BT戦車

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ノモンハン事件に投入されたBT-7

BT戦車(べーてーせんしゃ;ロシア語:Быстроходные танкиブィストラホードヌィイェ・ターンキ、略称:БТベテー)は、第二次世界大戦前にソ連が開発した一連の軽戦車である。「BT」とはロシア語で「素早い戦車」を意味する「Быстрый танк」の頭文字をとったもので、「快速戦車」などと訳される。本項目名のように「BT戦車」とすると「快速戦車戦車」という重言的表現になるので、これは誤りとする意見もある。赤軍では「BT」の愛称形「ベテーシュカ」(бэтэ́шкаベテーシュカ)または「ベートゥシュカ」(бе́тушкаビェートゥシュカ)、卑称形「ベートカ」(Бе́ткаビェートカ)で呼んだ。ドイツ軍は、二枚のハッチを開いた1937年型以降の砲塔の見た目から「ミッキーマウス」と渾名した。BT-2BT-5BT-7の3タイプが量産された。開発は、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国ハリコフで行われた。

BTの生みの親、クリスティー[編集]

BTはアメリカ人ジョン・W・クリスティーが開発した「M1940」という戦車に由来する。これはM1928の砲塔の無いデモンストレーション用で、1930年代初めの開発にもかかわらず、先進性を主張した形式番号であった(M1931の砲塔の無い試作型である「M1930」とする資料もあるなど、名称に諸説あり)。クリスティーはアメリカで様々な戦車を開発していたが、彼の独創的なアイデアと開発におけるいかにも発明家らしい性格のため、本国では少数の使用に止まったが、イギリス・ソ連では彼のアイデアを受け継ぐ巡航戦車・快速戦車が開発された。

M1928から採用された「クリスティー式懸架装置」は、大直径転輪とストロークの大きいコイルスプリングによるサスペンションの組み合わせで、これに航空機用の大馬力エンジンを用いることで高速走行を実現していた。装甲自体は薄かったが、代わりに車体前面は傾斜し、避弾経始(装甲を斜めにする事で当たった弾丸を後ろにそらす)を取り入れていた。また、一番の特徴は履帯なしでも走行できることであった。この機能は戦場に到着するまでの移動集中には極めて有効であったが、履帯の取り外しと再装着に時間がかかるため、いったん戦場に到着してからの実際の戦闘場面ではこの機能が使われることはあまり無かった。ノモンハンでは履帯の挙げる騒音を避けて日本軍陣地に忍び寄るために装輪行動を行ったという記録もある。

M1940からBTへ[編集]

新たな戦車ドクトリンに基づいて高速戦車を求めていたソ連軍は、カニンガムT1軽戦車(32km/h)を購入するために、1928年10月に赤軍兵器本部機械化自動車化局のハレプスキー局長が極秘裏に渡米し、彼はそこで超高速のクリスティー戦車(M1928で履帯装着時68.5km/h、装輪走行時111.4km/h)の存在を知り、カニンガムT1軽戦車に対する興味を失い、クリスティーとの粘り強い交渉の末、クリスティー戦車の購入に至った。輸入した2輌の「M1940」あるいは「M1930」を使って1931年3月から試験開始、その結果をもとに各部を強化するなどして、最初の量産型BT-2を採用した。改良ポイントとしては砲塔の新設、車体前部形状の変更、操縦士ハッチの変更、アルミ合金製の転輪をスポーク型の鋳造製、また後にプレス鋼板製に変更、途中から前部フェンダーの増設などである。BT-2の成功に気を良くしたソ連陸軍はその後改良型BT-5、BT-7を生産した。総生産台数は7000輌を上回る。大演習でBTが存分に機動力を発揮する様を見たイギリス軍武官の報告は、以後の巡航戦車の設計に影響を与えている。

実戦での活躍[編集]

BTは第二次大戦以前にも、スペイン内戦張鼓峰事件ノモンハン事件ポーランド侵攻冬戦争(第1次ソ連=フィンランド戦争)等で使われた。高い機動力と(その当時としては)強力な備砲はソ連戦車の特徴とも言え、各戦域で活躍したが、薄弱な装甲のため損害も少なくなかった。独ソ戦の初期にも参加したが、急速に消耗しT-34に取って代わられていった。とはいえ、1945年になってもザバイカル軍管区に残っていたものが満州侵攻に使われている。

BTの内分け[編集]

BT-1
アメリカから参考用に輸入した2輌の、「M1940」もしくは「M1930」に、ソ連が与えた形式名。
BT-2
最初の量産型。武装は円形砲塔にB-3(5K)・37mm砲、後からその右に7.62mmDT機関銃のポールマウント式銃架を備えたタイプが制式であるが、十分生産されないうちに45mm戦車砲の生産に移行し37mmの生産が打ち切られ、砲を搭載できたのは180輌に過ぎなかった。やむを得ず、残りの車輌は代わりにDA-2連装機関銃を搭載、こちらの方が440輌もある有様だった。同じクリスティー戦車の子孫であるイギリスの巡航戦車同様、アメリカのリバティーエンジンの国産版であるV型12気筒M-5を搭載しているが、最初の100輌には間に合わず輸入したリバティーを使っている。初期にはクリスティー同様の単純な排気口や箱型マフラー(消音機)だったが、大型の円筒形マフラーに変更され、さらに単純な長い筒型排気管に改修されたものもある。エンジングリルの排気口は二枚の板が斜めに傾く単純な物で、当初クリスティー戦車同様にむき出しであったが、まもなく異物混入防止用の金網製カバーが装着された。これらは基本的にT-34まで同じような構造である。
BT-5
装甲材質を向上させ、また主砲を37mm砲の拡大版である45mm20k戦車砲に強化。砲塔は当初円形で後部に箱型バスル(雑具箱ではなく砲塔の一部)の付いた形状であったが、標準型ではバスル部が大型化され側面装甲と一体につながった物になった(同じ砲塔を持つT-26軽戦車と同様である)。一部は夜戦用に防盾上にサーチライトを二基装備しているが、これと車体前面のライトは無防備であり、最初の戦闘で30%が被弾による破損で使用不可能になったという。指揮戦車型BT-5TUには無線機が搭載され、砲塔上のハチマキ状フレームアンテナで識別できる。しかしこれは本隊との連絡用で、無線を持たない僚車には手旗信号により指示が送られたが実戦では上手くいかず、ノモンハン事件では指揮戦車が最初に攻撃される原因となった。異物混入防止用の金網製カバーや大型マフラーは当初から標準装備で、マフラーはやはり筒型排気管に変更された。
BT-7
BT-5を改良したもので、車体がリベット式から溶接式になり、新型のM-17Tエンジンが採用された他、燃料の搭載可能量も増加した。さらに1937年型では傾斜砲塔への変更が行われている。ディーゼルエンジンを搭載するなどの改良がほどこされたBT-7Mもあった。BT-7はスペイン内戦、張鼓峰事件、ノモンハン事件や冬戦争などに投入された。しかし、BT-5と同じく装甲の貧弱さが問題点で、対戦車砲火炎瓶に悩まされた。1941年に始まった独ソ戦でも戦ったが緒戦で大損害を受け、中期には完全に陳腐化して後方部隊にまわされることになった。ソ連の対日参戦時には再び日本軍と戦った。