マルティン・ヨルゲンセン
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| 名前 | ||||
| 本名 | ラルス・マルティン・ヨルゲンセン | |||
| ラテン文字 | Martin JORGENSEN | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1975年10月6日(36歳) | |||
| 出身地 | オーフス | |||
| 身長 | 180cm | |||
| 体重 | 76kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 在籍チーム | ||||
| ポジション | MF (OH, SH, DH), DF (SB) | |||
| 背番号 | 20 | |||
| 利き足 | 左足 | |||
| 代表歴 2 | ||||
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| 2. 2011年10月7日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ラルス・マルティン・ヨルゲンセン、イェルゲンセン(Lars Martin Jørgensen, 1975年10月6日 - )はデンマーク、オーフス出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
ミカエル・ラウドルップ、ブライアン・ラウドルップ兄弟の後継者とも呼ばれているデンマーク代表。クラブレベルでは、ほとんどのキャリアをイタリア・セリエAでプレーしている。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] クラブ
1993年にプロデビューを果たす。1996年にはU-21デンマーク最優秀選手に選ばれるなど注目され、翌1997年にイタリア、ウディネーゼ・カルチョへの移籍が実現。怪我に悩まされたが、1998年には代表デビューを飾るなど、攻撃の柱として活躍した。
2004年、大型補強を推し進めていたACFフィオレンティーナに加入。入団直後はチームの戦術に馴染めずその才能を発揮できなかったが、時間の経過と共に本領を発揮し中心選手となった。フィオレンティーナでは主に左右サイドハーフとして出場した。
2008年、引退後にフィオレンティーナのフロント入りする契約を交わした。チェーザレ・プランデッリ監督やスポーツディレクターであるパンタレオ・コルヴィーノからは「若手の見本となるような選手」と評されており、その姿勢が認められた形となった。
2010年2月1日に、自身の出身地であり古巣であるオーフスGFに完全移籍する。本人は2010 FIFAワールドカップの代表に選出されるために出場機会を増やしたいと語っていた[1]。
[編集] 代表
1998年のスコットランド戦で代表デビューを果たした。1998 FIFAワールドカップではブラジル戦で得点を挙げるなど中心選手として活躍したがその後はケガが相次ぎ苦悩の日々を送った。しかしながら2002 FIFAワールドカップ予選チェコ戦で復活を果たすとこの試合でアシストを挙げるなど大活躍、本大会に出場し来日した。ただし、本大会では注目を集めるヨン・ダール・トマソンとは裏腹に不甲斐ないプレーに終始した。EURO2004にも出場している。2010 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれ、レギュラーとして出場した。
[編集] 備考
- 本意は定かではないが、「現役を退いたらバスの運転手になりたい」と事あるごとに発言している。実際にチームメイトが乗る移動のための大型バスを運転した事がある。
- デンマーク代表キャプテンを勤めたこともあり、セリエAを代表するプレーヤーでもあるが、UEFAチャンピオンズリーグとは縁が無い。2004年に当時所属クラブであったウディネーゼがクラブ史上初のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得するが、その年の夏にフィオレンティーナに移籍。フィオレンティーナでは2006年、2007年と2度のチャンピオンズリーグ出場権に値するリーグ4位以内の勝ち点を稼ぐことに貢献したが、いずれもカルチョ・スキャンダルのペナルティによって出場が叶うことはなかった。
- 弟のマッズ・ヨルゲンセンも元サッカー選手で、2001年に代表デビューを飾っている。
[編集] 所属クラブ
オーフスGF 1993-1997
ウディネーゼ・カルチョ 1997-2004
ACFフィオレンティーナ 2004-2010.2
オーフスGF 2010.2-
[編集] 脚注
- ^ Ceduto Jorgensenフィオレンティーナ公式(2010-2-1)(イタリア語),2010-2-1閲覧
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