オロス族
| オロス族 俄罗斯族 |
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| 総人口 |
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1.56万人(2000年) |
| 居住地域 |
| 言語 |
| 中国語、ロシア語 |
| 宗教 |
| ロシア正教 |
| 関連する民族 |
| 脚注 |
オロス族(ロシア族)( - ぞく、簡体字:俄罗斯族、拼音: Éluósīzú )は、中国に暮らすロシア系住民のうち、オロス族の民族籍がある者。55の中国の少数民族のうちの一つ。
おおむねロシア人を意味するものの、政策的な登録制度のため、文化集団としての民族分類とは必ずしも一致するものではない。
目次 |
概説[編集]
2000年に行われた第5回全国人口統計では、オロス族は15,609人いる。人口では、56の民族の中で47番目に位置する少数派である。
漢民族とロシア人の双方の先祖を持つ者をさす言葉として「華俄後裔」があるが、これには漢民族等として登録されている人々も含まれる。
主に新疆ウイグル自治区(第5回全国人口統計では9464人)のイリ・カザフ自治州及びウルムチ市、アルグン市を中心とする内モンゴル自治区(第5回全国人口統計では5020人)、黒竜江省(第5回全国人口統計では265人)、朝陽区を中心とする北京市(第5回全国人口統計では216人)、遼寧省(第5回全国人口統計では150人)、河北省(第5回全国人口統計では102人)に暮らしていている[1]。
言語は年輩者を中心にロシア語を話し、キリル文字を使用している。宗教はキリスト教の正教徒がほとんどであるが、中国天主教愛国会、中国基督教協会に所属するキリスト教徒、プロテスタント系のペンテコステ派、また道教やイスラム教の信徒もいる。
歴史[編集]
元皇帝フビライ・ハーンの軍隊に所属していたキプチャク人、アラン人、ロシア人の兵士が、元領(現在のロシア領)に駐留していたとする記述が最古のものである[要出典]。1330年、北京の北に分宿していたモンゴル軍のトゥメン(万人隊)に、ロシア人部隊が加わった[要出典]。
17世紀後半、コサックであるアルバジン人が北京などに到来し八旗の1つであるジョウ黄旗に編入された。このような経緯によりアルバジン人の末裔の一部は現在、満州族として登録されている。
19世紀から20世紀30年代にかけて、イリ・カザフ自治州、アルグン市、海林県及び嫩江流域に、ロシア正教の教派であるベロクリニツキー派、礼拝堂派、スパソフツィ等の古儀式派の人々が移住した。
ロシア革命の時には、大量の白系ロシア人が、ロシアからハルビン市、中東鉄路沿線、中露国境付近、東北部、イリ・カザフ自治州、ウルムチ市、上海市、漢口市などへ避難してきた。
ソ連時代、スターリンの農業集団化によって大規模な飢餓が発生し、ロシア人や、ソ連の極東およびシベリアに移住していた漢民族とそのロシア人家族などが、満州(中国東北部)及び新疆省に避難した。1931年から1938年にかけて、ソ連政府は、漢民族とロシア人の混成家族をイリ・カザフ自治州へ強制追放した。その数は約20,000人におよんだ。
第二次世界大戦後から1966年頃にかけて、多くがソ連に帰国、あるいはアメリカ、ブラジル、オーストラリア、ニュージーランドなどへ再移住した。中国に残ったものも民族籍を変更したものが9割以上を占めた。1957年の統計では9,000人いたが、1978年の統計では600人に減少している。文化大革命終了後、民族政策の変更にともない、「オロス族」として再登録する者が増えた。
脚注[編集]
- ^ 『中国俄罗斯族』、9页、宁夏人民出版社 銀川、2012年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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