コマンダンテ・カッペリーニ (潜水艦)

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1944年8月、瀬戸内海を航行するUIT24

コマンダンテ・カッペリーニ (Comandante Cappellini) はイタリア海軍潜水艦マルチェロ級。1939年に就役するが、イタリアと連合国の講和後に日本軍に接収され、日本の同盟国のドイツ海軍に引き渡されドイツ海軍潜水艦UIT24となり、1945年5月にドイツが降伏すると今度は日本の潜水艦伊号第五〇三潜水艦(いごうだいごひゃくさんせんすいかん)となった。

概要[編集]

イタリア海軍時代[編集]

イタリア海軍が1935年から多数整備した近海用潜水艦の系列に属する航洋型潜水艦「マルチェロ級」[1] の「コマンダンテ・カッペリーニ」として1939年(昭和14年)9月23日に就役した。

要目[2]

  • 進水:1939年5月14日
  • 就役:1939年9月23日
  • 排水量:水上1,060t、水中1,313t
  • 全長:73m
  • 全幅:7.2m
  • 喫水:5.09m
  • 機関
    • FIATディーゼル2基6,000馬力
    • CRDA 電動モーター2基、1,100馬力
  • 速力:水上17ノット(32.2km/h)、水中8ノット(15km/h)
  • 航続距離
    • 水上17ノットで5,231km、8ノットで18,075km
    • 水中8ノットで14.8km、3ノットで203.7km
  • 燃料:通常63.135立方メートル、最大107.035立方メートル
  • 兵装
    • 魚雷発射管:533mm艦首4門、艦尾4門
    • 47口径100mm砲2門
    • 13.2mm機銃2門
    • 搭載魚雷:艦首6本、艦尾6本
  • 乗員:士官7名、下士官及び兵50名
  • 潜行深度(試験値):100m

当初は地中海に配備されたが、1940年9月には大西洋での任務についた。1941年1月5日フリータウン沖でイギリスの貨物船「シェイクスピア[3]」、9日後[2]には武装商船「ユーミーアス」を沈めた[3]

1942年9月、西アフリカ沖で起きたラコニア号事件では救助活動に加わった[4]

1943年初頭にベニート・ムッソリーニ総統の令を受けて、伊独両国の同盟国である日本の東南アジアの占領地とドイツの占領地間の輸送用に改造され、5月11日ボルドーの基地を出発し7月14日にシンガポールに到着した。8月末に遣日潜水艦作戦に基づきドイツ軍向けの物資を積んで出港したが、イタリアが連合国に対して降伏したために9月13日に日本海軍に接収された[5]

日独への接収[編集]

1943年(昭和18年)9月のイタリア降伏後、日本海軍に接収されドイツ海軍に引き渡されUIT24と命名された。その後の1945年(昭和20年)5月三菱神戸造船所で整備中にドイツの降伏により接収され、7月15日日本艦籍に編入され「伊号第五〇三潜水艦」となった。1945年8月の日本の敗戦後には、日本を占領下に置いた連合国の手に落ち、軍備解除を受けて1946年(昭和21年)4月に紀伊水道で海没処分された[6]

脚注[編集]

  1. ^ Regio Sommergibile Cappellini及びレオンス・ペイヤール(Léonce Peillard)著、長塚隆二訳『潜水艦戦争 1939-1945 上』早川書房(ハヤカワNF文庫)、1997年、ISBN 4-15-050215-3 pp.53-54では「カッペリーニ級」としている。
  2. ^ a b Regio Sommergibile Cappellini2010年10月23日閲覧。
  3. ^ a b レオンス・ペイヤール(Léonce Peillard)著、長塚隆二訳『潜水艦戦争 1939-1945 上』早川書房(ハヤカワNF文庫)、1997年、ISBN 4-15-050215-3 p.152
  4. ^ レオンス・ペイヤール(Léonce Peillard)著、長塚隆二訳『潜水艦戦争 1939-1945 上』早川書房(ハヤカワNF文庫)、1997年、ISBN 4-15-050215-3 pp.319-323
  5. ^ レオンス・ペイヤール(Léonce Peillard)著、長塚隆二訳『潜水艦戦争 1939-1945 下』早川書房(ハヤカワNF文庫)、1997年、ISBN 4-15-050216-1 pp.101-103
  6. ^ 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年、p.365。

関連項目[編集]