鳴海 (砲艦)

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艦歴
発注: 上海ドック
起工: 1919年
進水: 1921年2月28日
就役: 1921年
除籍: 1947年5月3日(大日本帝国海軍)
1960年代(人民解放軍)
性能諸元(()内のデータはイタリア海軍時代のもの)
排水量: 常備:180トン(212トン)
全長: m
:48.8m(垂線間長)
全幅: 7.5m
吃水: 0.7m(0.91m)
機関: ヤーロー重油専焼水管缶2基
+レシプロ機関2基2軸推進)
最大
出力:
1,100ihp
最大
速力:
14.0kt
燃料: 重油:56トン
乗員: 1943年11月1日 56名[1]
(44名)
兵装: 三年式 8cm(40口径)単装高角砲2基
アームストロング 1916年型 7.62cm(40口径)単装速射砲2基
6.5cm(80口径)単装機銃4丁)

鳴海 (なるみ)は日本海軍砲艦で前身は旧イタリア海軍の砲艦「エルマーノ・カルロット(Ermanno Carlotto)」を接収したものである。艦名は、現在の愛知県名古屋市緑区鳴海」にちなんで名づけられた。「エルマ」ーノと「なるみ」の音の類似に基づく命名。

艦歴[編集]

1921年に上海ドック&エンジニアリング社で竣工した小型砲艦で、1943年9月のイタリア降伏時に日本軍が接収し(自沈したという文献もある)、同年11月1日に日本海軍籍に編入、「鳴海」と命名、砲艦に類別された。佐世保鎮守府籍[2]。第一工作部で整備後、主に揚子江下流域で活動した。1944年10月1日に軍艦から除かれ艦艇の砲艦に類別が変更された。

上海で終戦を迎え中華民国軍が接収。中華民国海軍「江鯤 (Chiang-Kun)」と改名され、1947年5月3日除籍された。1949年中華人民共和国に投降し中国人民解放軍海軍所属となる。1960年代に除籍された。

艦長[編集]

(注)1944年10月1日以降は「砲艦長」。

  1. 吉田駒雄 大尉/少佐:1943年11月1日[3] - 1945年2月20日[4]
  2. 小池三雄 大尉:1945年2月20日[4] - 1945年8月15日[5]

脚注[編集]

  1. ^ 海軍定員令 昭和18年11月1日付 内令第2266号制定分 「第71表ノ4 砲艦定員表其ノ10」。この数字は特修兵を含まない。
  2. ^ 昭和18年11月1日付 内令第2282号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070182000 
  3. ^ 昭和18年11月1日付 海軍辞令公報(部内限)第1253号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094200 
  4. ^ a b 昭和20年2月26日付 秘海軍辞令公報 甲 第1731号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103500 
  5. ^ 昭和20年8月27日付 海軍辞令公報 甲 第1897号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072107000 

参考文献[編集]

  1. 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第9巻 軽巡Ⅱ、光人社、1990年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • ERMANNO CARLOTTO river gunboat本艦の説明(英語)。「エルマーノ・カルロット(Ermanno Carlotto)」時代の写真とスペックがある。
  • REGIA CANNONIERA ERMANNO CARLOTTO本艦の説明(イタリア語)。「エルマーノ・カルロット(Ermanno Carlotto)」時代の写真がある。
  • 江鯤本艦の説明(中国語)。「江鯤 」時代の写真がある。