ヤン・ハインツェ

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ヤン・ハインツェ
1987年のハインツェ
名前
ラテン文字 Jan Heintze
基本情報
国籍  デンマーク
生年月日 (1963-08-17) 1963年8月17日(60歳)
出身地 Tarnby
選手情報
ポジション MF/DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1982-1994 オランダの旗 PSVアイントホーフェン 313 (6)
1994-1996 ドイツの旗 バイエル・ユルディンゲン 53 (3)
1996-1999 ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン 87 (5)
1999-2003 オランダの旗 PSVアイントホーフェン 82 (1)
代表歴
1987-2002 デンマークの旗 デンマーク 86 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヤン・ハインツェJan Heintze1963年8月17日 -)は、デンマーク出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF(守備的MF)、DF(サイドバック)。

経歴[編集]

クラブ[編集]

ハインツェは故郷のTårnby Boldklubでサッカーを始め、幾つかのユースクラブを経て、1982年にオランダのPSVアイントホーフェンへ入団。左ウイングを務めていたが出場機会に恵まれず、2年目のシーズンから左サイドバックのポジションを獲得。これ以降、攻撃的なサイドバックとして、同郷のフランク・アルネセンセーレン・レアビーらと共に6度のエールディヴィジと1987-88シーズンのUEFAチャンピオンズカップ制覇に貢献した。

PSVには12シーズン在籍したが、1994年からはドイツのバイエル・ユルディンゲンバイエル・レバークーゼンでプレーを続けた。1999年に、かつての同僚のエリック・ゲレツが監督を務める古巣のPSVに復帰。2003年に現役引退をするまで3度のリーグ制覇に貢献した。

代表[編集]

デンマーク代表としては1987年4月29日のUEFA欧州選手権1988予選、対アイルランド戦で代表デビューを飾り、翌1988年の本大会では全3試合に出場した。しかし、代表監督のリチャード・メラー・ニールセンと対立し、1991年5月1日のUEFA EURO '92予選、対ユーゴスラビア戦を最後に代表からは退いた。

1996年にニールセンが辞任し、ボー・ヨハンセンが監督に就任すると、ハインツェは再びデンマーク代表に招集され、1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会、2000年のUEFA EURO 2000に出場した。モアテン・オルセン監督の下で2002年のFIFAワールドカップ・日韓大会に大会出場最年長者として出場するが[1]、暑さの中で苦しみ1次リーグ第2戦以降は控えに回った。この年に代表から引退するまで国際Aマッチ86試合出場4得点を記録した。

脚注[編集]

  1. ^ Denmark World cup 2002-BBC 2020年2月20日

外部リンク[編集]

先代
ピーター・シュマイケル
デンマーク代表 キャプテン
2001-2002
次代
レネ・ヘンリクセン