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鯛の代表格 - タイ科マダイ属 マダイ
縁起物として正月に供されるタイ
鯛の塩焼き
マダイ、天然、生[1]
100 gあたりの栄養価
エネルギー 594 kJ (142 kcal)
0.1 g
食物繊維 0g
5.8 g
飽和脂肪酸 1.47 g
一価不飽和脂肪酸 1.59 g
多価不飽和脂肪酸 1.38 g
20.6 g
ビタミン
ビタミンA相当量
(1%)
8 μg
(0%)
0 μg
チアミン (B1)
(8%)
0.09 mg
リボフラビン (B2)
(4%)
0.05 mg
ナイアシン (B3)
(40%)
6.0 mg
(13%)
0.64 mg
葉酸 (B9)
(1%)
5 μg
ビタミンB12
(50%)
1.2 μg
ビタミンC
(1%)
1 mg
ビタミンD
(33%)
5.0 μg
ビタミンE
(7%)
1 mg
ビタミンK
(1%)
1 μg
ミネラル
カルシウム
(1%)
11 mg
鉄分
(2%)
0.2 mg
マグネシウム
(9%)
31 mg
リン
(31%)
220 mg
カリウム
(9%)
440 mg
ナトリウム
塩分の可能性あり)
(4%)
55 mg
亜鉛
(4%)
0.4 mg
他の成分
水分 72.2 g

成分名「塩分」を「ナトリウム」に修正したことに伴い、各記事のナトリウム量を確認中ですが、当記事のナトリウム量は未確認です。(詳細

%はアメリカ合衆国における
成人栄養摂取目標 (RDIの割合。
出典: USDA栄養データベース(英語)

(タイ、英: sea bream)とは、広義にはスズキ目タイ科の総称、狭義にはタイ科のマダイを指す。

概要

一般的に高級魚として認知されている。 タイ科にはマダイの他に、クロダイキダイチダイ、ヒレコダイ、タイワンダイ、アカレンコなどが含まれる。さらに広義には、タイ科以外の魚でも、扁平・大型・赤っぽい体色・白身などの特徴を持つ魚には「-ダイ」と和名がついていることが多く、この場合、タイ科とは分類上遠い魚もいる[2]アマダイキントキダイイシダイなどはタイ科と同じスズキ亜目だが、エボシダイなどはスズキ目の別亜目、キンメダイアコウダイマトウダイなどは目のレベルでちがう魚である。このように和名にタイと名のついた魚は200種以上もいる[注釈 1]

極端な場合には淡水魚のティラピアを、その学名ティラピア・ニロチカから「チカ鯛」などと命名したり、「イズミダイ」と称して販売されていたこともあった。こうしたものは「あやかりタイ」などと揶揄される。

料理

刺身昆布締め塩焼き煮付け、蒸し焼き、干物、混ぜご飯など様々に調理される。食通の間では、唇の肉や頬肉、カマ(胸びれのつけ根)などが特にもてはやされる。表面が非常に頑丈な鱗で覆われており、ひれのトゲが固く危険であることから、さばくのに苦労を要し、家庭で調理する場合は購入する鮮魚店で予めさばいてもらったほうがよい。

日本では非常に馴染みの深い魚で、赤い色がめでたいとして、お祝いの席でよく出る。そのため七福神の一人恵比須は釣竿で鯛を釣り上げた姿をしている。神道では重要な地位を占めており、冠婚葬祭等の祭礼に欠かせない。考古資料として縄文時代から鯛の骨が出土しており、日本列島では古来より重要な食用魚だったと思われる。

さらに江戸時代になると、魚は専ら海のものが食され、将軍家でも鯛が喜ばれたため「大位」と当て字をされもてはやされた(当時、海から遠い京都ではが宮中で食され「高位」などと呼ばれていた)。

鯛の頭部を用いた料理に「兜煮」がある[4]。「兜煮」の調理に際して鯛頭部を縦に切断することを「梨割」と呼び、梨割は「兜割」とも呼ばれる[5]。一方で「兜煮」「兜割」の呼称は江戸時代の料理書に見られないことや、「兜を割る」が武家社会において縁起の悪い表現であるとする観点から、「兜煮」「兜割」の呼称は明治以降のものとする説もある[6]

タイをよく用いる料理

文化

タイの姿造り、日間賀島の民宿にて
特別天然記念物 鯛の浦生息地。海面に浮上した真鯛の群れ。(2011年10月10日撮影)
県の魚
千葉県では鯛、愛媛県ではマダイをそれぞれ県の魚に指定している。
ことわざ
海老で鯛を釣る」「鯛の尾よりの頭」「腐っても鯛」などのことわざがある。また、「鯛やヒラメの舞い踊り」など、鯛は魚類の代表格として扱われていることがわかる。
言葉
タイ焼き、タイツリソウ(ケマンソウの別名)など、鯛にまつわる言葉は多い。
鯛の鯛
肩甲骨烏口骨の二つが繋がって出来た魚様の骨のことを「鯛の鯛」、「鯛中鯛(たいちゅうのたい)」などと呼ぶ。この骨は胸鰭を支えたり、動かしたりするのに使われ、種類ごとに形が異なるので、近縁の魚を分類するときにも利用される。この魚様の骨は古くは江戸時代の書物の中に「鯛中鯛」として紹介されている。他の魚にも同様の骨はあるが、なかでもマダイの物が古来より形が美しいとされ珍重された。この骨を肌身離さず持ち歩くと金運が豊かになるなどという言い伝えがあり、また縁起物として収集の対象となることもある。
安房の鯛の浦
1222年、今の千葉県安房郡日蓮が生誕した時、鯛が深海から海岸まであがってきて群れ泳いだという言い伝えがあり、その地を鯛の浦と呼んでいる。今でもその地区では、鯛を禁漁にして投げ餌をし、大切にしている。
徳川家康の死因
1616年徳川家康が死去した原因は鯛の天ぷらにあたったためという説もある。なお、この場合のてんぷらは現在で言う「南蛮漬け」あるいは、「薩摩揚げ」に近いものと言われている。
落語の「鯛」
料理屋の生簀に捕まった鯛の物語。主人公の鯛が生簀の中で20年も無事だった鯛「ぎんぎろ」から生簀の中でなんとか長生きする方法を学ぶ。
唐津くんちの曳山
佐賀県唐津市で行われる唐津くんちの五番曳山(1845年製作)は鯛をモチーフとしており、現存する14台の中でも唐津くんちを代表する曳山となっている。
豊浜鯛まつり
豊浜鯛まつり愛知県知多郡南知多町で毎年7月に行われる祭り。大小の張りぼての鯛5匹が町内や海を練りまわる。
献上品
江戸時代、各大名が幕府へ献上する食品の中で、鯛が盛んに活用されており、1762年の宝暦武鑑によれば88の大名が干鯛を献上している。活鯛も非常に用いられ、江戸城活鯛納制という組織ができ、生簀船などにより調達網が整えられていた[7]

主な「鯛」

スズキ亜目

スズキ目以外

注釈

  1. ^ 万葉集では、鯛とはマダイただ一種を指していたが、江戸時代(1855年:安政2年)にはタイと呼ばれる魚を86種紹介する書籍が著され、更に昭和期(1943年)の書籍では235種を数えた[3]

脚注

  1. ^ 五訂増補日本食品標準成分表
  2. ^ 海の豆知識 Vol.47タイ公益財団法人海洋生物環境研究所
  3. ^ 『海のはくぶつかん』:Vol.32 No.1 p.4-5鈴木克美(すずきかつみ:東海大学教授・東海大学海洋科学博物館前館長)、東海大学社会教育センターweb
  4. ^ 岡嶋隆司「真鯛頭部の解体方について-解体手順と調理法の推定-」『動物考古学 第21号』(動物考古学研究会、2004年)、p.92
  5. ^ 岡嶋隆司「真鯛頭部の解体方について-解体手順と調理法の推定-」『動物考古学 第21号』(動物考古学研究会、2004年)、p.92
  6. ^ 岡嶋隆司「真鯛頭部の解体方について-解体手順と調理法の推定-」『動物考古学 第21号』(動物考古学研究会、2004年)、p.92
  7. ^ 江後迪子『隠居大名の江戸暮らし』吉川弘文館、1999年、130ページ頁。ISBN 4-642-05474-x{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。