三輪正義

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三輪 正義
東京ヤクルトスワローズ #60
YS-Masayoshi-Miwa20130503.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県下関市
生年月日 1984年1月23日(30歳)
身長
体重
168 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 二塁手外野手三塁手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト6巡目
初出場 2009年7月10日
年俸 1,750万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

三輪 正義(みわ まさよし、1984年1月23日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手内野手外野手)。

来歴[編集]

アマチュア時代[編集]

1999年下関中央工高に進学。一年夏からレギュラーを務めるが、甲子園出場はならなかった。

高校卒業後、山口産業に入社し、軟式野球部に入る。2003年には軟式野球の国体代表選手に選出されている。

独立リーグ時代[編集]

2005年
四国アイランドリーグの入団テストを受験し、香川オリーブガイナーズに入団。リーグ2位の24盗塁を記録した。
2006年
26犠打でリーグ最多犠打を記録。秋には松山でキャンプ中の東京ヤクルトスワローズと対戦し、攻守に活躍を見せた。監督の古田敦也の目に止まり賞賛されたが、ドラフト指名にはいたらなかった。
2007年
当時のリーグ新記録となる40盗塁で、リーグ盗塁王のタイトルを獲得した。再び秋季キャンプ中のヤクルトと対戦し、活躍を見せる。前年に続き監督の高田繁から評価され、「高田枠」でのドラフト指名を熱望される。
同年11月19日のドラフト会議東京ヤクルトスワローズから6巡目で指名を受けた。四国アイランドリーグから内野手がドラフト会議で指名を受けたのは、三輪が最初である。香川では通算261試合に出場し打率.235(911打数214安打)・0本塁打・54打点・90盗塁。

NPB時代[編集]

2011年7月10日、秋田県立野球場にて
2008年
イースタン・リーグで80試合に出場し、二塁手としてレギュラーの梶本勇介に次ぐ50試合、遊撃手としても15試合守備についた。元々送球に難があるとされており、特に遊撃手としては失策もかさんだものの、二塁手としてはまずまずの守備力を見せている。課題とされた打撃面は、打率.283、出塁率.349と1年目としては上々の結果を残した。また50m5秒7の俊足を活かし、イースタン・リーグ2位となる24盗塁を記録した。
2009年
イースタンリーグでの成績が評価され、6月26日に一軍選手登録されたが、翌日抹消された。7月9日に再び一軍登録され7月10日の横浜戦で代走で初出場、盗塁を試みるも失敗に終わった。イースタンリーグでは二塁手として出場し、盗塁王(36盗塁)と最高出塁率(.397)の二冠となり、打率もリーグ3位の.321であった。シーズン終了後、宮崎でフェニックスリーグに参加していたが、10月19日に三度目の一軍登録を受け、同日の中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズ第3戦に代走として出場した。
2010年
一軍キャンプスタートとなり、オープン戦でも主に代走として起用された。4月9日の対阪神タイガース戦に1番レフトでスタメン起用され、最初の打席で安藤優也からプロ入り初安打を放った。内野手登録だが、2010年は左翼手としての出場しかなかった。
2011年
スタメン出場は1試合に終わったが、故障した福地寿樹にかわり、代走の切り札としてリーグ2位の39回出場し、守備では外野全ポジションにサード、セカンドと5つのポジションを守った。
2012年
プロ入り初の二塁打をマークするなどと自己最多65試合に出場。代走としてチームトップの29回出場し、守備では昨年と同じく5つのポジションを守った。
2013年
開幕一軍とはならなかった。同年4月9日戸田球場で行われたファーム練習試合・新潟アルビレックスBC戦にてプロ入り初の「2番・捕手」でスタメン出場。同年の4月12日一軍に登録。4月17日の対中日戦で9回に畠山和洋の代走として出場したが、チームが同点に追いつき延長戦に入った際に選手を使い果たし、ベンチに一塁を守ることができる選手が一人もいなくなってしまったため、急遽プロ入り初めて一塁手として守備に就いた。4月25日の対広島戦に記録したプロ入り初打点が、「人生初」のサヨナラヒットとなった。[1]

プレースタイル[編集]

打撃[編集]

打撃に関しては課題があったが、2012年は規定打席未満ではあるが打率が.276をマークした。

守備[編集]

セカンドとサードに加え、外野もこなせるユーティリティープレイヤー。二軍では遊撃手としても出場しているが、一軍でショートの守備に就いたことは一度もない。また、二軍では捕手として出場したこともある。
この捕手起用に関して真中満二軍監督は「相川もけがしているし、内野の選手が(キャッチャーを)守れますよとなれば助かる」と起用の理由と話しているが、2013年度は3時間半ルールが撤廃され、複数のポジションを守れる選手の存在は、選手起用の選択肢が広がるメリットがある為と見受けられる。
三輪自身、捕手は小学生の時以来であるが「できるに越したことはない。(今日は)できたとは思っていないけど、いろんなことを経験したことはよかった」と振り返っている。[2]

走塁[編集]

50m5秒7と俊足が持ち味であり、香川時代では通算261試合に対し90盗塁をマークし、イースタンリーグでは2009年盗塁王(36盗塁)を獲得するなどと評価は高い。

人物[編集]

ムードーメーカーらしく、2013年4月25日のプロ入り初お立ち台の際に、インタビューを受けている最中にいじり役であった畠山和洋からロージンバックで顔中粉まみれにされた。
この際に三輪は「リアクション芸人みたいですけど、粉はきつかった。基本的に持ってない人間なので、奇跡です」と声を弾ませた。
またインタビューを受ける前にもチームメイトからロージンバックで粉まみれにされたあげく、つば九郎から水をかけられたり、宮本慎也から飛び蹴りで手洗い祝福をされている。[3]
2013年4月12日に1軍昇格する際に妻から「お立ち台に上がる気がする」と言われその予言が見事に的中した。また三輪自身も妻を「ちゃん付け」で呼ぶ等と愛妻家である。[4]
山口産業時代にガソリンスタンドでの勤務経験があるため、「危険物取扱者乙種4類」の資格を持っており、タイヤ交換やオイル交換等も出来るという。また、ガソリンスタンドでの接客業を通して、初めは人見知りだった自身の性格が改善されたと、三輪は語っている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2009 ヤクルト 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2010 10 16 16 2 3 0 0 0 3 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 .188 .188 .188 .375
2011 54 16 13 15 1 0 0 0 1 0 5 2 3 0 0 0 0 2 0 .077 .077 .077 .154
2012 65 39 29 15 8 1 0 0 9 0 6 1 8 0 2 0 0 5 0 .276 .323 .310 .633
2013 75 56 45 10 15 0 0 0 15 5 6 0 5 0 6 0 0 6 0 .333 .412 .333 .745
2014 32 22 20 7 5 1 0 0 6 1 0 0 1 0 1 0 0 2 1 .250 .286 .300 .586
通算:6年 239 149 123 49 32 2 0 0 34 6 18 5 17 0 9 0 0 15 1 .260 .311 .276 .587
  • 2014年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


一塁 二塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2010 - - - 5 9 0 0 0 1.000
2011 - 1 1 1 0 0 1.000 5 0 2 0 0 1.000 28 8 0 0 0 1.000
2012 - 6 5 13 0 4 1.000 18 1 20 2 1 .913 32 13 0 0 0 1.000
2013 5 10 0 0 0 1.000 6 5 9 0 0 1.000 4 0 1 0 0 1.000 46 25 0 1 0 .962
2014 3 7 0 0 0 1.000 - 4 0 1 0 0 1.000 18 8 0 0 0 1.000
通算 8 17 0 0 0 1.000 13 11 23 0 4 1.000 31 1 24 2 1 .926 129 63 0 1 0 .984
  • 2014年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 6 (2005年 - 2007年)※香川オリーブガイナーズ所属時
  • 60 (2008年 - )※東京ヤクルトスワローズ所属時

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]