徳田虎雄

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日本の旗 日本の政治家
徳田虎雄
とくだ とらお
生年月日 1938年2月17日(74歳)
出生地 鹿児島県大島郡徳之島町
出身校 大阪大学
前職 日本体操協会理事長
現職 医療法人社団徳洲会理事長
所属政党 (無所属→)
自由民主党→)
(無所属→)
自由連合
称号 鹿児島県徳之島町名誉町民
親族 次男・徳田毅
配偶者 徳田秀子(薬剤師、徳洲会副理事長)

日本の旗 衆議院議員(2期目)
選挙区 鹿児島県第2区
当選回数 2回
任期 2000年6月26日 - 2005年8月8日

日本の旗 衆議院議員(1期目)
選挙区 奄美群島選挙区→)
鹿児島県第1区
当選回数 2回
任期 1990年2月19日 - 1996年9月27日
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徳田 虎雄(とくだ とらお、1938年2月17日 - )は、医療法人徳洲会理事長、医師。元自由連合代表、元衆議院議員(当選4回)、元沖縄開発政務次官鹿児島県徳之島町名誉町民

目次

[編集] 人物

鹿児島県徳之島町出身。鹿児島県立徳之島高等学校から大阪府立今宮高等学校へ転校し、1学年下に編入した。

実弟の急病死をきっかけに医師となり[1]、日本で最大規模の病院・医療事業グループを築くとともに、衆議院議員として政治にも関わった。かつては高校などで道徳の教材に頻繁に使われていた一方、徳州会は従業員に対する指導が厳しいことで知られ、徳田自身の暴行疑惑が取り沙汰されたこともある[2]

2002年平成14年)ごろ筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症、政界から引退するとともに病気療養を開始した。

[編集] 医師

2浪して合格した[3]大阪大学医学部医学科を卒業後の1973年昭和48年)、「失敗したら自殺してその保険金で返す」と説得して銀行から金を借り「徳田病院」を大阪府松原市に設置し、さらに1975年昭和50年)、医療法人徳洲会を設立した。「生命(いのち)だけは平等だ!!」をスローガンに安心して療育できる環境作りを目指し、地方自治体や医師会とたびたび対立しながらも、全国各地に病院や診療所を開設した。

[編集] 衆議院議員

保徳戦争

1983年昭和58年)と1986年昭和61年)の衆議院総選挙に鹿児島県奄美群島選挙区から立候補し、保岡興治の前に落選。このときの選挙戦は選挙違反による逮捕者が続出するなど島を二分する激しい対決となり、「保徳戦争」と呼ばれた。

自由連合結成

1990年平成2年)の衆議院総選挙に無所属で初当選し自由連合を結成するが、この時点での自由連合は保守系無所属議員の寄り集まりであった。

1993年平成5年)の衆議院総選挙では、選挙直前自民党に入党し、再選。しかし、日本医師会の意向でわずか3日で追放された。

その後、1994年平成6年)に自由連合を政党化し、代表として活躍。村山改造内閣では与党入りして沖縄開発政務次官を務めた。1996年平成8年)の衆議院総選挙で落選したが、2000年平成12年)の衆議院総選挙で復活を果たし、2003年平成15年)の衆議院総選挙でも再選された。

そのほか、日本体操協会会長、アジア体操連盟会長も歴任している。

[編集] 病気療養

病気療養と政界引退

2002年平成14年)4月1日筋萎縮性側索硬化症(ALS)の発病に気付いた。2004年平成16年)2月ごろから病状が悪化し、そのため国会に出席できず、療養していた(同年夏の第20回参議院議員通常選挙で政党要件満たしながら一切候補者擁立せず、亀井静香の要請で前年衆院選で現職で落選した自民党・志帥会の比例新人荒井広幸の国政復帰に貢献)。しかし、この時点では病名は公にしなかった。2005年平成17年)8月8日衆議院解散をうけ、体調回復が十分でないとして政界を引退すると発表した。

後継として2005年平成17年)9月11日衆議院総選挙に次男の徳田毅が立候補、当選。自由連合代表に就任した。その選挙の折、虎雄と交流のある川井宏之の元を訪れ相談したとされている。しかし毅は2006年平成18年)11月2日離党、自民党入りを表明。虎雄の現役当時とは違い、自民入党への抵抗も薄れていたと見られる。自由連合の去就は再び虎雄の手に委ねられることとなった。だが、毅は11月29日、自民党への「入党願」を出した後で、「地方議員はいるので、自由連合を今後どうするかは父の判断だ。しかし、参院選に候補者を立てるのは難しいのではないか」と記者に語った。同日、虎雄は日本ALS協会設立20周年記念式典に一患者として出席し、闘病中であることを初めて公にした。協会から登壇を促されたが、人工呼吸器装着のため話すことができず、用意した文章を代読して貰ったという[4]

普天間基地代替施設移設問題に絡み、有力な移設先候補である徳之島に多大な影響力を持っている徳田に対し、2010年平成22年)4月28日内閣総理大臣鳩山由紀夫が面会。毅の立会う中、協力を要請したが徳田は拒否した。

[編集] 家族

同郷で幼馴染みであった妻、徳田秀子は薬剤師であり、徳洲会副理事長を務める。長女・徳美(結婚後は越澤徳美)は医師で、株式会社徳洲会(東京都千代田区。医薬品販売事業など)社長。長男、徳田哲は2浪して入学した埼玉医科大学を卒業後医師となり[3]、現在は徳洲会病院副理事長。次男、徳田毅帝京大学法学部を中退の後、2005年平成17年)から衆議院議員を務める。

[編集] 著書

  • 『生命だけは平等だ わが徳洲会の戦い』(1979/7 光文社カッパ・ブックス ISBN 433400363X、絶版)
  • 『知らなかった救急法―この知識が手遅れを防ぐ 最新医学が教える』(1980/11 経済界 (リュウブックス))
  • 『頭の悪い奴が成功する―奇跡を生みだす行動の哲学』(1982/3 祥伝社ノン・ブック 198 ISBN 978-4396101985、絶版)
  • 『トラオがゆく』 (1985/11 潮流出版 貴志真典・漫画 絶版)
  • 『ゼロからの出発~実現できない夢はない~』(PDF版
  • 『わが語録 真実を求めて ~生か死か』海風社
  • 『母の力』(1992/11/15 市井社 ISBN 4-88208-017-6 絶版)
  • 『生命だけは平等だ 医療一揆編』(1998/1 道出版 前田和男・脚本、花岡一・漫画 上巻ISBN 4-944154-05-4、下巻ISBN 4-944154-06-2
  • 『贈り物をもらわない医者―“医療ビッグバン”で日本を変える』 (1998/06 光文社カッパ・ブックス 絶版)
  • 『生きる力』 (2007/6/7 PHP研究所 ISBN 978-4569692289

[編集] 脚注

  1. ^ 自著による
  2. ^ 高瀬広居『日本をダメにした新100人』
  3. ^ a b 直言-生命だけは平等だ 徳田哲 『徳洲新聞』 平成20年1月14日 No.603
  4. ^ 「私は駆け出しの患者です」徳田理事長が日本ALS協会式典に出席 徳洲新聞 2006年12月11日付 No.548

[編集] 関連項目


党職
先代:
小島慶三
椎名素夫
徳田毅
自由連合代表
第4代:1996 ‐ 1997
第6代:1998 ‐ 2005
第8代:2006 ‐ 2010
次代:
椎名素夫
徳田毅
解散

[編集] 外部リンク

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