クイーン・エリザベス2

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クイーン・エリザベス2
ノルウェートロンハイムに寄港した本船(2006年)
船歴
船籍 アラブ首長国連邦
所有 ナキール・プロパティ
運航 ナキール・プロパティ
発注
起工 1965年7月5日
進水 1967年9月20日
命名 1967年9月20日
処女航海 1969年5月2日
性能諸元 (2007年)
総トン数 70,327トン
排水量
全長 293.5m
全幅 32.03m
全高 52.2m
吃水 9.87m
機関 MAN社製ターボ過給機搭載型9気筒ディーゼル発電機9基 総発電電力 95,625kW
推進器 推進モーター2基 合計出力 88,000kW (119,680PS) 5枚羽根スクリュー 2軸推進
速力 最大:32.5ノット(約61km/h)
巡航:28.5ノット(約58km/h)
ディーゼル発電機9基をローテーションで、7基発電、2基メンテナンスする。
定員 乗客1,778名/クルー1,016名
客室数 927室

クイーン・エリザベス2(クイーンエリザベス ツー、RMS Queen Elizabeth 2もしくはQE2)は、キュナード・ライン社が保有するクルーズ客船で、20世紀後半を代表する客船である。

目次

[編集] 概要

名前は、イギリス女王エリザベス2世ではなく、先代の「クイーン・エリザベス」の後継であることにちなむ。そのため、名称が2 (Two) であってII (The Second) ではない。船名の前に冠するRMSとは郵便物の輸送に用いられる船につけられるRoyal Mail Shipの略称であり、これを冠することは名誉なこととされる。

1969年に就航し、2004年に「クイーン・メリー2」が就役するまではキュナード・ライン社のフラッグシップであった。本船の就役に先立ち1967年には先代の「クイーン・メリー」(81,237総t)が、1968年には先代の「クイーン・エリザベス」(83,673総t)が退役していたため、就役時の総トン数69,053tはフランスのジェネラル・トランスアトランティック社「フランス」(1962年就役、66,343総t)を抜いて世界最大の客船であった。

主に大西洋横断クルーズに使用されたが、しばしば世界一周クルーズを行ない、日本にも1975年3月5日神戸港ポートターミナルQ1バースへの初入港以来、何度か寄航している。

1982年に勃発したフォークランド紛争時にはイギリス海軍に徴用され、同海軍の輸送艦として使用された経験もある。その際にはイギリスを代表する客船ということもあり、もしアルゼンチン軍の攻撃により撃沈された際には、国家の威信を傷つけイギリス軍の戦意喪失にもつながりかねないことから、あえて戦闘地域には近づかなかったものの、この際に内外装が大きく傷んだことから、その後改修を受けている[1]

1987年には動力を蒸気タービンからディーゼル電気推進へすべて更新する大改装を受けた。この際キャビンの増設工事も施工され、総トン数は7万tを超えた。

数少ない遠洋航海の客船の生き残りで、パナマ運河を通過するため全幅32mと細長い船形であり、優美と表現されることもある。そのため、クルーズ船として使う場合は若干不便な面がある。度重なる改装によって船内が雑然としており、老朽化から来る不具合も散見される。遠洋航路時代の伝統から、サービスはモノクラスが基本なクルーズ船にあって、部屋の等級によって利用できるレストランが違うのがサービス面の特徴で、そのため『ベルリッツ・クルーズガイド』では複数のレーティングを保持している。

2008年に客船としては退役し、アラブ首長国連邦ドバイ海上ホテルとなる予定である。キュナード・ラインの親会社カーニバル2007年10月10日に、2010年就役予定の新クルーズ客船の建造を計画しておりこれが次代の「クイーンエリザベス」と命名されると発表している。新「クイーン・エリザベス」は「クイーン・メリー2」の同級船ではなく、「クイーン・ヴィクトリア」の同級船で総トン数95,000t程度となる模様である。

[編集] 技術面

ブレーマーハーフェン造船所でエンジン換装中のQE2
エンジン換装中にQE2'の原型のファンネルを外した

進水後、QE2は蒸気タービンプラントと3機のFoster Wheeler E.S.D IIボイラーを搭載していたが、交換することになった。Brown-Pametrada社製のタービンは最大出力110,000馬力(通常出力は94,000hp) 2機6葉の固定ピッチスクリューを駆動していた。

蒸気パワープラントは24時間で600tの重油を消費する効率悪いものであった上、度々故障し船が漂流してしまうなど問題を抱えていた。さらにボイラーやタービンの修理用部品の入手性も困難になりつつあった。就航後17年にして、キュナード社は新造するか効率の良いディーゼルに換装するか選択する事を決断した。設計から建造まで造船所で数年待たされる新造船の建造よりも、20年間運行しより安い資源と6ヶ月で運航に復帰する事から、後者が選択された。

1986年から1987年にかけて、改修工事が実施された。古いパワープラントは外され解体され、ドイツMAN社のL58/64・9気筒中速ディーゼル機関9機に換装、砕氷船しらせと同じ、推進方法であるディーゼル電気推進を搭載した。それぞれの発電機は10.5MW出力で10,000ボルトであった。この発電プラントは変圧器を介してホテルサービスと2機の推進モーターを駆動する。これらのモーターは、44MW出力の同期式で、直径9mでそれぞれ400tである。巡航速度は28.5knots (52.8km/h)で、7機だけディーゼル発電機を使用する。新型の機関の最大出力は130,000hpで、以前の110,000hpより大幅に向上した。燃料は以前と同じIBF-380 ('C'重油)を使用しつつ、35%節約することに成功した。ファンネルは9機のB&Wディーゼルエンジンの排気管を通すためにより幅広の物に交換された。

同様に固定ピッチスクリューは可変ピッチ式に交換された。古い蒸気タービンでは前進と停止だけだったが、新しい可変ピッチブレードによって同じ回転方向でも後進する事ができるため短距離で停船でき、操船性が大幅に向上した。

新しいスクリューにはグリムホイールが装備された。これはスクリューの後ろで空回りすることで渦流を推進力に換え、燃料消費率を2.5から3%向上する事を企図されていたが、試験運航後ドライドックに入渠した時に、羽根が破損している事が発見され、ホイールは外された。 [2]

[編集] エピソード

フォークランド紛争時に軍の輸送船として徴用され塗装を変えられたクイーン・エリザベス2

本船は就役当初から世界有数の高速客船であった。就航当初の機関は重油燃焼缶3基・蒸気タービン2基で11万馬力の出力を発揮し、軸単位で言えばアメリカ海軍の通常推進型空母に匹敵する高性能であり、当初は機関故障に悩まされた。1974年4月には缶の故障で航海中に漂流する事態に陥り、他社のクルーズ客船の救援を受けた[3]

フォークランド紛争時にイギリス海軍に徴用されたことは前記したが、その際の傭船料は一日22万5千ドルであった。収容した兵士の数は3,500名余りであった。フォークランド諸島への兵士の上陸はP&O社の「キャンベラ」に一旦移乗させ同船からの上陸という形をとった。

蒸気タービン機関の航海速力28.5ノット時の一日の燃料消費は520tに及び、1973年オイルショック以後は採算を取るのが困難となっていた。機関自体も老朽化も進み保守管理費用の増大も懸念されたことから、機関全体を換装させる大工事が決定された。工事はドイツのロイド・ヴェルフト社で施工され、期間は6か月を要し、費用は約1億ポンドに達した。機関換装後は28.5ノット航海時の燃料消費量が一日380tへと削減された。なお、この速度では搭載されたディーゼル発電機9基中7基の運転で十分であり、航海中でも常時2基以上の発電機を停止してメンテナンスを行っている。工事終了後の全力運転試験では33ノット以上の速力を発揮したといわれている。この大規模改装時に交換した青銅スクリューからゴルフクラブが製造され、限定販売された。

機関換装後の最初のクルーズではまたしても機関絡みのトラブルが発生したが、今回は故障ではなくディーゼル発電機の調整不良のため生じた煤煙によるものであった。乗客の衣服を汚しクリーニング代金の負担や乗船料金の一部返還などに至った。

2000年7月4日20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するためニューヨーク港に入港する際、係留されていた海上自衛隊練習艦かしま」に接触する事故を起こした。双方に大きな被害はなかったが、本船乗組員は謝罪のため「かしま」を訪れた。その際「かしま」艦長の上田勝恵一等海佐(当時)は「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております」とコメントを返した。このことは『タイムズ』や『イブニング・スタンダード』でも報道された。

[編集] 日本におけるエピソード

日本のメディアでは21世紀に入っても「世界最大の客船」と紹介されることが多かったが、実際に総トン数で世界最大であったのは就役時から1980年までであった。同年に客船「フランス」を改装したクルーズ客船「ノルウェー」(70,202総t)が再就役し、世界最大客船の座を譲った。QE2は1987年のエンジン換装時に同時に施されたキャビン増設で一時的に世界最大の座に返り咲いたが、1988年にはロイヤル・カリビアン・クルーズラインの新造クルーズ客船「ソブリン・オブ・ザ・シーズ」(73,192総t)が就役し、その後はクルーズ客船の際限のない大型化に伴い順位を落としている。2007年時点での総トン数ランキングでは100位前後とされている。

それにも関わらず、日本でのメディアの扱いは客船の中では別格である。日本では「現英国女王の名を冠した」という前記した実際の命名経緯とは異なる認識があるためか、昔からの「豪華客船」イメージがある故か、突出した扱いに引きずられクルーズ客船を一概に「豪華」客船と捉えるメディア側の姿勢が日本における大衆クルーズの発展を阻害していると、船舶関係者からの指摘がなされている。

1989年には、横浜博覧会開催にあわせ、ホテルシップとして約2ヶ月間横浜港大さん橋に停泊した。また、同年、日本テレビ系の演芸バラエティ番組・『笑点』の「大喜利」コーナーでの座布団10枚の豪華賞品として、本船を使って「クィーンエリザベス2の夕べ」と題した「美女とクルージング」が与えられたことがある。獲得したのは横浜出身である大喜利メンバー時代の桂歌丸(現・司会)であったが、美女の正体が妻の冨士子[4]というオチがあった[5]

本船最後の世界一周クルーズでは、2008年3月19日大阪港天保山岸壁に入港した。このクルーズにおいては大阪が日本唯一の寄港地であり、ゆえに本船を日本で見ることが可能な最後の機会であった。

[編集] ギャラリー

[編集] 脚注

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  1. ^ 紛争直後に日本に寄港した際は、通常見られる白+黒ではなく、白+灰色の若干の低視認性を図った塗装であった。
  2. ^ QE2: The engine room
  3. ^ この救援におもむいたクルーズ客船「シー・ヴェンチャー」は後にプリンセス・クルージズに買収され「パシフィック・プリンセス」(カリブ海クルーズを爆発的に普及させたテレビドラマ『ラブ・ボート』の撮影舞台となった船)と改名された。
  4. ^ 「大喜利」では恐妻として登場し、歌丸の笑いの定番ネタである。
  5. ^ ただし、放送では冨士子の後ろ姿のみ公開された。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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