隅田 (砲艦)

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隅田(I)
艦歴
計画 1903年度
起工 1903年1月(英国)
1903年11月10日(上海、工事着手)
進水 1903年6月26日(英国)
1903年12月5日(上海)
完成 1903年8月(英国)
就役 1906年4月17日
除籍 1935年3月1日
性能諸元(竣工時)
排水量 常備:105t
全長 垂線間長:44.2m
全幅 7.32m
吃水 0.61m (公試状態)
主缶 ソーニクロフト式缶2基
主機 3軸レシプロ2基 550hp
速力 13.0kt
航続距離 NM / kt (石炭40t)
乗員 40名
兵装 6cm単装砲2基
機銃4基

隅田(すみだ)は、日本海軍砲艦。「伏見」[I]とともに日本海軍初の本格的な河用砲艦である。

艦歴[編集]

中国長江流域での権益保護の必要性から建造された。イギリスソーニクロフト社1903年8月に完成、それを解体し上海に輸送、ファナムボイド社で組立てを行った。

1903年12月5日、仮称艦名第三号浅喫水砲艦を「隅田」と命名[1]し二等砲艦に類別[2]され、1906年4月17日に竣工した。

第一次世界大戦において、当初、中国が中立の立場であったため、1914年から翌年にかけて武装解除の上、抑留されたが、中国が連合国側に加わると復帰した。

1931年6月1日、砲艦に類別変更。翌年の第一次上海事変において、上海や長江方面の警備に従事した。1935年3月1日に除籍となり、その後売却され上海で解体された。日本海軍籍にありながら一度も本土に寄港したことがないという珍しい艦となった。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

  • (兼)堀田英夫 大尉:1903年12月8日 - 1905年1月12日
  • 堀田英夫 大尉:1905年11月12日 - 1907年10月31日
  • 大井五郎 大尉:1907年10月31日 - 1909年10月1日
  • 橋本虎六 少佐:1909年10月1日 - 11月12日
  • 東条政二 少佐:1909年11月12日 - 1912年1月22日
  • 福与平三郎 少佐:1912年1月22日 - 1913年12月1日
  • 石川庄一郎 少佐:1913年12月1日 -
  • 菊地豊吉 大尉:1917年8月16日 - 1918年12月1日[3]
  • 津田静枝 少佐:1918年12月1日 - 1919年3月10日
  • 中村英彦 少佐:1919年3月10日[4] -
  • 柴田源一 少佐:1919年12月1日[5] - 1921年3月9日[6]
  • 斎藤二朗 少佐:1921年3月9日 - 1921年12月20日
  • 土居政道 少佐:1921年12月20日[7] - 1923年1月20日[8]
  • 後藤英次 少佐:1923年1月20日 - 1924年5月1日
  • 志賀忠一 少佐:1924年5月1日[9] -
  • 久重一郎 少佐:不詳 - 1926年12月1日[10]
  • 益田康彦 大尉:1926年12月1日[10] -
  • 福田勇 少佐:不詳 - 1930年12月1日[11]
  • 岸良幸 大尉:1930年12月1日[11] -
  • 沢勇夫 少佐:不詳 - 1933年11月15日[12]
  • 河野康 少佐:1933年11月15日 - 1934年11月15日
  • (兼)阿部俊雄 少佐:1934年11月15日 - 1935年3月1日

脚注[編集]

  1. ^ 明治36年12月5日付 達第155号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070049300 で閲覧可能。
  2. ^ 明治36年12月5日付 達第157号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070049300 で閲覧可能。
  3. ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  4. ^ 『官報』第1979号、大正8年3月11日。
  5. ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  6. ^ 『官報』第2579号、大正10年3月10日。
  7. ^ 『官報』第2817号、大正10年12月21日。
  8. ^ 『官報』第3140号、大正12年1月22日。
  9. ^ 『官報』第3505号、大正13年5月2日。
  10. ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  11. ^ a b 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  12. ^ 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。

参考資料[編集]

関連項目[編集]