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テキサス大学アーリントン校の人類学者[[ナオミ・クレッグホーン]]は、約4万年前の、現在のイタリアやコーカサス山脈に相当する地域で火山が相次いで噴火したことを絶滅の理由として説明している<ref>[http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100924002&expand#title]</ref>。このような環境的要因を指摘する説は以前にも発表されていたが、約4万年前の噴火はその種の災害とは規模が違っており、例えば、複数の火山がほぼ同時期に噴火していたという。中でも3万7000年前のイタリア・ナポリ近くの[[フレグレイ平野]]でのカンパニアン・イグニンブライト噴火はヨーロッパでは過去20万年間で最も大規模だった。「当時のヨーロッパには現生人類の小集団も住んでいたので、噴火の影響<ref>噴出物が空を覆い寒冷化が進む、これを「火山の冬」説という(石弘之著『歴史を変えた火山噴火ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 42ページ)</ref>を同様に受けたと考えられる。だが、ネアンデルタール人のほとんどがヨーロッパに居住していたのに対し、現生人類はアフリカやアジアにより大きな人口を抱えていたため絶滅を避けられたようだ。 」と同氏はいう<ref>前掲リンク記事</ref>。
テキサス大学アーリントン校の人類学者[[ナオミ・クレッグホーン]]は、約4万年前の、現在のイタリアやコーカサス山脈に相当する地域で火山が相次いで噴火したことを絶滅の理由として説明している<ref>[http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100924002&expand#title]</ref>。このような環境的要因を指摘する説は以前にも発表されていたが、約4万年前の噴火はその種の災害とは規模が違っており、例えば、複数の火山がほぼ同時期に噴火していたという。中でも3万7000年前のイタリア・ナポリ近くの[[フレグレイ平野]]でのカンパニアン・イグニンブライト噴火はヨーロッパでは過去20万年間で最も大規模だった。「当時のヨーロッパには現生人類の小集団も住んでいたので、噴火の影響<ref>噴出物が空を覆い寒冷化が進む、これを「火山の冬」説という(石弘之著『歴史を変えた火山噴火ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 42ページ)</ref>を同様に受けたと考えられる。だが、ネアンデルタール人のほとんどがヨーロッパに居住していたのに対し、現生人類はアフリカやアジアにより大きな人口を抱えていたため絶滅を避けられたようだ。 」と同氏はいう<ref>前掲リンク記事</ref>。


なお、シベリアのアルタイ山脈の遺跡で発見された[[デニソワ人]]類は、ネアンデルタール人類の兄弟種にあたり、現生人類のポリネシア人やメラニシア人にはその遺伝子の一部が混入していることが2010年12月に発表された<ref>http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20101223-OYT1T00205.htm?from=main3{{リンク切れ|date=2011年5月}}</ref>。
なお、シベリアのアルタイ山脈の遺跡で発見された[[デニソワ人]]類は、ネアンデルタール人類の兄弟種にあたり、現生人類のポリネシア人やメラニシア人にはその遺伝子の一部が混入していることが2010年12月に発表された<ref>{{Citation |first=David |last=Reich
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== 脚注 ==
== 脚注 ==

2013年5月12日 (日) 15:10時点における版

ネアンデルタール人
ネアンデルタール人の頭骨
地質時代
更新世
分類
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 哺乳綱 Mammalia
: 霊長目(サル目Primates
亜目 : 真猿亜目 Haplorhini
上科 : ヒト上科 Hominoidea
: ヒト科 Hominidae
: ヒト属 Homo
: H. neanderthalensis
学名
Homo neanderthalensis
King, 1864
和名
ネアンデルタール人
英名
Neandertal

ネアンデルタール人(ネアンデルタールじん、ホモ・ネアンデルターレンシス、Homo neanderthalensis)は、約20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したヒト属の一種である。旧人であるネアンデルタール人は、我々現生人類であるホモ・サピエンス (Homo sapiens) の最も近い近縁種である。ちなみにシベリアのアルタイ地方で発見されたデニソワ人も旧人であり、ネアンデルタール人の兄弟種にあたる。また、インドネシアのフローレス島で発見された身長1mで脳の小さいフローレス人も旧人であり、ネアンデルタール人の兄弟種の可能性が高い。

かつて、ネアンデルタール人は、我々ホモ・サピエンスの祖先とする説があった。また、ネアンデルタール人をホモ・サピエンスの一亜種であるホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス (Homo sapiens neanderthalensis) と分類する場合もある。この場合ネアンデルタール人と現世人類との分岐直前(約47万年前)の共通祖先もまたホモ・サピエンスということになる。本項ではいずれの学名でも通用する「ネアンデルタール人」を用いる。遺骨から得られたミトコンドリアDNAの解析結果に基づき、ネアンデルタール人は我々の直系先祖ではなく別系統の人類であることはほぼ明らかで、両者の遺伝子差異は他の動物種ならば当然別種と認定されるレベルであり、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは混血できなかったとする考え方が有力であった[1]が、2010年5月7日のサイエンスに現生人類ホモ・サピエンスのDNAに分岐後ネアンデルタール人の遺伝子が再混入している可能性があるとの論文が収載されたことで、ネアンデルタール人の分類に新たな謎が投げかけることになった[2]

概要

ネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。

なおネアンデルタール人を過去は「旧人」と呼称していたが、ネアンデルタール人が「ホモ・サピエンスの先祖ではない」ことが明らかとなって以降は、この語は使われることが少ない。

現生人類であるホモ・サピエンス誕生は約25万年前であるが、ホモ・サピエンスの直接の祖先のうち、25万年前以上前に活動・生息していた人類も旧人段階にあったと考えられるためネアンデルタール人だけが「旧人」に該当するわけではない。ホモ・ヘルメイホモ・ローデシエンシス、そしてホモ・サピエンス・イダルトゥ発生以前の古代型サピエンスも旧人段階に該当する人類であると考えられる。また、上記の通りネアンデルタール人は広い地域に分布して多数の化石が発見されており、それらは発見地名を冠した名称で呼ばれる。例として、ラ・シャペル・オ・サン人(La Chapelle-aux-Saints、以後は「ラ・シャペローサン人」とする)、スピー人、アムッド人などが挙げられる。

本稿では、以後それらの人類の総称として「ネアンデルタール人類」の用語を用いる。ネアンデルタール人から最も拡張した学術用語として旧人段階の人類全てをネアンデルターロイドと呼ぶこともあり、ホモ・ローデシエンシスまでをも含むこともある(世界大百科事典)が、命名の経緯はどうであれ実質は進化段階を示す用語であり、ネアンデルターロイドは生物学的単一種を意味しない。本項ではネアンデルタール人類について記述する。

研究史

ファイル:Carte Neandertaliens.jpg
ネアンデルタール人の化石が発見された地点(赤丸)。 薄紫色の部分は氷床に覆われていた。
ファイル:Neandertaler reconst.jpg
ネアンデルタール博物館での展示
ファイル:Neandertaler-im-Museum.jpg
ネアンデルタール博物館での展示

発見

最初に発見されたネアンデルタール人類の化石は、1830年ベルギーのエンギスで発見された子供の頭骨である。1848年にはスペイン南端のジブラルタルからも女性頭骨が見つかっている。しかしこれらの古人骨が発見された当時は、その正体はわからないままであった。

最初に科学的研究の対象となったネアンデルタール人類の化石が見つかったのは1856年で、場所はドイツデュッセルドルフ郊外のネアンデル谷 (Neanderthal) にあったフェルトホッファー洞窟であった。これは石灰岩の採掘作業中に作業員によって取り出されたもので、作業員たちはクマの骨かと考えたが念のため、地元のギムナジウムで教員を務めていたヨハン・カール・フールロットの元に届けられた。フールロットは母校であるボン大学で解剖学を教えていたヘルマン・シャーフハウゼンと連絡を取り、共同でこの骨を研究。1857年に両者はこの骨を、ケルト人以前のヨーロッパの住人のものとする研究結果を公表した[3]。ちなみにこの化石は顔面や四肢遠位部等は欠けていたが保存状態は良好であり、低い脳頭骨や発達した眼窩上隆起などの原始的特徴が見て取れるものである。

ウィルヒョーらによる批判と進化論の登場

フールロットとシャーフハウゼンによる研究は多くの批判に晒された。ボン大学のオーギュスト・マイヤーはカルシウム不足のコサック兵の骨ではないかと主張し、病理学の世界的権威であったベルリン大学ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョーくる病痛風にかかって変形した現代人の老人の骨格と主張した。

しかし1858年から1859年にかけて、アルフレッド・ラッセル・ウォレスチャールズ・ダーウィン進化論を発表すると、問題の古人骨も進化論の視点から再検討された。1861年にはフールロットとシャーフハウゼンによる論文が英訳され、1863年にはトマス・ヘンリー・ハクスリーが自著においてこの古人骨を類人猿とホモ・サピエンスの中間に位置づける議論を行った。1864年にはゴールウェイのクイーンズカレッジ(現在のアイルランド国立大学ゴールウェイ校)で地質学を教えていたウィリアム・キングがこの古人骨に「ホモ・ネアンデルターレンシス (Homo neanderthalensis)」 の学名を与えた。

1901年から1902年にかけては、当時シュトラスブルク大学で教鞭を執っていたグスタフ・アルベルト・シュワルベ(Gustav Albert Schwalbe, M.D.)がジャワ原人とネアンデルタール人との比較研究を行い、ネアンデルタール人をホモ・サピエンスの祖先とする論文を発表した[4]

研究の進展

20世紀前半には、ネアンデルタール人類の完全に近い骨格化石がフランスのラ・シャペローサン、ラ・フェラシー、ラ・キーナその他ヨーロッパ各地から幾つも発見されて彼らの形質が明らかになった。それとともに、彼らとホモ・サピエンスとの関係が議論されるようになった。

ラ・シャペローサン出土の完全骨格を調査したフランスのマルセラン・ブールは1911年から13年にかけての論文で、ネアンデルタール人類は現生人類と類人猿との中間の特徴を持ち、曲がった下肢と前かがみの姿勢で歩く原始的な人類とした。ブールはシュワルベとは異なり、ネアンデルタール人をホモ・サピエンスの祖先とは考えない立場を採った。また、脳は大きいが上下につぶれたように低いので知能も低く、野蛮で獣的であるとの説も広まった[5]

1929年から33年にはイスラエルのカルメル山でネアンデルタール人類とホモ・サピエンスの中間的な形質のある化石人骨が次々に発見された。第二次大戦後にはラ・シャペローサン人の化石が再検討され、類人猿的とされた特徴は老年性の病変もしくは先入観による誤認であることが明らかとなった[6]

1951年から調査が始まったイラクシャニダールでは、発掘されたネアンデルタール人類の第4号骨格の周辺の土をラルフ・ソレッキが調査したところ、少なくとも8種類の花の花粉や花弁が含まれるとの結果が出た。ソレッキはこの結果を、遺体に献花されたものであると解釈した。しかしながら、この解釈に対しては異論も提出されており、ネアンデルタール人が仲間の遺体に花を添えて埋葬したのかどうか、はっきりとした結論は出されていない[7]

単一起源説の登場と分子生物学における研究

ネアンデルタール人をホモ・サピエンスの祖先と見る立場の場合、ネアンデルタール人からホモ・サピエンスへの進化は世界各地で行われたと考える(多地域進化説)。これに対し、ウィリアム・ハウエルズ(William White Howells)は1967年の著書Mankind in the makingにおいて、単一起源説を主張し、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスの祖先ではないとした[8]

1997年にはマックス・プランク進化人類学研究所スヴァンテ・ペーボらがフェルトホッファー洞窟で見つかった最初のネアンデルタール人の古人骨からDNAを抽出し、ホモ・サピエンスとの関係を検討した研究を発表。ネアンデルタール人をホモ・サピエンスの祖先とする立場は決定的に否定されるに至った[9]

ただし、2010年5月7日サイエンスには同じくマックス・プランク進化人類学研究所などによって、アフリカを出たホモ・サピエンスが10万~5万年前の間に中東でネアンデルタール人と混血していたという論文が収載された[2]

特徴

1888年時点の最初期の復元図(原人的特徴を強調しすぎとの批判もある)
現生人類(左)とネアンデルタール人(右)の頭蓋骨の比較写真
現生人類(左)とネアンデルタール人(右)の頭蓋骨の比較図

典型的なネアンデルタール人類の骨格は、上記のラ・シャペローサンからほとんど完全な老年男性のものが発見されたほか、西アジアや東欧からも良好な化石が出土している。それらに基づくネアンデルタール人類の特徴は次のようなものである。

  • ネアンデルタール人の容量は現生人類より大きく、男性の平均が1600cm3あった(現代人男性の平均は1450cm3)。しかし、頭蓋骨の形状は異なる。脳頭蓋は上下につぶれた形状をし、前後に長く、額は後方に向かって傾斜している。また、後頭部に特徴的な膨らみ(ネアンデルタール人のシニョン)がある。なお、性差・人種差を除外した同質な人類集団の中では脳の大きさは知能指数相関係数0.4程度の相関があることが知られる[10]。このことから、現生人類と比較しても遜色のない知能を有していた可能性もある。
  • 顔が大きく、特に上顔部が前方に突出して突顎である。鼻根部・先端部共に高くかつ幅広い。これらの形質に呼応して上顔部は現生人類のコーカソイドと同じか、さらに立体的(顔の彫が深い)である。顔の曲率を調べる方法の一つとして「鼻頬角(びきょうかく)」があり、これは左右眼窩の外側縁と鼻根部を結ぶ直線がなす角度で、コーカソイドで136度から141度であり、モンゴロイドでは140度から150度であるが、ネアンデルタール人類では136.6度であった。他に、の部分が張り出し、眼窩上隆起を形成している。また、(おとがい)の無い、大きく頑丈な下顎を持つ。
  • 現生人類と比べ、の奥(上気道)が短い。このため、分節言語発声する能力が低かった可能性が議論されている。
  • 四肢骨は遠位部、すなわちであれば前腕下肢であればの部分が短く、しかも四肢全体が躯体部に比べて相対的に短く、いわゆる「胴長短脚」の体型で、これは彼らの生きていた時代の厳しい寒冷気候への適応であったとされる。
  • 男性の身長は165cmほどで、体重は80kg以上と推定されている。骨格は非常に頑丈で骨格筋も発達していた。
  • 成長スピードはホモサピエンスより速かった。ただし寿命、性的成熟に至る年齢などは、はっきりとしない。

以上のような相違点はあるものの、遠目には現生人類とあまり変わらない外見をしていたと考えられている。また、思春期に達して第二次性徴が現われるまではネアンデルタール人としての特徴はそれほど発現せず[11]、特に女性の場合には(ネアンデルタール人類に限らず、現生人類を含む全ての進化段階で)形質の特殊化が弱いと考えると、我々現生人類はネアンデルタール人から見て幼児的・女性的に見えたかもしれないとも指摘されている[12]

その他、高緯度地方は日射が不足するため黒い肌ではビタミンDが不足してしまうこと[13]、およびDNAの解析結果より[14][15]、ネアンデルタール人は白い肌で赤い髪だったとの説がある。

文化

ネアンデルタール人の石器

彼らの文化はムステリアン文化と呼ばれ、旧石器時代に属している。また、この項目で記されている内容は、ネアンデルタール人の生息年代や生息地域が広大であることからも分かるように、全ての時代・地域で共通してみられる文化であることを必ずしも意味しない。

石器

ネアンデルタール人は、ルヴァロワ式と呼ばれる剥片をとる技術を主に利用して石器を制作していた。フランソワ・ボルドは石器を60種類ぐらいに分類しているが、実際の用途は非常に限られていて、狩猟用と動物解体用に分類できる。左右対称になるよう加工されたハンドアックス(握斧)や、木の棒の先にアスファルトで接着させ穂先とし、狩りに使用したと考えられている石器などが発見されている[16]

住居

洞窟を住居としていたと考えられることが多い。洞窟からはネアンデルタール人の人骨だけでなく、哺乳類の骨が多く見つかっている。遺跡で見つかる骨が四肢に偏っているのは、狩猟の現場で解体し、大腿部などを選択的に持ち帰ったと考えられる。海岸近くの遺跡では食用にならない程小さな貝が見つかることもあり、これはベッドに用いられた海草についていたのではという説がある。また遺跡からは炉跡が多く見つかっており、火を積極的に利用していたと考えられているが、特定の場所を選択的に炉として利用していなかった。

埋葬

生活の場と埋葬の場を分けるということをしていなかったようだが、ネアンデルタール人は、遺体を屈葬の形で埋葬していた。1951年から1965年にかけて、R・ソレッキーらはイラク北部のシャニダール洞窟で調査をしたが、ネアンデルタール人の化石とともに数種類の花粉が発見された。発見された花粉が現代当地において薬草として扱われていることから、「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を添える習慣があった」と考える立場もある。

芸術

芸術美術については確かな証拠がない。なお、切歯が大きく磨り減っていることから、動物の皮をなめしていて防寒用のコートを作るなど、服飾文化を持っていたとの仮説もある[17]。またフランスの遺跡からはシカやオオカミの歯を利用した、ペンダント状のものが発掘されている(正確用途は不明)。またショーヴェ洞窟洞窟壁画を、その年代からネアンデルタール人の作品であるとし、最後期のネアンデルタールは芸術活動が行われていたと考える研究者も存在する。

食人行為

この他、調理痕のある化石が発見されたことから、ネアンデルタール人には共食いの風習があったとも考えられている[18]。一方で、反対意見として、埋葬に当たっての儀礼的な肉剥ぎ(excarnationまたはdefleshing)ではないかとする説もある[19]

火の利用

前期旧石器時代のホモ・エレクトスが火を使っていたかどうかについては異論を唱える学者もいる。しかし、中期旧石器時代のネアンデルタール人が火を使っていたことに関しては異論が少ない[20]:211

ネアンデルタール人による火の使用の跡はいくつも見つかっている。例えばフランスのドルドーニュ県XVI洞窟からは、乾燥した地衣類を燃料に使った6万年前の炉の跡が見つかっている[20]:211。また、ブリュニケル洞窟フランス語版からは少なくとも4万7600年前の炉の跡が見つかっている[20]

進化

ネアンデルタール人の最も古い化石は中部更新世から発見されており、シュタインハイム人・サッコパストーレ人・エーリングスドルフ人その他幾つかが知られている。これらは時代的には典型的な後期ネアンデルタール人より早い時代に出現したという意味で「早期ネアンデルタール人」と呼ばれる。時代が古いため、一面では原始的であり、脳容量が小さく、眼窩上隆起が発達するなどの特徴があるが、一方で後に出現したネアンデルタール人よりホモ・サピエンスに共通する特徴が多い。すなわち、頭骨は丸みを帯びて後期のネアンデルタール人より頭高が高く、額のふくらみも発達し、更に上顎骨には犬歯窩が存在する(犬歯窩はホモ・サピエンスになって初めて現れる形質)。

このように、早期ネアンデルタール人には後期ネアンデルタール人よりも進化していたとさえ言える特徴があり、大きな謎とされていた。現在では、ネアンデルタール人は下部洪積世にホモ・サピエンスと分岐したとされているので、かつて早期ネアンデルタール人の進歩的特長と言われた部分はホモ・サピエンスの祖先と分かれて間もない頃の、双方に共通する特徴が残っているものだと考えられている[21]。また、彼らの化石は大部分が女性のものと思われるので、性差により進歩的に見えているとも、犬歯窩と見えるのは土圧による変形に過ぎないとする説もある[22]

1999年ポルトガルで、そして2003年ルーマニアで発見された化石の骨格が新旧人双方の特徴を備えていたことから、新旧人の混血説を主張するグループが現われ、議論を呼んでいる。一方、ネアンデルタール人の化石から抽出されたミトコンドリアDNAの解析からは、新旧人の混血化には否定的な結果が得られている。これに対して、ワシントン大のアラン・テンプルトンらは、従来のミトコンドリア遺伝子などの単一の部分だけを調査して決定づける方式ではなく、10か所の遺伝子を調査したところ、混血しているとの結果を導き出している[23][24]。ただし、2006年から2008年にかけて行われたネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの全配列解析では、ホモ・サピエンスとの交配の証拠は見つからなかった。なお、ミトコンドリアDNAは母系のみで遺伝する[25][26]

絶滅

ネアンデルタール人が絶滅したのは2万数千年前だが、その原因はよくわかっていない。クロマニョン人との暴力的衝突により絶滅したとする説、獲物が競合したことにより段階的に絶滅へ追いやられたとする説、ホモ・サピエンスと混血し急速にホモ・サピエンスに吸収されてしまったとする説など諸説ある。

従来、ネアンデルタール人は約3万年前に滅亡したと考えられていたが、2005年にイベリア半島南端のジブラルタルの沿岸の洞窟から、ネアンデルタール人が使っていた特徴のある石器類や、洞窟内で火を利用していた痕跡が見つかった。この遺跡は、放射性炭素による年代分析で2万8000-2万4000年前のものと推定された[27]。このことから、ネアンデルタール人は、少なくとも地中海沿岸からイベリア半島においては、しばらくの間生き残っていたと考えられる。これにより、「ネアンデルタール人は約3万年前に絶滅した」という説はわずかに修正されることになった。

2010年5月7日のサイエンス誌に、アフリカのネグロイド以外の現生人類には、絶滅したネアンデルタール人類の遺伝子が1-4%混入しているとの研究結果が発表された[2]。これは、現生人類直系祖先であるホモ・サピエンスが出アフリカした直後の10-5万年前の中東地域でそこに既に居住していたネアンデルタール人類と接触し混血したこと、アフリカ大陸を離れなかった現生人類はネアンデルタール人類と接触しなかったことによる可能性が高い。この研究結果が正しければ、出アフリカ後に中東を経てヨーロッパからアジアにまで拡がって行った現生人類は約3万年前に絶滅してしまったネアンデルタール人類の血をわずかながらも受け継いでいることになる。

テキサス大学アーリントン校の人類学者ナオミ・クレッグホーンは、約4万年前の、現在のイタリアやコーカサス山脈に相当する地域で火山が相次いで噴火したことを絶滅の理由として説明している[28]。このような環境的要因を指摘する説は以前にも発表されていたが、約4万年前の噴火はその種の災害とは規模が違っており、例えば、複数の火山がほぼ同時期に噴火していたという。中でも3万7000年前のイタリア・ナポリ近くのフレグレイ平野でのカンパニアン・イグニンブライト噴火はヨーロッパでは過去20万年間で最も大規模だった。「当時のヨーロッパには現生人類の小集団も住んでいたので、噴火の影響[29]を同様に受けたと考えられる。だが、ネアンデルタール人のほとんどがヨーロッパに居住していたのに対し、現生人類はアフリカやアジアにより大きな人口を抱えていたため絶滅を避けられたようだ。 」と同氏はいう[30]

なお、シベリアのアルタイ山脈の遺跡で発見されたデニソワ人類は、ネアンデルタール人類の兄弟種にあたり、現生人類のポリネシア人やメラニシア人にはその遺伝子の一部が混入していることが2010年12月に発表された[31]

脚注

  1. ^ Tattersall I, Schwartz JH (June 1999). “Hominids and hybrids: the place of Neanderthals in human evolution”. 米国科学アカデミー紀要 96 (13): 7117–9. doi:10.1073/pnas.96.13.7117. PMC 33580. PMID 10377375. http://www.pnas.org/cgi/pmidlookup?view=long&pmid=10377375 2009年5月17日閲覧。. 
  2. ^ a b c “Special Feature: The Neandertal Genome”. Science (アメリカ科学振興協会). (5 2010). http://www.sciencemag.org/special/neandertal/ 2010年8月12日閲覧。.  アブストラクト和訳PDF (PDF)
  3. ^ 内村直之『われら以外の人類 類人猿からネアンデルタール人まで』朝日選書、2005年、217-219ページ
  4. ^ 内村、前掲書、218-220ページ
  5. ^ 『人類の進化 試練と淘汰の道のり』, 162頁
  6. ^ 内村、前掲書、214-215ページ
  7. ^ 内村、前掲書、224-225ページ
  8. ^ 内村、前掲書、228ページ
  9. ^ ネアンデルタール人のゲノム配列解析で驚くべき研究結果 (PDF)
  10. ^ Witelson, SF; Beresh, H; Kigar, DL (2006). “Intelligence and Brain Size in 100 Postmoterm Brains”. Brain : a journal of neurology 129 (Pt 2): 386–98. doi:10.1093/brain/awh696. PMID 16339797. http://brain.oxfordjournals.org/cgi/content/abstract/129/2/386. 
  11. ^ 『ネアンデルタール人の正体 : 彼らの「悩み」に迫る』、206-225頁
  12. ^ 『ネアンデルタール人の首飾り』, 98-99頁
  13. ^ 『ネアンデルタール人の首飾り』, 96-97頁
  14. ^ Laleuza-Fox, Carles; Holger Römpler et al. (2007-10-25). “A Melanocortin 1 Receptor Allele Suggests Varying Pigmentation Among Neanderthals”. Science 318: 1453. doi:10.1126/science.1147417. PMID 17962522. 
  15. ^ Rincon, Paul (2007年10月25日). “Neanderthals 'were flame-haired'”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/7062415.stm 2010年1月17日閲覧。 
  16. ^ Boëda et al. (1999) A Levallois Point Embedded in the Vertebra of a Wild Ass (Equus Africanus) Hafting, Projectiles, and Mousterian Hunting Weapons. Antiquity, 73(280) :394-402
  17. ^ 『ネアンデルタール人の正体 彼らの悩みに迫る』, 74頁
  18. ^ Andrea Thompson (2006年12月4日). “Neanderthals Were Cannibals, Study Confirms”. Health SciTech. LiveScience. 2009年1月5日閲覧。
  19. ^ Pathou-Mathis M (2000). “Neanderthal subsistence behaviours in Europe”. International Journal of Osteoarchaeology 10: 379–395. doi:10.1002/1099-1212(200009/10)10:5<379::AID-OA558>3.0.CO;2-4. 
  20. ^ a b c リチャード・ラジリー『石器時代文明の驚異』河出書房新社、1999年(原著1998年)。ISBN 4-309-22352-4 :211
  21. ^ 『人類の進化 試練と淘汰の道のり』, 173頁
  22. ^ 『ネアンデルタール人とは誰か』, 102-104頁
  23. ^ 人類進化に新説:現代人はネアンデルタール人との混血?
  24. ^ Templeton, AR (2002). “Out of Africa again and again”. Nature 416 (6876): 45–51. doi:10.1038/416045a. PMID 11882887. 
  25. ^ 'ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA、配列解析に成功'
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  28. ^ [1]
  29. ^ 噴出物が空を覆い寒冷化が進む、これを「火山の冬」説という(石弘之著『歴史を変えた火山噴火ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 42ページ)
  30. ^ 前掲リンク記事
  31. ^ Reich, David; Green, Richard E.; Kircher, Martin; Krause, Johannes; Patterson, Nick; Durand, Eric Y.; Viola, Bence; Briggs, Adrian W. et al. (2010), “Genetic history of an archaic hominin group from Denisova Cave in Siberia”, Nature 468 (7327): 1053–1060, doi:10.1038/nature09710, PMID 21179161 

参考文献

関連項目

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