ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー
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名前 | ||||||
本名 | Jader Volnei Spindler | |||||
愛称 | バレー | |||||
カタカナ | ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー | |||||
ラテン文字 | Baré | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1982年1月18日(42歳) | |||||
出身地 | リオグランデ・ド・スル州ベナンシオアイレス | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 86kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
バレーこと、ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー(Jader Volnei Spindler "Baré", 1982年1月18日-)は、ブラジル・リオグランデ・ド・スル州ベナンシオアイレス出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
来歴
クラブ
サッカーを本格的に始めたのは16歳頃という、プロにまで登り詰めた選手としては珍しい経歴を持つ。それまではスーパーマーケットに店員として勤務しており、そのスーパーの仲間たちと結成したアマチュアのサッカークラブで活動していた。1998年に地元ベナンシオ・アイレスのグアラニFC (pt) に入団[1]。1999年10月にウルグアイのデフェンソールに移籍するが、3ヶ月間練習に参加しただけで試合出場はなかった[1]。2000年はレンタル移籍でグレミオに在籍し、それが終了した2001年にデフェンソールからJ2・大宮アルディージャに期限付き移籍[1][2]。これがプロとしてのキャリアのスタートだった。当時はC契約で第4の外国人としての扱いだったが[1]、他の外国人選手の相次ぐ怪我などでチャンスをつかむ。
翌年、怪我で戦列を離れていたチーム内外国人選手が復帰したために外国人枠からあぶれた関係で、大宮を退団してイタリアのACペルージャへの入団を目指し渡欧し、デンマーク、ウルグアイ、ブラジルのクラブでプレーした後、2003年始めに大宮へ復帰した。 2004年の大宮のJ1昇格にも貢献したが、シーズン終了後に放出される。このときJ1やヨーロッパの幾つかのクラブからオファーを受けたが、J2・ヴァンフォーレ甲府入団をバレー自身が選択した。
Jリーグでプレーしていた頃には公文式に在籍。日本語の勉強をしていた。しかし、記者会見では語弊などを避けるためポルトガル語を使用している。
2005年シーズンは甲府の攻撃の中心としてJ1昇格に貢献した。特に柏レイソルと対戦したJ1・J2入れ替え戦では、12月7日の第1戦(小瀬)で決勝ゴール、12月10日の第2戦(日立柏)ではJリーグの1試合個人最多得点記録となる6得点(ダブルハットトリック)を叩き出した。この試合後に「いろいろ思い出して…」と人目を憚らず号泣した姿は多くのファンに感動を与えた。2006年、J1昇格した甲府で、引き続き攻撃ユニットを牽引。勝利を決定付けるゴールを次々に決め、昇格初年度の甲府J1残留を置き土産に同シーズンをもって甲府を退団し、ガンバ大阪に完全移籍し、3年契約を結んだ[3]。
2007年開幕戦、古巣の大宮相手に途中出場から決勝ゴールを決め、感動の涙を流した。このシーズン、J1リーグ得点ランク2位となる20ゴールを挙げた。2008年8月、アラブ首長国連邦のアル・アハリに完全移籍した。ベナンシオ・アイレスの地元紙によれば移籍金は600万ドル(当時のレートで約6億5千万円)で、そのうち85%がガンバ大阪に、身内がパス(選手保有権)の一部を所有することから、残りの15%が彼自身の手に渡ったという[3]。
2010年に同じUAEリーグのアル・ジャジーラに、2012年にはカタールリーグのアル・アラビに移籍した。
2013年シーズンから、清水エスパルスに移籍することが発表された[4]。7月25日、中国スーパーリーグの天津泰達足球倶楽部へ移籍[5]。
2015年5月3日にヴァンフォーレ甲府へ復帰したが、12月をもって退団。[6]。
人物
登録名となっている「バレー」は本人によれば、ブラジルで販売されているバレーコーラ(Baré-Cola)というとても安いジュースの名前で、小さい頃によく飲んでいたせいか、あだ名として呼ばれだしたものが定着したとのこと。家族や親しい者は本名の「ジャデル」で呼ぶという[7]。
所属クラブ
- ユース経歴
- 1998年 デフェンソール・スポルティング 下部組織
- 1998年 - 1999年 グアラニFC 下部組織
- プロ経歴
- 2002年 ヴェイレBK
- 2002年 ボタフォゴFC
- 2003年 モンテビデオ・ワンダラーズFC
- 2003年 - 2004年 大宮アルディージャ
- 2005年 - 2006年 ヴァンフォーレ甲府
- 2007年 - 2008年7月 ガンバ大阪
- 2008年8月 - 2010年7月 アル・アハリ・ドバイ
- 2010年7月 - 2012年9月 アル・ジャジーラ・クラブ
- 2012年9月 - 12月 アル・アラビ・ドーハ
- 2013年 - 2013年7月 清水エスパルス
- 2013年7月 - 2015年2月 天津泰達足球倶楽部
- 2015年5月 - 12月 ヴァンフォーレ甲府
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | グレミオ | セリエA | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 大宮 | 30 | J2 | 30 | 13 | - | 1 | 0 | 31 | 13 | |
デンマーク | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | ヴェイレ | スーペル | 6 | 3 | |||||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | ボタフォゴ-SP | ||||||||||
ウルグアイ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | ワンダラーズ | 1部 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 大宮 | 11 | J2 | 43 | 22 | - | 3 | 4 | 46 | 26 | |
2004 | 41 | 15 | - | 2 | 2 | 43 | 17 | ||||
2005 | 甲府 | 16 | 38 | 21 | - | 2 | 1 | 40 | 22 | ||
2006 | J1 | 30 | 14 | 5 | 1 | 1 | 0 | 36 | 15 | ||
2007 | G大阪 | 18 | 31 | 20 | 7 | 5 | 4 | 1 | 42 | 26 | |
2008 | 18 | 10 | 1 | 0 | - | 19 | 10 | ||||
UAE | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2008-09 | アル・アハリ | 9 | 1部 | 10 | 11 | ||||||
2009-10 | 19 | 11 | |||||||||
2010-11 | アル・ジャジーラ | 20 | 12 | ||||||||
2011-12 | 14 | 11 | |||||||||
カタール | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2012-13 | アル・アラビ | 20 | 1部 | 7 | 2 | ||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | 清水 | 9 | J1 | 16 | 4 | 6 | 2 | - | 22 | 6 | |
中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | 天津泰達 | 超級 | 13 | 3 | |||||||
2014 | 16 | 4 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | 甲府 | 10 | J1 | 22 | 8 | 0 | 0 | 1 | 0 | 23 | 8 |
通算 | ブラジル | セリエA | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
日本 | J1 | 117 | 56 | 19 | 8 | 6 | 1 | 142 | 65 | ||
日本 | J2 | 152 | 71 | - | 8 | 7 | 160 | 80 | |||
デンマーク | スーペル | 6 | 3 | ||||||||
ウルグアイ | 1部 | ||||||||||
UAE | 1部 | 49 | 34 | ||||||||
カタール | 1部 | 7 | 2 | ||||||||
中国 | 超級 | 28 | 7 | - | |||||||
総通算 |
その他の公式戦
- 2005年
- J1・J2入れ替え戦 2試合7得点
- 2007年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | AFC CL | CWC | ||||
2008 | G大阪 | 18 | 6 | 1 | - | |
2009 | アル・アハリ | 9 | 5 | 0 | 1 | 0 |
2010 | 3 | 1 | - | |||
2011 | アル・ジャジーラ | 3 | 2 | - | ||
2012 | 7 | 3 | - | |||
通算 | AFC | 24 | 7 | 1 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2008年
- パンパシフィックチャンピオンシップ 2試合5得点
タイトル
クラブ
- ヤマザキナビスコカップ:1回 (2007)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回 (2007)
- パンパシフィックチャンピオンシップ:1回 (2008)
- UAEリーグ:1回 (2008-09)
- UAEリーグ:1回 (2010-11)
個人
- Jリーグ優秀選手賞:1回 (2007)
- Jリーグベストイレブン:1回 (2007)
- パンパシフィックチャンピオンシップ得点王:1回 (2008)
CM出演
脚注
出典
- ^ a b c d 「People 150 バレー(大宮アルディージャ)」『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2001年7月4日号 No.820、38-39頁。
- ^ 21世紀の骨のあるヤツ - 第94回 バレー(サッカー) @ぴあ
- ^ a b 下園昌記「バレー移籍の真相と中東マネーがもたらす波紋」『Jリーグサッカーキング』フロムワン、2008年10月号、18-21頁。
- ^ “バレー選手 加入決定のお知らせ”. 清水エスパルス. 2012年12月30日閲覧。
- ^ “バレー選手 天津泰達(中国スーパーリーグ)へ完全移籍決定のお知らせ”. 清水エスパルス. 2013年7月25日閲覧。
- ^ バレー選手 加入内定のお知らせ ヴァンフォーレ甲府公式サイト 2015年5月3日
- ^ 【J1 注目選手スペシャルインタビュー】Vol.12:甲府 バレー選手「いちばん近い目標は、次のゲームに勝つこと」(06.10.16) J's GOAL