嵯峨 (砲艦)
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| 艦歴 | |
|---|---|
| 計画 | 1911年 |
| 起工 | 1912年1月7日 佐世保工廠 |
| 進水 | 1912年9月27日 |
| 就役 | 1912年11月18日 |
| その後 | 1945年1月22日 戦没 |
| 除籍 | 1945年3月20日 |
| 性能諸元 (竣工時) | |
| 排水量 | 基準:600t 常備:780t |
| 全長 | (垂線間長:64m) |
| 全幅 | 8.99m |
| 吃水 | 2.31m (公試平均) |
| 主缶 | 艦本式缶2基 |
| 主機 | 直立3気筒3段膨張レシプロ2基2軸 1,600hp |
| 速力 | 15.0kt |
| 航続距離 | NM / kt (石炭222t) |
| 乗員 | 87名 |
| 兵装 (竣工時) |
40口径12cm単装砲1門 40口径8cm単装砲3門 6.5mm機銃3挺、陸式機銃1挺 |
| 兵装 (1941) |
40口径12cm単装砲1門 40口径8cm単装高角砲3門 留式7.7mm機銃2挺 三年式7.7mm機銃4挺 (推定) |
目次 |
概要 [編集]
当時中支方面の警備が手薄であり建造された。先に建造された「宇治」で不満であった居住性、兵装を改善、また旗艦任務をこなせるように考慮されていた。更に沿岸部を警備できるようある程度の航洋性を備えた艦だった。
開戦時には艦齢30年近くあり、参加艦艇ではもっとも老齢な艦の1隻だった。
艦歴 [編集]
- 1912年1月7日 佐世保海軍工廠にて起工
- 9月27日 進水
- 11月18日 竣工
- 1941年12月 香港攻略作戦参加。以後香港を拠点に活動
- 1943年9月26日 香港港外にて触雷沈没。浮揚され香港で修理
- 1945年1月22日 修理中に爆撃により大破着底、艦放棄
- 1945年3月20日 除籍
歴代艦長 [編集]
- 菅沼周次郎 少佐:1912年10月19日 - 1913年12月1日
- 横地錠二 少佐:1913年12月1日 - 1914年9月7日
- 南雲忠一 中佐:1926年3月20日 - 10月15日
- 鈴木幸三 中佐:1926年10月15日 - 1927年11月15日
- 畠山耕一郎 中佐:1930年11月1日 - 1932年5月20日
- 原田亀 中佐:1933年1月17日 - 1935年3月1日
- 鹿岡円平 少佐:1935年3月1日 - 10月15日
- 上野正雄 中佐:1937年12月1日 - 1938年12月15日
- 大石保 中佐:1938年12月15日 - 1939年10月20日
- 緒方勉 中佐:1939年10月20日 - 1939年11月10日
- 小林一 中佐:1941年7月31日 - 1942年9月1日
参考文献 [編集]
- 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第9巻 軽巡Ⅱ、光人社、1990年