ジョイ・ディヴィジョン
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| ジョイ・ディヴィジョン | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ポストパンク |
| 活動期間 | 1976年 - 1980年 |
| レーベル | ファクトリー・レコード |
| 共同作業者 | ニュー・オーダー |
| 旧メンバー | |
| イアン・カーティス ピーター・フック スティーヴン・モリス バーナード・アルブレヒト |
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ジョイ・ディヴィジョン (Joy Division) は、イギリスのロックバンド。イングランド、マンチェスターにて結成。
ポストパンクの代表的バンド。Voイアン・カーティスの書く独自の世界観を持った詞やライブパフォーマンスは数多くの人々の心を惹きつけた。しかし1980年5月、バンド初のアメリカ・ツアーを目前にイアン・カーティスは自殺。バンドはたった4年の短い活動期間を終えることになる。その後は、残された3人のメンバーによってニュー・ウェイヴの先駆者となるバンド『ニュー・オーダー』が結成された。
バンドの知名度はアメリカや日本ではそれほどでもないが、本国では一部で神格化されているほどの人気を誇り、数え切れないほどの後進のアーティスト・バンドに影響を与えている。特に80年代末期~90年代以降のオルタナティブ・ロックアーティストにはUK/US問わずその信奉者が多い。
目次 |
[編集] メンバー
- イアン・カーティス (Ian Curtis)/ボーカル 1980年死去
- バーナード・アルブレクト※のちのバーナード・サムナー (Bernard Albrecht)/ギター、キーボード
- ピーター・フック (Peter Hook)/ベース
- スティーヴン・モリス (Stephen Morris)/ドラム
Voイアン以外の3人はニュー・オーダーのオリジナルメンバーとして現在も活動中。
[編集] 結成
かねてからの友人同士であったバーナード・サムナーとピーター・フックは、1976年6月4日金曜日にバズコックスのプロモートによりマンチェスターのフリー・トレード・ホールで行われたセックス・ピストルズのライブに衝撃を受けパンクロックバンドを結成することを決意、メンバーを募集する。程なくヴォーカルとしてイアン・カーティスが参加、ドラマーに関しては紆余曲折の末スティーヴン・モリスが担当することとなった。これがジョイ・ディヴィジョンの始まりである。
当初バンド名はバズコックスのマネージャーのネーミングによりスティフ・キトゥンズ(Stiff Kittens)としていたが、その後デビッド・ボウイのアルバム、『ロウ』収録曲の「ウォーソー(Warsaw)」という名称に変更、そしてイアン・カーティスの発案により1978年1月からジョイ・ディヴィジョンへと変更された。その由来は第二次大戦中のユダヤ人女性の日記を元に書かれた小説"The House of Dolls"に登場するフレーズ"Joy Division"(ナチス・ドイツ時代の将校用の慰安所)である。
[編集] 活動~イアンの死
初期のサウンドはいわゆるインディーズ系のパンク・ロックであったが、次第にマーティン・ハネットによるサウンドプロデュースや、そして何よりイアンの作る絶望や孤独を歌う歌詞及びその歌唱により独自の音楽性を発揮。それが長い経済不況が続いていたイギリスのリスナー達に受け入れられ高い評価を得た。だが、アメリカツアーを直前に控えた1980年5月18日、突如イアン・カーティスは自宅で首を吊り自殺。
遺書などはなかったためその理由は明らかではないが、日頃から持病の癲癇に苦しんでいた上、鬱病、さらに妻デボラとの不仲など女性関係のもつれを抱えていたといわれる。そのためにライヴでも過剰な演出は控え、照明などもイアンの癲癇の発作を誘発しないようにソリッドなものに限られていたという。一方、デボラは後に出版したイアンに関する著書の中で、バーナード・サムナーがイアンの精神状態に悪影響を与えたと非難をしたが、バーナードは「彼女の知っているイアンと、自分の知っているイアンは違う」と述べるに留まっている。
[編集] ニュー・オーダー結成へ
残されたメンバーたちはイアン抜きでアメリカのツアーを敢行。そしてその後ギター、バーナード・サムナーをボーカルにニュー・オーダーと名前を変え活動を継続することになる。そして、後にニュー・オーダーが、イアン・カーティスの自殺への心境を曲にしたのが「ブルー・マンデー(Blue Monday)」と言われる。
ニュー・オーダーは長らくジョイ・ディヴィジョン時代の曲をライブで演奏することはなかったが、活動再開後の1998年以降は積極的にジョイ・ディヴィジョンの曲を演奏するようになっている。ちなみにニュー・オーダーの映像作品『New Order 316』では3曲ほどジョイ・ディヴィジョンの曲を演奏する姿を観ることが出来る。また後述の映画『24アワー・パーティー・ピープル』のサウンドトラック盤にはアルバム『アンノウン・プレジャーズ』に収録された「ニュー・ドーン・フェイズ」のニュー・オーダーによるカバーが収録されている。
[編集] ディスコグラフィ
※「アルバムに入れると統一感のない浮いた仕上がりになってしまうから」という理由で、オリジナルアルバムにシングルカットは収録されていない。
[編集] オリジナルアルバム
- アンノウン・プレジャーズ - Unknown Pleasures (1979年)
- クローサー - Closer (1980年)
[編集] シングル
- トランスミッション - "Transmission" (1979年)
- アトモスフィア - "Licht und Blindheit" ("Atmosphere") (1980年)
- コマキノ - "Komakino" (1980年)
- ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート - "Love Will Tear Us Apart" (1980年)
- アトモスフィア - "Atmosphere" (1980年)
[編集] リイシュー
- "Atmosphere" ('88 reissue) 34 — (1988年)
- "Love Will Tear Us Apart" ('95 reissue) (1995年)
- "Love Will Tear Us Apart" ('07 reissue) (2007年)
[編集] ベストアルバム、コンピレーション
- スティル - Still (1981年) 未発表音源集
- サブスタンス - Substance 1977-1980 (1988年) シングル集
- ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン - Permanent (1995年) ベストアルバム
- ハート&ソウル - Heart And Soul (2004年) 未発表音源を含むCDボックス
- レット・ザ・ムーヴィー・ビギン - Let The Movie Begin (2006年) ライヴ&アウトテイク集
- ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン - The Best Of Joy Division (2008年) ベストアルバム+ジョン・ピール・セッション・ライヴ
[編集] ライブアルバム
- ライヴ・イン・プレストン - PRESTON 28 FEBRUARY 1980 (1999年)
- コンプリートBBCレコーディングス - The Complete BBC Recordings (2000年)
[編集] 映像作品
- Here Are The Young Men (1982年) 複数のコンサート映像及び「Love Will Tear Us Apart」のPVを収録
- [JOY DIVISION] 初公開ライヴやニュー・オーダーのメンバーなど関係者へのインタビューを通して、ジョイ・ディヴィジョンを解き明かしていくドキュメンタリー。
[編集] 映画
- 24アワー・パーティー・ピープル (24HOUR PARTY PEOPLE)/2002年 - ジョイ・ディヴィジョンの所属していたファクトリー・レーベルの興亡を描く。物語前半はジョイ・ディヴィジョン、後半はハッピー・マンデーズを中心に進められる。
- コントロール (Control)/2007年 - 日本では2008年公開。イアン・カーティスの妻デボラの著書、タッチング・フロム・ア・ディスタンスをベースにイアンの半生を描く。監督は写真家として有名なアントン・コービン。主演はサム・ライリー。第60回カンヌ国際映画祭でカメラドール/スペシャル・メンション賞を受賞。
- ジョイ・ディヴィジョン(JOY DIVISION)/2008年 - 監督グラント・ジーによるドキュメンタリー作品。
[編集] 備考
前述のセックス・ピストルズのライブの観客数はわずか42人であったが、その中にはサムナーとフックのほかに、ファクトリー・レコードを設立したトニー・ウィルソン、ジョイ・ディヴィジョンや初期のU2等をプロデュースしたマーティン・ハネット、ザ・フォールのマーク・E・スミス、ザ・スミスのモリッシー、シンプリー・レッドのミック・ハックネルがいた。主催者であるバズコックスのピート・シェリーとハワード・デヴォートも含め、後のイギリスのロック音楽界を牽引する面々が顔を揃えていた。この出来事は映画『24アワー・パーティー・ピープル』の中でも語られている。

