置する[7]。
事前準備を終えたらゲームを開始する。
初手は黒番が打つ[7]。この際、今打った石と他の自分の色の石とで縦・横・斜めのいずれかの方向で挟んだ相手の色の石は、裏返して自分の色に変える[7][2]。例えば、図1の局面で、黒番がf5に打てば、今打った黒石とd5の黒石によってe5の白石を横に挟んでいるので、これを裏返して黒石に変える(図2)。
2手目は白番が打つ[7]。さきほどと同じように、挟んだ相手の色の石を裏返して自分の色に変える。例えば、図2から白番がd6に打てば、今打った白石とd4の白石によってd5の黒石を縦に挟んでいるので、これを裏返して白石に変える(図3)。
後は同様に、相手の石を挟みながら、黒番と白番が交互に空きマスに自分の色の石を打っていく[7]。例えば、図3から黒番がc3に打てば、d4の白石を斜めに挟んでいるので、これを裏返して黒石に変える。
ゲームが終了したら黒石・白石の数を数え、多いほうが勝ちとなる[6][2]。同数の場合は、通常の対局では引き分け、引き分けでは不都合のある対局(勝ち上がり式トーナメントの大会等)では黒番・白番の決定時に「終局時に石の数が同数だった場合に勝者となる権利」(後述)を得ていた側の勝ちとなる[3]。
成績は、石数もしくは石差で記録される[7]。例えば、図7ならば34対30(4石差)で黒番の勝ちである。空きマスがある場合には、その数が勝者の石数に加算される[3][注釈 2]。例えば、図8ならば63対1(62石差)で黒番の勝ちである。
ハンデキャップ[編集]
実力差がある場合にはハンデキャップ(ハンデ)をつけて対局することもできる[7]。ハンデキャップ戦では、実力差に応じて図のように盤面の隅に黒石を置いた状態からゲームを開始する[7]。
ハンデキャップ戦の場合は、下手が黒番、上手が白番を持つが、通常の対局とは異なり、白番(上手)の先手で対局を開始する[7]。
伏せ石[編集]
オセロは黒と白の石を用いるが、基本ルールで説明したように黒を担当するプレイヤーが先手、白を担当するプレイヤーが後手として、プレイヤーの手番が色と合わせて定められている[6][2]。手番を含めた両プレイヤーの地位をそれぞれ黒番・白番と呼ぶ[6]。
大会などの公式戦では、「伏せ石」と呼ばれる囲碁のニギリに近い方法で黒番・白番を決定する[3]。伏せ石のやり方は、引き分けありの対局と引き分けなしの対局でそれぞれ異なっており、以下のように決まっている[3]。
- まず、上位者が石一つを手で隠して盤上に置く。
- 次に下位者が引き分けの有無によって以下の方式で宣言を行う。
- 引き分けありの場合は、下位者は「上」もしくは「下」と宣言する。
- 引き分けなしの場合は、下位者は「黒」もしくは「白」と宣言する。
- 下位者の宣言が終わったら上位者は石を隠していた手をどけて石を開示する。
- 石の上面が黒白どちらであるかを確認し、引き分けの有無に応じて以下の通り黒番・白番を決定する。
- 引き分けありの場合は、開示された石の上面・下面の色のうち、下位者は宣言した側の色を担当する。すなわち、下位者が「上」と宣言したときは開示された石の上面の色、「下」と宣言したときは開示された石の下面の色を下位者が担当する。
- 引き分けなしの場合は、一方のプレイヤーには「黒番・白番を選ぶ権利」、他方のプレイヤーには「終局時に石の数が同数だった場合に勝者となる権利」が与えられる。下位者が宣言した色と開示された石の上面の色とを照らし合わせ、的中している場合は下位者、的中していない場合は上位者が、どちらの権利が欲しいかを選択する。最後に黒番・白番を選ぶ権利を得た側のプレイヤーが黒番と白番のどちらにするかを選ぶ。
不正着手[編集]
オセロでは、挟んだ石を裏返すのを忘れるといった不正な着手が起きることがあり、公式戦で不正着手がなされた場合のルールが定められている[3]。相手が不正着手をした場合、対局時計のボタンを押して相手に手番を戻したうえで、不正の内容を告げて相手に訂正を求めることができる[3]。なお、日本オセロ連盟は不正着手を「自分の打つ石色の間違い、手番の間違い、打てない箇所への着手、返し忘れ、返しすぎ、打てる箇所がある局面でのパス」と定義している[3]。
ブライトウェル・ポイント[編集]
主要な国際大会等では、リーグ戦で勝ち星の数が並んだ際、イギリス代表選手で数学者のグラハム・ブライトウェルが考案したブライトウェル・ポイントと呼ばれる点数を計算して順位を決定する[11] [12]。ブライトウェル・ポイントは、以下の数式で計算される[12]。
ブライトウェル・ポイント = 石数合計 + 対戦相手の勝数合計 × C
定数Cは、オセロ盤のマス目の数 (64) を1人のプレイヤーの試合数で割った値に最も近い整数である[12]。例えば、各プレイヤーが10試合を行うリーグ戦ならば、Cは「64 / 10 = 6.4」に最も近い整数の6である。
歴史[編集]
オセロの起源[編集]
現在普及しているオセロのパッケージは、日本オセロ連盟元会長の長谷川五郎が1970年頃に東京都で完成させてゲーム会社のツクダに持ち込み、1973年に発売されたものである[13]。長谷川がオセロを開発するに至った経緯については本人の説明が二転三転しており、定かではない。特に、オセロのルーツについては、
- ジョン・モレットとルイス・ウォーターマンが19世紀にイギリスのロンドンで考案したアネクゼイションやリバーシ(源平碁)というゲームがオセロの原型であり、長谷川が東京都内でリバーシの基本ルールを維持しつつ名称・用具・環境などを整備してパッケージとして確立したものがオセロである。
- 1945年に中学生時代の長谷川本人がリバーシとは独立に茨城県水戸市で考案した挟み碁というゲームがオセロの原型である(結果的にオセロとリバーシは似通ったゲームとなっているが両者は無関係)。
という2つの説がある。
オセロ発売当初、長谷川はリバーシがオセロの原型であるとしていたが[14][15][16][17]、2000年頃からは、自身が考案した挟み碁がオセロの原型であると主張するようになっている[18]。なお、2000年以降の長谷川の発言以外に挟み碁というゲームが実在したことを裏付ける根拠はない[19]。このような経緯から、オセロとリバーシの関係やオセロ発祥の地については争いがある(詳しくはオセロとリバーシの節で後述)。
アネクゼイション、リバーシ、挟み碁、オセロは、いずれも「挟んだら裏返す」という基本原理に共通点があるが、細かい部分では表のような違いがある。
ゲーム名 | 最初期の文献(出典) | 開発年・開発者・発売元 | 石の色 | 盤面の形状 | 初期配置 | 複数石挟み | 着手不能時 | 着手回数制限 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
アネクゼイション | Waterman v. Ayres (1888年)[20] |
1870年(ロンドン) ジョン・モレット F・H・エアーズ |
不明 | 十字形 | 不明 | 不明 | 不明 | 不明 |
リバーシ(19世紀) | Reversi and Go Bang (1890年)[21] |
1883年(ロンドン) ルイス・ウォーターマン ジャック・アンド・サン |
|
8×8の正方形 | オリジナル | 全部裏返す | パス | 32手 |
リバーシ(20世紀) | 世界遊戯法大全 (1907年)[22] |
1900年頃 不明 多数 |
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8×8の正方形 |
|
全部裏返す | パス | 無制限 |
挟み碁 | オセロ百人物語 (2005年)[23] |
1945年(水戸) 長谷川五郎 未発売 |
黒白 | 多様[注釈 3] | 不明 | 多様[注釈 4] | 不明 | 不明 |
オセロ | オセロの打ち方 (1974年)[6] |
1970年頃(東京) 長谷川五郎 ツクダ |
黒白 | 8×8の正方形 | クロス | 全部裏返す | パス | 無制限 |
ここでは、リバーシに基づく歴史と挟み碁に基づく歴史の双方を対等に紹介する。
19世紀のリバーシ[編集]
オセロに似たゲームとして記録に残る最古のものは、1870年にイギリスのロンドンでジョン・モレット (John Mollett) が開発したアネクゼイション (Annexation) というボードゲームである[20][注釈 5]。アネクゼイションは、十字形の盤面を用いていたが、現在のオセロと同様に「挟んだら裏返す」という基本原理に基づくゲームだった[26][20]。開発から6年後の1876年にF・H・エアーズがこれを発売した[20]。
1883年、同じくロンドンのルイス・ウォーターマン (Lewis Waterman) がアネクゼイションの盤面をチェッカー盤(チェスボードと同じ8×8の正方形)に改良してリバーシ (Reversi) を開発した[20][27][28]。リバーシは、1886年にロンドンのサタデー・レビュー紙に掲載され、世に知られることになった[29]。ウォーターマンは、1888年にリバーシを商品化し、ジャック・アンド・サン(現・ジャック・オブ・ロンドン)から発売した[30]。なお、リバーシ発売後にF・H・エアーズがアネクゼイションの改良版として「Annex a Game of Reverses」という名前でリバーシとほぼ同一のゲームを販売したため、商標をめぐって訴訟となったが、「リバーシ」は「裏返す」という意味の単語「Reverse」に由来し、16世紀からフランスでプレイされていた伝統的トランプゲームのリバーシス(ハーツの原型)の別名でもあることから商標権は認められず、両者はともにこのゲームを販売できることになった[20]。
商品化から2年後の1890年にウォーターマンが承認したリバーシの解説書[21]によると、当時のリバーシと現在のオセロとのルール上の違いは、以下の2点のみである[31]。
- 初期配置オリジナル・ルール
- 初期のリバーシでは、盤面に石を置かずにゲームを開始していた。初手から4手目まで交互に中央4マスのうち好きな位置に石を打ち込むことで、初期配置を決めた(なお、初期配置を決めるための4手は相手の石を挟まなくて良かった)。
- 着手回数32手制限ルール
- 初期のリバーシでは、両対局者はそれぞれ最大32回しか石を打つことができなかった。つまり、ゲーム開始時に各々の手元に32個の石が配布され、相手のパスによって自分が連続して着手した結果手元の32個の石を使い果たしてしまった場合は、それ以降の自分の手番がすべてパスになった。
同書によると当時のリバーシの石の色は黒と白 (black and white) であり、現在のオセロと同様である[32]。もっとも、ジャック・アンド・サンから発売されたオリジナルのリバーシは、チェッカーと同様に黒白[33]、黒赤[34]、赤白[35]という少なくとも3通りのバージョンが存在していたことがボードゲーム収集家のリチャード・バラムのコレクションで確認できる。
20世紀のリバーシ[編集]
リバーシが考案されてから20年ほどの間にルールの変遷があった。まず、着手回数32手制限ルールはすぐに廃止され、相手がパスした場合には相手の手元の石を使ってもよいことになった[31]。1900年頃のF・H・エアーズのリバーシに添付されたルール説明書には、「彼が打つことができないでいる限り、対戦相手は彼の石を使用して打つ」と明記されている[36]。また、初期配置に関しては、簡便のために最初から中央4マスに石を置いてからゲームを開始するのが主流となった[31]。この結果、20世紀初頭には、現在のオセロとのルール上の違いはほぼなくなっており[31]、1907年に編纂された『世界遊戯法大全』[22]では現在のオセロと完全に同一のルールが定められている[31]。
もっとも、初期配置に関しては、図の3つのルールがローカルルールとして併存しており、どのルールを採用するかは競技団体・競技者や開発メーカーによって違いがあった[37][注釈 6]。なお、クロス・ルールを採用した場合(『世界遊戯法大全』など)には現在のオセロと完全に同一のルールとなる。
石の色については、黒白のものもあったが[40]、世界的には黒赤が主流となり、日本では源平になぞらえて主に紅白(赤白)の石を使った[41]。
リバーシは、早くから日本にも輸入され、「源平碁」という名前で発売された[42][26][43]。なお、名称は「源平碁」であるが、碁石ではなく表裏が別の色に塗り分けられた通常通りのリバーシの石でプレイされた[44]。
リバーシ(源平碁)は現在のオセロとよく似たゲームである[17]。しかし、現在のオセロほどの支持を得ることはできず、忘れられた存在となっていった[17]。オセロ発売当初の説明によれば、長谷川は幼少期に兄がプレイしているのを見てリバーシのことを知った[14]。そして、忘れられたゲームだったリバーシの道具を1970年頃に東京で改良して復活させたものがオセロである[17][14]。
挟み碁[編集]
近年の長谷川の主張によれば、オセロのルーツは、第二次世界大戦が終わって間もない1945年の夏に茨城県水戸市で長谷川が考案した簡易囲碁ゲーム挟み碁である[18][注釈 7]。
長谷川によれば、当時の長谷川と同級生たちは相手の石を囲んだら取れるという囲碁のルールがよく分からなかった[18]。そこで、長谷川の発案により、相手の石を挟んだら取れるという簡易ルールで遊んでいた[18]。その後、石を取るのではなく、相手の石を挟んだら自分の石と置き換えるというルールに改良し、現在のオセロに近いものとなった[18]。さらに、自分の石と置き換える作業を簡単にするため、碁石ではなく表裏を黒白に塗り分けた紙の石を裏返すというアイデアに至った[18]。
挟み碁には「挟んだら裏返す」という基本原理以外に定まったルールはなかった[18]。盤面は長谷川が自作した8×8、8×9、9×10、八角形など多様な形状のものを使用し、「複数の石を挟んだときも裏返せる石は1個のみ」あるいは「挟んだ石のうち裏返したくない石は裏返さなくていい」など、そのときどきで様々なルールを採用してプレイしていた[23]。
長谷川は、中学・高校・大学で級友とこのゲームを楽しんでいたが、大学卒業によって遊ぶ機会がなくなり、挟み碁は一旦姿を消すことになった[18][注釈 8]。
これが2000年頃から長谷川が主張するようになったオセロの起源である。
オセロの成立[編集]
1964年当時、東京都で中外製薬の営業担当として仕事をしていた長谷川は、同僚の女子社員たちから何かゲームを教えて欲しいと頼まれた[18][注釈 9]。長谷川は囲碁・将棋ともに五段の腕前を誇り、最初はこれらのゲームを教えたが、難しすぎるとのことで上手く行かなかった[18][14]。また、妻にも囲碁を教えたが、これも上手く行かなかった[18][14]。そんな折に少年時代の記憶にあったリバーシもしくは挟み碁のことを思い出した[18][14]。そこで、自宅で妻と家庭の牛乳瓶の紙蓋[注釈 10]を集めて石を自作し、女子社員たちにルールを教えたところ、彼女らが昼休みにこのゲームを楽しむようになった[18]。
さらに、営業先の病院でもこのゲームを紹介したところ、入院中の患者の時間潰しやリハビリテーションに使えるとのことで好評を博した[18][48]。長谷川が担当していたある病院の医局長からは「このゲームは社会復帰を目指す患者のリハビリに適し華がある」と太鼓判を押されたという[18][注釈 11]。
手応えを覚えた長谷川は、仲間たちとともに実験・研究を繰り返し、このゲームをさらに改良することにした。当初長谷川は自作の8×9の盤を使っていたが、1970年10月にメルク(西ドイツの製薬会社)からチェスセットが日本の薬品関係者に贈られると、8×8のチェスボードを採用して、チェスボードに合った牛乳瓶の紙蓋を使用するようになった[50]。さらに、当初長谷川は間接挟みでも石を返すという現在よりもやや複雑なルールを採用していたが、直接挟みのみに限定した簡明なルールに変更した[50][注釈 12]。これにより、1970年頃、東京で現在のオセロと同様のゲームが完成した[50]。
完成したゲームには、当初黒と白の石をジャイアントパンダに見立てて「ランラン・カンカン」という名前(上野動物園のカンカンとランランに由来)が検討されていた[51]が、長谷川の父親で旧制水戸高等学校(水高)の英国文学教授であった長谷川四郎の発案で「オセロ」に変更された[18]。これは、英国文学の代表作であるウィリアム・シェイクスピアの戯曲『オセロ』に由来する[18]。緑の平原が広がるイギリスを舞台にして、黒人の将軍・オセロと白人の妻・デズデモーナを中心に敵味方がめまぐるしく寝返るという戯曲のストーリーに、緑の盤面上で黒白の石が裏返って形勢が変わっていくゲーム性をなぞらえたものである[51][18]。
商品化とオセロブーム[編集]
1972年10月[52]、長谷川が玩具メーカーのツクダにオセロを持ち込んだところ、これが認められ、商品化が決まった[49][13]。
商品化に先立ち、1973年1月には日本オセロ連盟が設立され、同年4月7日には第1回全日本オセロ選手権大会が開催された[18][注釈 13]。
同年4月25日[51][46]に三越本店と伊勢丹本店で販売を開始し、4月29日[53][54]に全国で「オフィシャルオセロ」が発売された[注釈 14]。ツクダの商品企画部門の責任者だった和久井威によると、当時玩具に対してキャラクター以外のロイヤルティーを払うという意識が業界にはほとんどなく、オセロについても特許権や実用新案権は取得されていなかった[注釈 15]が、ツクダのオーナーは「おもちゃはアイデアだから」と支払を認めたという[13]。玩具業界には子供向けのボードゲームは4人以上で遊べるべきという意識があったため、2人用ゲームであるオセロは大人をターゲットとして、パッケージ表面にはたばこやライターを写したデザインが採用された[49]。価格は2200円に設定された[13][56]。
初期ロットは在庫を残さないよう3,000個で、経費の都合でテレビCMも打たなかったものの、百貨店の店頭などで実演販売をすると着実に売れていった[13][56]。これに自信を得た和久井がその年の年末商戦に向けてテレビCM[注釈 16]を製作したところ、オンエア後の10月からの3か月間で38万個、翌1974年に120万個以上[注釈 17]、1975年に280万個が売れる大ヒット商品となった[13][56][57]。『日経流通新聞』(現『日経MJ』)のヒット商品番付では、1973年、1974年と2年連続で「大関」に選出された[56]。
1977年にアメリカ合衆国でも発売され、その年のうちに100万個が売れたという[56]。この年から、世界オセロ選手権大会も始まった[23]。
ツクダの玩具製造部門は1974年からツクダオリジナルとして独立。2002年、ツクダオリジナルはバンダイの子会社となり、2003年3月には和久井が経営するワクイコーポレーションと経営統合してパルボックスとなった。さらに2005年には、パルボックスはバンダイの子会社メガハウスに統合され、2020年現在はメガハウスがオセロを販売している[2]。なお、アメリカ合衆国ではゲイブリルが最初の販売元だったが[56]、その後数社の変遷を経て、2007年時点ではマテルが欧米での販売権を所有している[56]。
和久井によると、2007年時点でもオセロは年間40から50万個は売れ続けているという[13]。
オセロとリバーシ[編集]
オセロとリバーシの違い[編集]
ゲーム名 | 最初期の文献(出典) | 開発年・開発者・発売元 | 石の色 | 盤面の形状 | 初期配置 | 複数石挟み | 着手不能時 | 着手回数制限 |
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リバーシ(19世紀) | Reversi and Go Bang (1890年)[21] |
1883年(ロンドン) ルイス・ウォーターマン ジャック・アンド・サン |
|
8×8の正方形 | オリジナル | 全部裏返す | パス | 32手 |
リバーシ(20世紀) | 世界遊戯法大全 (1907年)[22] |
1900年頃 不明 多数 |
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8×8の正方形 |
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全部裏返す | パス | 無制限 |
オセロ | オセロの打ち方 (1974年)[6] |
1970年頃(東京) 長谷川五郎 ツクダ |
黒白 | 8×8の正方形 | クロス | 全部裏返す | パス | 無制限 |
リバーシ(Reversi、レヴァルシー、源平碁)は、オセロ発売以前からあるほぼ同様のゲームである[58][41]。リバーシは、19世紀と20世紀でわずかに異なる(細かい変遷については、歴史の節を参照)。
20世紀のリバーシは、石の色について黒白、黒赤、赤白という3パターンの配色があり、初期配置についてクロス、パラレル、オリジナルという3種類のローカルルールが存在した[37]。オセロは、このうち、石の色に黒白、初期配置にクロスを採用したものと同一である[58]。黒白の石[32]、クロス配置[22]はともに1907年以前の文献に掲載されており、オセロが初出ではない。
なお、「リバーシは盤面の大きさが自由であった」「リバーシはパスができなかった」などとされることがある[59]が、誤りである。実際には、1890年刊行の最初期の解説書の時点から「盤面は8×8の正方形[注釈 18]」「打てる箇所がない場合はパス」というルールが定められており、この点は現在のオセロと同一である[32]。
オセロとリバーシの関係性[編集]
オセロは、リバーシよりも後発のゲームであり、そのルールは初期配置クロス・ルールを採用したリバーシと完全に同一である[58]。そのため、オセロは先行するリバーシに依拠して開発されたのか、リバーシに依拠しているならば別ゲームと言えるほどの違いがあるのかという点がしばしば議論される[41]。オセロ開発者の長谷川五郎の説明が一貫しないことから明確な結論は出ておらず、オセロとリバーシの関係性およびオセロ発祥の地については、以下の3つの見解がある。
- オセロはリバーシの商品名の一つ(ロンドン発祥説)
- リバーシをプレイするために開発された新しい用具の商品名がオセロであるとする見解である[31][42]。この見解に立った場合、オセロで初期配置がクロスに限定されていることは、同一ゲーム内のローカルルールの変化にすぎず、ゲームとしてはロンドン発祥のリバーシの範疇に含まれるということになる。
- オセロはリバーシを改良した新ゲーム(東京発祥説)
- リバーシが改変されて成立した新しいゲームの名称がオセロであるとする見解である[14][63]。この見解は、オセロはリバーシに依拠しているものの、1970年頃東京都での長谷川のゲーム研究によって、名称・用具・環境が整備され、初期配置がクロスに限定されたことでゲームとしての本質的な部分が変化し、リバーシとは区別される新ゲームが完成したと考える。
- オセロはリバーシとは独立に考案された類似ゲーム(水戸発祥説)
- オセロはリバーシとは関係なく戦後1945年に水戸市で長谷川が挟み碁として独立に考案した全く別のゲームであるとする見解である[18][54]。この見解によれば、リバーシとの類似は偶然ということになる。なお、挟み碁というゲームの存在を裏付ける根拠は、2000年以降の長谷川の発言以外になく、他の見解の立場からは、史実でないとされている(詳細は後述)。
オセロの独自性論争[編集]
長谷川は、1973年にツクダからオセロを発売した当初、リバーシの影響下にあること自体は認めたうえで、改良による独自性をアピールし、新ゲームとしてこれを宣伝した[14][15][16][64]。長谷川は1973年の雑誌記事でオセロ開発の経緯について以下のように記し、源平碁(リバーシ)を土台にゲームを改良したと明言している。
何か原型になるものはないか? そのとき私は、兄が30年以上も前の小学生時代に源平碁をやっていたことを思い出した。〔中略〕現在は滅びてしまったが、これを土台に改良すればいけると直感した。 — 長谷川五郎(1973年)、[14]
1981年の著書『オセロの打ち方』でも、長谷川はリバーシがオセロの原型であると認めたうえで、ゲームの面白さは、ルールが3分の1、名称・用具・環境などの要素が3分の2を占めることを指摘し、後者が不十分であったリバーシは子供の玩具以外の何物でもなかったが、オセロはすべてを整備して大人でも遊べるゲームとして完成させたものであるとアピールしている[17]。
これに対し、複数の専門家がオセロはリバーシと別のゲームと言いうるほどの独自性はなく、リバーシの商品名の一つにすぎないと指摘し、新ゲームとして喧伝されていることに批判的な見解を示した。
小説家の都筑道夫は、オセロ発売直後に疑問を抱いて独自の調査を行い、娯楽研究家である矢野目源一の著書『娯楽大百科』[65]の記述などに基づいて、オセロはリバーシとそのまま同一のゲームであるといち早く指摘した[66][16]。都筑は、ツクダが海外輸出を目指していることに触れ、以下のようにオセロを批判している。
碁将棋をしのぐ日本の新しいゲーム、なぞとむこうへ持っていったら、なんだ、珍しくもない、リヴァースィじゃないか、といわれるだけだろう。 — 都筑道夫、[67]
小説家でパズル・ゲーム研究家の田中潤司は、都筑に対して、リバーシは昔から日本でも源平碁として親しまれており、1968年(オセロ発売の5年前)のハナヤマの商品カタログにも掲載されているという事実を紹介した[67]。田中は、以下のように述べ、発売元のツクダが長谷川にロイヤルティーを支払ったことについて疑問を呈している。
あれは源平碁ですよ。〔中略〕だいたい、昔からあるものを、発売元が知らないのが、おかしいんですよ。 — 田中潤司、[67]
アメリカ合衆国の数学者でパズル・ゲーム研究家のマーティン・ガードナーは、オセロがアメリカ合衆国で発売された年に、サイエンティフィック・アメリカンの連載「数学ゲーム」の中で以下のように記し、わざわざ高額のオセロを購入しなくても同じゲームがプレイできると読者にアドバイスしている。
Othello is the 19th-century English board game of reversi with nothing altered except the name.
(オセロは名前以外に何一つ変わりがない19世紀イギリスのボードゲーム・リバーシだ) — マーティン・ガードナー、[68]
なお、長谷川はオセロ発売前の1971年にオセロの実用新案を出願(のちに拒絶査定が確定)しているが、その出願書類の中では、日本では半世紀にわたって源平碁が行われているとの見解を示したうえで、自身の新案を源平碁用具(石、盤、計算表)の改良であると説明し、「源平碁」という名称で出願をしている[55]。
また、リバーシとオセロのルール上の唯一の違いである、クロス配置への限定については、肯定的な評価も否定的な評価も存在する。元オセロ世界チャンピオンのベン・シーリーは、パラレル配置では白番が完勝してしまう展開があるが、クロス配置では黒白の利点が拮抗して引き分けに至る展開が多いことを指摘し、クロス配置を採用した長谷川を高く評価している[69]。一方、ゲーム研究家の草場純は、クロス配置がパラレル配置に劣る理由として、初期配置の状態で180度回転させても同じだから上下が区別できなくなってしまう点、初手がすべて対称形なので選択の余地がない無意味な一手になってしまう点を指摘し、長谷川が初期配置をクロスに限定したことを「オセロはリバーシの改悪」と断じ、厳しく批判している[41][70][71]。
オセロの商標とその影響[編集]
ゲームとしての独自性の有無はともかくとして、長谷川の構築した名称・用具・環境を伴うブランド力によってオセロは全世界に普及した[58]。オセロの認知度が向上するに伴い、次第にリバーシ自体がオセロの影響を受けるようになった[72]。
20世紀のリバーシにはクロス、パラレル、オリジナルの3つの初期配置ルールが存在することは前述したが、現代ではパラレルやオリジナルのルールでプレイされることはほとんどなく、オセロと同様のクロス配置が主流となっている[72]。また、石の色も黒白、黒赤、赤白の3パターンがあったが、こちらも現代ではオセロと同じ黒白が主流となっている[58]。つまり、もはや両者に違いはなく、実質的にリバーシはオセロの別名と言いうる状況となっている[58]。
これは、オセロの商標権を持つツクダ(ツクダオリジナル、パルボックス、メガハウス)以外の各社が、商標権との抵触を避けつつオセロと同様の商品を販売するためにリバーシの名を借りたためである[72]。1973年のオセロ発売当初、「オセロ」という商品名は商標として、黒白の石や緑の盤面などのデザインは意匠として、ともにツクダによって登録され、権利保護の対象となっていた。その後、意匠権は保護期間の20年が満了したため、他社も同一のデザインを使用することができるようになったが、商標権はなおも保護が続いている[13]。そこで、他社は、オセロはリバーシの商品名の一つであるとする見解に基づき、「リバーシ」の商品名でオセロと同一デザインの商品を発売するのが一般的となっているのである[72]。
1999年には、日本最大手のオセロ情報サイトを運営していた元タイトルホルダーのオセロ選手に対し、ツクダオリジナルが商標権侵害であるとして内容証明郵便を送り付けたことがきっかけとなって[73][74]、日本で商標権のないリバーシに着目する動きが広まり、元タイトルホルダー4名を含む多数の高段者たちが集まって日本リバーシ協会を設立した[75][31]。日本リバーシ協会の理事に対して「リバーシ禁止—オセロ連盟を除名」と題した脅迫状が送り付けられる事件が発生し[76]、日本オセロ連盟の一部幹部からは、リバーシはオセロと敵対するゲームであるとして日本リバーシ協会を排斥する主張がなされたとされる[77]。その後、日本リバーシ協会は活動を停止した[74]。
なお、日本の公共放送NHKでは、オセロの商標を避けるために「黒と白の石を取り合うゲーム」などと言い換えて報道していたことがある[注釈 19]。2022年10月7日にNHK総合テレビで放送された「チコちゃんに叱られる!」では「オセロはなぜ白と黒か」を扱い、番組内で終始「オセロ」と表現した。
リバーシ依拠性論争[編集]
発売当初はリバーシの影響下にあることを公言していた長谷川だが、次第にそれを伏せるようになった[68]。そして、2000年頃、長谷川はリバーシとは無関係に1945年に水戸で自身が独立にゲームを考案したとする新たな見解を示した。当時、日本オセロ連盟のウェブサイトには「オセロの起源はリバーシ」と明記されていたが、連盟会長の長谷川が執筆した「戦後、水戸、碁石」という新しい文章に差し替えられた[83][84]。長谷川は、この文章の中で以下のように主張した。
オセロの原形は、1945年9月に茨城県水戸市で生まれました。〔中略〕囲碁(相手の石を囲んだら取る)を良く知らない中1の生徒達のガヤガヤワイワイの中から、相手の石を挟んだら取るというルールが私の発案で生まれました。 — 長谷川五郎(2000年)、[85]
この件に関し、連盟HP委員として差し替え作業を担当したhaseraは次のように語っている。
オセロが水戸発祥って2000年くらいに突然五郎さんが言い出して僕なんかは困惑した話なんですよ。それまでは1960年代にゲーム研究して1973年までに完成・発売したという話を信じてたのに、急に戦後の水戸発祥ってことになった。 — hasera、[19]
これ以降、オセロはリバーシとは独立に水戸で考案されたとする情報が広く拡散した[注釈 20]。
オセロ販売元のメガハウスは、2020年現在、オセロは長谷川が水戸で独立に考案したとする説を採っている[54]。水戸市は、同説に基づき、「オセロ発祥の地」を自称し、オセロにまつわる様々なイベントを開催している[87][88][注釈 21]。
一方、世界オセロ連盟は、2020年現在オセロの歴史に関する項を空欄にしており、態度を明らかにしていないが[89]、長谷川が死去した2016年には、当時の世界オセロ連盟会長だったトール・ビルゲル・スコーゲンが、長谷川はリバーシに基づいてオセロを開発したとする見解を示しつつ長谷川に哀悼の意を示す声明を発表した[63]。
なお、オセロがリバーシに依拠して開発されたのかどうかはともかくとして、いずれにしても長谷川がオセロを発売した時点ですでにリバーシの開発者はこの世におらず、特に権利関係が問題視されることはない[68]。
戦術[編集]
オセロ戦術の発展[編集]
オセロは単純なルールでありながら、勝つためには頭脳、読み合い、駆け引きが要求される[2][6]。非常に多彩な戦術が知られており、「覚えるのに一分、極めるのに一生 (A minute to learn, a lifetime to master)」[注釈 22]という言葉がキャッチフレーズとなっている[90]。
1890年のリバーシの解説書には、すでにいくつかの戦術が掲載されていた[91]。隅の重要性や序盤での注意点など基本的な戦術が解説されている[91]。さらに進んで、現在知られている詳細な戦術を体系的に整備したのは、オセロのパッケージを開発した長谷川五郎である[6][92]。長谷川は、1974年に『オセロの打ち方』を著し、この中で、様々な棋譜とともに勝つための戦術を体系的に解説した[6][92]。その後、オセロの流行とともに様々な強豪プレイヤーが自らの理論を書籍として出版し、オセロ戦術は日々進歩を遂げている[93]。
ここでは、標準的な戦術書でよく解説される基礎的な概念を説明することで、オセロ戦術の全体像を概観する。
定石[編集]
図は、序盤の3手目の局面である。ルール上、ここで黒番にはc4、d3、e6、f7の4つの選択肢がある。しかしながら、c4、d3、f7の進行は白番が正しく対応すればいずれも黒番必敗となることが判明しているため、初心者を除けば黒番は必ずe6と打つ[94][95]。
このように、不利にならない手は限られているから、双方がある程度の実力を有していれば序盤の進行はいくつかの決まったパターンに収束しやすい[96][97]。そういったパターン化された進行を「定石」という[94][96][97][92]。上級者同士の対局では、基本的な定石を双方が覚えたうえで、どの定石を選択するか、どこで定石から変化するかなど細かい駆け引きを行う[96][92]。