谷津義男
前衆議院議員 谷津 義男 | |
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生年月日 | 1934年7月23日(89歳) |
出身地 | 群馬県館林市 |
出身校 | 法政大学法学部 |
学位・資格 |
政治学士 旭日大綬章(2010年4月29日) |
前職 |
ダイハツ 群馬県議会議員 |
所属委員会 | 農林水産大臣(第2次森内閣) |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 群馬県第3区 |
当選回数 | 7回 |
所属党派 | 自由民主党(伊吹派) |
党役職 | 衆議院群馬県第三選挙区支部長 |
会館部屋番号 | 衆議院第一議員会館518号室 |
谷津 義男(やつ よしお、1934年7月23日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の前衆議院議員。
略歴
群馬県館林市出身。1953年に群馬県立館林高等学校卒業。1957年に法政大学法学部政治学科卒業し、代議士福井盛太秘書、ダイハツ系販売会社勤務、代議士坂村吉正秘書を経て、1975年から群馬県議を3期務める。1986年に引退した長谷川四郎の後を継いで、自由民主党公認で第38回衆議院議員総選挙に出馬し、初当選。
有力な農林族議員の一人と目されており、2000年12月から2001年4月まで農林水産大臣(第2次森内閣)に就任。葱・椎茸・イグサの中国からの輸入に対してセーフガードを発令する決定を行なった。
亀井静香直系として、1998年に亀井、平沼赳夫、中川昭一らと清和会を離脱。翌1999年には志帥会結成に参加するが、2005年の郵政民営化6法案の投票では、亀井の意向に反して賛成票を投じた。採決前に亀井に翻意を促すも聞き入れられず、事実上訣別したと言われる。
群馬3区では、大票田の太田市から、館林市出身の谷津が立候補することに対して不満をもつ自民党支持者も多く、清水聖義太田市市長らが候補に擬せられたこともあった。
2006年9月、選挙の実務全般を取り仕切る総務局長を、自民党役員会メンバーへと昇格させた初代選挙対策総局長に就任。
2007年の第21回参議院議員通常選挙の選挙実務にあたったが大敗し、8月の選挙対策総局長を離任。9月3日に遠藤武彦農水相が不正受給問題を受けて辞任することになった際、後任農水相に農水相経験者からの起用が模索され谷津が浮上したが、2007年の参院選で選挙対策総局長で大敗した責任を取る形で辞退した。
2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙には公明党の推薦を受けて出馬したが民主党の柿沼正明に敗北。比例代表との重複立候補をしていなかったため議席を失うことになった[1]。
人物
- 新興宗教崇教真光の43周年秋季大祭に出席し、来賓として祝辞を述べた。
- 自民党の酒税問題プロジェクトチームの座長を務め酒類小売業者の経営の改善等に関する緊急措置法を議員立法で成立させた。
著作
単行本
- 『自然再生推進法と自然再生事業』ぎょうせい、2004年9月。(共著)田端正広。
論文・その他
- 「基調講演 アジアの水と人口 (APDA主催-人口・開発アジア国会議員代表者会議-ホーチミン市宣言採択)、『人口と開発』(85)、28〜33ページ、2004年1月。
- 「平成16年度党運動方針(要旨)-育てよう改革の芽、参議院選挙に勝つ(第70回自由民主党大会)-」『月刊自由民主』(通号612)、70〜84ページ、2004年3月。
- 「政策提言 公共事業大幅見直し-21世紀に相応しい姿へ(中止勧告233事業決定)-」『月刊自由民主』(通号 571)、46〜51ページ、2000年10月。
関係団体
- 日韓議員連盟所属。
- 真の人権擁護を考える懇談会
- 群馬県サッカー協会会長。
脚注
- ^ http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1 /20090730-OYT1T00850.htm
議会 | ||
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先代 伊藤忠治 |
衆議院内閣委員長 1997年 - 1998年 |
次代 二田孝治 |
公職 | ||
先代 谷洋一 |
農林水産大臣 2000年 - 2001年 |
次代 武部勤 |