向源寺
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| 向源寺(渡岸寺観音堂) | |
|---|---|
| 所在地 | 滋賀県長浜市高月町渡岸寺88 |
| 山号 | 慈雲山 |
| 宗旨 | 浄土真宗 |
| 宗派 | 真宗大谷派 |
| 創建年 | (伝)天平8年(736年) |
| 開基 | (伝)泰澄 |
| 中興年 | 元亀元年(1570年) |
| 中興 | 巧円 |
向源寺(こうげんじ)は、滋賀県長浜市にある真宗大谷派の寺院。山号は慈雲山。国宝の十一面観音像を有することで知られる。観音像は当寺に属する渡岸寺(どうがんじ)観音堂に安置されている。
目次 |
[編集] 歴史
『近江伊香郡志』所収の寺伝によれば、天平8年(736年)、当時、都に疱瘡が流行したので、聖武天皇は泰澄に除災祈祷を命じたという。泰澄は十一面観世音を彫り、光眼寺を建立し息災延命、万民豊楽の祈祷を行い、その後憂いは絶たれたという。その後病除けの霊験あらたかな観音像として、信仰されるようになった。延暦9年(790年)、比叡山延暦寺の開祖である最澄が、勅を奉じて七堂伽藍を建立したという。
元亀元年(1570年)、浅井・織田の戦火のために堂宇は焼失した。しかし観音を篤く信仰する住職巧円や近隣の住民は、観世音を土中に埋蔵して難を逃れたという。この後巧円は浄土真宗に改宗し、光眼寺を廃寺とし、向源寺を建立した。
明治21年(1888年)、宮内省全国宝物取調局の九鬼隆一らが当寺の十一面観音像を調査し、日本屈指の霊像と賞賛した。明治30年(1897年)、古社寺保存法に基づく第1回目の国宝指定の際、この十一面観音像も国宝に指定された[1]。大正14年(1925年)、平安時代建築の様式を取り入れた観音堂が再建された。昭和28年(1953年)より、十一面観音像と胎蔵大日如来坐像は、高月町国宝維持保存協賛会の理事が毎日交替で維持管理に当たっている。
[編集] 文化財
- 木造十一面観音立像 - 向源寺に属する観音堂(渡岸寺観音堂)に安置されていた像で、1974年に収蔵庫の慈雲閣が完成してからはそちらへ移されている[2]。寺伝では泰澄作とされるが、像容に密教思想の影響がみられることから、実際の制作年代は平安初期、9世紀とされている。像高は約194cm(頭上面を含む)、檜材の一木彫成である。日本における十一面観音像の多くは本面の頭上に小さく11面を表すのが普通であるが、本像の場合、頭上面が大きいこと、本面の左右に大きく2面を表すことが特色である。頂上面を如来形でなく、髻(もとどり)を結い、冠を付けた菩薩形とする点も図像的に珍しい。均整のとれた体躯、胸部や大腿部の豊かな肉取り、腰を捻り片脚を遊ばせた体勢などにインドや西域の風が伺われる。文学作品や映画などにも取り上げられた、日本における観音像の代表作として著名な作品である。
- 木造大日如来坐像
- 滋賀県指定有形文化財
- 木造十一面観音立像(国宝像の旧お前立ち)
- 木造阿弥陀如来坐像(本堂本尊)
- 木造金剛力士立像(仁王門)
[編集] 交通アクセス
[編集] 所在地
- 滋賀県長浜市高月町渡岸寺88
[編集] 脚注
- ^ この当時の「国宝」は、文化財保護法における「重要文化財」に相当する。本十一面観音像が文化財保護法に基づく国宝(いわゆる新国宝)に指定されたのは1953年のことである。
- ^ 本像の所有者である向源寺は観音堂とはやや離れた位置に所在する。明治30年の旧国宝指定当時には、観音像の所有者名義は向源寺ではなく「観音堂」となっていた。
[編集] 参考文献
- 国寶十一面観世音 渡岸寺観音堂(向源寺)、〒529-0233(向源寺)渡岸寺観音堂 国宝維持保存協賛会(TEL・FAX 0749-85-2632) 編資料
- 『週刊朝日百科』「日本の国宝」79号、朝日新聞社、1998
- 淡海文化を語る会編・発行『近江観音の道』
- 田中日佐夫『仏像のある風景』、駸々堂、1989、pp.313 - 315
- 大石眞人『近江路の古寺を歩く』、山と渓谷社、1997