マイケル・ジョンソン

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オリンピック
陸上競技
1992 男子4×400mリレー
1996 男子200m
1996 男子400m
2000 男子400m
2000 男子4×400mリレー

マイケル・ジョンソンMichael Duane Johnson, 1967年9月13日 - )は、陸上競技の選手。アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身。身長185cm、体重78kg。5人兄弟の末っ子。1996年ジェームスサリバン賞受賞。

男子200m400m1600mRの世界記録保持者。200mで21連勝、400mで56連勝を成し遂げる。背筋を伸ばした独特のピッチ走法に特徴がある。世界陸上で9個、オリンピックで5個の金メダルを獲得。

1992年、全米五輪トライアル200mで優勝し、アメリカ代表入りしたが、バルセロナ五輪では食中毒のため準決勝で敗退してしまった。しかし、そんな状況の中で、1600mRでは3走を務め、2分55秒74の世界新記録(当時)で金メダルを獲得した。  1995年世界陸上イエテボリ大会の200mで19秒79の大会新記録(当時)、400mでも43秒39の大会新記録、そして1600mR(4走)でも2分56秒45で優勝し、三冠の偉業を成し遂げた。世界陸上イエテボリ大会で出した200mの大会記録は2007年世界陸上大阪大会でタイソン・ゲイが出した19秒76という記録で破られてしまった。

1996年、全米五輪トライアル200mで、それまでの世界記録(19秒72)を17年振りに更新する19秒66をマーク。400mでも優勝し、アメリカ代表となる。アトランタ五輪では400メートル走でまず43秒49の五輪新で優勝。続いて200メートル走でも19秒32の超世界新記録で優勝した。このとき彼は、前半100mを10秒12、後半100mを9秒20の驚異的スピードで駆け抜けた。彼自身『コーナーの出口で勝利を確信した。生涯最高のスピードで走っているとわかったよ』などと語った。この記録は「向う100年は破られない」といわれている。

しかし、そのあまりのスピードのために痛めたのか、この五輪のリレーは走っていない。

1997年、「世界最速決定戦」として100m9秒84の世界記録(当時)保持者ドノバン・ベイリーとの「150メートル走」対決がカナダで行われた。しかし、ジョンソンが脚の故障を理由に途中棄権、ベイリーが勝利した。  同年、彼は3連覇を目指して世界陸上に出場したが、足に故障を抱えてであった。実際、彼は足への負担を考慮してであろう、2次予選で1着を狙わず、最後の直線を流してフィニッシュしたが、4着取りのところ5着となってしまい、タイムで辛くも準決勝進出という場面があった。しかし、最後はきっちり優勝し、貫禄を見せた。因みに優勝タイムの44秒12は、彼の五輪と世界陸上タイトルの中では唯一44秒かかった。 2000年、シドニー五輪では400メートル走で五輪史上初の連覇を達成。アンカーを務めたリレーでも優勝した。

2001年9月15日、日本でスウェーデンリレーのアンカーとして走り、競技人生に終止符を打った。 また、ベン・ジョンソンとの比較で彼は『クリーン・ジョンソン』とも呼ばれた。

上述の通り、200メートルと400メートルで数々の記録とタイトルを独占したジョンソンだか、陸上競技者でのこの2種目が専門というのは非常に珍しいケースであり、そういった意味でもジョンソンが驚異的な選手であると言える。(多くは100メートルと200メートルを専門にする選手がほとんど。400メートルは陸上競技短距離走の中でもっとも過酷であり体力の消耗が激しいため400メートルのみを専門にするのが常である。)また、ジョンソンのその驚異的なスピードが故で、普段の練習で競える練習相手がいなかったために、光の掲示板(速度調節が可能な物)を使って練習をしていたというエピソードが残っている。

[編集] パーソナルベスト

  • 100m 10秒09(1994年6月16日)
  • 200m 19秒32(1996年8月1日)
  • 300m 30秒85(2000年3月24日)
  • 400m 43秒18(1999年8月26日)

[編集] 主な成績

DREAM TEAM(F・フレデリクスT・トランメルS・クロフォード→M・ジョンソン)

[編集] 外部リンク