安宅 (砲艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 艦歴 | |
|---|---|
| 計画 | 1920年 |
| 設計 | 田路担 |
| 起工 | 1921年8月15日 横浜船渠 |
| 進水 | 1922年4月11日 |
| 就役 | 1922年8月12日竣工 |
| その後 | 終戦時上海で残存 |
| 除籍 | 1947年5月3日 |
| 性能諸元 (竣工時) | |
| 排水量 | 基準:725t 常備:820t |
| 全長 | (垂線間長:67.67m) |
| 全幅 | 9.75m |
| 吃水 | 2.20m (公試平均) |
| 主缶 | 艦本式石炭専焼缶2基 |
| 主機 | レシプロ機関2基2軸推進 |
| 最大出力 | 1,700hp |
| 速力 | 16.0kt |
| 航続距離 | 12ノット / 2,500海里(石炭235t) |
| 乗員 | 118名 |
| 兵装 (竣工時) |
12cm(40口径)単装砲2基2門 8cm(40口径)単装高角砲2基2門 |
| 兵装 (1941) |
12cm(40口径)単装砲1基1門 8cm(40口径)単装高角砲1基1門 13mm連装機銃4基8門 留式7.7mm機銃4挺 (推定) |
目次 |
概要 [編集]
先に建造された「宇治」、「嵯峨」ではまだ旗艦として居住性、通信能力に問題があり1920年(大正9年)度予算で本艦1隻が建造された。
公試ではGM不足が判明、竣工直後にバルジを追加した。そのため基準排水量826t、公試排水量955.9tに増加した。
終戦時上海に残存、戦後中国に接収され「安東」と命名される。
艦歴 [編集]
- 1921年8月15日 一等砲艦「勿来」として、横浜船渠にて起工
- 10月11日 艦名を「安宅」に改名
- 1922年4月11日 進水
- 8月12日 竣工
- 1934年 佐世保工廠にて性能改善工事。バラスト搭載、缶の重油専焼化、艦尾延長、前マストを三脚マストに変更などを実施
- 1937年 呉工廠にて特定修理
- 戦時中は上海方面で船団護衛などに活躍、終戦時在上海。
- 1945年9月17日 中華民国海軍に引渡。「安東」と改名。
- 1947年5月3日 除籍(大日本帝国海軍)
- 1949年4月27日 第二艦隊叛乱事件発生。中国人民解放軍海軍に投降。
- 9月24日 蕪湖にて国府軍の爆撃により撃沈。
艦長 [編集]
- 下村正助 中佐:1923年12月1日 - 1924年11月20日
- 鈴木幸三 中佐:1927年11月15日 - 1928年6月15日
- 原忠一 中佐:1932年12月1日 - 1933年10月20日
- 森国造 中佐:1933年10月20日 - 1934年11月15日
- 堀勇五郎 中佐:1934年11月15日 - 1935年10月25日
- 柴崎恵次 中佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
- 松本毅 中佐:1937年12月1日 - 1938年3月26日
- 石塚千俊 中佐:1938年12月15日 - 1939年11月15日
- 貝塚武男 大佐:1939年11月15日 - 1940年11月15日
- 新島信夫 大佐:1940年11月15日 - 1941年10月1日
- 牟田口格郎 中佐:1941年10月1日 - 1942年12月7日
- 細谷資彦 大佐:1942年12月7日 - 1943年12月25日
関連項目 [編集]
参考文献 [編集]
- 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第9巻 軽巡Ⅱ、光人社、1990年
外部リンク [編集]
- 中國軍艦博物館「安東」 (繁体字中国語)