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裵英洙

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裵 英洙(ペ・ヨンス)
三星ライオンズ #25
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
出身地 大邱広域市
生年月日 (1981-05-04) 1981年5月4日(43歳)
身長
体重
184 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 1次ドラフトで三星ライオンズから指名
初出場 2000年4月9日
年俸 4億ウォン(2011年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

国際大会
代表チーム 大韓民国の旗大韓民国
WBC 2006年
ペ・ヨンス
各種表記
ハングル 배영수
漢字 裵英洙
発音: ペ・ヨンス
ローマ字 Bae Yeong-su
本人表記: Bae, Young Soo
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裵 英洙(ペ・ヨンス、1981年5月4日 - )は、韓国プロ野球三星ライオンズに所属するプロ野球選手投手)。184cm、84kg。右投右打。

経歴

大邱広域市出身。地元の名門、慶北(キョンブク)高校から三星(サムスン)ライオンズに入団。

入団当初は期待されながらも度胸がなく、逃げるようなピッチングで球速のわりにはよく痛打されるという印象をもっていた。2001年ロッテ・ジャイアンツとの試合で相手打者のフェリックス・ホセに死球を当て、激怒したホセに殴り倒されたこともある。

2004年宣銅烈がコーチに就任すると、彼の指導を受けて一気にチームを支えるエースに成長。2004年の韓国シリーズ第4戦では強打者が揃った現代ユニコーンズ相手に無安打に抑え込んだ(しかしこの試合では打線の援護がなく、延長10回時間切れで0対0の引き分けになり、ノーヒットノーラン達成ばかりか勝利投手にもなれなかった)。この年はシーズン17勝2敗の成績でMVPを受賞している。

2005年アジアシリーズの決勝戦の千葉ロッテマリーンズ戦に先発、これが日本での初登板となった。敗戦投手になったものの、高校の先輩である李承燁から2三振を奪った。

2006年WBC韓国代表に選出された。WBCの1次リーグ日本戦でリリーフ投手として登板したが、イチローに死球を与えて降板させられた。同年のレギュラーシーズンは右肩痛に悩まされ8勝9敗に終わった。しかし韓国シリーズでは、高卒新人ながら投手3冠を達成した柳賢振(リュ・ヒョンジン)に投げ勝ち、先発・リリーフを問わずに登板する「便利屋」として活躍した。

2006年のシーズン後に肘の故障が発覚し診察のため渡米。「靭帯の損傷が激しいため手術が避けられない」と診断され、トミー・ジョン手術を受けた。2007年シーズンはリハビリのため登板機会がなかったが、1年にわたるリハビリに専念した結果、2008年シーズンに復帰、開幕から先発ローテーションの一角を担い復活を遂げた。

2009年は投球内容が大きく悪化し、1勝12敗と負けが先行した。

2010年オフ、シーズン中に取得したフリーエージェント権を行使し、日本プロ野球・東京ヤクルトスワローズとの移籍交渉を進めたが、メディカルチェックでB型肝炎に感染している事が発覚し、これが球団側の基準を満たしておらず破談となり、三星と2年契約を結び残留した。2011年も6勝止まりで防御率5点台と、2008年以降は手術前ほどの成績を残すことはできなくなっている。しかし三星が韓国シリーズで優勝したため出場したアジアシリーズ2011の台湾代表統一ライオンズ戦では、5回を1失点と好投しチームの勝利に貢献した。

プレースタイル・人物

投球スタイルとしては140km/h中盤のストレートスライダーを持つ。球のキレで勝負する本格派投手。

韓国の国民的スターであるペ・ヨンジュンの名前に似ていることから、日本では「サムスンのヨン様」と呼ばれる[1]。しかし、厳密にいうと、韓国語では、ペ・ヨンジュンのヨンと彼のヨンは発音が違う。

高校の先輩の李承燁と親しい関係であり、2006年のWBCの時には、お互い所属チームで付けていた背番号を交換して付けたりもした(裵英洙の三星ライオンズでの背番号は25、WBCでは36、李承燁は三星の時から前年まで所属していた千葉ロッテでの背番号は36、WBCでは25)。これが、後に李承燁が巨人で背番号を25に変えたきっかけのひとつにもなった。

詳細情報

韓国プロ野球通算成績































2000

25 0 2 6.75 0 45.1 59 36 34 9 24 32 6.35
2001 35 13 8 3.77 0 169.2 169 82 71 11 97 96 5.09
2002 22 6 7 5.53 0 81.1 94 55 50 13 48 63 6.97
2003 30 13 5 4.51 0 163.2 174 85 82 11 84 99 5.44
2004 35 17 2 2.61 0 189.2 163 65 55 6 85 144 6.83
2005 31 11 11 2.86 2 173 148 61 55 10 59 147 7.65
2006 32 8 9 2.92 0 157.1 142 56 51 13 47 133 7.61
2007 1軍出場なし
2008 27 9 8 4.55 0 114.2 127 59 58 15 41 71 5.57
2009 23 1 12 7.26 0 75.2 106 73 61 18 29 40 4.76
2010 31 6 8 4.74 1 119.2 136 69 63 11 45 64 4.81
2011 25 6 8 5.42 0 103 127 67 62 5 33 47 4.11
通算成績 316 90 80 4.15 3 1303 1445 7081 642 122 592 936 4.57
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル

  • 最優秀選手:1回(2004)
  • 最多勝:1回(2004)
  • 最優秀勝率:1回(2004)
  • 最多奪三振:1回(2005)

背番号

  • 25

脚注

  1. ^ 2006年WBCでは実況を担当したTBS松下賢次アナウンサーから「マウンドにはペ・ヨンジュンが上がります」と間違えられた。

外部リンク