唐津 (砲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Japanese gunboat Karatsu 1942.jpg
写真は砲艦「唐津」時代のルソン
艦歴(()は「ルソン」時のデータ)
計画
起工 - (1924年
進水 - (1927年9月12日
就役 - (1928年6月)
その後 1945年2月5日爆破処分
除籍 1945年4月10日
性能諸元(()は「ルソン」時のデータ)
排水量 常備:575トン
全長 65.4m
全幅 9.52m
吃水 1.72m
機関 形式不明重油専焼缶-基
+三段膨脹式レシプロ機関2基2軸推進
最大出力 3,150hp
速力 16.0ノット
航続距離
乗員 82名(80名)
兵装 3インチ:7.62cm(50口径)単装速射砲3基
ルイス式7.7mm(30口径)単装機銃10丁

唐津(からつ)は日本海軍砲艦アメリカ海軍の砲艦であったルソン(USS Luzon, PG-47)を接収したものである。

艦歴[編集]

ルソン[編集]

1928年6月、上海の江南造船所で米海軍砲艦「ルソン」として竣工。その後河川砲艦へ類別され、1941年に米アジア艦隊揚子江部隊の旗艦としてフィリピンへ移動。1942年5月6日、日本軍の進攻によりコレヒドール沖で自沈した。

唐津[編集]

マニラの日本海軍第103工作部が修理を担当。1942年8月1日、日本海軍籍に編入し「唐津」と命名され砲艦に類別、第3南遣艦隊付属に編入。同年10月14日に整備が完了したといわれている。兵装も日本軍のものと交換したらしいが詳細不明。沿岸部での対潜哨戒任務に従事するが、1944年3月3日にスル海東部で米潜水艦ナーワル(USS Narwhal, SS-167)の雷撃を受け船体前部を切断大破、曳航されてマニラに帰投する。10月1日に軍艦から除かれ艦艇の砲艦に類別が変更された。マニラでまだ修理中であった1945年2月5日、日本軍撤収のため爆破処分された。同年4月10日除籍。

参考文献[編集]

  1. 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第9巻 軽巡Ⅱ、光人社、1990年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]