森田一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。松茸 (会話 | 投稿記録) による 2015年11月4日 (水) 13:08個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

森田 一
もりた はじめ
生年月日 (1934-05-14) 1934年5月14日(89歳)
出生地 香川県坂出市
出身校 東京大学
前職 大蔵省官僚
衆議院議員秘書
所属政党 自由民主党
称号 衆議院永年在職議員
法学士
旭日大綬章
配偶者 妻・森田芳子(大平の長女)
親族 岳父・大平正芳
長女・渡辺満子(大平の孫)

内閣 第2次森内閣
在任期間 2000年7月4日 - 2000年12月5日

選挙区旧香川2区→)
比例四国ブロック
当選回数 8回
在任期間 1980年6月23日 - 2005年8月8日
テンプレートを表示

森田 一(もりた はじめ、1934年昭和9年)5月14日 - )は、日本政治家自由民主党所属の元衆議院議員(8期)。香川県坂出市出身。大平正芳の娘婿にあたる。

経歴

1934年香川県坂出市に内科医を営む父を持つ3人兄弟の長男として生まれる。地元の坂出高校に入学したが大学受験を考えた末、高松高校へ転校する[1]。当初、医師を目指して東京大学理科に入学したが、法学部に進学した[2]東京大学法学部卒業後の1957年大蔵省に入省(官房文書課配属)。同期には保田博的場順三内海孚財務官)、大山綱明(関税局長)など。

大蔵省出身の大平に見込まれて、大平の娘と1961年に結婚する[3]。大蔵省銀行局保険第二課長などを経て退官し、大平の第一秘書となって内閣総理大臣秘書官などを務める。1980年、総選挙の真っ只中に総理大臣のままで急死した大平に代わって、第36回衆議院議員総選挙補充立候補で急遽出馬、弔い選挙の大勝で初当選する。当選後は宏池会に所属。1987年自治政務次官1989年には運輸政務次官に就任。1996年中選挙区制から小選挙区制が施行されると選挙区3に対して現職自民党議員が4名になるためコスタリカ方式をとることなく単独比例候補に回った。

2000年第2次森内閣において運輸大臣北海道開発庁長官として初入閣。その運輸大臣在任中に起きたいわゆる加藤の乱では、現職閣僚ながら加藤紘一を支持。当時法務大臣だった山崎派保岡興治と事前に打ち合わせをして、加藤と山崎拓が本会議で森内閣に不信任投票した場合には、その場で大臣を辞して行動を共にするために辞表を用意していた。結局、加藤と山崎が欠席戦術に切り替えたため、森田は本会議に出席して不信任決議に反対票を投じた。

その後は、少数派となった小里派に所属していたが、2005年の総選挙には出馬せずに政界を引退した。2005年11月、旭日大綬章を受章。

著述

2010年3月に、回顧記『心の一灯 回想の大平正芳-その人と外交』(服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編、第一法規)を公刊した。

他に大平政権の回想は、『最後の旅』(行政問題研究所、1981年)と、『文人宰相 大平正芳』(新井俊三共著、春秋社、1982年)がある。

不祥事

政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している[要出典]

脚注及び参照

  1. ^ 前衆議院議員森田一ホームページ 時事コラム 同窓生 (平成15年4月25日)
  2. ^ 国正武重『権力の病室 大平総理最後の14日間』(文藝春秋、2007年)123頁
  3. ^ この時の仲人は坂出市出身の津島壽一
議会
先代
久間章生
日本の旗 衆議院運輸委員長
1993年
次代
近江巳記夫
先代
島村宜伸
日本の旗 衆議院地方行政委員長
1991年
次代
中島衛
公職
先代
二階俊博
日本の旗 運輸大臣
2000年
次代
扇千景
先代
二階俊博
日本の旗 北海道開発庁長官
2000年
次代
扇千景