ウディネーゼ
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| ウディネーゼ | |
|---|---|
| 原語表記 | Udinese Calcio SpA |
| 愛称 | Bianconeri、Zebrette |
| クラブカラー | 白・黒 |
| 創設年 | 1896年 |
| 所属リーグ | レガ・カルチョ |
| 所属ディビジョン | セリエA |
| ホームタウン | ウーディネ |
| ホームスタジアム | スタディオ・フリウーリ |
| 収容人数 | 41,825 |
| 代表者 | |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
ウディネーゼ・カルチョ(Udinese Calcio)は、イタリア・ウーディネを本拠地とするサッカークラブ。2007-2008シーズンはセリエAに所属。
クラブは1896年にソチエタ・ウディネーゼ・ディ・ジンナスティカ・スケルマ(Società Udinese di Ginnastica e Scherma、ウディネーゼ体操およびフェンシングクラブ)として創設された。1950-1951シーズンに初めてセリエAに昇格。1954-1955シーズンにはASローマに次ぐ2位でシーズンを終えたが、不正行為が発覚したためカターニアと共にセリエB降格処分を受けた。
1960年代から1970年代にかけては大半をセリエCで過ごすなど低迷したが、1979-80シーズンに17年ぶりにセリエAに昇格。1983年からはブラジル代表のジーコも在籍し、ファンの人気を集めた。
1990年代後半からはセリエAの中でも中位と健闘し、1997-98シーズンにはアルベルト・ザッケローニ監督の下で同シーズンの得点王オリバー・ビアホフらを擁して3位となり、「奇跡のウディネーゼ」(Udinese dei miracoli)と称された。2004-2005シーズンはルチアーノ・スパレッティ監督の下で4位という成績をおさめ、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
目次 |
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- 1977-1978
[編集] 国際タイトル
- UEFAインタートトカップ: 1回
- 2000
- ミトローパ・カップ: 1回
- 1980
- アングロ=イタリアン・カップ: 1回
- 1978
[編集] 過去の成績
- 1989-1990 セリエA 15位 B降格
- 1990-1991 セリエB 8位
- 1991-1992 セリエB 4位 A昇格
- 1992-1993 セリエA 14位
- 1993-1994 セリエA 16位 B降格
- 1994-1995 セリエB 2位 A昇格
- 1995-1996 セリエA 11位
- 1996-1997 セリエA 5位
- 1997-1998 セリエA 3位
- 1998-1999 セリエA 7位
- 1999-2000 セリエA 8位
- 2000-2001 セリエA 12位
- 2001-2002 セリエA 13位
- 2002-2003 セリエA 5位
- 2003-2004 セリエA 7位
- 2004-2005 セリエA 4位
- 2005-2006 セリエA 10位
- 2006-2007 セリエA 10位
- 2007-2008 セリエA 7位
[編集] 歴代監督
ボラ・ミルティノビッチ 1987-1988
ジョヴァンニ・ガレオーネ 1994-1995
アルベルト・ザッケローニ 1995-1998
フランチェスコ・グイドリン 1998-1999
ルイジ・デ・カーニオ 1999-2001
ルチアーノ・スパレッティ 2001.3-2001.6
ロイ・ホジソン 2001.7-2001.12
ジャンピエロ・ヴェントゥーラ 2001.12-2002.5
ルチアーノ・スパレッティ 2002-2005
セルセ・コズミ 2005-2006.2
ネストル・センシーニ(
ロリス・ドミニッシーニとの共同監督) 2006.2-2006.3
ジョヴァンニ・ガレオーネ 2006.3-2007.1
アルベルト・マレザーニ 2007.1-2007.6
パスクアーレ・マリーノ 2007.6-
[編集] 歴代所属選手
詳細は「Category:ウディネーゼの選手」を参照
[編集] GK
ファビオ・クディチーニ 1955-1958
ディノ・ゾフ 1960-1963
モルガン・デ・サンクティス 1999-2007
アントニオ・キメンティ 2007-2008
サミール・ハンダノヴィッチ 2007-
[編集] DF
ネストル・センシーニ 1989-1994、2002-2006
マルコ・ザンキ 1997-2000
デリオ・トレド 1999-2000
ペア・クロルドルップ 2001-2005
フェリペ 2002-
ヴァンサン・カンデラ 2005-2006
チェーザレ・ナターリ 2005-2007
ダミアーノ・ゼノーニ 2005.1-
クリスティアン・サパタ 2005-
アンドレア・コーダ 2006-
アレクサンダル・ルコヴィッチ 2007-
アンドレア・ドッセーナ 2006-2008
[編集] MF
ステファノ・マウリ
ジーコ 1983-1985
スティーヴン・アッピアー 1997-2000
マルティン・ヨルゲンセン 1997-2004
ステファノ・フィオーレ 1999-2001
ダビド・ピサーロ 1999-2005
サリー・ムンタリ 2001-2007
シヤボンガ・ノンベテ 2001-2005
マレク・ヤンクロフスキー 2002-2005
ヴィジガウ 2005-2006
クリスティアン・オボド 2005-
ガエターノ・ダゴスティーノ 2006-
ジャンピエロ・ピンツィ 2000-2008
ギョクハン・インラー 2007-
マウリシオ・イスラ 2007-
ニコラス・コルヴェット 2008-
[編集] FW
オリバー・ビアホフ 1995-1998
マルシオ・アモローゾ 1996-1999
ヴィンチェンツォ・イアクインタ 2000-2007
マウロ・エスポジト 2001-2002
ダビド・ディ・ミケーレ 2001-2002、2004-2006
カルステン・ヤンカー 2002-2004
アントニオ・ディ・ナターレ 2004-
アサモア・ギャン 2003-2004、2006-08
ファビオ・クアリアレッラ 2007-
シモーネ・ペペ 2007-
アレクシス・サンチェス 2008-
ビクトル・イバルボ 2009-
[編集] クラブの経営戦略
ウディネーゼはプロビンチャに過ぎず、ジャンパオロ・ポッツォ・オーナーによる援助はあるものの財政規模は決して大きくない。そのため、ウディネーゼは外国の若くて無名の優秀な選手を確保し育成、その選手を高額で売却することでクラブ経営を成立させてきた。ウディネーゼのスカウトは世界中に散らばっており、1995年のボスマン判決後にこの路線を徹底して推進している。イタリア人プレーヤーの育成を重視して下部組織を充実させているアタランタBCなどと異なり、選手リクルーティングの活動範囲を世界中へ拡大したことが、現在のウディネーゼ躍進の原動力となっている。国内外より発掘した若い選手たちには、イタリアサッカーに適応する時間と環境の提供を重視している。こうした経営方針から、クラブは多国籍チームになる傾向が強い。
これまで育成された高名なプレーヤーに、オリバー・ビアホフ、マルシオ・アモローゾ、マルティン・ヨルゲンセン、ダビド・ピサーロ、ペア・クロルドルップ、マレク・ヤンクロフスキー、アサモア・ギャン、ギョクハン・インレルなどがいる。マヌエル・ジェロリン、エルネスト・ヴァルニエら優秀なスカウト陣が成功していることは安定して中位を確保していることからも分かる。
また、監督にとって働きやすい環境作りに努めており、アルベルト・ザッケローニ、ルチアーノ・スパレッティなどの名将を輩出している。
[編集] 外部リンク
| ウディネーゼ - 現所属メンバー |
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2 サパタ | 3 ヴヤディノヴィッチ | 5 オボド | 6 ドミッツィ | 7 ペペ | 8 ティッソーネ | 9 イガロ | 10 ディ・ナターレ | 11 A・サンチェス | 12 コプリヴェッチ | 13 コーダ | 15 イスラ | 18 ジムリング | 19 フェリペ | 20 アサモア | 21 ダゴスティーノ | 22 ハンダノヴィッチ | 24 ルコヴィッチ | 26 パスクアーレ | 32 フェロネッティ | 80 ベラルディ | 83 フローロ・フローレス | 88 インレル | - ハイメ | - モロシーニ | - オレジャナ | - コッラーディ | - クアドラド 監督: マリーノ |
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