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2021年2月28日 (日) 08:40時点における版

ザック・スターキー
Zak Starkey
ドラムを演奏するザック・スターキー(2005年)
基本情報
出生名 Zak Richard Starkey
生誕 (1965-09-13) 1965年9月13日(58歳)
イングランドの旗 イングランド, ロンドン
ジャンル ロック
職業 ミュージシャンセッションミュージシャン
担当楽器 ドラムパーカッション、ギター
活動期間 1980年 -
共同作業者 オアシスザ・フー, Icicle Works, the Waterboys, ASAP, the Lightning Seeds, Face, リンゴ・スター and his All-Starr Band, Johnny Marr & The Healers

ザック・リチャード・スターキー(Zak Richard Starkey、1965年9月13日 - )はイギリスミュージシャンビートルズの元メンバー、リンゴ・スターと元妻モーリン・コックスとの間の長男。ザ・フーオアシスのサポート・メンバーとして知られる。弟のジェイソン(1968〜)と妹のリー(1970〜)がいる。娘のターシャ・スターキー(1985〜)はベーシストとして活動している。

父のリンゴは「ドラムは人から教わるものじゃない」という考えだったため、その親友であるザ・フーキース・ムーンからドラムを教わることになった。そのためか、プレイスタイルはキースのようなパワフルなものとなっている。現在はザ・フーにサポートメンバーという形で招かれ、かつてキースが座っていた場所でドラムを叩いている。

主な活動

  • 8歳の時、「キースおじさん」と慕っていたキース・ムーンに最初のドラムセットを買ってもらい、演奏も彼から習った。ザックにドラムを教えるキースの写真が何枚か残っている。
  • 1978年、キース・ムーンが急死。
  • 1984年、ボズ・バレル(元バッド・カンパニー)等とナイトフライを結成するが、レコード発表には至らず。
  • 1980年代中期から、本格的にプロのセッション・ドラマーとして活動。1985年には父リンゴと共に「アパルトヘイトに反対するアーティストたち」の曲「サン・シティ」のレコーディングに参加。その後はエイドリアン・スミスアイアン・メイデン)等、多くのミュージシャンと共演する。
  • 1990年代前半には、父リンゴ率いる、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドの正式メンバーとしても活躍、1995年には来日も果たす。
  • 矢沢永吉1992年作品『Anytime Woman』の収録曲「Anytime Woman」と「銀のネックレス」に参加。アビーロード・スタジオにてレコーディングされた。
  • 1994年、ザ・フーのボーカルだったロジャー・ダルトリーのツアーをサポート。
  • 1996年6月のハイドパークで行われたイベント(プリンストラスト)よりザ・フーのサポート・メンバーとなる。
  • ザ・スミスギタリストジョニー・マーと出会い、ジョニー・マー&ザ・ヒーラーズを結成。最初は6人編成で、2000年フジ・ロック・フェスティバル出演のために来日するが、その後トリオ編成になり、2003年、アルバム『ブームスラング(BOOMSLANG)』を発表。同年3月に来日し、東名阪で3公演行った。
  • 2004年THE ROCK ODYSSEY 2004出演のために、ザ・フー念願の初来日。ザックの、キース・ムーンを思わせるドラム・プレイが絶賛される。
  • ザ・フーの来日公演の少し前から、オアシスにも誘われ、2004年のライヴからサポートメンバーとして加入。2005年発表のアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース(Don't Believe the Truth)』に、ほぼ全面参加。ツアーにも同行。ザック在籍時のオアシスはライブでザ・フーの「マイ・ジェネレーション」を頻繁に演奏している。
  • オアシスのツアーで忙しかったため、ザ・フーの2006年発表のアルバム『エンドレス・ワイヤー(Endless Wire)』では、1曲しか叩いていない。しかし、ザ・フーの2006年のツアーには参加。
  • 2006年秋から年末にかけて行われたオアシスのアコースティック・ライヴには、ノエル・ギャラガーの友人であるテリー・カークブライドが参加したため、ザックは帯同していないが、翌年2月には、ブリット・アワードでのオアシスのステージにアルバム発売時のツアー同様参加。結果的にこれがオアシスのメンバーとして最後のライブ演奏となった。
  • 2008年発表のオアシスのアルバム『ディグ・アウト・ユア・ソウル (Dig Out Your Soul)』のレコーディングに参加。だが、2008年5月、『ザックはこの先、オアシスのレコーディングにもツアーにも参加することはないだろう』と報じられ、その後正式にサポートメンバーから脱退。関係者は「ノエルと意見の対立があった」と話しているが、オアシスのメンバーは「ザックはザ・フーに専念したかっただけだ」と対立を否定し、円満な脱退だったことを主張している。ザックの後任はクリス・シャーロックが務めた。
  • 2012年ロンドンオリンピックの閉会式におけるザ・フーの演奏にドラムとして参加[1]

出典

外部リンク