長谷川五郎

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長谷川 五郎(はせがわ ごろう、1932年昭和7年) - 2016年平成28年)6月20日)は、茨城県水戸市出身のボードゲーム研究家、ゲーム考案家で、特にオセロを考案したことで有名な人物である。

オセロ以外にも88オセロソクラテスミラクルファイブセルゴ大碁(だいご)といったボードゲームも考案しており、生前は日本オセロ連盟会長を務めた。オセロ名誉十段。

経歴[編集]

英文学研究者(茨城大学教授)の長谷川四郎[注 1]を父として生まれる。

旧制水戸中学(現茨城県立水戸第一高等学校)に入学。今では「オセロ」として知られるゲームを考案した経緯は同校の学生時代まで遡るといい、学校の短い休み時間でも楽しめるゲームが欲しいと思い、碁石を用いて相手の石をはさむと取れるというルールの「挟み碁」を考案したことに始まる、と本人は語る。その後、ルールを変え、石を取り除くのではなく色を反転させるようにし、牛乳瓶のふたを用いて裏表を反転させるように改良して現在の形にたどりついた、と言う。みずからのゲームに「オセロ」という名称をつけることになった由来は、そのゲームを考案した際に何と名付けるかについて英文学研究者(英文学者)である父親の四郎に相談したところ、シェイクスピアの『オセロ』を取り上げたからだという[1]。その名を出されれば、白人女性のデズデモーナ(=白石)と、その夫の黒人軍人オセロ(=黒石)が緑の平原(=緑の盤面)で勇猛果敢に闘う物語が思い描かれたので、盤面を緑色にしこの名称を使うようになった、という[2]。シェイクスピアの『オセロ』は敵・味方が頻繁に寝返るストーリー[独自研究?]の演劇作品である。

茨城大学経済学部政経科に進学し、大学生時代はオセロを普及させることまでは考えておらず、あくまで身近な人と遊ぶために手作りで同ゲームを作って配るにとどまっていた。

同大学卒業後、製薬会社に就職し営業職MR)の仕事を始めても仕事先などで自作のオセロを披露していたところ、担当の顧客にあたる医局長に同ゲームが高く評価され、1972年、ツクダの社長である佃義範および企画担当者の和久井威に面会する機会を得て同ゲームを育てる夢を語り合い意気投合。ゲームとしては破格の長期契約を結び1973年には日本オセロ連盟を設立し東京で第1回全日本オセロ選手権大会を開催。同社がオセロの販売を開始しその後は年々ファンの数が増えた。和久井によると、持ち込まれたときのオセロにはパテントが付けられておらず、業界でもキャラクター以外にロイヤリティを払う意識がほとんどない時代だったが、佃は「おもちゃはアイデアだから」とロイヤリティを払うことを認めたという[3]

将棋囲碁共にアマチュア五段でもある。

病気療養中のところ、2016年6月20日に千葉県柏市内の自宅で死去した。83歳だった。

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ この「長谷川四郎」は、シベリア虜囚体験がある作家の長谷川四郎とは全くの別人。
出典
  1. ^ 中日新聞社 「シティーライフ No.4」 2007年
  2. ^ シリーズ:茨城発・夢ドキュメント (2) オセロ考案者 ~長谷川五郎さん~ (茨城県地域情報紙「常陽リビングニュース」[2005.11.14])2013年1月6日閲覧
  3. ^ 「和久井威氏ロングインタビュー 第2回」『月刊トイジャーナル』2007年6月号、東京玩具人形協同組合、p.72

関連記事[編集]