国家公安委員会

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日本の旗 日本行政機関
国家公安委員会
こっかこうあんいいんかい
国家公安委員会が設置されている 中央合同庁舎第2号館
国家公安委員会が設置されている
中央合同庁舎第2号館
役職
委員長国務大臣 松原仁
委員 前田晃伸長谷川眞理子
田尾健二郎高木剛
山本剛嗣
組織
上部組織 内閣府
国家公安委員会は、内閣総理大臣の所轄の下、内閣府外局として置かれる。
下部組織
特別の機関
警察庁
国家公安委員会は、警察庁を管理する。国家公安委員会の庶務は、警察庁において処理する。
概要
法人番号 7000012010022 ウィキデータを編集
所在地 東京都千代田区霞が関2丁目1番2号
定員 7,611人
(警察庁の職員の定員。うち、1,837人は警察官、902人は皇宮護衛官、4,872人は一般職員)
2008年4月1日施行)
年間予算 2,735億2,900万円(警察庁の当初予算、2008年度)
設置 1954年(昭和29年)7月1日新警察法に基づく委員会の第1回開催日)
前身 国家公安委員会(旧警察法に基づく委員会。第1回開催日は1948年(昭和23年)3月8日
ウェブサイト
国家公安委員会
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国家公安委員会(こっかこうあんいいんかい、英訳名National Public Safety Commission)は、日本の行政機関行政委員会)の一。内閣府の外局警察庁を管理する。

組織

内閣府設置法第49条第1項および警察法に基づいて、内閣総理大臣所管の下に置かれ、内閣府の外局とされる合議制の行政委員会である。委員会は、国務大臣をもって充てられる委員長(国家公安委員会委員長)と、5人の委員の計6名から構成される(警察法第4条・第6条)。委員会には、その特別の機関として警察庁が置かれ(内閣府設置法56条)、それを管理する(警察法5条2項)。また、警察庁は委員会の庶務・実務を補佐する。警察の民主的運営と政治的中立性を確保することを目的とした組織、いわば“目付役”で、反体制的運動や組織を取り締まるいわゆる公安警察活動を主目的とした組織ではない。

  • 委員長には国務大臣が充てられるいわゆる大臣委員会[1]とされ、警察の政治的中立性の確保と治安に対する内閣の行政責任の明確化という2つの要請の調和を図っているとされるが、国家公安委員会の会務全般は、警察庁長官官房の職員により行われている。

任務

国の公安に係る警察運営をつかさどり、警察教養、警察通信、情報技術の解析、犯罪鑑識、犯罪統計及び警察装備に関する事項を統轄し、並びに警察行政に関する調整を行う事により、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持することを任務とする(警察法5条1項)。

委員会の管理権

警察庁に対する「管理」の概念であるが、元来、国家公安委員会は警察行政の民主主義的・中立的運営のために存在し、また、警察庁自体に警察事務の執行権限を与えている。個々の案件に対して指揮監督を行うのではなく、大綱方針を定め、その運営が適切に行われているか否かを監督する。従って、具体的事件について指示や命令、捜査を行うことはできない。しかし、警察事務の執行が法令に違反し、あるいは国家公安委員会の定める大綱方針に則していない疑いが生じた場合には、その是正又は再発防止のため、具体的事態に応じ、個別的又は具体的に採るべき措置を指示することも、「管理」の本来の意味が上記のものである限り、許される。「監察」については、国家公安委員会がその職権として、必要があると認める場合、個別案件についても随時行うことができ、警察庁に対し調査を指示できる。警察庁は、適宜、国家公安委員会に対して警察事務の執行につき所要の報告を行うべき職責を有する。また、国家公安委員会から報告を求められたときは、速やかにそれを行うべきものであるとされる。これら国家公安委員会の権限行使については警察法及び国家公安委員会運営規則に定められている。

委員会の運営

委員長が招集する。委員長及び3人以上の委員の出席がなければ会議を開き、議決をすることができないとされ、議事は、出席委員の過半数でこれを決し、可否同数の時は、委員長の決するところによる。企画運営は警察庁が行い、警察庁を管理する事以外は、国家公安委員会の職権行使について警察庁の補佐を受ける。警察庁長官官房に課長級として国家公安委員会会務官が置かれている。

検事総長との関係

検事総長と常に緊密な連絡を保つものとするとされるが、刑事訴訟法上における検察官警察官に対する一定の指揮権のようなものは存在せず、常に協力関係にある。

警察庁は国家公安委員会以外の機関から管理監督されることはないが、司法警察活動に際し、個別の警察官は一定の指揮を検察官から受けることがある。当然に警察官は正当な理由がある場合には、この検察官の指示に従う必要はない。この時、検事総長検事長または検事正は、国家公安委員会が懲戒権限を持つ者、つまり、国家公務員たる警察官に対する懲戒の訴追を国家公安委員会に行うことが認められている。

また、検察官は、司法警察員又は司法巡査に指定された警察官に対しては「捜査を適正にし、その他公訴の遂行を全うするために必要な事項に関する一般的な準則を定める」一般的指示を行うことが刑事訴訟法193条で定められている。同条により、検察官が自ら犯罪を捜査する場合において必要があるときは、司法警察職員を指揮して捜査の補助をさせることができる。

だが、検事総長、検事長又は検事正自身には懲戒権限はないため、この正当性の判断は国家公安委員会が警察の民主的運営及び政治的中立性を鑑みて、独自に判断することとなっている。国家公安委員会の管理権と検察官の捜査指揮権が相反する場合にどちらが優先されるかが問題となるが、あくまでも正当性の判断主体は国家公安委員会であり、国務大臣たる国家公安委員長を長とする国家公安委員会の管理権は民主主義的基盤を持っており、行政機関である検察官の指揮権よりも優位する。そのため、国家公安委員会の管理権が優先される。なお、司法警察活動たる捜査活動に対し、犯罪の予防・鎮圧活動を主とする行政警察活動については、原則、警察が独自に行うこととなっており、検察官の指揮を受けることはない。

委員長及び委員

  • 委員長職の詳細及び歴代の委員長一覧については、国家公安委員会委員長の項目参照。
  • (旧)警察法に基づく委員は、警察職員及び他の官公庁の職業的公務員のいずれの経験も有しない者の中から、衆・参両議院の同意(衆議院の優越あり)を得て任命された。委員の任期は同法第7条第1項では一律5年となっていたが、同法附則第2条第1項で初回のみ「一人は一年、一人は二年、一人は三年、一人は四年、一人は五年」とされた(氏名は官報掲載順に左から記載)。委員長は委員の互選により選出され、委員長の任期は1年。この旧法時代は、法文上は「委員」の文字を重畳する「国家公安委員会委員」の表記がなされたが、辞令上は重畳しない「国家公安委員に任命する」との表記が用いられた。
  • (新)警察法に基づく委員は、衆・参両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命する。委員の任期は5年で、1回に限り再任が可能である。なお、同法附則第4項の規定により初回の任期のみ「一人は一年、一人は二年、一人は三年、一人は四年、一人は五年」とされた(氏名は官報掲載順に左から記載)。
  • 委員長不在(外遊・短期間の疾病等)の場合に備えて、委員のうちの1人があらかじめ委員長代理として互選されており、会議の招集・議長役を代行する。ただし、この委員長代理には「国務大臣たる委員長」の代理権限まではないため、国家公安委員会規則の公布文署名等の行為は、内閣総理大臣が一時的に指名する国務大臣が「国家公安委員会委員長事務代理」の名で代行する。

歴代委員の一覧

年月日は就任日と退任日。カッコ内の年数は、初回任命の任期。「-」は空席。

氏名 氏名 氏名 氏名 氏名
国家公安委員(警察法(昭和22年法律第126号)
植村環(1年)
1948年3月7日
- 1949年3月6日
生方誠(3年)
1948年3月7日
- 1951年3月6日
金正米吉(5年)
1948年3月7日
- 1953年3月6日
清瀬三郎(2年)
1948年3月7日
- 1950年3月6日
辻二郎(4年)
1948年3月7日
- 1952年3月6日
-
植村環
1949年4月15日
- 1954年4月14日
-
青木均一
1950年3月31日
- 1954年6月30日
-
小汀利得
1951年4月4日
- 1954年6月30日
-
花井忠[2]
1952年3月28日
- 1953年1月18日
-
金正米吉
1953年3月7日
- 1954年6月30日
高野弦雄[3]
1953年7月31日
- 1954年6月30日
-
野村秀雄
1954年6月4日
- 1954年6月30日
国家公安委員会委員(警察法(昭和29年法律第162号)
青木均一(1年)
1954年7月1日
- 1955年6月30日
小汀利得(2年)
1954年7月1日
- 1956年6月30日
金正米吉(4年)
1954年7月1日
- 1958年6月30日
高野弦雄(3年)
1954年7月1日
- 1957年6月30日
野村秀雄[2](5年)
1954年7月1日
- 1958年1月13日
永野重雄
1955年7月1日
- 1960年6月30日
小汀利得
1956年7月1日
- 1961年6月30日
高野弦雄
1957年7月1日
- 1962年6月30日
-
安井英二[3]
1958年2月7日
- 1959年6月30日
-
金井米吉
1958年7月8日
- 1963年7月7日
-
安井英二
1959年7月4日
- 1964年7月3日
-
永野重雄
1960年7月23日
- 1965年7月22日
-
小汀利得
1961年7月11日
- 1966年7月10日
-
名川保男
1962年9月3日
- 1967年9月2日
-
坂西志保
1964年6月26日
- 1969年6月25日
-
津田正夫
1965年4月28日
- 1970年4月27日
-
藤井丙午
1965年9月14日
- 1970年9月13日
-
眞野毅
1966年9月9日
- 1971年9月8日
名川保男
1967年9月3日
- 1972年9月2日
-
坂西志保
1969年9月12日
- 1974年9月11日
津田正夫
1970年4月28日
- 1975年4月27日
-
藤井丙午[2]
1970年10月7日
- 1973年9月19日
-
池田潔
1971年12月17日
- 1976年12月16日
-
松本正雄
1972年9月12日
- 1977年9月11日
-
田實渉[3]
1973年10月1日
- 1975年10月6日
-
今井久
1974年10月1日
- 1979年9月30日
-
橘善守
1975年5月23日
- 1980年5月22日
-
田實渉
1975年12月25日
- 1980年12月24日
-
池田潔
1977年2月22日
- 1982年2月21日
松本正雄
1977年9月12日
- 1982年9月11日
今井久[4]
1979年10月1日
- 1980年7月25日
橘善守
1980年5月23日
- 1985年5月22日
-
高辻正巳[5][3]
1980年10月29日
- 1984年9月30日
-
平岩外四
1981年2月14日
- 1986年2月13日
牛場大蔵
1982年2月22日
- 1987年2月21日
大塚喜一郎
1982年9月12日
- 1987年9月11日
高辻正己[2]
1984年10月1日
- 1988年12月30日
坂本朝一
1985年5月23日
- 1990年5月22日
-
平岩外四
1986年2月15日
- 1991年2月14日
牛場大蔵
1987年2月22日
- 1992年2月21日
石井成一
1987年9月12日
- 1997年9月11日
-
富田朝彦[3]
1989年4月7日
- 1989年9月30日
-
富田朝彦
1989年10月7日
- 1994年10月6日
坂本朝一
1990年5月23日
- 1995年5月22日
那須翔
1991年2月15日
- 1996年2月14日
岩男寿美子
1992年2月22日
- 1997年2月21日
石井成一
1992年9月12日
- 1997年9月11日
長岡實
1994年10月7日
- 1999年10月6日
新井明
1995年5月23日
- 2000年5月22日
那須翔
1996年2月15日
- 2001年2月14日
岩男寿美子
1997年2月22日
- 2002年2月21日
-
磯邊和男
1997年11月12日
- 2002年11月11日
-
渡邊幸治
1999年12月7日
- 2004年12月6日
-
荻野直紀
2000年5月24日
- 2005年5月23日
-
安崎暁
2001年2月22日
- 2006年2月21日
-
川口和子
2002年3月13日
- 2007年3月12日
-
大森政輔
2002年11月19日
- 2007年11月18日
佐藤行雄
2004年12月7日
- 2009年12月6日
吉田信行
2005年5月24日
- 2010年5月23日
葛西敬之
2006年2月22日
- 2011年2月21日
長谷川眞理子
2007年3月13日
- 2012年3月12日
2012年3月13日 -
-
田尾健二郎
2007年12月19日 -
高木剛
2009年12月7日 -
-
山本剛嗣
2010年5月27日 -
前田晃伸
2011年2月22日 -

政務次官

1955年11月28日から1956年12月23日まで、委員長の政務を補佐する職として定数1人の政務次官(辞令上の職名は「国家公安政務次官」)が置かれ、大谷瑩潤が在任した。

現実の問題

2000年以降、日本では警察官・警察本部の不祥事が相次いで発覚し、国民の警察への不信感は今なお拭えずにいる。この一連の警察不祥事に対処するため、上部組織である国家公安委員会は警察刷新会議の設置を行った。だが、現状の不祥事の発生件数を見ても成果が出ているとは言いがたく、国家公安委員会の形骸化が懸念されている。

脚注

  1. ^ 2001年(平成13年)1月6日に金融再生委員会が廃止されて以降、唯一の大臣委員会である。
  2. ^ a b c d 依願退職
  3. ^ a b c d e 前任者の残任期間
  4. ^ 在任中死亡
  5. ^ 高辻正巳の辞令上の氏名表記については、初回は「巳」、2回目は「己」が用いられている(後年、国務大臣(法務大臣)となった際の辞令は「己」)。

関連項目

外部リンク